第2話 現場検証

2-1 現場へ

 銀座を歩いていた警視庁捜査一課の警部補・山城葵のスマートフォンが鳴った。

 「山城警部補、殺人事件発生です。至急、現場行きを願います」

 「了解です。現場はどこですか?」

 「都内○○区××町の住宅街です。既に鑑識等は、現場に向かっています」

 ここは、銀座の一遇である。今日、彼女は私服で、銀座の通りを歩いていた。警視庁本庁舎のある桜田門からは、然程、遠くない場所にある。普段は本庁舎付けの葵ではあったものの、銀座を含めた有楽町方面の交番等に仕事の関係上、出向いて来ていた。現在、その帰りだったである。

 コンクリートに固められた銀座一円は、-勿論、銀座のみではないはずであるが-日差しがアスファルトに照り付け、典型的な夏の暑い都会と化していた。そんな中で、人々は半ば、無言で行き来しているようであった。この夏の暑さは、例年のことであり、別段、驚くべきことではない。昼のこの時間は、多くの人々がオフィスアワーということで、皆、それぞれの目的で往来しているのであろうものの、そろそろ、昼食時が近くなって来ていた。

 いつもは、本庁舎内の食堂で昼食をとる葵ではあったものの、今日は銀座の裏通りにある立ち食い蕎麦屋等で、食べようかとも思っていた。そこに彼女のスマートフォンが鳴る形となったのである。

 「了解しました、すぐ、現場に向かいます」

 そう一言、告げると、葵はスマートフォンを切り、それまで来た道を足早に引き返した。先の交番にてパトカーを手配し、現場に連れて行ってもらうためである。

 銀座の中心部に背を向けた彼女の背後で、和光(服部時計店)の時報が鳴った。この時報は1時間ごとになるものであり、これも銀座の風景である。しかし、丁度、このタイミングで鳴ったのは、

 「さあ、これから、捜査の始まり!嫌なことは忘れて、仕事に頑張れ!」

と言った何かのメッセージだろうか。彼女の毒母・真江子が嫌いで、京都から東京に出て、警視庁に就職した葵である。仕事の合間、何らかの形で暇が空くと、真江子についての不快な思いがフラッシュバックすることもある。そんな葵ではあるものの、しかし、自分が好きで選んだ仕事もなれば、嫌なことも忘れられるのである。

 事件の捜査は、まず、現場検証の段階で、一刻を争って行動しなければならないであろう。現場の正確な確保から、捜査はスタートするからである。

 先程の交番に駆け込んだ葵は、軽く肩で息をしつつ、交番勤務の制服警官等に言った。

 「ごめんなさい。先程の警部補の山城です。殺しの件で、緊急連絡が入りましたので、

パトカーを1台、現場まで確保できるかしら?」

 「了解です、警部補!」

 1人の巡査が立ち上がると、交番脇にあるミニパトカーの運転席に彼が乗り込み、エンジンをかけた。葵は、その隣の助手席に乗り、シートベルトを締めた。

 ミニパトカーはサイレンを鳴らし、赤色灯を回した。車道に出ると、巡査がマイクで街行く人々に呼び掛けた。

 「こちら、警視庁です。すみません、事件が発生しましたので、緊急車両、通ります。道を開けてください!」

 市民への協力を呼び掛け、道を開けてもらうと、葵を乗せたミニパトカーはけたたましくサイレンを鳴らしつつ、都内○○区××町へと80キロの速度で走り出した。

 走るミニパトカーから見えるのは、相変わらず無名の人々の往来である。しかし、現場に近づくにつれ、人通りは少なくなり、閑静な住宅街となって行った。

 しかし、現場周辺だけは、人だかりができ、

 <いつもの風景>

が破られ、事件現場であることが理解できた。ミニパトカーは、人だかりの近くに停車し、葵は、巡査に礼を言うと、助手席から降りた。

 「あの、すみません、ここが藤村さんが殺された現場でしょうか」

 葵は人だかりの中の1人の男性に声をかけた。

 「ああ、そうなんだ。ひどい殺され方のようだぜ」

 葵は、警察手帳を取り出すと、

 「すみません、私、捜査一課から来た刑事なんです、道を開けてもらえますか」

 そう言うと、葵は人の群れをかき分け、藤村宅の敷地内に入った。


2-2 被害者

 葵は、正面玄関から入ろうとしたものの、その時、脇の庭、つまり、先程、岡本と本田が、嘔吐のために出た庭に面する縁側から、捜査員の1人が声をかけた。

 「山城警部補、お待ちしていました。こちらです」

 その声に合わせる形で、葵は縁側に向かった。捜査とは言え、他人の家である。葵は一言、

 「失礼します」

と言って、靴を脱ぎ、縁側の廊下に上がると、藤村夫妻の寝室に入った。

 2人の死体を見た葵は、思わず、口と鼻をポケットから取り出したハンカチで覆った。

 凄惨な死体であり、しかも、夏日に死後、数日たっていたことから、死体は腐敗が始まっていた。以前に見た斉藤良雄の死体も凄惨と言えば凄惨だったものの、今回はそれ以上である。

 現場では既に、鑑識係等、他の捜査関係者が指紋の採取等、捜査を始めていた。1人の捜査員が、葵に声をかけた。

 「警部補、捜査腕章です」

 葵はそれを受け取ると、左腕につけ、2体の被害者の遺体の周囲を見回してみた。

 室内に無造作に放置されている椅子があった。木製の硬そうな椅子である。その椅子の前にも番号札が置かれ、又、椅子の一部が白い線で囲まれていた。おそらく、本件の凶器であろう。

