△▼△▼邪悪な保護者△▼△▼

異端者

自分を孤独だと思う人に捧ぐ

 田の土手に彼岸花が咲き始めた頃、少年は徒歩での高校への登校中に振り返った。

 ――ああ、やっぱり居るな。

 彼の背後には、半透明の髪の毛をグシャグシャニにして束ねて人の形にしたような物、目も鼻も口も無く、醜悪で不気味としか形容しようのない物が立っている。

 周りを歩いている人々は気にすることなく通り過ぎていく。中にはそれをすり抜けて歩いていく人まで居る。

 そう。彼以外には見えていない。実体が無いのか、ぶつかることすらない。

 そんな物が、彼の行く先々に付いてくるのだ。微妙にバランスの崩れた四肢をぎこちなく動かしながらよたよたと。

 彼は背後にそれが付いてきていることを確認した後、再び歩き出した。その様子はそれを全く恐れていない、日常の一部として受け入れているようだった。

 彼が「それ」と出会ったのは、七年前にさかのぼる……。


 当時、いや今でもそうだが――少年は孤独だった。

 学校では誰かと慣れ合うのが苦手だったため孤立し、いじめの標的にされた。子どもというのは残酷で自分たちの仲間でなければ何をしても良い。何をしても許されるという風潮があったから、誰一人それを悪いこととは思わなかった。担任の教師も自分の評価を落とすようなことには関わろうとせず、むしろ一緒になって彼を無視した。

 家に帰っても何もなかった。彼の両親は共働きで帰ってくるのが遅く、テーブルの上に夕食代がメモと一緒に残されているだけだった。時にはそれすらも忘れられ、冷蔵庫の賞味期限が切れた惣菜と水で腹を満たすことも少なくなかった。体調を崩して食事すらもままならない時は、布団にくるまって一人苦しんでいるしかなかった。

 両親が帰ってくると苦手ながらコミュニケーションを取ろうとしたが、それすらも拒絶された。「今は疲れてる。お前のために頑張っているんだぞ」……それだけ言うとさっさと追い払われた。

 誰も居ない、誰も僕を見ない――そんな風に彼は世界を理解していった。

 ある日、ほんの気まぐれで彼は下校する道を変えてみた。普段通る道の一本脇にある道に入った程度だが、知らない道というのは新鮮味があった。

 そこに古びた鳥居と社があった。掃除もろくにされていないのか社は埃まみれだった。

 彼は何の気なしに、偶然ポケットに入っていた十円玉を賽銭箱に入れて拝んでみた。

 ――誰か僕をちゃんと見てくれる人が現れますように……。

 もちろん、本気ではなかった。その年で既に彼は神など信じていなかった。ただ、少しでも気が楽になりたかった。

 だが、その晩変化が起こった。


 そうして、現れたのが「それ」だった。名前も知らない、おおよそ人間とはかけ離れた姿のそれは彼の行く所にどこでも付いてくるようになった。

 彼も最初は恐怖したが、それは彼に危害を加える存在ではない――むしろ味方ではないかと思うと、不思議と心が安らぐのだった。

 彼は後で知ったのだが、神社というのは二種類あるらしい。神様を祀っている物と、良くないものを封じ込めている物。そして彼が拝んだのは――言うまでもなく後者だった。

 つまり、今付いてきている物は、悪霊とか呪いとかそういう類の物であり、本来なら危険な代物らしかった――もっとも、彼にはそんなことどうでも良かったが。

 彼は少し早足になった。家を出るのが遅かったせいで、このままだと遅刻だ。「それ」も彼に合わせるように早足になっていった。


 教室。ぎりぎりセーフ。彼は席に着くとなんだか周囲が騒がしいことが気になった。

「今日、転校生が――」

「女子らしいけど――」

 どうやら転校生が来るらしく、その話をしているようだった。

 チャイムが鳴ると、頭の禿げた男性教師が見慣れない女子生徒を連れて入ってきた。おそらく、彼女がそうなのだろう。まあまあ可愛いが――どうせ接点などできない彼にはどうでも良いことだった。

