真実の裏には~②

 下校して下宿先に戻ると、もう一度この件について一人で色々と考えてみた。定岡は鈴木の起こした事故は意図的だと言うが、そうでなければシン達には全く関係がなくなる。

 だが鈴木が美樹と渡辺家の周辺情報を探っているのなら話は違う。シン達と同様に彼女達の周辺情報を収集しているならば、シン達の味方なのか敵なのかそれとも全く違う目的を持つ第三者なのかが問題だった。

 鈴木の事を含め、不確定な事が多すぎるから頭が混乱するのだ。まず分かっている事と知りたい点に絞って考えてみる。それは相手が敵か味方か、だ。

 シン達の敵と仮定すれば、彼にとって美樹と渡辺さんは敵なのか。味方ならばウィルスを使って情報収集する事自体が不自然だ。ならば彼にとって美樹や渡辺さんは敵、または監視対象ということになる。彼女達はシン達にとって今は味方とも敵とも言い難く、情報収集する為の対象に過ぎない。

 そこまで考えて、定岡の言っていたことが気になった。分析チームは彼女を守る為に事故を起こしたと仮説を立てている。つまり彼女は鈴木にとって味方なのだろう。それなら何故彼は彼女達周辺の情報を探っているのか。

 シンが定岡達とは別の独自に探っているルートから彼の存在には全く気付かなかった。定岡達がやっているのならば任せた方がいいのだろう。そこで自分のできること、自分しかできないこと、定岡達より優位なことをしようと考え直す。それは何か。

 鈴木が調べている美樹、そして渡辺家側から接近することだと考えた。あの事故以来、彼女と話す機会が増えたため、接触するのはそれほど難しくない。渡辺さんもシンにとっては事故以前からの顔見知りだ。

 盗聴だけでなく家に上がって情報収集することも容易である。シンの持つ情報網の一つだが、今まではそれ程マークする相手だと思っていなかったが、今後は監視ランクを一段上げよう。

 これまで収穫のある情報を得てきた相手では無い。だがこちらから積極的に動けば、定岡達のようにパソコン等から得る情報とは全く違う物を得られる気がした。彼女達は敵か味方か第三者の立場なのか。まずそれを調べよう。シンは自分なりに行動を開始しようと決めた。



 佐知子は焦っていた。父の畠家雅臣はたけまさおみから連絡を受け、夫の茂と共に名古屋の実家へと呼び出されたところ、田口家における失態をなじられた。

「何をやっている! たかだか小娘一人の騒ぎで計画を台無しにするつもりか! 今が大事な時なのはお前達も判っているだろう!」

「申し訳ございません!」

 夫と二人で土下座して謝ったが、その程度で父の怒りは収まらない。

「くだらないことでマスコミが井畑や若竹に目を付けてみろ。政府や官僚達は秘密裏に実行できる土地を探している。井畑じゃなくてもいいのだぞ。それをお前らの土地を推薦し調印間近まで漕ぎつけたのは俺だ。お前らは私の顔に泥を塗る気か!」

 八十歳を超えてなお血気盛んな父の迫力に、五十近くにもなる実の娘でさえ血の気が引いた。所詮井畑で持ち上げられている程度の夫など尚更だ。井の中の蛙と思い知らされ、床に額を擦りつけた頭を上げられずにいた。

 父が怒るのも無理はない。この計画はリニア開通計画が持ち上がった頃から四十年以上の歳月を経て取り組んできた、長年に渡る壮大な野望の一つだ。それがようやく実現するという時に、泡と化す危険が生じれば当然だろう。しかもそれが身内からでた失態となれば尚更だ。

 父は長らく大手貿易会社で働く傍ら、元々政治家や資産家が揃った畠家一族の人脈等を駆使し、資産のほとんどをリニアが通過する東京―名古屋間にある特定の山地買収に費やす大博打に出た。

 基本的には土地の所有者に補償する必要のない地下を走らせる予定だが、それでも一定区間は非常時の避難経路などを作る必要がある。その僅かな地点を得ようとしたのである。だが計画は長年凍結され、畠家一族の多くは貧しい生活を余儀なくされる程窮地に立たされたという。

 そんな中で唯一、父は自らが働く貿易会社で石油や石炭、天然ガスなどを輸入する一方、原子力発電所が必要とするウランの輸入にも携わってきた。そこで政府と電力会社との強いパイプを形成し、裏取引などを通じて財をなし、一族の生活を支えてきたのだ。

