第3話

「今日だけだからな……」

 やってきた居酒屋は二人にとって馴染みの店らしく、カウンターに座ると慣れたように店主に酒の注文をする。

「しばらく来るなら三回に一回くらいは誘おうと思ってたのに」

「誘うな。他に飲む人いないわけ?」

「同じペースで飲んでくれる奴は桐山くらいだな」

「ちゃんと家には帰れよ。きよみさん怒るんじゃない?」

「……まぁな」

 橘は歯切れの悪い返事をすると、日向はささやかな悪事に嘆息した。

 酒が運ばれてきて、二人は目線で息を合わせ軽くグラスをぶつける。しばらくすると突き出しの枝豆が二人の前に置かれ、ついでにいくつか料理を頼んだ。

「橘飲んだら説教くさくなるしなぁ」

「なら説教されるようなことをするな」

「ごめん?」

「軽く謝るのも止めろ」

 橘の厳しい口ぶりは仕事中と変わり無いが、それでもどこかいつもよりも砕けた印象がある。相手に放り投げるような語尾と、もはや癖になっている命令形。今は上司としてではなく、気の置けない相手だからこそ成り立つその物言いを、日向もすんなりと受け入れていた。

「飲むのは一年ぶりくらいだよね。はるみちゃん元気?」

「元気元気。高校で吹奏楽部入って毎日楽しくやってるよ」

 運ばれてきた料理に箸を付けながら、娘のことを思い浮かべて破顔する。

 中々人前で見せることのないその笑みも、今は久々の旧友の前だから出せるというもの。公私を完全に分けるのは彼の信条であり、円滑に仕事をこなすために必要なこと。少しでもこの面を見せれば、もっと部下に慕われるのにと日向は常々思っているが、橘の考えも分かるので余計なことは言わないことにしていた。

「ほぼ同じ年だろ?」

「大体ね」

 主語を抜かしても、日向は誰の話をしているか分かる。花屋で働く、花の男。

「昔のこと、覚えてるか? お前があいつを連れて帰ってきたときのこと」

「覚えてる。あのときは本当に世話になった」

 懐かしさに身を埋めるように、日向は瞼を閉じて当時のことを思い出す。

「会わせたい人がいるって言われて、お前もとうとう結婚でもするのかと思ったら、まさかの“花の人”を紹介された」

「あのときは、何考えてんだ返してこいって言われた。猫かなんか拾ってきたとは訳が違うっていうのに」

「しかもその時点で『俺の子ども』と紹介されて益々俺は訳が分からなかった。その上、お前はどうやって育てたらいいかなんぞを聞いてきやがる」

「花の育て方はお前の方が知ってるだろ、って返された」

「人の育て方はお前の方が知ってるから、って頼まれた」

 あのときから、既に二人の間に齟齬はあったのだ。

 人か、花か。

 今だからこそ、互いの考えは互いのものとして一定の距離を保ち尊重しているが、当時は話すたびにぶつかっていた。そして橘は日向を居酒屋に連れて行き、酒を飲むたびに説教をたれていた。今は、その延長戦。

「懐かしいなー」

「俺が掃除してるときに、あいつに洗剤の入ったバケツを溢しちゃって……どんどんあいつは衰弱していって。病院には行かせられないし、花として対処も出来ないし、そんなこと本にも書いてなくて」

「俺のところに連絡をして」

「いつものごとく怒られて」

「研究をしている大学に連絡しろって言った」

「『殺すためにお前は連れてきたのか』って、響いたな……。腹を括って俺はそれに従った。あいつと離れるかもしれないけど、死んで欲しくは無かった」

「死んで欲しくない、なんて当たり前だ」

「それで大学に行ったら、嫌味を言われつつ対処もなんとか出来て、登録された」

「元々隠れて暮らしていたからか、あちらさんからも捜索願いは出ていなかったんだろ?」

「そう。だから、こっちで産まれたところを俺が保護したことになって、少なくとも年に一回健康診断という名の研究に付き合えば、それ以外は今まで通りで良いって言われた。生きている検体は貴重だから、って言うあいつらには虫酸が走ったけどね。こいつを、どんな目で見てるんだよ、って」

「想定の範囲だがな」

「しばらく入院して帰ってきたときは、すっかり元気になってて『僕は大丈夫ですから』ってむしろ俺が慰められた」

 それから、スクスクと育ってくれて。

 今年で大体十七歳くらいのはず。あの頃はどうなることかと思ったけど、今では仕事も手伝ってくれるほどになって。

「息子も頼りになるでしょー?」

「……お前が、来い」

「今でもまだあいつのこと毛嫌いしてんの?」

「脳みそがどこにあるか分からない奴に仕事を任せられるか。俺は、リスクの話をしてんだよ」

「俺はそれをパスしたと思ったから、あいつに仕事を任してるんだけどな」

 橘は眉間に皺を寄せて異論を述べたいようだったが、食べ物に集中している日向は気付かない。その様子に大きくため息を吐くと、やっと日向は橘を見た。その目に宿る、剣呑な光に何かを思わないわけでは無かったが、日向は目を細めて受け流す。

「なんかあっても知らんぞ」

「俺が責任取るからさ」

「あいつが、どうなってもいいのか?」

「どうなっても、とは?」

「前みたいなことがまたいつ起こるか分からないだろ。それに一回でも事故ってみろ。処分されるのは目に見えてる」

 日向は目を瞬かせて、口元を手で隠した。

「……心配、してくれてるんだ」

 一瞬の、間。

「ああ、そうだよ。当たり前だろうが!」

 開き直ると同時にむくれるのを見て、日向の目は笑う。隠された口元は、ずっと口角が上がっていた。

「考えたことが無いわけではないんだよ……」

 酒を一口含み、物憂げに耽るようにつぶやく。

「けどほら、可愛い子には旅をさせろって、言うじゃんか」

 日向はそう嘯いて、何が楽しいのか愉快げに笑う。

「家にいさせても危ないからねぇ」

「外に出してるのも大概危ないだろ」

「そんなこと言ったら何も出来なくなるし」

「店番させてれば」

「その方が危ないんだって。一人で一定の場所にいたらそれこそ狙われる」

「バイト雇えよ」

「そう簡単に出来るか」

「甘やかしてんなよ」

「橘の方が甘やかさそうとしてるんじゃん」

 一瞬眉間の皺が深くなったが、思い当たる節があったのかぐっと押し黙る。

 働かすな。

 外に出すな。

 大人しく家にいろ。

 それはつまり、箱に入れろと言っているのと同じであり、何よりの甘やかし。箱に入れて欲しいものを与え、自由な暮らしをさせて、世間を知らずに育てればどうなるかなんて少し考えれば分かることなのに、人が違うだけでどうしてそれを強制させようとしてしまうのか。

 自分の娘には、色々なことを見て知って体験して、自立出来るようにという思いで接して、心配性の妻にもそう言っているはずなのに。箱入り娘にはしたくない、と思っているはずなのにどうして。

 二人の間に差異などさして無いというのに。

 頭が人か、花か、という違いだけなのに。

「大丈夫。あいつは、何があっても俺が面倒見るから。そうしないといけない理由がさ、あるから」

 そしてまた、議論は堂々巡り。

 ただ、橘は日向の物言いに引っ掛かるところがあった。

「まだお前はそんなことを言っているのか」

 橘は、責めるようにも聞こえる声で日向に言う。

「誘拐してきて、それを誰にも咎められないことを、まだ」

 リコルドを無理矢理連れてきたという後悔と悔恨と罪悪感から、そうせざるを得ないと、お前はまだ言う気なのか?