 予想通り、転校生は自己紹介を済ますと席に着いた。偶然にも彼の隣に。

「放課後、話したいことが――」

 不意に彼にそう声がかかった。彼は理解できず、きょとんとしていた。

 それが伝わったのか言葉を続けた。

「良い? このままにしておくと、とっても危険なの。だから――」

「ほら、そこおしゃべり禁止!」

 教師の声で遮断された。しかし、内容は見当がついた。


 放課後、転校生にありがちな質問攻めにあいながら、それを振り切って彼女は彼の所へやって来た。

「どこか静かに話せる所は無い?」

「じゃあ、そこらの公園にでも」

 彼は適当に返事をした。

 彼女はまだ話したがっている連中を遮ると、彼についていった。

「なんであんな奴に――」

 わざと聞こえるように誰かが言った。


 公園のベンチに座ると、隣に彼女も座った。

「あなた、このままじゃ大変なことになるよ」

 第一声がそれだったので、彼は不思議そうな顔で彼女を見た。

「あなたに付いてる悪霊……相当にたちの悪い悪霊だよ。放っておいたら取り殺されちゃう」

「ああ、そんなことか……」

 彼は呆れた声でそう言った。

 先にも述べたが、彼にとってそんなことはどうでも良いのだ。ただ、そばに居てくれれば、それだけで良い。

「放っておいてくれないか?」

 今度は彼女が不思議そうに彼を見た。

「……だから、放っておいてくれないか?」

 彼は少しいら立ちを込めていった。

「そんな……本気で言ってるの!? 放っておいたら大変なことに――」

「ならないよ。七年前からずっと一緒に居るが、それで問題になったことは一度もない」

 彼はこれまでの経緯を掻い摘んで話した。

「狂ってる……悪霊と共存なんて……そんな無茶苦茶な……」

 彼女は呆然としている。気のせいか少し顔色が良くない。

「そういうあんたは、どうしてこれが見えるんだ? 他の人に見えたことがないんだが」

 沈黙。

 しばらくすると、諦めたかのように彼女が話し出した。

 彼女の家系は有名な霊能者の家系で、その力が生まれつき彼女にも備わっているから見えるのだということ。見えるだけでなく、修行を受けているから悪霊の類を「祓う」こともできるということ。また、その人の守護霊を見て占いのようなこともできるらしかった。

「そうなのか……それで、悪霊だと何が問題なんだ?」

「一般的な悪霊は取り付いた者の生気を奪って最終的には殺してしまう……はずなのだけど、もしそうしていたなら七年もかかることがまずあり得ないの」

 彼女は少し考え込むような仕草をした。

「普通ならあり得ないことだけど、あなたはその悪霊と何らかの共存関係を築いているとしか考えられない……」

 彼女は立ち上がった。

「とにかく、あなたの行った神社のことを調べてみるから……場所はどこ?」

「ああ、それは――」

 彼は場所を言ってから付け加えた。

「でも、良いのか? 別に頼んでいる訳じゃないのに、そんな面倒なことをして?」

「別に良いの。私が気になって調べるだけだから……」

 そう言うと彼女は去っていった。

 彼は座ったまま空を見上げていたが、ぽつりと言った。

「お前、大丈夫か?」

 それは人語を理解しているのかは未だに分からない。しかし、心配だった。

 悪霊でも何でもよかった。ただ、そばに居てほしかった。誰の目にも留まらないと思うと、自分が消えてしまいそうで怖かった。


 二日後、また彼女からお誘いがあった。放課後に前と同じ場所だ。

 普通の男子高校生なら喜ぶところだろうが、彼には何の感情も浮かばなかった。それなのに、勘違いした周囲の視線が痛かった。

「あの神社、やっぱり良くないものを鎮めてたみたい」

 彼女は公園に着くなり、立ったままそう言った。

「そうだろうな」

 彼はそっけなく答えた。

「この辺り……昔は貧しい村で、食べていくのにも苦労するほどだったらしいの。だから、生まれたばかりの子どもや働けなくなった老人を殺したり山に捨てたり……それで祟りが起こるのを恐れた村人たちがあの神社を作ったみたい」

「そうか……」

 彼が振り返ると、背後には相変わらず居た。黒くうねうねと波打ってかろうじて人型を留めている。

 ――自分は、それとどこまで違うのだろうか?

 彼はふとそんなことを思った。

 村社会に捨てられた者たちと、家庭からも学校からも見捨てられた自分――生活の保障がされているかいないかだけで、大して違いは無いのではないだろうか……。

 彼は飲み物の自販機に小銭を入れた。

 少なくとも、飲食には困っていない、困っていないが……それが、なんだ?