 さらに定年を迎え一線を退き大手金融会社の顧問に就いた後も、様々な人脈と財力を使って長年の野望に向けた計画を、着々と実行してきた。結果ようやくリニア開通計画が公に発表されたのである。

 そのはるか前に国や鉄道会社との取引を終え、一族が所有する土地のほとんどを高値で売却し、莫大な財産を形成するまでに至った。このことで長年苦労し、地下に潜っていた父以外の一族は息を吹き返し、今や畠家は国に欠かせないフィクサーとなったのだ。

 しかし父の野望はその程度で治まらない。ウラン輸入の経験から長年国が推進してきた原発計画は、いずれ過渡期を迎えると予測していた。といってもさすがに東日本大震災における原発事故までは想定していなかったようだ。

 それでもいつか必ずウラン燃料の処理と廃炉等で生じる大量の放射能汚染物の処理問題が起こると考え対策を講じていたのである。

 おそらく国は高濃度な放射能汚染廃棄物の処理は慎重に進めるが、大量に出る低濃度放射能汚染廃棄物に関して、様々な理屈をつけ秘密裏に埋蔵しようとするだろう。そこで土地を確保し再び莫大な利益が得ようと、適した土地を長年模索し続けていたのだ。

 その候補地が若竹であり、井畑だった。最初に着手したのは若竹だ。あの地区での計画を実行した頃には、まだマスコミも四日市ぜんそくや水俣病などといった産業廃棄物汚染には注目していたが、原発は盲点だった。

 その為一部の活動家達を除き、マスコミも取り上げるところは少なかったようだ。それに若竹で行われた時は試験的に始めたこともあり、また発生した放射能汚染物もごく少量で規模も小さかった。

 しかしこの成功例とその後の街の発展も手伝い、国に対して畠家雅臣とその一族が勧める計画は確かだという大きな信頼を得たのだ。そこにきて東日本大震災による原発事故により、放射能汚染廃棄物は想像しえなかった早さで大量に発生したのである。

 その為事故の数カ月後、絶好の機会と捉えた父は若竹の次に目をつけていた井畑での計画を前倒しして政府に売り込んだ。何と言っても計画を成功させる為に、鍵となる田口家へと佐知子は嫁に出されていたのだ。それが二十年前になる。その頃から既に手は打たれていたのである。

 佐知子はまず夫の茂を取り込んだ。この男を巻き込むことは簡単だった。思った以上に困難だったのは、義父の正明の存在だ。佐知子達の提案を拒否こそしなかったが、積極的に賛成との姿勢も取ってこなかった。

 しかし好運だったのは義母の洋子が計画に賛成してくれたことだ。井畑に長く住み続け土地を愛している義父とは違い、M市で有名老舗である“ウナギのミタ”から嫁いで来た義母にとって、土地への愛着心が薄かったからであろう。

 さらに好都合だったのは、田口家と隣接し廃棄物埋蔵に適した大きな亜炭鉱の穴を所有している和多津家へ田口家の長女の美智子が嫁ぎ、和多津家の次女の久代が田口家に嫁入りして来たことだ。それにより両家の関係がより深まった上、久代を味方に取り込めたのである。

 両家の内情を探る内に、和多津家当主の忠雄が自分の代でミカン農家の廃業を考えていると知った。そこで計画実行には田口家が和多津家の土地を買収する方法が最適だと決まった。父は和多津家よりも片田舎で政治に関わっている田口正明の方が操り易いと判断したようだ。その長男に佐知子を送り込んだ読みは、正しかったと言っていい。

 田口家と和多津家とは今や深い姻戚関係にある為、和多津家がミカン農家を廃業するなら、田口家がその土地を相続等で譲り受けても何ら不思議では無かった。久代が計画に乗り気だったのは、家から出た身ながら実家の財産を確実に受け取れるだけでなく、更なる恩恵を得られると判ったからであろう。

 彼女の夫で田口家二男の広は、元々気の強い妻の尻に敷かれていた。その為この件については反対もせず全て妻任せにしている。よって田口家だけでなく和多津家に関してもまず問題なく抑えることができたと考えられていた。

 父がここまで周到に時間をかけ勧めてきた計画だ。よって美智子の娘の騒ぎや、田口家が運営する一企業の従業員の子供一人が死んだだけで、水泡と化すことなど許されない。そこでこれらの問題を表に出ないよう徹底的に抑え込んだ。

