203X年―ある家族内の暗闘

阿月礼

第1話 事件発生


1-1 不審

 203X年7月某日のことである。今日も東京は暑い。都内のある住宅地にて、50前後の主婦・岡本美咲は、その近所である藤村家の玄関に立ち、呼び鈴を鳴らした。

 「藤村さん、おはようございます。藤村さん、いらっしゃいますか?」

 岡本美咲は、この地区の町内会の役員の一員でもある。この時代、多くの町内会等、実組織がそうであろうが、必要な連絡事項は電子メール、もしくはスマートフォンのLINEにて、一斉送信している。彼女の町内会も例外ではない。

 先日、つまり、3日程前、岡本美咲は、町内の関係者に、電子メールとLINEの双方にて、夏祭りの案内を送信していた。夏祭りそのものは、伝統的な地域の催事である。しかし、その準備には、電子装置を使う等、時代は変化している。それは技術の進歩を考えれば、当然のことであろう。しかし、藤村夫妻からは、返信がなかった。そこで、彼女はやむなく、かつて回覧板が各家庭に回されていた時代のように、直接、藤村家を訪問したのであった。

 「藤村さん、いらっしゃいますか?」

 岡本美咲は、不審に思いつつ、ドアノブを回してみた。それは、他人のプライバシーの空間に、当事者の許可なく立ち入る可能性にある行為であった。しかし、彼女は、藤村夫妻のことが気になっていた。

 常々、気さくに周囲の人々と付き合う夫妻のことである。3日も連絡がないのは、やはり、不審を感じさせるものがあった。

 「!?」

 ドアノブを回した玄関の戸は抵抗なく開いた。

 いよいよ、不審なものを感じざるを得ない。互いに顔見知りとはいえ、戸に鍵がかかっておらず、抵抗なく開く、とはどうしたことなのか?施錠は各戸、各個人のプライバシー、生活を守るための用心の第一歩であり、最大の防犯の1つのはずである。

 開いた戸から、岡本は勝手ながら、玄関に入ってみた。

 「すみません、藤村さん、いらっしゃいますか?町内会の岡本です」

 彼女の声のみが声であった。藤村夫妻の返答は全くない。岡本美咲は玄関口に立ちつつ、何かが臭うのを感じた。気の知れた近所への訪問ということで、ジャージ姿であった今日の彼女は、暑い夏ということもあり、首にタオルをかけていた。思わず、岡本は、そのタオルで、口と鼻を覆った。

 「一体、どうしたのかしら?」

 不審に思いつつも、これ以上、他人のプライバシー空間に入るのはまずい、と思い、一旦、玄関の外に出た。

 外に出た岡本美咲は暫く歩いたところ、同じ町内に住む女性・本田洋子に出会った。

 「おはようございます、今日も暑いですね」

 本田は返した。

 「お早うございます。本当におっしゃる通りですわね」

 「本田さん、ところでね」

 岡本は、先程、自身が体験した不思議な事、つまり、藤村宅での状況を話した。

 「そう、それは大変ね、ここら辺にも変な人がいるかもしれないから」

 本田は、何かの犯罪かもしれない、といったニュアンスを匂わせた口調になった。

 岡本等が住む地区一帯にも、外国人家族を含めて、様々な家庭がある。しかし、彼等彼女等も含め、この地区一帯で暮らしている住民に不審な人物がいるとは思われないのが現状である。

 本田が切り出した。

 「藤村さん達は、何日位、連絡がないの?」

 「もう、既に3日位かしらね」

 岡本は、町内会役員として、3日程、連絡が取れていない旨を言った。本田は、

 「藤村さんって、マメで気さくな方なのに、3日も連絡がとれてないうえに、玄関に鍵がかかってないなんて変よね」

 そのように言ったうえで、

 「一応、警察を呼びましょう。何かあったら、かえって大変でしょう」

 そのように言うと、本田洋子は自身のスマートフォンにて、110番通報した。


1-2 110番

 「はい、警視庁緊急連絡センターです。どうされましたか?」

 「あ、すみません。私、東京○○区××の本田と言います。この近所で、家の肩が3日ほど、行方不明のような家がありまして、玄関の鍵も開いたままなんですが」

 「分かりました。家の中の状況はどうですか」

 「分かりません、近所とはいえ、他人様の家の中なので、ずけずけとは入れませんので」

 「分かりました。近所の交番から、1人、うかがいます。暫く、その場でお待ちください」

 そのように、オペレーターは言うと、岡本と本田の2人の位置を確認し、改めて、その場での待機を願い出た。

 最初に不審を発見した岡本は思った。

 「何があったのか?平和な町内におかしな事件なんか無ければ、良いんだけど」

 暑い中、隣にいる本田洋子も同じ心境ではないだろうか。

 10分程して、若い男性警官が到着した。最近、この交番に赴任した新人巡査・木村正一である。

 「おはようございます。暑いですね。藤村さんのお宅が不審な状況とうかがいましたが。

 「ええ、3日ほど、町内の一員としての連絡はないし、玄関の鍵もかかってなくて」

 「分かりました、とりあえず、現場に行ってみましょう」

 木村に促されて、岡本と本田も藤村宅に向けて歩き出した。

 「すみません、おまわりさん」

 岡本は暑い中、出動して来た木村をねぎらった。

 「いえいえ、私の任務ですから」

 「でも、場合によっては、夜勤もあるから、大変でしょう」

 「ええ、確かに」

 木村はそう言うと、さらに、

 「それでも、僕のいる管轄区域は、まだ平和な方でしょう。新宿とか池袋とか、他の地区ではもっと、色々あるみたいですし。僕みたいな新人の警官には、スタート地点としてはこの地区位がちょうど良いかもしれません」

