永夜
とある中学生(わたなべ)
人間、人間、人間。
虫の鳴き声が聞こえる。
薄暗い部屋に在る常夜灯だけが、唯一の光。
月も、星も、今日は機嫌が悪いらしい。少しくらい姿を見せてくれたって、良いじゃないか。
壁に掛けてある時計は、壊れてしまっていて、ただの飾りに過ぎない。それから目を背け、僅かな望みにかけて目を瞑ってみたけれど、身の回りの音が、より強く、深く、鋭く、耳の中へと入ってくるだけで、効果という効果は、微塵も現れなかった。小さな部屋で、ひとり、明日も生きるのか、なんてぼんやり考える。人間は、呆れ、疲れ、傷付きながらも、同じ動作を繰り返し、重ねて、そうして続けていく。これは、生まれながらに人間がもった、一種の能力か、或いは、神様に与えられた、余計なプレゼントか。
今日は、やけに下の階が静かだ。お母さんも、お父さんも、何処かできっと、遊び呆けているに違いない。
ふたりとも、そういう、大人なんだ。
そういう、人間なんだ。
(君は、今日も独りぼっちなんだね。哀しいかい?)
さて、何の話だか。
(本当は、愚かで堪らないんだろう。)
自分には、わからない。
(親は、どうして君を生んだのだと思う?)
阿呆だから。まともな脳みそが、無いのだと思う。
(ああ、そうかい。いつか君にも、訪れるといいね。……幸せが)
そう言い残して消えた声。
その声の主が誰なのかは、わからない。神様かも知れないし、誰かが魔法か何かを使って発している声なのかも知れないし、或いは、幻聴かも知れない。なんて、変なことを考えるこの時間は、自分が唯一、自分でいられる時間。といっても、決して幸せな時間では無くて、自分の阿呆さに落胆し、哀しみ、頭を抱える時間。周りの才能に嫉妬し、恨み、自棄糞になる時間。重たい体を起こして、カーテン、そして、窓を開ける。電柱が、鬱陶しいくらいに輝いている。月や、星が無い今日の主人公は、電柱。ふと、心の中が灰色の何かに襲われた。たかが電柱。それでも、電柱の輝きでさえ、羨ましく感じてしまう。そう、自分は所謂「滑稽者」なんだ。気が付かない間に、人間だけで無く、感情をもたない物にまで、嫉妬心を抱いている。自分が求めるものは、一体、何?名誉、財産、地位、権力……、いや、どれも違う。自分は、そう信じる他、無かった。
──
何とも、悪い目覚めだった。不愉快、とでも言おうか。これは、完全に、総て自分の行動のせいであるが、重大な問題が発生してしまった。本来、学校が始まるのは、8時20分だとか、30分だとか、その辺りの時刻だった筈だけど、窓の外を見てみれば、これは、如何したものか。学生が、ひとりもいない。普段は、学生が大勢通るのに、今日は一向に通らない。恐らく、そういうことなんだろう。時計を見れば、やはり、短針も長針も、場所が少しも変わっておらず、何とも役に立たない凡物だ、と睨みを利かせた。確か、もう少し幼い頃、お父さんに、「自分の負の感情を物に撒き散らかすとは、いや、何事だ。そんな子に育てた覚えは無いのだが。その顔は、此方が間違っていると言いたいのか」と、如何にも機嫌が悪そうに、首を傾げられたことがある。自分は、何かある度、負の感情を抑止せずに、撒いて、吐いて、拾わずに、踏み付ける。そうして終いには、溜息をひとつ零す。自分も、そういう、人間なんだ。
今日も、朝からネガティブ思考。
ハンガーに掛かっている制服をチラッと見て、すぐに目を逸らした。現実逃避。自分は弱い人間だ。同年齢の子は学校に行き、学び、遊び、そうして何かしらを得て、家に帰る。それなのに、自分はこの有様だ。まるで、世間が言うニート。社会不適合者じゃないか。馬鹿げた自分を叱ってくれる人は、何処にもいない。自分は、昨日の夜から開けっ放しのカーテンを閉じた。その瞬間、安心感と寂寥感が溢れ出る。明るい場所よりも、暗い場所の方が居心地が良い。それなのに、暗い場所は、不安になる。名前、姿、声。何もかも知らない誰かに指をさされているようで、嘲笑われているようで、孤独を感じ、瞳の奥で塞き止められている涙に苛立ちを覚える。この感情の正体は、一体……?