 昔でこそ、それが表立っていたために引きずられるようにリコルドも戸惑っていてお互いに辛そうに見えたが、今では打ち解けているように見える。

 日向は顔を歪めながら言う。

「……恨まれてる、と思う」

「時効だろ」

「人の気持ちに時効なんて無いよ」

「分からんだろ。あいつの考えてることなんて」

「橘は子どものこと分かるの?」

「分からん……だから、見て聞いて」

「顔がない相手だもん、分からないことは分からない」

 人は他人の全てを理解し合うことは出来ない。

 日向と橘のように。

 会話が出来ても分かり合うことが出来るわけではない。

 人と人が出来ないならば、花と人はもっと困難になる。

 無理やり日本という遠い国に連れてきて、リコルドは自分を恨んでいるはずだ、と日向の中にはいまだに根底にそれがある。

「まぁそれでも、いい子ではある」

「だろ?」

 橘にしては珍しく褒めるので、日向も少し得意気になる。

「誰に似たんだろうなー。……名付け親か?」

「俺だってそこは言って!」

「口調はお前だ」

「性格は!?」

 ニヤリといじめっこのように笑う橘に、日向は頬を膨らます。少し酔いが回り始めているのか、その顔は赤みがかっていた。

「それでも十二歳から働かせてたのは感心できないが」

「学校とかいけないからね。最初は手伝い程度しかさせる予定はなかったんだけど」

 当初は学校に行かせることを考えてはいたが、学校に行かせるなど正気では考えられないと研究機関で真っ向から否定された。それでもというのならうちが見ると申し出てくれたけど、それは丁重に断った。

 研究対象として見ることなんて分かりきっていたことだ。何をされるか分からないし、そうしている間もずっと監視されるはずだし、何よりあいつもきっと不安がる。

 それなら、店で研究対象ではなく人か花かのどっちかとして見てくれた方がいいと思った。

「いまや、俺よりも仕事できるしなー」

 花の知識、扱い、手法全てにおいて日向に勝てる物はない。“花の人”という種族は、花屋で働くには頼りがいがありすぎる。

「免許取らせたのは今でも許してないからな」

「年を偽って、適当なこと言ったやつ? いや、これに関しては俺も通るとは思ってなかったし」

 リコルドが十五歳という本来ならばまだ免許の取得の出来ないとき、日向が冗談半分で自動車免許を取らないかと申し出た。

 免許があったら配達に行けて便利だし、何より一人で遠くに行くことも出来るようになる、という思惑の上だった。

 そのときに年齢を偽り、尚且つ“花だから人よりも育つスピードは早い”と適当なことを言えば、意外にもすんなりと教習を受けることを許可された。そしてリコルドもそれなりの頑張りを見せ、すんなりと免許を取ることが出来たのだ。