 その件がようやく治まり計画を着々と進めている中、再びあの事件が再燃しだしたのだから、父達が慌てたのも無理はない。早急に問題の出所を押さえつけ、火消しに走った後に呼び出しを受け、その報告の為に夫と一緒に名古屋へ飛んできたのだ。

 しかし覚悟はしていたが、父の怒りはなかなか治まらなかった。そんな修羅場に、佐知子にとっての救世主が現れた。

「お爺様、大きな声を出されて父や母がお叱りを受けることをしたのでしょうか?」

 佐知子の長男であるさとしが、ひょっこり応接間へと顔を出したのだ。その途端、鬼の形相をしていた父は慌てて相好を崩し、にこやかな顔で孫に向って首を振った。

「お前の父達は悪くない。少しトラブルがあったので、邪魔をする奴らに対して怒っていただけだ。そうだな、佐知子」

 話を合わせよと目で威嚇され、逆らわずそうだと首を縦に振り強く頷いた。

「でも父は頭を下げていたでしょ。僕も謝るから許して」

 そう言いながら父の隣のソファに腰をかけ、甘えるような仕草で頭を下げた。

「そうじゃない。お義父様を怒らせる人達がいたが、その悪さを止められなくて申し訳ございませんと謝罪していただけだ。叱られた訳ではない」

 夫はこれ以上の怒りを恐れ、父の話に合わせて弁解した。

「そうだよ、聡。お前のお父さんが言う通り、私が怒っていたのは別の悪人達に対してだ」

 父も茂の言葉通り、聡の機嫌を損ねないよう話を合わせた。

誰に対しても絶対君主である父の唯一の弱点は、孫の聡だけだ。孫といっても幼少の頃ならいざ知らず、今年十八にもなる高三の受験生である。井畑小学校を卒業後、英才教育が必要だということで、今は父の家に下宿しながら名古屋でも一番の名門である中高一貫校に通っていた。

 ただ聡は父の初孫ではない。佐知子の五歳年上の兄、貴文たかふみの息子の雅文まさふみは今年二十三歳だ。さらに二十歳になる仁美ひとみという美人な孫娘もいる。それでも聡が生まれた当初から現在に至るまで、度を越した父の可愛がり方は他の孫と一線を画していた。

 彼以外には決してこのような口調で話すことはない。現に初孫の雅文や今年中三になる聡の弟、正治まさはるにさえも上から目線の厳しい言葉しか発しない。その理由は何故なのかを以前、母の富士子ふじこから聞いて驚いた。兄の貴文は母が産んだ子ではないからというのだ。

 知ったのは次男の正治が二歳になった十三年前の時だ。余りにも聡との扱いの差が激しいことに疑問を持ち、こっそりと母に耳打ちするとようやく教えてくれたのだ。

 貴文は父が妾に産ませた子であり、男の子だった為畠家の長男として育てると連れてきたことは幼い頃から聞いてはいた。ただ佐知子が物心ついた頃には既に兄として家にいたため、跡継ぎなのだと思い込んでいた。

 それが今頃になって妾の子だとか、その子供だから可愛がらないと言われ戸惑っていたところ、母は教えてくれた。

「お父様からはしばらく黙っておくように言われていたのよ。でも聡が生れてしばらくした後、佐知子から尋ねられたら話してもいいとおっしゃったわ。ただこの事を伝える限りは、あなたに覚悟して貰いたいの。この畠家の後継者は女だが実子の佐知子にしたい。またその長男の聡を次の後継者として育てたいというのがお父様のお考えです」

 父も最初は貴文を後継者に、と考えていたらしい。しかし育てていく内にその才がないと気づいたようだ。兄が二十歳を過ぎた辺りからそう考えだしたらしい。

 そうなればその孫にも期待できないと、生まれる前から早々に判断したという。そこで当時まだ十五歳だった佐知子の方が跡を継ぐ才能を持っていると見通し、その後田口家へと嫁に出したという。

 さらに将来生まれるだろう子をその次の後継者として育てたいと考えたそうだ。それが聡である。よって佐知子が疑問を持ったならば良い機会だからと母は言い、将来の事を父と相談しなさいと促されたのだ。

 その時母は外の子より実の子の佐知子が認められた事は喜ばしいが、父の跡を任されるのは大変だろうと心配していて、複雑な心境だとこぼしていた。それにまだ五歳の聡を、その次の後継者と考えるのは早すぎるのではないか、とも言っていた。