 この言葉に象徴されるように、ここは確かに平和な地区であった。

 10分程、歩いた3人は、藤村宅の前に着いた。

 木村が呼び鈴を鳴らし、戸を叩き、声をかけた。

 「すみません、近所の交番の巡査の木村です。藤村さん、いらっしゃいませんか?」

 しかし、岡本美咲が最初に呼び掛けた時と同じく、返事はない。木村は、先に岡本がしたように、ドアノブを回してみた。

 戸は、やはり、抵抗なく開いた。

 巡査も不審に思ったのか、表情を少々、変えつつ、玄関に入ってみた。やはり、誰もいないのであろうか。

 「藤村さん、どなたもいらっしゃいませんか?」

 屋内は沈黙している。返事はない。しかも、やはり、異臭がするようである。

 「仕方ないな」

 木村は、そうつぶやくと、他人の家だからであろう、

 「失礼します」

 一言、挨拶した上で、靴を脱ぎ、玄関に上がった。岡本と本田も木村に続いた。

 藤村宅は一階建ての一戸建ての家である。但し、2階がない代わりに横に広い造りになっている。

 玄関から廊下に上がり、居間に入ってみると、ここには誰もいなかった。居間のテーブルには食器等はなく、ここ数日、食事等をとった形跡はない。3人は居間から廊下に出て、夫婦の寝室と思われる部屋に向かった。おかしな異臭もこの方角から臭って来ているようである。

 木村は、部屋と廊下を仕切る障子に手をかけようとして、不審な点に気づいた。障子の紙のところどころに赤いものがついている。

 「まさか、血か?」

 まだ、20代の若い巡査たる木村は、サスペンスもののドラマ等で、こうした場面を見たことはあったものの、実際にこうした場面に遭遇したことはなかった。隣の岡本と本田も同様であろう。そして、異臭の発生源は、やはり、この部屋らしかった。

 木村は思い切って、障子戸を開いた。その瞬間、岡本と本田の悲鳴が響いた。

 そこにあったのは、この家の夫妻・藤村弘と和子の死体だった。

 岡本美咲は、その場に立ちすくみ、本田洋子は、この家の庭に駆け出し、嘔吐した。木村としても、初めて見る死体にして、極めて無残なそれであった。

 <平和>

は一瞬にして打ち砕かれた。

 2人の死体は、頭蓋骨が打ち砕かれ、脳みそが飛び散り、頭部の血は天井まで吹き上がっていた。先程、木村が不審に思った障子戸についていた赤い斑点は、間違いなく、殺害時に出た血の血痕であろう。

 <スタート地点>

にて、木村は巡査として早くもとんでもない事件に直面したのであった。

 しかし、木村は治安維持の一翼を担う警察官である。動揺してはいられなかった。腰に付けていた警察無線にて、すぐ、警視庁本庁に連絡を入れた。

 「××地区交番勤務の巡査・木村正一です。応答願います」


1-3 警視庁捜査一課

 警察無線を受信した交換係は、事情を了解し、捜査一課に繋いだ。捜査一課にて応対した課員は、すぐ、捜査一課長・本山警視に繋いだ。

 「え?何?殺し?それで状況は?」

 木村は今しがた見たばかりの状況を説明した。

 「分かった。緊急手配する。木村君、1課の者をはじめ、関係課が行くまで、現場を確保してくれ。それと、2人の女性にも、聞かねばならないこともあろうから、お2人にも、暫く現場に残るように、御願いしてくれ」

 「了解です。関係課の方が来るまで、私はここを確保します」 

 そう言うと、木村は一旦、警察無線を切り、岡本と本田の方を改めて振り返った。

 本田に続き、岡本も庭の隅にて嘔吐したらしい。

 <平和>

が一瞬にして、凄惨に破られた以上、無理もないことであろう。本来なら、2人を早く安静にせねばならないだろうが、そうもいかないのは先程の通りである。

 「すみません、奥様方。間もなく、警視庁本庁舎から、捜査関係者が参りますので、暫く待機願いますか」

 2人の状況からすれば、半ば無理なお願いでもある。しかし、2人は声を出さず、声を出さず、小刻みに震えながら、首を縦に振った。

 「しかし、それにしても」

 木村は思った。

 「ドラマならともかく、これ程ひどい殺しが現実に起ころうとは」

 夏の日差しは相変わらず厳しい。関係者のケアも現場確保の仕事の1つであろう。木村は岡本と本田の2人を日陰の涼しい個所に誘導し、座らせた。

 

 

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