第5話 通信開示
5-1 訪問
一方で葵を見送った楓は、遺留品の再調査を行っていた。現場捜査時に押収されていた遺留品等については、楓のパソコンにも電子メールにて回送されてきていた。
楓が注目したのは、当然、藤村夫妻のスマートフォンである。電話会社には、誰と通話したのか、通話記録が残っているはずである。それを調べるためには、まず、そのスマートフォンが何処の業者を使用しているのかを把握せねばならない。
しかし、これは、特に苦も無く分かった。スマートフォンと共に、通話業者の請求書等が事件現場の遺留品として、押収されており、その写真も楓の電子メールに添付資料として、送信されて来ていた。その会社に連絡し、又、捜査令状を裁判所に請求することによって、通信情報の開示を請求せねばならない。
「本山警視、捜査令状を裁判所に請求します」
「うむ、そうしてくれ」
被害者の周囲を洗い出すことは、-先程、葵とも話した通り-、捜査の基本である。通信記録も時間が経てば、一定ずつ廃棄される。そうしたことを防ぐため、迅速に動かなければならない。
藤村夫妻の使用している通信業者は、××社であった。楓は早速、××社に連絡した。
「恐れ入ります。私、警視庁捜査一課の塚本楓と申します。お忙しいところ恐れ入ります、捜査の件での情報の開示を請求いたしたくお電話差し上げました。この件につき、御担当の方はいらっしゃいますでしょうか」
「お待ちください。担当と代わります」
「担当、代わりました。××社の担当、井川と申します」
「おそれいります、警視庁捜査一課の塚本と申します。犯罪捜査の件で、情報の開示をお願いいたしたく、お電話差し上げました」
「分かりました。何時頃、来られますでしょうか?」
「午後3時半ごろで如何でしょうか。裁判所の令状を持参して、お伺いします」
「分かりました。お待ちしております」
電話を切ると、楓も、本山に外出を一言、告げた後、捜査一課の部屋を出た。
東京の交通網は、沢山の自動車が走っているとはいえ、地下鉄を含めた鉄道網が中心となっている。楓も、桜田門駅から地下鉄に乗り、裁判所で判事の令状を受けた後、××社に向かった。
「スマホの通信記録を見れば、かなりのことが明らかになるでしょうよ。所謂<情報化社会>だもんね。世の殆どの人々が持っているスマホから辿れば、容疑者に近づくのは、然程、苦ではないでしょう」
今や、スマートフォンは、各
<個人>
にとって、
<社会>
を生きるのに、必携の装備であり、そんなことは改めて説明する必要もないことである。
現在、楓が乗っている地下鉄の車内でも、数人の乗客がスマートフォンにて、何かを操作していた。ショートメールでも打っているのだろう。何の変哲もない、ありふれたごく日常の風景である。こうした電子媒体での交流は、管轄の通信業者に、一定期間は残るのである。
<情報化社会>
は、性別、年齢を問わず、誰もが自由に受発信できる
<社会>
であり、膨大な情報が日々、行き交うので、人々は既に、多少の誹謗中傷ごときには、実害がない限り、慣れてしまっているものの、同時に、ある意味、その
<個人>
の足跡も辿り易く、その意味では、より一層、
<自己責任>
が問われる
<社会>
になったと言えるかもしれない。
そんなことを考えているうちに、楓の乗った地下鉄は、下車予定の駅に差し掛かった。
楓はシートを立ち、地下鉄を下車した。
改札を通り、地上に出た楓に、日差しが照り付けた。相変わらず、暑い。しかし、××社の社屋はすぐに見つかった。歩いて5分ほどの場所である。距離があれば、暑い中、大変であろうものの、そうでないことは暑い中、救いであろう。
楓は、××社に向かって歩き、社屋の正面玄関の自動ドアを通った。正面ホール奥には、受付カウンターがあり、2名の女性社員が座っている。
楓は、警察手帳を見せて、自己紹介した。
「警視庁捜査一課の塚本と申します。捜査関係の件で、御社の井川様と予約していたのですが」
2人のうち、1人の受付嬢が、
「かしこまりました。少々、お待ちください」
と言うと、手元の受話器をとり、内線で電話をかけた。
「警視庁の塚本様がお見えです。サーバー課の井川課長、お願いします」
1分程、待ったほど後、受付嬢は
「あ、井川課長でしょうか。警視庁の塚本様がお見えです」
井川が返答したのであろう、受付嬢は
「はい、はい、了解です。では、これから、ご案内いたします」
そう言うと、受話器を置いた。
「塚本様、お待たせいたしました。こちらの高橋が、現場まで、お連れいたします」
と、隣の受付嬢を紹介した。高橋受付嬢は立ち上がり、
「ご案内いたします」
と、楓を連れ、社内エレベーターホールに続く、入り口で、自身のIDカードを社内ゲートにかざした。カードを鍵として反応したゲートは素早く開いた。
「どうぞ」
高橋は、楓にホールに進入するよう、促した。
5-2 作業
<現場>
は××社の社屋5階にあった。
楓は、高橋に連れられて歩いて行くと、
<サーバー課>
と書いた表札のある部屋の前に着いた。その入口まえに、1人の男性が立っていた。
「井川課長、警視庁の塚本様をお連れしました」
「恐れ入ります、私、警視庁捜査一課・警部補の塚本楓と申します」
そう言うと、楓は自身が本物の刑事であることを証明すべく、警察手帳を提示した。