 葵は、傍らの捜査員に尋ねた。

 「この椅子が本件の凶器かしらね?」

 「はい、この椅子でガイ者2人は、頭部を殴打されて殺害されたようです。見てのように、椅子の血痕もチョークで囲まれました」

 葵は、それぞれに作業している他の捜査員に注意しつつ、現場を見て回った。

 室内のタンスや収納ボックスは乱雑に開けられ、内容物を物色された形跡があった。但し、銀行カード、通帳等は奪われておらず、既に、捜査資料として、ビニール袋の中に収納されていた。

 葵は、刑事として、犯行動機を考えてみた。


① 物盗りが居直り強盗になった。最初は単に盗みのため侵入した犯人は、夫妻に気づか

れ、慌てて、或いは逆上して、夫妻を殺害してしまった。


② 何等かの恨み。被害者の死体の凄惨な状況からして、あり得ないことでもない。


 「銀行カードや通帳は残っていた。或いは、銀行カードや通帳は他人が使えば、ATMの防犯カメラ等から足がつく。それを警戒して、銀行カードや通帳を盗らなかったとすれば、むしろ、何等かのプロの窃盗団等やろうか」

 そのように、葵が犯人についての推理を廻らせていると、第一発見者でもある木村が葵に話しかけた。

 「お疲れ様です。山城警部補ですか」

 「ええ、そうです。あなたは誰ですか?」

 「この地区の交番勤務巡査の木村です。第一発見者として、今朝、本庁に連絡した者

 です」

 「そうお疲れ様です。それで、用件は?」

 「私と一緒に、本件のガイ者を発見した方として、岡本美咲と本田洋子のお二方がいます。事情を聴取させていただくため、待機していただいております。警部補の方から、事情聴取をお願いします」

 「分かりました。どちらにおられるのですか?」

 「隣の居間に待機していただいております」

 そう言うと、木村は葵を居間に案内した。

 「失礼します」

 葵は居間に入り、未だに起きたことが信じられないかのような表情の岡本美咲と本田洋子の2人に会った。


2-3 聴取

 「私、警視庁捜査一課の山城葵と申します。大変な事件を目撃されたうえに、勝手にお待たせして申し訳ありません」

 「あ、え、まあ」

 「いえ、まあ」

 岡本と本田の2人は、返事をしたものの、何か、ぎこちない。凄惨な殺人の死体を見る等は通常、誰もが、

 <身の回りで起こるはずのない、ニュース等で見るのみの他人事>

だからである。それを思えば、2人の態度は当然のこととも言えよう。

 しかし、葵にとっては、刑事として2人の事情聴取は避けて通れない。しかし、2人に精神的負担をかければ、聴取は上手くいかないであろう。葵はとりあえず、要点をかいつまんで聞き、今日のところは、聴取を早めに終えるべきかと考えた。

 「早速ですが」

 葵は口を開き、要点を聞き出そうとした。

 「岡本さん、今朝、こちらの藤村さん宅に来られたのは、どういった事情からでしょうか?」

 「町内会の連絡をLINEとパソコンの電子メールで送ったんですが、3日も連絡がなかったんです。藤村さんは夫婦ともにしっかりされた方なので、3日も何の反応もないのはおかしく思いまして」

 21世紀の今日、LINEやパソコン電子メールでの連絡は言うまでもない全くの日常であり、このこと自体が事件に結びついているとは、別段、思われなかった。

 「巡査の木村からも聞いたのですが、しかし、返信がないので、不審に思われた結果として、こちらに来られたんですね」

 「はい」

 葵は、訪問動機を改めて、本人の口から確認した。

 岡本はうつむき加減で、何かしら小刻みに震えている。これ以上、岡本に質問をすると、それこそ、

 <精神的負担>

になるかもしれない。そこで、葵は質問相手を本田に切り替えた。

 「本田さん、あなたはどうして、この件を知りましたか?」

 「ここを最初に訪ねた岡本さんと偶然会って、不審に思ったんで、巡査の木村さんに来てもらって、それでこの事件を知ったんです」

 「分かりました。つかぬことをうかがいますが、藤村さんは、町内の皆さんにとって、どんな方でしたか?」

 「まじめで気さくな方でしたよ」

 この言葉を聞く限り、藤村夫妻は、周囲から恨まれる存在ではないようである。このように考えると、


① 物盗りが居直り強盗になった。最初は単に盗みのため侵入した犯人は、夫妻に気づか

れ、慌てて、或いは逆上して、夫妻を殺害してしまった。


の線が濃くなるようである。そう思いつつも、葵は、

 「すみません、後、もう少しだけ、お付き合いいただけますか」

と前置きし、藤村夫妻の交友関係、家族構成等について問うた。

 しかし、やはり、

 <プライバシー>

の話である。彼女等2人からは交友関係等は聞き出せなかった。ただ、息子と娘がそれぞれいて、大分前に、いずれも自立しているらしいことが分かった。

 葵は思った。

 「まずはガイ者2人の交友関係と2人のお子さんの行方の洗い出しがポイントやろうね」

 心中にて、捜査の一定の方向性を固めた葵は、

 「本当に大変な思いをされた中、ご協力いただき、ありがとうございました」

と岡本と本田の2人の礼を言い、とりあえず、今回の聴取が終わったことを告げた。但し、

 「ただ、今回以降もまた、お世話になることがあるかもしれません。その際は、宜しくお願い致します」

 と今後の捜査協力へのお願いを付け加えることも忘れなかった。

 居間から出た葵は、今度は本庁からのパトカーに乗って、帰庁した。

 その後、午後6時に退庁し、いつもの如く、桜田門から地下鉄、鉄道を乗り継いで自宅マンションに帰宅した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る