 その後父に呼ばれた佐知子は、畠家の跡取りとして今後どのように振る舞えばよいかを教えられた。父に認められて正直嬉しかったが、まだ幼い聡を何故と聞いた時だけ父の口は珍しく濁った。

 そこは何を根拠にしたかは定かでない。それでも父は聡を畠家の血と能力を最も強く受け継いでいると信じていた。それでも畠家は何代も続く跡目が必要な家業では無い。一族の中には政治家等地盤を継ぐ跡取りが必要な家もあるが、父は一企業のサラリーマンの出だ。現在東京で単身赴任している兄もまた、大手とはいえ単なる金融会社の部長で一会社員にしか過ぎない。

 父は今の地位を自らの手で得たが世襲される類では無く、一代限りとばかり思っていた。その為父の亡き後、同じ力が田口の名を継ぐ女の佐知子に引き継がれる等、全く想像すらできなかったのだ。

 引き継ぐのはせいぜい父が持つ不動産等の財産と少々の人脈だけで、自身を含め一族も皆決して父の代わりになる人物などいないと考えていたはずだ。しかし父の想いは違ったようだ。理由を知らない畠家一族の中では七不思議の一つと噂される程、今の聡は特別扱いされている。

 とはいっても絶対君主である父の唯一の弱点が自分の息子だったことで、何度か助けられている。父の力が衰えない間、頼もしい存在ではあった。

「だったらいいけど。そうだ、これから仁美ちゃんに参考書を選んで貰うから栄に出かけますが、お爺様は何か欲しいものはありますか? ついでで良ければ買ってきますよ」

 聡は佐知子達との話題に関心を失ったらしく、父のご機嫌をとるように尋ねた。だがそれは小遣いを無心する為の方便であることは、誰でもが気付く。夫が横で僅かに顔をしかめていた。それなのに、財布から一万円札を十枚ほど出して言った

「聡はいつも優しいな。参考書か。今年度はいよいよ受験だからな。無事東大に合格したら何でも買ってやる。私は特に欲しいものが無いから、仁美と一緒に家の皆や来客された人達が喜ぶお茶菓子でも適当に買って来なさい」

「分かりました。勉強は頑張っていますから。では何か買ってきますね」

 そう言って応接間から出て行った聡は、最後まで佐知子達の顔など全く見なかった。早く家を出たからか、最近は実の両親に対して関心が無いかのような振る舞いが目立つ。

 今日は急遽来た為泊まらずに帰るが、時々は息子の様子を伺う為実家に泊まることもあった。しかし彼はその行為を嫌がり、何しに来たのと言わんばかりの態度を取るようになったのである。

 ここは自分の実家だ。しかも息子を世話してくれている兄夫婦達に顔を出すことは必要だった。それは理解しているのか、決して文句は言わない。それでも本音は迷惑らしい。そんな息子を父は可愛いがり甘やかしている。

 聡の登場で緊張感が解けたからか、深く坐り直した父は深いため息をついて話を続けた。

「まあいい。だが今後はしっかりと奴らの口を押さえておけ。お前らが一番神経を使う大事なことは、和多津家の山の所有権を田口家にどう移すかだ。計画も経産省の官僚や電力会社との間で本格的な話し合いが始まり、いつGOサインが出てもおかしくない所まで進んでいる。そろそろ所有権を移行させておけ。どうだ。いけそうなのか」

「この時期だと生前贈与や和多津家にミカン農家を廃業させる話は時期尚早です。そこで将来的な観点からミカン産業を合併と大規模化させる必要性を訴え、田口家の持つ会社へ所有権を移す方法が良いかと。その元で両家が力を合わせる話を進めれば将来、忠雄さんにもしもの事があっても、相続やミカン農業の件で心配せずに済みます」

 茂がここぞとばかりに、父へ自分達の行う役割を説明し始めた。

「根回しは出来ているのだろうな」

「はい。大まかな計画は忠雄さんや父にも説明済みで、大筋の賛同は得ました。二人共将来的にはそうするしかないとの共通した感想を持っています。ただ二人はまだ元気ですし、今すぐ慌てることはないだろう、と」

「それを急がせることはできるのか?」

 父は夫を睨みつけ、次にこちらの目を探るように見たため、今度は佐知子から説明した。

「その二人以外はほぼ完全に固めています。いざとなれば周りが一斉に言い出せば、強く反対する理由もないため了承するでしょう。後はそのきっかけとタイミングではないかと」