 魚の造りが乗った皿には食用の菊が添えられていて、橘は箸でそれを皿の端に寄せ、刺身を一切れ口に運ぶ。

「お前、あいつをどうする気だよ」

「どうするもこうするも無いんだけどな」

「何度でも、聞いてやる」

 困ったように笑う日向を、橘は無表情で見ながら返事を待った。こうやってヘラヘラと笑っている割に、考えることは考えているし意外と頑固なことは身をもって知っていた。

「俺は、最初から変わらないよ。初めて橘に言った言葉は変わらない。“あいつを、自由にしてやる”それだけ」

「お前があいつに自由を与えても、世界は不自由を強いるのに、か?」

「それでも、ね。同じ年の子がいるなら、分かるだろう?」

「何が」

「自分で物を考えられる年だよ」

 橘は自分の子供を思い浮かべる。夢を語り、道を決め、自らの行くべき方向を向いている。しかし、足取りはおぼつかず、不安定で危なっかしい。

 ――それでも見守って、思うように生きてほしいと願う気持ちは同じ、か。

 いつでも手は差し伸べるから、安心して進んでほしい、という切なる親の願い。

「それと、うちの社員との問題だ」

「問題っていうのは些か失礼なんじゃない?」

「あれはどうみたって……」

 途切れた言葉の先に続く言葉を容易に想像できる日向は、二人を脳裏に思い浮かべた。

「そうだね。けど他人がとやかく言えることじゃないさ」

「他人、と言い切るか。お前が」

「親でも他人は他人だからね」

 嘯く日向を見て、橘は呆れた顔を隠さなかった。

「日本には、二人しかいないんだよ」

 増やすことの出来ない貴重な“花の人”。

 人の興味や軽率な悪戯で、枯れてしまうことだけは避けたい。本来ならば、隔離されることも検討される絶滅しつつある種族。

「初めに人だからと言い張って、人の生活をさせようとしたのはただの俺のワガママさ。勝手にさせてもらった。けどそれが間違いだと思ったことはない」

 日向は手に持つ酒のグラスを揺らす。

「比較するのは好きではないけれどね、もう一人のバラの女の子を見ていたらこれで良かったのだと思えてしまう」

 人らしくある、花。

 花らしくある、花。

 育てられた環境の違う彼ら。

 一人と一輪、それを分け隔てる物とはなんなのか。

「あとは――」

 頭の片隅に残る、父親の言葉。

 自分自身の、純粋な興味。

『恋をして、愛を語ることもあるのだろう』

 花が恋をしたら、それはとても素敵なことだと息子の日向も同じように思っただけ。幼い頃の淡い記憶。ロマンチストな男の、願いに似た戯れ言。

 だから。

「二人が恋をしていても、いいじゃない」

 自分はそれを見ていたい。

 叶ったときに、あいつがどんな花を咲かせるのか、見てみたい。

「人なんだから」

「……花だろ」

 苦し紛れのような小さな反発に、日向は微笑む。

「俺はね最終的には、幸せになって欲しいだけなんだよ」

 ごちゃごちゃと色々なことを言ったが、一番の願いは、そんなシンプルなもの。

「父親面しやがって」

「父親なんだってば」

 橘の目に、皿の端に寄せた、黄色い菊科の食用花が目に入る。

 普段は食べないで置いておくそれを、橘はおもむろに箸で取り口に放る。

「にが」

 噛んだ瞬間、口に広がる生の花の味。

 あいつのことが、嫌いな訳じゃない。ただ、心配なだけなんだよ。とてつもなく。下手したら、娘以上に。

 独特の苦味から逃げるべく、グラスに残っていた酒を飲み干した。

「お前こそとっとと恋愛でもなんでもしろ」

「俺はもう息子いるしそういうのはいいんだって」

「何がいいんだか」

「どうでもいいの。橘は焼酎好きだよね。俺は果実酒でも飲もうかな」

「甘ったるいものを。勝手に飲んどけ」

「……なぁ、麦も米も芋も花は咲くんだよ?」

「だからどうした」

「なんでも無いさ」

 含みのある笑いに、橘は呆れたようにため息を吐く。

 花は身近でキレイなもの。

 そんなことは知っているが、何が日向に付いていけないのかといえば、きっと橘も“花の人”に親心を感じてしまって、それをしかも橘自身ちゃんと理解していて。

 だけど、そんなこと言えないけど、日向の表情を見るにどうやらバレているようで。

 自分も大概だ、と自嘲気味に笑った。






***






 いつも通りの式前の搬入。今日は前日の夕方に入れるので、準備は比較的ゆったりと進めていた。

「すいません、次からしばらくの間は僕ではなく店長が来ることになります」

 帰り際、改まって彼はそんなことを言う。

「どうしたの?」

「えっと……健康診断?」

「そうなの?」

「多分?」

「多分なの?」

 語尾に疑問符ばかり付き、お互いに尋ねるような掛け合い。本人も首を傾げながらで、曖昧な返答だった。

「一年に一回は行くことになってるんですけど、今年はまだ行ってなくて、来いって言われちゃいました」

「どこに?」

「大学」

「誰に?」

「大学」

「病院じゃなくて?」

「……大学?」

 そして、要領を得ない説明に二人で首を傾げることになる。彼自身あまり事情を把握していないらしい。

「だから、しばらくの間は店長が来ます」

 もう一度そう言ってふわりと空中分解している会話をしめる。

「では、僕はこれで」

「あ、帰るの待って」

 車へ戻ろうとしたところで腕を取り、こちらを向かせて相対する。そばに置いていたチョコレート色の紙袋を取り、彼に差し出した。

「前に渡しそびれてたの」

「何ですか?」

「バレンタイン」

「ああ! そういえば、そんな時期でしたか。預かりますね」

 毎年のことだからか、どうやら日向さんの分だけだとばかり思っているらしい。

「この箱は日向さんで――」

 紙袋から、彼へのプレゼントも取り出す。

「これは花男くんのね」

 プレゼントと私の顔を見比べて、手は出すものの受け取るのを躊躇する。

「あげる」

 動きが止まり、心底驚いたという様子で。

「僕の分、あるんですか?」

 訝しむように聞く彼に大きく頷くと、花が満開に咲いていくように「わあ」と嬉しそうな声が広がった。

「ありがとうございます!」

 両手で袋を受け取り、まじまじと見つめる。

「食べ物じゃないよ。花男くん、チョコ食べられないでしょ?」

「そこまで配慮してくれたんですか! ありがとうございます!」

 踵を上げて下げて、見るからにウキウキとして嬉しそうだ。

「プレゼントなんてほとんど貰ったこと無くて。開けていいですか?」

 「どうぞ」と促し、彼は袋を開ける。中を覗き、袋から滑らせばひらりとした物が掌に落ちた。

「リボン?」

「そう、リボンタイ。いつも白いシャツだし、丁度いいかなって」

 ブーケのようだと思う彼の頭。日頃から、何か物足りないと思っていたのは、花束をまとめるリボンが無いからなのではと思ったのだ。

 彼の欲しい物や好みなんて知らなくて、結局自分の思い付いた物にした。私がリボンをした姿を見たかっただけ、という側面が強い。ほとんど自己満足のようなプレゼントだったけれど。

 彼は手に取ってじっくりと見た後、首に合わしてくれる。

「似合いますか?」

「うん、似合ってる」

 この色にしてよかった。

 車の窓ガラスに自分を映して確認する。正面に見て、斜めに見て、こちらを向いて。

「ありがとうございます!」

 そう何度目かの謝辞を口にした。

「喜んでもらえたようで良かった」

 リボンを首に回し、後ろで留めようとする。しばらく頑張るも、手間取って付けられない。ネックレスと同じ金具のはずだが、普段しないので慣れていないのだろう。

「付けてあげよっか?」

「あー……」

 煮え切らない声が上がり、以前のことを思い出す。ネックレスを留めるということは、必然的に首の回りを触ることになる。あまり近付かれたくないのかもしれない。余計なことを言ったかも知れない。

 前言撤回しようと口を開こうとしたところで、彼は後ろを向いて膝を折り、首を寄せた。

「……お願いします。どうせだから」

 目の前に広がる花畑。たくさんの花が咲き誇る頭は、間近で見ると尚もキレイだ。息を吸えば、自然な花の香りが鼻腔をくすぐる。

 彼からリボンを受け取り、前を通して金具を留めた。

「君にはリボンが似合うと思ったんだ」

 前を向いてもらい、リボンの両側を引っ張り形を整える。

 カーキ色のエプロン、白い無地のシャツに、蝶々結びの細いリボン。セピアな彼には、赤が差し色に丁度良い。

 彼は肩をすくめて両襟をつまみ、照れたように胸を張る。

 「どう?」とでも聞くように花を傾けたから、答えるように微笑むと、応じるように花を揺らした。

 顔が無くても、君は感情豊かで、何を考えているのかすぐ分かる。

 日の下に咲く頭の花も、今はイキイキと日差しを浴びて咲いていた。

 だから。

「君はよく笑うね」

 思ったままを、口にした。

「え……? いや、そんな、でも僕は……!」

 なんでもないつぶやきに、激しく動揺して、取り乱す。あちこちを向くので、花びらも一枚ひらりと舞った。

「あの……あなたにはこれを!」

 動揺したまま、いつものごとく彼は自分の頭から一輪花を摘む。手に取ったのはリボンと同じ色の赤いポピーで、私の頭に花を移す。

 長い指が微かに頬に触れて、器用に髪に飾る。見上げれば、彼の花束が間近にあった。

「え、あ、その」

 しばらく花を見つめていると、慌てた手はそのまま襟へと戻り、引き上げながら顔を背けるようにそっぽを向いた。

「だから、僕は」

「僕は?」

「……次から、店長が来ますから!」

 話も半ばに切り上げて、三度目の締めの言葉を口にする。踵を返し車の鍵を開けようとするが、焦った手は鍵を取り落とす。チラリとこちらを窺う、そんな彼に噴き出すように笑いが溢れた。

