第3話 死霊術師と死化粧《エンバーミング》

 騎士隊の人たちが事件現場の見分を行っている間に、現場から外に出された騎士にお願いして被害者のご遺体を人目につかない涼しいところまで運び出してもらう。周囲には目隠しの天幕を張ってもらい、オーウェンさんにはその間に応援を呼びに行ってもらった。

その中で自分はご遺体と一対一になる。


 ご遺体は比較的綺麗な状態だ。


 時間が経っていないのが幸いしたのだろう。腐敗は緩やかに始まってはいるが、臭いがするほどではなく、身体の下部分に血液が滞留して起きる死斑が起き始めているぐらいだ。死後硬直は、一番初めに出始める顎にもほとんどない。


「死斑および死後硬直の状態から死後30分から1時間程度、と」


 仕事用のカバンから製図用の画板を取り出して、ご遺体の状況をスケッチしながら、そこかしこにメモ書きをしていく。


 ご遺体を傷の無いところから中心に観察していき、足の爪先から両脚や腰、腹部、胸部、両腕から手指の先に争ったような跡がないことを確認し、そして最後に首と頭に目をやる。


 そこには大きく陥没した後頭部と、その影響でわずかに曲がった首があった。


 怪我の状態を詳細に別の紙でスケッチを残し、傷の大きさや深さ、骨にどれくらいの傷がついているのか、外部から観察できる部分について、出来る限り細かく、正確に書類に残していく。


「調子はどうだい? 死霊術師くん?」


 もうそろそろ検視が終わりそうだ、といったところで見知った声が天幕の外からかけられた。


「もう間もなくで終わるよ」


 そう声をかけたところで、ばさりと天幕の入口が開けられた。


「ほぅほぅ、いや~相変わらず仕事が早くて感心、感心」


 現れたのは、白衣を着たよく知る女性。


「し、失礼します。ご依頼の通り、施療院からお医者様をお連れしました!」


 その後ろからオーウェンさんが敬礼しながら報告してくれる。


「ありがとうございます。そして、すいません。離れたところまで呼びに行ってもらって」


「いえ、これも我々の職務ですから!」


 そう言って、オーウェンさんはグッと胸を張り、そのまま、すっと天幕の外へと歩いて行った。


「ふぅん? あの子に対しては優しい言葉かけるんだぁ?」


「えぇ、忙しい中で仕事を手伝ってもらったのですし……」


 途中でわずかに溜めて、相手の顔を見る。


「大体、君相手にそんな言葉かけたって意味ないだろ? アラキナ?」


「それって、どういう意味?」


「一つは幼馴染で散々迷惑を掛けられた相手だから、もひとつはアラキナはそういう優しい言葉をヒューから……「わー!!!! わー!!!!もうやめ、はいはいそこまで!!!!」


 言い切る前に言葉を遮られてしまったが、そこまで気にしなければならないような内容だろうか?


「ふん、で、どういう状況?」


 軽く、息を整えながら聞いてくるアラキナに自分は手元の画板から既に書き終えた数枚の書類を渡した。


「……、うわ、あいっかわらず几帳面きっちょうめんで精緻なデッサンだこと」


 文句をいいつつも、次の瞬間には真剣な表情で書類に目を通し始めるアラキナ。こうした精神面の切り替えの早さは断トツだ。


 アラキナが読み終わるまでの間に残りの仕事を終わらせてしまう。


「明確な外傷は後頭部の陥没及び後頚部の骨折、鼻骨の骨折と口腔内裂傷、歯の欠損。防御創が見られないことから背後から攻撃をもらったものだと推論できる。傷については複数カ所見られることから被害者は複数回にわたり後頭部を殴打されたものと思われる。しかし、後頭部が陥没するような攻撃を受けて立ったままだとは考えづらいことから、被害者は後頭部に一撃を喰らった後に倒れて後ろから踏みつけられた可能性が極めて高く、怨恨の線が疑われる、っと」


 最後の一文をかき終えたところで、アラキナに残った一枚をパスする。彼女はその一枚を何も言わずに手にし、目を通したところで、遺体に向き直った。


「清浄なる水のせせらぎが汝に癒しを与えんことを、【治療ヒール】」


 本来であれば小さな傷をたちまちに治してしまうはずの治癒の術式が今、目の前で何事も起こさずに不発した。


「ちょっと画板貸してくれる?」


 言われて、手に持っていた画板をアラキナに手渡した。彼女はさっきまで手にしていた書類を画板に挟みなおすと、デッサンのあちこちに追加で書き足しをしていく。


 何を書いているのかと言うと、身体の内部で起きていることについて、だ。


 【治癒】は生きているものにしか効かないらしい。だからこそ、人間や動植物には効くけども、死人や魔の軍勢には効果が無い。


 そんな【治癒】をなんで死人に向かって使ったかというと、負傷状態がわかるから、だそうだ。なんでも治療の過程で患者の容体を確認し、軽傷であればそのまま術式で治療し、状態が悪ければ薬や手術等、別の手段も組み合わせながらの治療に切り替えるそうだ。


 つまり、アラキナは死体に向かって【治癒】を不発させ、その過程で本来ならば解剖しなければわからない、身体の内部の負傷を調べていたのだ。そして、その内容を今、自分が描いていた外傷のデッサンの横に記載してくれている。


「ん、これでいいかな。最後にサインしといたから、これで騎士隊に提出しといてくれる?」


 ん、と突き返された画板を受け取る。


「一緒に渡しに行かなくてもいいのか? 今日はヒューの部隊とこだぞ?」


「そんなこと言われないでも私も行くよ。でも、ほら……ここまで書類をきちんと整えて作ったのはキミだろ? ならキミが渡すのが筋だと思うわけさ」


「そんなもんかな?」


「そんなもんさ。じゃあ、外で待ってるから……残りの仕事、頼んだよ」


 言って、彼女は天幕の外に出た。


 その姿を見終えてから、カバンの中からたくさんの道具を取り出す。


「まずは傷口から、っと」


 血で汚れた髪を綺麗にふき取り、傷口周りを清潔にしたうえで、陥没した部分を少しだけ手で補正する。


「今、死と冥府の神に請い願う。魂離れしむくろにわずかばかりの温情を、【死体整復エンバーミング】」


 術式とは便利なものだ。陥没していた後頭部は傷が分からないように骨の位置が元に戻った。曲がった首も折れた鼻も、目立たないように修復された。それと同時にこれ以上の腐敗が進まないようにもなっている。


 残念なことにかけた歯については戻らないので、口元を閉じ、見えないようにしていく。


 あとは死化粧を整えていくだけだ。


 後頭部の裂傷はキチンと縫い留めて目立たないようにしていく。青白くなった顔もファンデーションを薄く塗り、生前のように見せていく。


 眉を整えて髭を剃り、ほんの少しだけ、目元に手を加えて自然に眠りに落ちているように穏やかな表情を造っていく。


 この顔が、遺族の見る最後の表情かおなのだ。手抜きをすることは出来ない。


 小一時間ほどで作業を終えたところで、天幕から顔を出した。


「お疲れさまでした!!」


 天幕の外で出迎えてくれたのはオーウェンさんと。


「清浄なる水のせせらぎが汝の穢れを払わん【洗浄ディテェージ】」


 アラキナの二人だ。


「ありがとう、助かる」


「なに、感染症対策のためさ」


 ご遺体と長時間向き合っているとどうしても感染症の危険リスクは出てくる。彼女としてはその対処をしただけということなんだろうが、少しは自分の心配もしてくれているんだろう、とは思っている。


「じゃ、戻りましょうか」

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