「お待ちいたしておりました。私、弊社のサーバー課の課長・井川孝雄と申します」
そう言うと、井川は自身の氏名が記された名刺を差し出した。
「本日は、お世話になります」
楓の挨拶に応えて、井川は、
「こちらへ」
と言い、楓をサーバー課の室内に通した。
サーバー課の室内では、多くのスタッフ達が、デスク上のパソコンに向かって作業していた。何処にでもごく普通に見られるデスクワークであり、
<ルーティンワーク>
であろう。その部屋の奥の壁に、1つの戸が有った。井川は、戸の脇のIDカード検知装置に、先程から、自身の首に下げていたIDカードを通した。これから、個人情報を管理する部屋に入るからであろう。管理は特に厳重なのであろう。
「どうぞ」
戸を開けた井川は、楓を招き入れた。
「失礼します」
楓は一言言うと、別室たるこの部屋に入った。室内には、棚が壁面に沿って有り、収納ボックス等が置かれ、又、部屋の中心のテーブル上に、ノートパソコンと資料類が置かれていた。
「こちらが、御入用と思われる資料です」
井川は、資料として、机上のノートパソコンと紙の資料を紹介した。
「拝見します、かけて良いでしょうか」
「ええ、どうぞ」
楓は鞄を脇に置き、テーブル脇の椅子にかけると、机上の紙資料を手にした。その資料は、複数枚あり、それぞれ、
<藤村弘氏通信記録>
<藤村和子氏通信記録>
とあった。時期としては、今日、つまり、203X年7月までの数か月間のものであった。
楓は改めて、2人の記録を見てみた。所謂、
<情報装備>
は、現代においては、必携のそれである。このことを、地下鉄車内にて、つぶやいていた彼女であり、この事実は、何等、強調の必要のないことである。
しかし、2人のスマートフォンの通信量、ショートメッセージ等の情報量は思ったより、少なかった。やはり、
<社会の第一線>
を退いた老人ともなれば、動く気力、体力も弱まり、周囲との付き合いも減るのだろうか。
楓は、弘、和子の2人の通話記録に残る各々の相手の電話番号について、井川から、操作方法を教わった上で、机上パソコンにて、所有者、並びに、その住所等を検索してみた。
検索画面に出て来た住所等を確認し、メモを取った他、楓自身のスマートフォンにて、写真にも収めた。通信量は和子の方が多いようである。
しかし、住所は、東京の他、大阪、広島、又は札幌等、全国に多岐に渡っている。結婚後、夫の転勤等で、全国に散っていた知人、友人だろうか。
「すみません、こちらの紙の資料ですが、捜査資料として、頂きたいのですが」
「ええ、結構ですよ」
井川は同意してくれた。
「ありがとうございます」
その上で、楓は、捜査メモを取り出し、現時点で分かっている事件関係者の氏名を確認してみた。巡査の木村と共に、
<第一発見者>
となったのは、事件現場の近所の女性
・岡本美咲
・本田洋子
の2人である。井川から受け取った紙資料にも、この2人の氏名があり、弘の通話記録にはこの2人の氏名が多い。町内会の活動に2人が積極的に関わっていた証明であろう。
この他、
・佐藤美紀
の氏名があり、更に、
・菊池誠二
の氏名があった。この2人にも、早目に事情聴取せねばならない。
そんなことを思いつつ、楓は、椅子を立ち、傍らで、楓の作業を見守り続けていた井川に、
「捜査へのご協力、ありがとうございました。今後とも、お世話になることがあるかもしれません。その際は、宜しくお願い致します」
と礼を言い、頭を下げた。
礼を受けた井川は、楓を1階ホールまで見送った。ホールにて、楓は、改めて、井川他、2人の受付嬢に一礼し、××社を後にした。
5-3 合流
夕方の残暑は相変わらず厳しい。相変わらず、天は安らぎを与えてはくれない。
「やれやれ、疲れた」
そう思いつつ、楓も、桜田門の本庁舎に戻った。
「本山警視、今、戻りました」
捜査一課の部屋に入り、帰還を報告した。
「お疲れ様。何か、動きはあったのか」
「スマートフォンの情報には、数人の通話記録があり、第一発見者の岡本、本田の2人の他、数人の氏名がありましたが数は少ないですね。広島、大阪、札幌等の遠方の住所もありました」
そこに、葵も戻って来た。
「今、戻りました」
「お疲れ様。何か、動きはあったのか」
「すみません、特にまだ、これといった進捗は無いですね」
「捜査はこれからまだまだだ。コールドケースにならないように気を付けるんだ」
夏の暑さもあってか、葵と楓が疲労の色を濃くしているのが、本山にもわかり、
「気を抜くな」
という警告を上司として発したのであろう。
「はい、警視」
彼女等2人も、治安維持を担うプロである。その自覚を問われたことを了解したのであろう、強い口調で返答した。
とは、いうものの、既に時刻は午後7時半を回っていた。退勤後、2人は自身の夕食も自炊せねばならない。
庁舎内のエレベーターに乗った2人であった。楓が葵に言った。
「もう今から、自炊って面倒だから、どっかで食べて帰らない?行きつけの結構、安くのめるバーがあるのよ」
疲れていたこともあり、葵は同意した。
2人は、桜田門から地下鉄に乗り、楓の言う都内のバーに向かった。
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