「気を付けてね」

「はい……では!」

 鍵を拾い、無事に車に乗り込むと、エンジンをかけて車を出す。逃げるように、駐車場から去ってしまった。

 今の彼は、制限速度を超えやしないだろうかとにわかに心配が募る。

 まぁ、大丈夫か。意外と、しっかりしているし。

 私も仕事に戻ろうと、駐車場を背にして式場へ向かう廊下を進む。

 思い出すのは、先程首を傾げながらこちらを窺う姿。花が揺れると共に、同じように揺れる赤いリボン。

 かわいいなぁ。

 そんな感想が浮かんでいた。







 その日も、底冷えのする朝だった。

「日向さん、おはようございます!」

「しばらくよろしくね」

 先日ぶりに会った日向さんは、彼と同じように片手を上げて挨拶をする。車の後ろに回り荷台を開ければ、そこには花があるのはいつも通りだったけれど。

「花男くんがいないかったら、実物を見ないと今日どんな花を飾るのか分からないんですね」

 花を見て、ふとそんなことを思った。彼が来たならば出会った瞬間に今日の式場のイメージが湧くのにそれがない。

「俺も頭にお花差しとけばいいかな」

「いや、そういうことを言いたいのではなくて」

 前に会ったときはバタバタしていたが、改めて話してみると日向さんは気さくで人懐こそうな性格をしているらしい。口元を隠しながら笑う姿が印象的だった。

「悪いね、うちのが健康診断で」

「しばらく来ないのは、健康診断で合ってたんですね」

 前のやり取りを思い出してそう言うと、「いや」と即座にやんわりと否定の声が掛かる。

「いや、正確に言えば研究のデータ取りだよ。後は前に弄られたのが問題ないか見るため」

 彼が言いにくそうにしていたことを、日向さんはサラリと簡潔に説明する。

「データ取り?」

「あいつ、一応研究対象だから」

「“花の人”の?」

もちろん、と言いながら首肯を返す。これを聞けば、彼が大学で健康診断を受けると言ったのも理解できるというものだ。

「毎年、一回は行くように言われてるんだけど、今年は行きそびれてたから今回はある意味丁度いい機会だったかもね」

「……前のこと、大丈夫なんですか?」

 少年二人に絡まれて、配達が送れた日のことはまだ記憶に新しい。

「別になんかされた訳じゃないから大丈夫と思うよ。報告したついでにいつ来るんだってどやされただけというかなんというか」

 頭を掻き、苦々しく笑う。

「とはいえ、やることはやっぱりほぼ健康診断だよ。身長、体重とか測ってレントゲン撮って、その他体力測定とかいろいろ」

「どのくらいで帰ってくるんですか?」

「今回は二週間じゃなかったかな」

「結構長いんですね」

「かなり余裕のある予定みたいだからね、本人は案外暇してると思うよ。解析に時間が掛かるのかな? まぁけど例え予定詰まっててもあいつは元々少しくらいの無理は利くしねぇ。人より身体は強いらしいし、仕事中もよく動くでしょう?」

 力持ちのようだとは薄々気付いていたが、実際は根本的に力があるということか。

「生きる天然記念物みたいなもので数も少ないから、本来ならば保護対象のはずなんだけどね」

 世界に百人もいないという噂。国内には二本だけ。

「本来ならば隔離されていてもおかしくはない。だから二週間程度で済むなら、って思ってしまうよね」

 隠した口許は、手の下で安堵の笑みを作っているらしい。

 日向さんは一度伸びをして、花を持つ。私もそれに倣った。

「ここに仕事で来るのほんっと久々」

 懐かしそうに、式場への道を歩く。

「あいつのお得意様が来るときは俺が来てたんだけど、最近はその日も被らなかったから」

「お得意様?」

「上お得意様がいるんだよ。可愛い可愛いお得意様。俺からは花を買ってくれない頑固なお客さんさ」

 彼を生理的に忌避する人はいるけれど、彼からじゃないと花を買わない、そんな奇特な人もいるのか。

「最近、配達はめっきりあいつ頼みで……俺、リコルドに頼りすぎかなー」

 また、だ。リコルド、と日向さんは彼を呼ぶ。

「リコルドってあだ名かなんかですか?」

「ん? 本名だよ?」

「……え?」

 リコルドが、本名?

 私があまりに呆けた顔をしていたのか、日向さんは目が合うと口許が引き上げられた。

「あいつの本名もしかして知らない?」

花男はなおじゃないんですか?」

 皆そう呼んでいるし、てっきりそうだと思っていたのだけれど。

「あいつ……ちゃんと自己紹介しなかったな……」

 目線の先の、遠くの彼をねめつける。

 私は彼と初めて会った日のことを思い出す。彼がいて、ミキ先輩がいて。

「そういえばあのとき紹介はミキ先輩がしてた気が……」

「ミキちゃんがしてたならしょうがないか」

 式場に着き、ちらとミキ先輩の姿を目の端に収めながら日向さんは口を開いた。

「本名が大層だし分かりやすいから、最近はあだ名の花男が広まっちゃってるんだけど」

 そう前置いて。

「日向・フィオーレ・リコルド。それが本名だよ」

「……日向?」

 その名字が、気になっておうむ返しにする。

「俺の息子」

「息子!」

 衝撃の事実。

 前に二人を見たときから、どんな間柄なのか気になっていたのだ。雇い主と、被雇用者……にしては親密過ぎるような。居候にしては、距離感の近しい二人。

「それも知らなかったか。もちろん血は繋がってないけどね」

「……養子?」

「そんなところかな」

 それを聞いて、納得した。心配する日向さんとリコルドくんの二人の気を許した人同士の掛け合い。それは長く時間を過ごして出てくる、特有の雰囲気だ。

「そうそう、今日は良いものがあって」

 大事に一輪のバラの花束を見せてくれる。そのバラは、この世にない色のバラだった。

「レインボーローズ……!」

「珍しいっしょ」

「見たかったんですよね!」

 企画書に目を通したときから、ずっと楽しみにしていたのだ。

「一本だけなんだけど」

「思ったより結構ビビッドな色なんですね」

「パステル色もあるらしいけどね。茎を割いて、特殊な染料に付けるんだよ」

「すごい!」

 花びらの一枚一枚が違う色に染まる、七色のバラ。

「これって、元の色は白……?」

「そう、元は白いバラ。新郎が新婦にサプライズであげるんだってね」

 赤、ピンク、オレンジ、黄、緑、青、紫とグラデーションに色の変わる、鮮明で色彩豊かな花。

「花言葉は“無限の可能性”と“奇跡”だってさ」

 虹の花は、これから夫婦になる二人にどんな可能性を見出だし、どんな奇跡を起こすのだろうか。

「自然な花でこれが咲いてたら、驚くほどキレイなんでしょうね」

 私の台詞を聞いた日向さんは、キョトンとした表情を見せて含みのある笑いを浮かべた。おかしなことを言っただろうかと首を傾げたが、日向さんの意識は別のところにあるようだった。

「もしも咲いてたら、皆が欲しがってしまうのかな」

「そりゃあ、欲しくなりますよ。けど摘んでしまうよりも、日向の下で咲いているままが一番キレイなのかも」

「……そうかもしれないね」

 ため息混じりに、そう言う。雰囲気はどことなく憂いを帯びていて、どうしたのだろうかと顔色を窺うが考えの底は知れない。

「あ、やべ」

 するとギクリと何かに気付いたようで、突然顔を反らす。顔を背けた原因の方向を見れば、部長がこっちに寄って来ていた。

 その姿を目に捉えただけで、私はヒヤリと肝が冷える。

 もしかして日向さんを怒るのだろうか、前みたいにクレームでもつけるのか……ビクビクと私まで身体が強張った。

 花男くんについてなんか言うのかも知れない。辞めさせろとも部長なら言いかねない――

「ヒラヒト!」

 部長の静かなバリトンがいつもより高めに人の名前を呼んでいて、耳を疑った。

 “ヒラヒト”と言えば、日向さんの下の名前のはず。

 呼ばれてすぐさま逃げようとする日向さんの肩を、部長は腕を回しがしりと組む。諦めた日向さんは大人しく足を止め、されるがまに引き寄せられる。その二人の様子に、私は瞬きをするしかなかった。

「のもーぜ」

「来ると思った! 俺仕事中だから! どっか行け」

「奥山と話してただろうが」

「だからバレる前にさっさと帰ろうと思ってたのに!」

「そんなこと言うなよ悲しくなる」

 珍しい部長の姿に、唖然とする。部長が笑っている。機嫌が良い。テンションが高い。

「奥山、どうした」

「橘にビックリしてることくらい分かりなよ」

「なぜ俺に驚く?」

「笑う橘は一種のホラー」

「お前……」

「お知り合い……なんですか?」

 やっと絞り出したのは、そんな疑問。今までに見たことのないほど親しげに人と話す部長。普段は基本的に怒っているような人なので、この姿はあまりに予想外だった。

「昔馴染みだ」

「今はいろはちゃんが装花のお手伝いしてるけど、むかーしむかしは橘だったんだよ。リコルドが来る前ね」

 それを聞くのは初耳だった。以前はミキさんだったということしか知らない。

 もしかして、日向さんと部長は年も同じくらいだろうか……?