「ほぼというのは和多津の長男か。一とか言ったな。それとその息子の実か。同じ役所勤めだったな。その二人は役所の上から圧力をかけることも可能だろう。そうだな?」

 父は再び茂を見て尋ねた。

「はい。計画が始動し始めれば、自治体の役所も大きく関係します。その計画推進役に二人を任命して逃げられなくさせる予定です。人事には逆らえませんから」

「それなら後は佐知子の言うきっかけとタイミング、だな。スムーズに権利売却手続きの判を押す機会はこっちで作ればいい。タイミングは私から指示を出す。即実行できる体制が取れるよう、それまで準備をしておけ」

「判りました。ところでお父様は何かお考えがおありなのですか?」

 そう質問すると、父は小さく頷いた。

「ある。田口家との共同会社にとはいえ、先祖代々受け継いできた大事な土地の名義を変えるのだからな。理屈は判っていてもいざとなれば、思い切りが無ければできないだろう。そうなれば強く背中を押す必要がある。それは二つだ」

「何ですか?」

「一つは金だ。必要だから売らなければと思わせる。一時的にでも経済的に困窮すれば、判を押すだろう。もう一つは守る者のためだ。土地を売ることで立場の危ういものが助かるならば決断するだろう。二つの方法のどちらか、または両方を絡めた機会を作ればいい」

「なるほど。でも今の和多津家はそれほど困ってはいません。とすればもう一つの方ですが、誰を指すのでしょう」

「人の弱みは色々だ。今の和多津家では何か。経済的な問題も発生するとなればどういう場合か。誰が起こすかが問題だな」

「もしかして美樹のことですか?」

 佐知子が思わず口にすると、父はにやりと笑った。

「そうだ。最近で起こったことと言えば、弱点はあの娘になる。騒ぎが起きた時はヒヤリとしたが、逆手にとれば山を手放すきっかけづくりに利用できるとは思わないか」

 美樹の存在は確かに和多津家の弱みだ。しかし彼女がきっかけとはどういうことか。真意が判らず思案していると、父はヒントを与えるような口調で説明した。

「当主の忠雄はお前達の父親、正明でさえ一目置く人物だ。表向きは市会議員の正明が顔役で人脈も広いと思われているが、実際は寡黙だが誠実で決して表に出ない謙虚な忠雄の方が、信頼され人望もある」

 佐知子の義父も父にかかれば若造でしかない。本人を前にしても呼び捨てする位だが、それでも忠雄に対しては認めざるを得ない人物との評価を下しているらしい。

 佐知子を田口家に送りこんだのは父だ。田口家と和多津家や井畑に関しても当然調べ尽くしたのだろう。その父が言うのだから、一筋縄でいかないことも理解しているはずだ。

「息子の一も忠雄の息子らしく、馬鹿が付くほど正義感の強い男だ。確か息子の実とは血が繋がっていないのだろ。お前の妹を孕ませる以前に付き合っていた女の子供だったよな」

「そうです」

 茂が答えたため、深く頷いた父はさらに続けた。

「実の娘が生まれる前に、その女性が亡くなったから残された子供を引き取った。そんな正義感の強い男ができちゃった婚したというのも矛盾している気はするが、経緯からしても男気はあるようだ。そんな奴らの家じゃなく田口家を見込んだのは正解だったよ。だが奴らは情に脆い。何より他人に迷惑をかけることを嫌がる。判るだろ」

 茂の顔を覗き込み自慢をしつつ、知恵を確かめるように問うた。そこで夫もここぞとばかりに自分の考えをぶつけた。

「はい。父が忠雄のお義父さんには、昔から頭が上がらないことも知っていますし、私も年上の一さんには小さい時から世話になっています。でも一さんが例え前カノとはいえ別のDV男と結婚し逃亡して産んだ子を引き取ると言い出し、さらには美智子を妊娠させた時点で田口家には借りがあります。それから関係は逆転しました。それに美樹が関わった事件があるので、今は田口家から何を言っても和多津家は嫌と言えないはずです」

「そうだな。向こうはお前達に迷惑をかけ続けてきた。しかしそれらが大事な土地名義を書き換える決定的な理由にできるのか? 美樹という娘の件は最近だが、他はもう随分前に起こったことだ。今更恩に着せるのも不自然だろ」

「だから美樹のことをきっかけにするというのですか」

 佐知子が横から口を挟む。

「そうだ。それをどう利用するかが問題だ。お前らも考えておけ。私の計画以上の案が出てくるかもしれんからな」

 そんなはずはないだろうと続く言葉を口にせず、父は天井を見上げて笑った。

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