──
運動不足だし、外にでも出ようかな。
そう思い、体を起こそうとした時、下の階から物音がし始めた。……最悪だ。いつも、こうなる。考えて、考えて、絞り出した答えを整理して、いざ行動に移そうとすると、何かしら邪魔者がやってくる。この部屋には、防犯カメラでも付いているのか?まさか。貧乏な家に、防犯カメラなんて、当然縁の無い話だ。ひとつ落胆し、布団を被り、全身を包んだ。
ドンドンドンドンドン……
ほら、やってきた。怒りの混じった足音が。
「……ったく、養ってあげてるのは誰だと思ってるの?洗い物や洗濯物くらい、言われなくてもしなさいよ。ほんと、役立たずなんだから……」
じゃあ、家出するよ。
川にでも、海にでも、飛び込むよ。
だけど、そうさせてくれないのは、お母さんでしょう?家出をしようとする度に、「色んな人に迷惑がかかるから、やめなさい」って。お母さんは、他の人に迷惑をかけることが嫌なんじゃなくて、自分自身が、おかしな人として見られることが、嫌なんでしょう。恐いんでしょう。
「あんた、夜までに部屋の掃除しときなさいよ。してなかったら、知らないからね」
ああ、そう。
してなかったら、どうなるの?
もしかして、殺してくれる?それとも、殴られる?蹴られる?或いは、暴言の雨に打たれる?
1つのことで、10。時には100、考えてしまう自分が、憎い。感情なんて、無くなればいいのに。自分には、喜怒哀楽のうち、怒哀しか無いから。そんなもの、在ったって、余計なだけだよ。怒っても、力で抑止されて、言葉で罵倒されて。哀しんでも、お前は弱い、悲劇のヒロインを演じてる、って冷笑されて。そんな感情、無い方がマシでしょう?喜びも、楽しさも、与えられない。世間は、何を望んでいるの?神様は、何がしたいの?
「……黙ってないで、何か言いなさいよ。いい加減にしないと、スマホを解約して、お父さんにも叱ってもらうからね」
違う。そうじゃない。私が今欲しいのは、叱りじゃない。愛情なんだよ。如何して、気付いてくれないの。
「はぁ……、もういい。あんたなんか産まなきゃ良かった」
そう言って、お母さんは部屋を出て行った。
その背中が、何を思っているのかは、わからない。
──
『死にたい。こんな人間、いない方がマシだよね。
もう、死のう。しんどいよ。疲れた』
無気力ながらに打った文字。
送信ボタンを押すと、1分も経たずに、通知が来た。
『ダメだよ!死なないで!!まだ、沢山楽しいことあるよ?それまで頑張ろう……!』
『ただの親不孝。世の中には、もっと辛い人がいるんだから、その人たちに失礼だろう』
『え、大丈夫?家来なよ。泊めてあげるよ?……あ、安心して。変なことはしないから笑』
なーんだ。みんな偽善者。
何処からともなく溢れ出てくる感情を抑え、ひとりひとりに返信をした。
『うん、もっと頑張るね』
『はい、確かにそうです。すみません』
『もう大丈夫です!ご心配おかけしました』
結局、自分も偽善者。
──
次に目を開けた時、天国にいるといいな。
なんて叶わない願いを胸に、口の中に数個の薬を押し込んだ。
永夜 とある中学生(わたなべ) @Watanabe07
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