「俺と橘、タメなんだよね」

「同い年なんですか!」

「なぜそんなに驚く」

「てっきり部長が年上かと……!」

「更け顔とでも言いたいのかお前は。ボーナス減らすぞ」

「真顔で言わないで下さいシャレになりません!」

 あははははと笑い続ける日向さん。肩を組んだまま、その横顔に部長は耳打ちをする。

「十一時にいつものとこな」

「はー?」

 無理矢理約束を取り付けられて、日向さんは眉を歪めた。

「お前には言いたいことが山ほどある」

「俺には無い」

「どうせ夜は暇なんだろ?」

「橘は飲んだら説教くさくなるから嫌なんだよ……」

 それに関しては私も同じことを思います、と餌食になった日向さんに同情した。酒癖が悪い訳ではないのだが、饒舌に回る口は普段の仕事に対する小言をせっつき出すので絡まれる前に逃げるのが常だった。

「いいだろ?」

「今日だけだからな。あいついないからてんてこ舞いだってのに」

「バイト雇えば?」

「そのお金を橘が出してくれるなら雇うよ」

「……考えとく」

「考えるな」

 半分本気に聞こえてしまう、部長の発言。そんなに、花男くんが嫌いなのだろうか。配達に来てほしくないのだろうか。

「……橘部長」

「ん?」

「花男くんのこと嫌いなんですか?」

 てっきり否定的な言葉で即答されると思ったのに、視線が泳ぎ返事に迷っているようだった。

「……そんな、簡単な物ではないさ」

 そう言って、苦笑い。その顔には確かに嫌悪感は無いようで、複雑な心情が見え隠れしているように思えた。

 それから部長は仕事に戻り、私も日向さんと搬入を滞りなく終えて別の仕事を始めた。

「あ、日向さん商売道具忘れてる」

 そばで式場の設営をしていたミキ先輩がつぶやく。

 テーブルの上にハサミがあったらしい。

「日向さん久々だからかな」

 ハサミをチョキチョキと噛み合わせる。刃先の小さな、アレンジメントに使う為のハサミ。

「あの人かなりうっかりしてるよねー」

 ふふ、と微笑みながら携帯電話を取り出して、ミキ先輩は日向さんに電話をかける。

「日向さん、ハサミ忘れてます」

『ごめん! 俺も今気付いた。えーっと夕方取りに行けるかな……リコルドのハサミがあるから仕事は大丈夫なんだけど』

 そばにいると、声が漏れ聞こえる。

「じゃあ帰りに近く通るのでそのときに渡しますね」

 話が済み、そう切ろうとしたとき。

「……私今日早上がりなので行ってきましょうか? 必要なものだし」

「あー……じゃあ頼もうかなー?」

 申し出を聞き入れてミキ先輩がそのことを伝えると、承諾した旨の話が聞こえてきた。

「いろはが夕方辺りにそっち行きますんで!」

 そうして電話を切ると、先輩はハサミを渡してくれた。

「じゃあよろしく。花男くんいないからって気を抜きすぎじゃないですか? って言っといて」

 そしてウィンクを投げかけた。



 外は夜に片足を突っ込んでいて、辺りはもう暗い。街灯の付き始めた静かな道を、確認しながら歩く。

 前にカフェに来たときに、彼の店の場所も把握していたので迷わずすぐに着いた。

 住宅街にある小さな店舗だが、花の種類と数は多いように見える。駐車場には見慣れた車も止まっていた。

「すいませーん。配達に来ましたー」

 声を掛けると、レジでリボンを切っていた日向さんがこちらを向いた。

「ハサミの配達ですねー。ごめん、ありがと」

 店先に、たくさんの花が咲いている。切り花、鉢植え、観葉植物などいろいろな花が冬の優しい日を受けている。目についたのはオレンジ色のガーベラで、以前彼に花を貰ったときのことを思い出した。

「本当にうっかりしていた」

「ミキ先輩も言ってましたよ。花男くんいないから気を抜きすぎです! って」

 ハサミを渡すとシャキンと切れ味を確認してから、エプロンのポケットに仕舞う。

「ミキちゃん痛いことを言ってくれるね。しっかりしなきゃなぁ」

 パンパン、とエプロンをはたく。

「ガーベラ好きなの?」

 日向さんは、私の視線に気付いたらしい。

「好き、というか……最近、花をもらうんですよね」

「花?」

「はい、花男くんに」

 日向さんはそのガーベラを一輪手に取った。ポケットからしまったハサミを取り出して、茎を短く切る。

何をするのだろうかとその様子を見ていたら、不意に私の頭に日向さんの手が伸びてきた。

「売り物を……!?」

「いいよ、これ傷んできてるし。いつもならリコルドに渡すんだけど」

 いつも彼がしているように、日向さんも耳のそばの髪に、器用に花を挟み彩りを添える。

「こんな風に?」

「はい! なんで……?」

「俺もね、一回だけリコルドから花を貰ったことがあるんだ」

 私の頭に差した花を指差す。

「花をもらったって聞いて、それを思い出した」

 聞くのか、否か。

 日向さんならば、親ならば、きっと分かる気がして、私は口を開く。

「……彼の頭って、何かあるんですか?」

 触ったら過度な反応を示す。そこに、何があるのかと。

 見ていただけでも後退り、触られると泣きながら逃げてしまう。そこまで嫌がる理由とはなんなのか。人と違う頭には、一体何を秘めているのかと。

 踏み込んで良いのかも分からないところだけれど、気になる気持ちが勝ってしまった。

「……あいつのこと知りたい?」

 真っ直ぐに、そう問われてどこか戸惑う自分がいる。

「え、いや、あの」

「興味持ってくれるのは嬉しいから。なんか真面目に考えてるみたいだし」

 口許を手で押さえるいつもの動作をして、微笑みながら言う。

「何も迷信を試したいとかじゃないでしょう?」

「そんなことしませんよ!」

 力を込めて否定すると、「だよね」と半笑い。

 視線を合わせると、スッと笑みが消える。

 刹那、優しげな光を湛えた瞳が、じっと私の瞳を射抜いた。

「もう閉店時間だし、奥入って。店閉めてくる」

 その一瞬に、私の何を見たのだろう。

 元の表情に戻り、ポンポンと子ども扱いするように頭を軽く叩いて、日向さんは店先へ出る。屋外に出ていた花を中に入れていく。

「手伝います!」

「いいよ、すぐ終わるからゆっくりしてて」

 ガラガラとシャッターを閉める様子を見届けてから、私はレジを通り過ぎて奥へと進み、言われた通り靴を脱いで住居スペースへと立ち入る。

 奥は普通の家の作りになっていて、居間に繋がっている。テーブルと台所と冷蔵庫と食器棚のある、普通の居間。暖房が付いているのか、部屋の中は頬が火照るほど暖かい。

 綺麗にしてある部屋。物自体が少ないけれど、殺風景という訳ではない。テーブルには花が一輪、花瓶に飾ってあった。

 上着を一番入り口に近い椅子に掛けて、座る。

 流れで家に入ってしまったけれど、どうにも居ずらい。

 どうしようかと、目をあちこちと走らせていれば、ふと仏壇があることに気付いた。写真立てがあり、そこには日向さんに似た男の人が写っていた。日向さんの父親だろうか?

