第3話 翌日
3-1 捜査一課
翌日、葵は午前7時に起床し、いつもの如く、電車、地下鉄を乗り継いで、桜田門に向かった。
本庁舎の庁舎に向かう路上、同じく出勤して来た楓に会った。
「おはよう、葵」
「あら、おはよう、楓」
まだ、庁舎内に入っていないので、そこでは、まだ、
<警部補>
等の肩書はまだ不要である。相変わらず、日差しの暑い路上を2人は、本庁舎に向かって歩いた。
「葵、今度の事件も又、殺しよね」
「そうよ、殺し」
「かなりひどい殺され方されてたみたいだけど」
「そう、なんで、あんな殺され方したのかしら」
確かに、なぜ、あのような殺され方をしたのか。葵は楓と同じく、捜査一課に配属されて以来、-捜査一課は、殺人を中心とする重大事犯を扱う課なので、当然と言えば、当然なのだが-死体を見るのが仕事である。
しかし、それにしても、昨日の藤村夫妻の殺され方は、相当なものであった。昨日、葵は昼食をとらずに、現場に駆け付けた。しかし、それで良かったのかもしれない。2人の第一発見者たる岡本美咲と本田洋子の2人は、体調をかなり崩しているような感じだった。葵も、自身が刑事とはいえ、胃袋の中に何かが入っていたならば、現場で嘔吐せずにいられただろうか。
2人は本庁舎内に入った。ここからは、仕事の現場である。楓と歩きながら、会話していた葵は、改めて、立場を自身に自覚させようとしたのか、
<警部補>
という階級付きで、楓に対し、
「さ、これから、現場。本山警視がきっと、私達に指示するわよ、塚本警部補」
と、多少、語気を強めて声をかけた。
「はい、山城警部補」
楓も語気を強めて返した。
2人は、エレベーターに乗り、本庁舎の中の捜査一課のいつもの自身のデスクについた。いつもの朝の動きである。しかし、だからこそ、自身達の仕事が所謂、
<ルーティンワーク>
として、杜撰なものにならないよう、葵は語気を強め、階級付きで楓に呼び掛け、楓もそれに答えたのであろう。
壁にかかった時計を見ると、時計の針は、午前9時に差し掛からんとしていた。
見れば、捜査一課長のデスクには、その主である本山の姿はない。しかし、葵や楓、そして、捜査一課のの課員達は、それぞれに仕事を始めていた。桜田門に隣接する永田町の各官庁でも、状況は同じであろう。今日も、
<ルーティンワーク>
が始まっていた。
楓が傍らの男性刑事に訪ねた。
「課長は、何処へ行かれたのですか?」
「さあな、だけど、そのうち、戻ってくるだろうよ」
そのうちに戻って来るならば、それがいつかは不明ではあるものの、とにかくも、自身の仕事に取り掛かるべきである。
<ルーティンワーク>
をおろそかにしては、仕事そのものが成り立たない。楓は、デスク上のノートパソコンを開いてみた。メールボックスには、
<昨日の藤村夫妻の殺人の件>
というタイトルでの電子メールが入っており、被害者たる藤村夫妻の死体の写真が添付されていた。鑑識によって、現場で撮影されたものであった。
楓は、ひどい殺され方の死体に、思わず、顔をしかめ、ハンカチで自身の鼻と口を拭った。
電子メール本文には、既に、被害者の死体は警視庁の死体安置所に運ばれ、監察医による司法解剖等を待つ、とのことであった。
楓も刑事である。死体のひどさに顔を一瞬、しかめたものの、自身のノートパソコンにある被害者の写真をにらみつつも、犯人の犯行動機等について、考えてみつつ、同じく、正面のデスクで作業している葵に話しかけた。
「山城警部補」
「はい?」
「ひどい殺され方ですが、警部補の犯行動機についての見立ては?」
「塚本警部補も、大体、考えてはみたでしょうけど」
そのように、前置きしつつ、
「居直り強盗か、恨みの線、どちらかでしょうけど」
楓も、そういった線で考えていた。それぞれ、捜査の第一線に立つ者として、既に、ほぼ同じ方向で捜査の方向性を考えていたのであった。
「諸君、待たせた」
警視の本山が捜査一課の部屋に入って来た。
3-2 下命
部屋に入った本山は早速、皆に告げた。
「各自、当然の如く、自身の仕事に取り組んでもらいたい」
そう言ったうえで、
「山城君と塚本君、来てくれるか?」
「はい、警視」
葵と楓はほぼ同時に自身のデスクから立ち上がった。今度の藤村家の事件についてであろう。
本山に促される形で、葵と楓は別室に入った。その部屋の中で、テーブルを挟んで置かれているソファに座るよう、本山は促し、彼自身はテーブルをはさんで彼女等に向き合って置かれている椅子に座った。
「早速だが、昨日の藤村家の夫妻殺人事件の件についてだがね」
「はい、警視」
2人にとって、予測された発言であったからか、ほぼ同時に返答した。
「こう、暑い夏だ」
