第4話 捜査
4-1 実働
先日、本山に捜査のための方針への許可を得てから、約1週間後、葵は、自身のデスクから、デスク上の電話にて、警察官としての事件の第一発見者である地区交番の巡査・木村正一に電話した。通話音の後、木村本人が出た。
「○○区の××町の交番担当の巡査・木村です」
「ああお疲れ様です。本庁の捜査一課の警部補・山城です。先日の藤原家の殺人の件でお話をうかがいたいので、今から、そちらに向かいたいのですが。先日の岡本さんと本田さんにも、うかがいたい話があります」
「分かりました、何時頃、来られますか」
葵は壁にある時計を見た。午後1時45分頃である。
「午後3時頃で、どうですか?」
「分かりました、但し、別件の事件発生等の場合は、私は交番にいないかもしれません。その点はご容赦ください」
「ええ、勿論です」
予約が取れたところで、葵はデスクから立ち上がり、正面のデスクにて、パソコンに向かっている楓に言った。
「じゃ、聞き込みに行きますので、後をお願いします。塚本警部補」
「了解です、山城警部補。お気をつけて」
その言葉を聞くと、葵は、足早に捜査一課の部屋を出た。
葵はエレベーターに乗り、1階に向かった。そして、正面玄関から外に出た。相変わらず、日差しが厳しい。日差しがコンクリートに照り付けて跳ね返り、更には彼女自身にも容赦なく照り付けた。
葵は出退勤の時に常々、利用する桜田門の地下鉄駅から、地下鉄を待った。その間、ホーム上のキオスクにて、500ミリリットルペットボトルの烏龍茶を1本、購入した。辺りを見れば、やはり、数人の人々が、ペットボトルを口にしつつ、暑さを避け、一時的に涼んでいるかのようである。いつもの
<夏の風景>
であり、夏の
<ルーティンワーク>
であろう。
こうして、地下鉄を待っているうちに、ホームの端の方が、オレンジ色の明かりで明るくなり、警笛を鳴らしながら、地下鉄が入って来た。列車は葵の前に風を吹かせながら、走ったものの、間もなく停車し、ホーム側の扉が一斉に開いた。まだラッシュアワーでもないので、乗降客は少ない。
近くの扉から乗車した葵は、傍のシートに座った。乗客は少ないので、シートに座ることに難儀はなかった。列車の窓には、
<弱冷房車>
というステッカーが貼ってあった。
<弱冷房>
がどの程度の冷房かは定かではない。しかし、先程まで、容赦ない日差しの中にいた葵としては、大変な涼しき別世界であった。
<別世界>
に入って、改めて、気分を落ち着かせることのできた葵であった。車内にて、改めて、交番にて確認すべき項目を確認してみた。
「まず、第1に藤村夫妻の人となりやね。改めて、一体、どんな方だったんやろ?人のええ人に見えて、実際には誰かに恨まれている、なんてこともあり得ることやね」
葵自身のこれまでを振りかえってみれば、それは、
・真江子-葵
の関係がそれにあたるだろう。以前、望みもしないお見合い話を葵に持ちかけ、母子戦争になったことがあった。それは、葵にとっては、自分自身のキャリアを毒母たる実母に捻じ曲げられかねない、つまりは、人生を自分の望んだ方向とは、別方向へと狂わせられかねない、という
<一生の恐怖>
というべきものが背後にあった。一度きりの人生なのである。それを毒母に捻じ曲げられたら、たまったものではない。
葵は思わず、自分のスマートフォンを見直した。真江子からの連絡はしっかり
<着信拒否>
となっていた。この馬鹿母からの連絡等が入ったら、葵とて、1人の人間である以前に、1人の感情ある人間である。望みもしないお見合い話を持ちかけられた時のように、
<キレて>
しまうかもしれない。そうなったら、それこそ、
<一巻の終わり>
かもしれない。葵の電車内での態度が、地下鉄会社によって、
<車内暴力>
と解釈され、それがどこかのマスコミに嗅ぎつけられた挙句、
<警視庁女性警部補、地下鉄者にて、暴言、迷惑行為>
等とマスコミに派手に報じられたら?まさしく、
<一巻の終わり>
であろう。そうでなくとも、電子メール、パソコンインターネット、ブログ、動画システム等、誰もが自由に情報発信できる昨今のことである。地下鉄内での
<醜態>
が動画でさらされてしまうかもしれない。
葵は、捜査の方向性の確認から、いつの間にか、結果として自身の怒りの感情に耽溺しかけていた。
「いかん、いかん、何しとんのや。しっかりせいや」
自分自身に言い聞かせると、葵は心中にて、話の本筋に戻った。
「藤村さんの人となりか。お二方とも、既に70代半ばなので、御老人やね。会社も既に定年で退職されているとのことだった」
葵は勿論、今朝、出勤してから、いつも通り、つまり、
<ルーティンワーク>
として、業務用パソコンにて、電子メールにて回送されて来ていた藤村夫妻の情報を確認していた。地区交番の巡査・木村の地区名簿の情報によるものであった。
「夫の弘は75歳、妻の和子は72歳、やったね」
いずれも、所謂、
<社会の第一線>
からは退いた存在だった。しかし、そうした立場であっても、住まいの地域の活動等に参加している事例は多い。
同じく回送されて来た情報によると、町内の人々からは、有難がられていたとのことであった。
葵は思った。
「すると、恨みの線は消えるのやろうか?」
しかし、交友関係は町内の人々とは限らないだろう。
そんなことを考えているうちに、地下鉄は乗り換え駅に差しかかった。
4-2 再面談
乗換駅にて地下鉄を降りた葵は、別の地下鉄乗り場から別線に乗り、電車を乗り継ぎ、先日の事件現場となった住宅街××町に到着した。