 しばらくすると、日向さんが居間に上がってくる。

「ごめんね、生活感に溢れてて。麦茶でいい?」

「お構い無く……!」

 ポットに麦茶が入っているらしく、マグカップを二つ出してそこに注ぐと白い湯気が立つ。私の正面に座り、コトンと二つのカップをそれぞれの前に置く。手を添えると、じわりと指に熱が伝わった。

「あいつの頭には花があるんだよ」

 唐突に先程の問いの答えを、日向さんはさらりと口にする。

「花? いつもありますよ?」

 日向さんは一口麦茶を口に含んだ。

「いろはちゃんは根元を見たことがないでしょう?」

「根元は、無いです。日向さんは彼の頭の見たことあるんですか?」

「そりゃあるよ。あいつ嫌がるでしょ」

「はい」

「気になる?」

「気になるというか、あそこまで過敏になられると……」

 気になるというか、なんというか。何もしないから嫌がらないで欲しい、何もしないからそんなに構えないで欲しい。

「……気に、なってるんでしょうねこれは」

 自分の気持ちにそう結論付けると、日向さんは「そう」と短く頷いた。

「ちょっと調べたら分かるし言っちゃうけどね、根元と言うより、花見られたくないんだと思うよ」

「花ですか?」

「中心に、あいつの花があるんだよ。普段は他の花で隠してるけど」

「彼の花……?」

「核になる花。“花の人”はね、人間の身体に花を差しているんじゃなくて、首からも花が自生しているんだよ」

 彼の頭の奥にある花。想像の中で、花をかき分けようとしたけれどそこに咲く花がどんなものか想像が付かない。

「“花の人”の心臓と呼んでも差し支えない」

「どんな花なんですか?」

「あいつが隠すなら俺は言わないよ。気になるなら本人に聞いてみて。一体一体花は違うから、ネットで調べてもそれは出てこないし」

「聞いたら教えてくれますかね?」

「教えてくれるといいね」

 目を細めて日向さんは笑う。

「他の国ではその花を刈り取られたりするから、あいつらが生きるのは大変らしいよ」

「刈られるんですか?」

「万病に効くんだとさ。人魚の肉とかそういった類いのよくある話。腕や足を切られることもあるらしいよ」

「迷信って言ってたのはそれですね」

 彼が前に絡まれたのも、それを試そうとする悪意から来るものだったのだろう。

「本当のところはどうなんですか?」

「さあ。本当のところは俺は知らない。なんせ食べたことないから」

 「食べたいと思わない訳では無いけど」と意味深なことを、小声でつぶやく。

「今は数もめっきり減ったらしいよ。絶滅危惧種にも認定されてるし。そもそもあいつらの増え方がまだ分かってないし」

「増えないんですか?」

「三倍体の植物分かる?」

「えーっと、ソメイヨシノとか、ヒガンバナとか、オニユリとか種子の出来ない植物ですよね」

 それらは一代限りの植物であり、遺伝子数の問題により種子が出来ず、例え出来ても発芽しない。故に、種子以外の方法で増やすしかない。ソメイヨシノは挿し木で増えるし、ヒガンバナは球根で、オニユリは確かむかごからだっただろうか。

「花の真似も、人の真似も出来なくて、体に球根があるわけでも無いし、むかごが出来るわけでもない。挿し木は……昔々に、出来ないと証明されたらしい」

 挿し木を試した、その事実は想像するだけで痛々しく思う。

「ただ分かっているのは、あいつらは保護され始めてから急速に減りだした。それまでは、切られたり採られたり摘まれたり飾られたり売られたり食べられたりしていたにも関わらず、ね」

 歴史的に見れば、“花の人”たちは人間よりも遥か下の身分として位置していたのだろう。奴隷のように飾りのように扱われ、いまだに迷信を鵜呑みにして刈り取られ、絶滅の危機に追い込まれるほどの事をされている。

「噂では“花の人”を木の下に植えたら出来ることがあるらしいってくらいだけど、まだ検証はちゃんとされてない。きっと、その内に無くなってしまう種族なんだろうよ。人工的に増やす方法が見付からない限りは」

 かつてのドードー鳥やニホンオオカミのように、彼らもいずれは写真や想像の中にしか存在しないものになってしまうのだろうか。

 人間の手により、絶滅する種族。

 その事実は、考えるだけで胸が痛む。

「儚い運命だろうが、あんまり悲しそうな顔はすべきではないさ。あいつはそうは思ってないしね。真っ直ぐに聞けばこう言うよ。『人が花を愛でる限り、僕達は決して枯れはしない』って」

 努めて明るく、日向さんはそう言った。

「ネットで検索すればある程度はば分かるだろうけど、詳しく知りたいなら本貸そうか? うちの本はバラの子を参考にして書かれたものだから、当てはまらないことも多いけど、いろはちゃんが気になることは大体分かるだろうし」