本山は、日々の暑さについて、口にした。室内は冷房が効いており、別世界であるものの、外が暑いのは、今朝も出勤途上に意識せずとも感じさせられた事実である。
「藤村夫妻の御遺体だが、こう暑い状況の中でね、既に、発見前に腐敗が進んでいたこともあり、遺体の検証から、本件の真相に迫るのは難しいものもあるかもしれない」
これも予測された発言である。葵が昨日、現場到着時に既に臭っていたのはそのためである。
「しかし、分かっていると思うが、藤村夫妻は、室内の椅子で頭部を強打され、予測は君等もつけているだろうが、居直り強盗か、恨みか、どちらかの線だろう」
楓が口を開いた。
「現時点では、どちらの可能性もありますね。まだ、どちらかには絞れないとは思いますが」
「その通りだ」
「そこで、もうわかっているとは思うが、君等2人には、居直り強盗と恨みの2つの線で本件に迫ってもらいたい」
葵が口を開いた。
「私達としても、警視のおっしゃる線で考えてはいました。この件については、まず、藤村夫妻の交友関係等から洗い出すべきですね」
「うむ」
本山も同意した。被害者の交友関係を洗うのは、捜査の定石である。
「諸君、今言った、居直り強盗と恨みの線で動いてくれ」
本山はそう言うと、再び、2人を促し、3人は部屋を出て、いつもの職場に戻った。
3-3 捜査方針
正午過ぎ、葵と楓は庁内の食堂で昼食をとった。これもいつもの
<ルーティンワーク>
である。楓が言った。
「ひどい殺され方だったけど、案外、早目に片付くんじゃない?」
葵もそれについては思うところがあった。恨みの線であれば、それこそ、先程、本山と話したように、LINE、電話等の通信記録から、交友関係等から洗い出せば、容疑者に到達できそうである。
「恨みの線であれば、交友関係等から、それは簡単かもしれない」
葵は楓の心中を見透かしたかのように言った。刑事として、捜査が
<ルーティンワーク>
と化しているので、相手の言わんとする内容を見透かすのに困難は少ないようである。
楓も、この答えは予測していたことであった。楓は続けた。
「だけど、物盗りの線だとしたら、難しいかもしれない」
葵としても、それには困難があることは予測できた。
「もし、居直り強盗等の件だとしたら?」
東京は、昨日の銀座の風景にもあるように、お互いに知らぬ人々が往来する街であり、その人口は1000万を超えている。そんな中で、容疑者は、その中に紛れ込んだ1粒に過ぎない。さらに、例えば、犯罪組織の位置であったならば、組織にかくまわれる等して、益々、捜査は困難かもしれない。様々な
<困難>
が予測された。
捜査にあたって、あまりにも捜査方針を絞り込むと、他の可能性が見えにくくなる。かといって、可能性を拡げすぎると、焦点がぼやけて、問題である。
とにかく、現時点では、
① 物盗りが居直り強盗になった。最初は単に盗みのため侵入した犯人は、夫妻に気づ
かれ、慌てて、或いは逆上して、夫妻を殺害してしまった。
② 何等かの恨み。被害者の死体の凄惨な状況からして、あり得ないことでもない。
以上に2点から、捜査を絞り込むしかないであろう。
「塚本警部補」
葵は改めて、楓に声をかけた。
「この後、捜査方針を調整しましょう」
「了解です、山城警部補」
「さ、そろそろ、昼の休憩時間も終わるころよ」
葵は楓に、そして、自分自身に促した。
そのまま、見れば、先程の小部屋が空いているようであったので、そのまま、楓とその小部屋に入った。葵は切り出した。
「捜査方針としては、先程、本山警視が言った通り。そのためには、通信記録の検証だけではなく、聞き込みも必要」
楓は同意した。葵は続けた。
「私は現場に行ったものとして地区の人々の聞き込みをするから、塚本警部補は通信記録の開示請求という形で、どうかしら」
「了解です。その線で動きましょう」
とりあえずの捜査方針は決まった。
葵と楓は、同僚というのみならず、気心の知れた間柄でもあるようである。
「早速、本山警視に報告し、許可をもらいましょう」
2人は小部屋を出、捜査一課に戻った。
「本山警視」
葵は、自身のデスクでノートパソコンでの作業をしている本山に話しかけた。
「何だ?」
「藤村家の件ですが、私が現場周辺の聞き込みに、塚本警部補が通信記録の開示請求に向かうという方向での捜査で如何でしょうか」
「うむ、それで良いだろう。但し、進展があれば、私に報告するように」
本山は注意付きで、葵からの提案を上司として承認した。
「よし!」
葵は内心で言うと、実際に声にして、方針通りの捜査を始めることを楓に呼び掛けた。
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