自動改札口を抜け、駅の外に出た葵に、再び容赦なく日差しが照り付けた。外に出れば、日差しが再び襲うことを覚悟していたものの、暑さが、駅外に出た彼女を包み込んだ。
再び、暑さの世界に引き戻された葵は、汗をぬぐいつつも、15分ほどで、木村の勤務する交番に着いた。
交番内のデスクにて、作業をしていた木村は、葵を見ると、立ち上がり、敬礼した。
「お疲れ様です。警部補」
「お疲れ様です。木村巡査、暑い中大変でしょう」
この言葉、無論、葵の実感そのままであった。しかし、やはり、交番内は空調が効いていた。葵は再び、暑さから逃れ得た。
「早速ですが、町内の住民についての資料をご覧になりますか」
そう言った木村は
「あと、先日、私と共に本件の第1発見者となりました岡本、本田の両氏にも奥の部屋に待機していただいております」
「御2人にお会いするのを先にしましょう、お待ちいただいているのに申しわけない」
葵と木村の会話に気づいたのか、奥の部屋への戸が開き、本田が顔を出した。
葵はすぐに一礼した。
「先日は大変な思いをされた上に、本日また、お越しいただき、本当に申し訳ありません」
「いえいえ」
「失礼します」
葵は一言、断ると、自身も8畳ほどの部屋に入った。
「改めまして、先日は大変な目に逢われましたね」
葵は、改めていたわりの言葉を岡本、本田の2人にかけた。
「いえいえ」
とんでもない事件ではあったものの、1日が経過して、2人とも少しは落ち着いたのだろうか。事件当日よりは、顔色も良く、血色も悪くない感じである。
「早速ですが、藤村さんご夫妻は、どんな方だったのでしょうか?」
「どんなって、特に変わった点がある方でもないですよ。町内会の活動にはよく頑張ってくれていました。時々は、お金の寄付もしてくださいまして、有難い方でした」
本田は、このように答えた。
本田の答えを聞いた葵は更に問うた。
「先日の繰り返しになりますが、夏祭りの情報を送ったところ、3日も返信がなかったとのことで、不審を抱かれたとのことでしたね」
「はい、先日も申しましたように、マメで不誠実な人でもないので、不審に思ったんです」
この2人の話を聞く限り、少なくともこの町内では、
② 何等かの恨み。被害者の死体の凄惨な状況からして、あり得ないことでもない。
の線は消えるようである。だとすれば、
① 物盗りが居直り強盗になった。最初は単に盗みのため侵入した犯人は、夫妻に気づ
かれ、慌てて、或いは逆上して、夫妻を殺害してしまった。
だろうか。
空き巣狙い、ひったくり、或いは、それらの延長としての居直り強盗等については、全く逃れられる安全地帯は存在しないであろう。葵達、刑事が治安維持のプロならば、犯罪者も又、
<犯罪のプロ>
なのである。
葵は改めて問うた。
「最近、この辺り一帯で何か、トラブルとかは有りましたでしょうか」
しかし、特にそうしたことはない、とのことであった。葵は、一応確認のため、戸を開き、先程の場所でデスクワークをしている木村に声をかけた。
「木村巡査、この辺りの最近の治安状況はどうなのかしら?」
デスクワークをしつつも、戸一枚を隔てて、3人の会話を聞いていたのであろう、
「特に大きな事件は無いですね、痴漢が数件発生していますが」
「了解です」
葵は木村の回答を聞いた後、最後の質問として、藤村家の子供のことを聞いた。しかし、やはり、息子と娘がいたものの、その後、独立したのか、長く姿を見ていない、とのことであった。
又、以前は、被害者夫婦の親等も同居していたものの、既に逝去していた。このことは、葵も捜査関係の情報として把握していた。
4-3 再訪
岡本、本田が交番から帰った後、葵は木村から渡された治安情報を見てはみたものの、この地区一帯では、特に不審な動きは無いようであった。
葵も交番を出た後、改めて、事件現場となった藤村宅を訪ねてみた。相変わらず、藤村家は立ち入り禁止となっており、数人の警官が警備にあたっていた。
藤村家は古くからこの地区にあった家のようである。地区の中では広い方であり、かつ、少しく立派な屋敷であった。
「お疲れ様です」
葵は、警備の警官に敬礼しつつ、改めて、本件の犯行動機について、考えてみた。
「やはり、物盗りやろうか。物盗りの方は<犯罪のプロ>として、この家を狙っていたんか?銀行の通帳等を盗らなかったのも、かえって足がつかんようにするためかもしれんな」
夏なので、日が暮れるのが遅い今日この頃である。左手の腕時計を見ると、
・午後5時半
であった。退庁時刻まで、殆ど時間はない。今から帰庁しても、退庁時刻以降の退庁になるのは明らかであるものの、一度、本庁に戻り、本日の状況を報告しなければならない。
「相変わらず、暑いわね」
葵は往路とは逆方向に向けて歩き出した。
全身を包む、掴みどころのない暑さの空気が、葵にとっては、今回の事件にあたって、何かしらなお、
<掴みどころ>
を見出せない彼女自身の状況と似ているような気がした。
<掴みどころ>
がないからこそ、捜査は時間との戦いであり、それ故に一層の努力が求められるはずである。
既に、殺人の時効は存在しないとはいえ、時間が経てば、証拠品は散逸し、関係者の記憶もあいまいになるであろう。-今日はまだ、事件発生から1週間ほどしか経過していないとはいえ-初動捜査での躓きが、事件のその後の
<コールドケース>
化を招き、事実上の
<迷宮入り>
を為すかもしれない。事実、そうした事例も過去にあった。
「ほんま、しっかりせいや」
葵は、心中にて、改めて、自身を叱咤した。
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