「それで? どうする? 本人が放っておいてほしいと言ってるのに?」

「それは……」

「ほれ! 報酬!」

 彼は自販機からコーヒーを取り出すと彼女に突き付けた。

「あ……ありがと。……じゃなくて! このままじゃ……」

「何か起こったらどうにかすればいいだろ?」

 彼は自分の分もコーヒーを取り出しながら言った。

「ま、まあそうかも……あなたの場合は特殊だから害は無いみたいだし」

 彼女はまだ考えているようだったが、彼はさっさと公園を後にした。


 翌日の放課後、彼はクラスのたちの悪い男子連中三人に呼び出された。

「な~あんで、お前みたいなネクラが転校生と仲良くなっちゃってるんだよ?」

 そのうち一人が、校舎裏の壁に彼を叩きつけて叫ぶ。

 彼は冷静だった。つまらない連中。そんなどうでもいいことで嫉妬しているのがむしろ滑稽なぐらいだった。

「そうだそうだ」

 もう一人が叫ぶ。確かこいつはリーダー格になんでも同意する頭空っぽの馬鹿だ。

「……で、どこまでやったの? まさか吉田さんが手ぇ付ける前にヤッちゃったりしてないよね?」

 最後の一人が下品な笑みを浮かべながら言った。こいつの頭の中にはそれしかないのか……。

「オイこらぁ! なんとか言えよ」

 彼は胸倉をつかまれながら答えた。

「知るか。馬鹿野郎」

 この後の展開は予想が付いた。だが、従順になる気などさらさらなかった。

「なんだと! オイ!」

 気にするな。これが初めてではない。親にはまた制服を汚してと文句を言われるだろうが、それだけのことだ。

 だが、予期した展開にはならなかった。

「うえええええええっ!」

 最初に悲鳴を上げたのは頭が空の男だった。

 彼を壁にたたきつけた、吉田に黒い物がまとわり付いていた。

「なんじゃああああ!?」

 吉田が気付いて悲鳴を上げる。その間にも黒髪のような物が吉田にまとわり付いていく。

 彼は驚いていた。「それ」は今まで、見ているだけで何もしてこなかったはずだった。それが……。

 取り巻き二人は我先にと逃げ出したが、身動きが取れない吉田はされるがままだった。

 いつの間にか吉田は泡を吹いて倒れており、それはいつも通り彼の背後に居た。

「助けて……くれたのか?」

 彼は呆然としながらそう言った。


 それ以来、彼に対するクラスの態度が変わった。誰も難癖を付けないし、近寄ろうとすらしない。

 これは彼にとっては非常に快適だった。

 ただ、一つ気になることがあった。

 「それ」が薄くなっていた。あの姿を現した日から、徐々に徐々に薄くなっていったのだ。もう彼にすらぼんやりとしか見えなくなっていた。

 ――もし「それ」が消えてしまったら、自分はどうすれば良いのだろう?

 彼には分からなかった。消えてほしくないという気持ちだけが降り積もっていった。

「放課後、またいい?」

 彼女から声がかかったのはそんな時だった。


 放課後のいつもの公園。彼は彼女にそれが薄くなっていることについて話した。

「うん……見てわかる」

 元々彼に付いていても大した力は残っていなかったそれは、一度実体化したことで急激に力を失ったのだろうと彼女は続けた。

 そして、このままではそのうち消えてしまうだろうということも話した。

「そんな! なんとかして、留められないのか!?」

「無茶よ。七年間もずっとあなたのそばに居られたこと自体が奇跡なの……本来なら、とっくに消えててもおかしくないのに」

 彼女が言うには、多くの悪霊は力の集まる場所に留まるか、生者から生気を奪い続けなければ存在できない。そのどちらもせずに何年間も彼に付いていたこと自体が奇跡だと言うのだ。

「そうか……ずっと……」

 ――ずっと、俺のために……。

「あのさ……こいつはあんたみたいな人間にとっては確かに悪霊かもしれない。でも、俺にとっては……俺のために、一人にしないために、ずっと居てくれたんだ、だから……」

「うん。そうね……」

 彼は泣いていた。誰も、誰も彼を見てくれなかった。それなのに、唯一――。

 二人が振り返ると、それが消えていくところだった。

 ――大丈夫。あなたはもう一人じゃない。

 彼の頭の中にそんな声が響いた気がした。

 ――今まで、ありがとう。

 彼がそう言ったのが伝わったのかは分からなかった。それでも伝えたかった。

 それが消えた後も、二人はしばらくその場を見つめていた。

「そういえば、私、同世代の人に自分の能力のことや家の仕事のことをあんなに詳しく話したのは初めてなの」

 彼女が不意にそう言った。

「へえ、そうなのか……」

「うん、そう。見えてるとは確証は無かったけど、あなたなら信じてくれる気がして……」

 彼女は少し笑った。

 彼はそれを綺麗だと思った。


 それ以来、彼が振り返っても何も居ない。

 いや、もう振り返る必要は無いのかもしれない。ただ、前を――前を向いて歩いていく。

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