 席を立ち隣の部屋へ取りに行く。

「はい、本」

「わ、すごい本ですね」

 手渡されたのは、重厚感のある布張りの高そうな本。真っ赤な表紙の、バラのはなびらの手触りの本だった。

「……やっぱり、いいです」

「そう?」

「……人について知りたくて、解体新書を読む人なんていないじゃないですか」

「変な例えをするね」

 日向さんは、愉快そうに口許を曲げた。

「いろはちゃんの言うことも一利あるか」

「彼は、彼ですからね」

「図鑑にリコルド個人は載ってないもんな」

 本を手に取り、表紙を撫でながら感傷に浸るように日向さんは言葉を続ける。

「この本は父のものでね」

 昔の楽しい思い出を懐かしむように、労るように本に触れる。

「最初、俺はこの本でリコルドの種族の存在を知ってたんだよ。うちは昔から花屋だから、彼らについて興味を持つのも当然といえば当然かもしれないんだけど」

 花を扱う人が、“花の人”について気になることは必然のようにも思える。

「父はずっと会ってみたいと言っていてね。父はリコルドに会う前に亡くなってるんだけど、俺もずっと会いたくて……夢を引き継いだようなものなのかな」

 言葉に自嘲が乗るのは、なぜだろう。

「生前、父が『恋に落ちることもあるのだろうね』と言っていたことがずっと頭に残っていて」

 『花が恋に落ちる』その言葉は胸を温かくさせる響きがする。

「……だから、どうってことは無いんだけど」

 日向さんは、どこか照れくさそうにはにかんだ。

「じゃ――あいつを、ちゃんと見てやってね」

 上着を着て外に出る。

 シャッターを少し開けてくれて、屈んで出た。

 外は寒さを増している。

「日向さんはこれから部長と飲むんですよね?」

「十一時から飲むなんて、あいつは何を考えてるんだろうね? 俺もあいつも次の日仕事があるってのに」

 部長はお酒自体が好きだから、どんなときでも酒の味を味わいたいのだろう。

「説教頑張ってくださいね」

 そう茶化すと日向さんは笑う。よく笑う人だ、と思う。

 挨拶をして帰りかけたとき、日向さんは引き止めるように声を掛ける。

「ねぇ、いろはちゃん。日本語では一般的に“花の人”“半花人”“人花”っていうけど、英語で何て言うか知ってる?」

「知らないです」

 訳しにくい、とは聞いたけれど。

「“フローリスト”」

「……“フローリスト”? それって」

 同じように言葉を繰り返す。

「そう、花屋。丁度いいでしょ? だから、あいつは多分生粋の花屋なんじゃないかと思うんだよ」

「天職ですね」

「かもしれないね」

 花を贈る花屋の男。彼の中心に花がある。

 どんな花だろうか、とそんなことに思いを馳せて私はゆっくりと帰路を歩いた。







 二月が終わり、三月に入ると少し寒さも和らいでくる。

 彼が健康診断と言ってから二週間が経った。そろそろ彼が帰ってくる頃だが、配達があるのは週末なので会えるのはそのときだろう。

 やってきた日向さんの会話もその話題になる。早めに終わった搬入、ゆっくりと片付けながら雑談を交わす。

「それで明日大学に迎えに行く予定だったんだけど……」

 と、そこで言葉を一度切った。式場を見回して、誰かを探す。タイミング良く扉から現れた人と目が合うと、日向さんは切実な声音で呼び止めた。

「橘、頼みが」

 その表情と雰囲気で何かを察知したのだろう。部長は日向さんを見た途端に眉間に皺を寄せ、拒否感を露にした。

「リコルドの迎えいけない……?」

「明日は定休日だろ」

「叔母さんが……」

「あ? またか」

「困ってるんだけど……断れなくって」

「それはお前が悪い。自業自得。知るか」

「お願い!」

「俺は俺で仕事がある!」

 すがるように頼む日向さんに、部長は噛み付くようにそう言い、「お前はいつもいつも……」とアルコールが入っていないにも関わらず説教モードに入りかけていた。

 そんな部長を意に返さず「だって」と言い訳を連ねる日向さんは、私からしてみればいっそ尊敬に値する。あの部長の形相に微塵もたじろぐことが無く、平然と会話を続けているのだから。

「日向さんは何か用事ですか?」

 堂々巡りになりかけていた二人の会話に、割って入る。

「叔母さんにお見合い取り付けられたの断れなかった」

「お見合い……?」

「俺そんなことしないでいいって言ってるのに」

 困ったように眉を下げ、肩を落とす。

「向こうさんに失礼だから、無下にできないし」

「じゃあ私代わりにお迎え行きましょうか? 車で行けばいいんですよね?」

 二人の視線を受け、何か言いたげな様子に、変なことを言っただろうかと二人を交互に見て首をひねる。

「いろはちゃん免許持ってる?」

「持ってます」

 間が空いて、二人が同じように怪訝そうな表情を作った。

「なんなんですかその顔は! ペーパーでもないですよ!?」

 部長は心底不安そうな視線を投げ、日向さんは驚きに目を見開く。

 いくらなんでも失礼である。

 そんなに運転が出来ないように見えるのだろうか? たまに買い物でスーパーまで行くこともあるし、旅行で高速道路を運転することもある。最低限は問題なく運転できるはずなのに。

「そういえば入社したときの履歴書に書いてたな」

「ごめんごめん、いろはちゃんと車ってあんまり結び付かなくて」

 不服だ、と口を尖らせていると不意に部長に額を叩かれた。眉間にシワが寄っていたらしい。

「いろはちゃんはいつもタイミング良く休みなんだねぇ。前も休みの日にリコルドが偶然会ったって話聞いたけど」

「私は基本的に水曜日が休みなんです」

「なるほど」

 日向さんの花屋は水曜日が定休日。だから、以前も彼とカフェで会えたのだ。

「大事な休日を貰ってもいいの?」

「奥山、こいつを甘やかすな」

「けど誰かが行かないといけないんでしょう?」

 私の主張に押し黙り、腕を組む部長。覆す言葉は出ないはずだ。

「お言葉に甘えて、お願いしようかな?」

 部長が仕方無げにため息を吐くと、日向さんは安堵の表情を浮かべる。まだ何か言い足りない様子だったが、肩を落として口を閉じた。







 彼の迎えは、夕方に行けばいいらしい。花屋に着くと、駐車場から車を出して、すぐに出発できるようにしてくれていた。私が出たら日向さんも出掛けるのか、糊の利いたスーツを着て、髪もワックスを付けて綺麗に整えられていた。

「慣れない車だけど大丈夫?」

「大丈夫です。うちの車これより大きいので」

「なら安心だ」

 道を聞くと、そう遠くない場所だった。山を切り開いて建てた大学らしく、道中はほとんど山道らしい。

 鍵を預かり、日向さんに挨拶をして発車させる。

 冬晴れのドライブ日和。繁華街を抜け、住宅地に入り、進んでいくと木々が増えて、うねうねと蛇行した道を進む。

 その内に大学の敷地に入る。入校許可を貰おうと窓を開けて守衛の人に声を掛けようとすると、何か言う前にバーを上げてくれた。

「日向さんとこのお迎えだね?」

「はい」

 車の“フラワーショップ日向”の文字を見てか、守衛さんはそう尋ねる。片手は内線らしい電話の受話器を取った。

「A棟行って」

 それだけを素っ気なく言うと、窓を閉めてしまった。

 顔パスならぬ、車パス。速度を落として大学の敷地内を走る。似たような建物が乱立する研究所。見た目よりも中身に特化している建物なのだろう。

 A棟に着くと、連絡がいっていたらしく、白衣姿の男の人が待っていた。車を停めてその人の元へ歩く。

 痩身で、少し不健康そうな人。口から白い棒が生えていて、それが動けばカチと歯とぶつかる音がする。飴でも舐めているのだろうか。

「女の子だー」

 車から降りると、挨拶より先にそう間延びした声で言われて戸惑った。

「えっと、こんにちは。日向さんから聞いてなかったですか?」

「知ってる知ってる」

 白い棒を取ると、それは予想通り棒付きキャンディだった。オレンジ色だから、きっとみかん味なのだろう。それを舌でべろりと舐める。

「タバコとか吸わなさそうね」

「吸いません」

 ポケットに手を入れてゴソゴソと漁り、出てきたのは一本の飴。長い指先にそれを持って、目の前に付き出される。どうやらぶどう味らしい。

「いる?」

「……いいです」

 遠慮すると、すぐさま袋を開けて二本目も口に入れた。……口の中で味が混ざらないのだろうか。

「施設内はタバコ禁止だから口さみしーって言ったら飴貰ったんだけど、外出るから吸おうと思ってたのに上着に入れたらしくて。ポケットには飴が二本」

「はあ……」

 コミュニケーションの取りにくい人らしいと即座に判断し、自然と身構えた。出来れば早く目的の場所に着きたい。しかし早歩きをしたくとも、男の足はのんびりと散歩するような足取りだった。

 建物の入口にカードを翳して扉を開ける。

「若い子が来ると思ってなかったなー」

 リノリウムの真っ直ぐな長い廊下を歩く。入り口だけでなく一つ一つの部屋に入るにもカードが必要らしく、それぞれの扉にもカードリーダーが備え付けられていた。

 白が汚れたような、灰色がかった大学の研究所。

 廊下の途中、棚の上にホルマリンに浸かった花が目に留まった。

「花……?」

 つぶやくと、男は足を止めた。花の隣には、手を開いた状態の腕が浸かっている。腕だけがあれば人だと思っていただろうが、花がそばにあるということは……?

「一回食べてみたいって思わない?」

「……は?」

 突然の問い掛けにドキリとして、男を向いた。横顔は口内の飴を舐め、二本の棒が愉快げに動いている。目は、液体に浸かった花に注がれていた。

「人じゃないのなら、食べても問題なんて一つもないよね?」

 人じゃないんだもん。共食いでもないよね。

 主語なんてなくても、この人が何の話をしているかなんて分かりきっている。

「肉や野菜を食べることと同じじゃないのかなぁ」

 二本の飴を一度出し、赤い舌を飴に這わせる。横目にこちらを見て、薄い唇が耳の方へと吊り上げられた。

「冗談だよ」

 笑みの形に歪められた口は妙に大きくて、なんでも食べてしまいそうで。

 雑食の人だ。

 なんとなく、そう思った。

 人間は、私は、雑食だけれど、きっとこの人程では無いはずだ。興味があるものは舐めて口に入れ、味わうことでその本質を見出だそうとする。そんな人なのだろうと。

 彼はこんな人たちに研究されているのかと思うと、不信感が湧いた。“花の人”を食べる、とそんなことを言ってのけるこの男は、何のために研究をしているのだろう。

 私は鳥肌の立つ腕を抱いた。

 男と少し距離を取りつつ、同じような扉の続く廊下を進む。一室の前で立ち止まると、男が首から下げるカードをリーダーに翳し、扉が自動で開いた。

 てっきり研究室か何かに通されるのかと思っていたが、着いたのは椅子と机だけの狭い会議室のような部屋だった。

 そこには花の頭の彼が、椅子に座り退屈そうにテーブルにへばりついている。

 来訪者が誰なのかとゆっくり頭を持ち上げると、私の姿を捉えて椅子が倒れそうなほど勢いよく立ち上がった。

「いろはさん!? なんで!」

「あれ? 聞いてなかったの?」

「あ、そうそうリコルドくん。今日の迎えはオクヤマサンって人が来るって日向さんが言ってたよ」

「遅いです!」

 彼の前に立つと、慌てた彼は襟を触りながらそっぽを向く。その襟元には、細く赤いリボンが確かに結ばれていて、私は口元が弛んだ。

「日向さんは急な用事が入ったんだって」

「お見合いかなんかですか?」

「そう、それ」

 よくあることなのか、彼は事も無げに言い当てた。またか、とでも言うようで特に感慨も浮かばないらしい。

 二週間、大学に缶詰めで研究のデータ収集だったらしいが、いつもと変わった様子はない。今日の頭は赤・白・ピンクのバラがたくさん咲いていて、バラの上品な香りが彼から漂っている。

「ロゼに一言挨拶して来ます」

「もう一人の“花の人”だよ」

 聞いてもいないのに、男から注釈が入る。

「予定が合ったから、彼女にも来てもらってたんだ」

 ――もう一人が、ここにいる。日本にいる、もう一人の“花の人”。

 この部屋は、どうやら隣の研究室と繋がっているらしい。

 扉を開けてちらりと見えたのは、真っ赤なドレスを着て、深紅のバラを頭に宿した少女。

 “花が咲いている”と思った。

 鮮烈で、目覚めるような赤のバラ。

 キレイなキレイなバラ。

 しかし、違和感がまとわりつく。

 豪奢で高そうな服を着ているが、佇む様子は花そのもの。絶世の美少女。生活感のない、箱入り娘。

彼女は“花”だ。“人”じゃない。

 彼に対して一度も思わなかったことを、彼女に感じた。

 隣には、中学生くらいの少年が寄り添っていた。

「ロゼ」

 呼び掛けるとバラの頭だけを彼の方へ向ける。

「何、リコルド」

 温度の無い声。

「先に帰るね」

 情熱のように赤いのに、どこまでも冷たいバラ。

 彼女の焦点が遠くに移り、私の方に合った気がした。

「そう」

 息を吐くついでのように素っ気なくそう言った彼女は、話は済んだとばかりに元の方を向いた。

 その反応はいつも通りのことなのだろう、彼も「行きましょうか」と扉を閉めてこちらを向いた。

 元の道を戻り、男に挨拶をして大学を出る。

 帰りは彼が運転することになり、私は助手席に座った。

「いろはさん、免許持ってたんですね」

「花男くんも同じこと言う……!」

「誰と?」

「日向さんと部長!」

 膨れる私を笑いつつ、彼はエンジンを掛けた。

「すいません、わざわざお迎え来てもらって」

「いいよ、暇だったし」

「迎えとか、本当はいいんですけどね。自分としてはバスと電車乗り継いで帰れば良いとは思っているのですが……乗ったことはほとんど無いんですけど」

 バスと電車に乗る姿を想像してみるが、取って付けたようなイメージしか出来なかった。

 少なくとも、周りがざわざわするんだろうな……。

 とはいえ、仕方がないのだろう。日本に二人の絶滅危惧種。大事にされ過ぎても、足りないことはない。

「あ、そうそう。背、伸びたんですよ!」

 まるで高校生のように手放しで喜ぶ。

「一七四センチになりました!」

「良かったね!」

 言ったものの、一つの疑問が浮かんだ。

「身長ってどこからどこまで?」

「いや、それは……」

 言い難そうにする彼に、私は予想を彼に聞く。

「……頭の花まで?」

「え? 知ってるんですか?」

 キョトンとした様子で、こちらを向く。知っているのなら、と吹っ切れたらしい。

「身長は足元から花の一番先までです」

「伸びて本当に良かったね」

 前に身長が低いことを嘆いていたし、素直に嬉しい。

 頭の花。日向さんは教えてくれないから、本人に直接聞いてみる。

「君の花は何?」

「直球ですね」

 困惑した声音。ハンドルを持っていた片手が襟を触り、困ったように唸った。

「当ててみてください」

「バラではないの?」

「違いますよ」

「ひまわり」

「違います」

「チューリップ」

「違います」

 その後もいくつか答えていくが、当てずっぽうで言っても分かるようなメジャーな花では無いらしく。

「ヒント!」

「あえて言うなら……チャペル、ですかね」

 チャペル、ということは。

「ユリではないです」

 言おうとした答えを先に潰されてしまう。

「けど式場にある花なんて、ユリしかないし」

「惜しいですけどね、違います」

「ガーベラ?」

「それは披露宴会場ですね」

「チャペルで、ユリ以外の花?」

「ちょっと考え方を変えた方が良いかもしれません」

 考え方を変える、と言われてもどう変えればいいのやら。

 それらしい答えが見付からないので、もう一息なんとかヒントを絞りだそうと頑張る。

「花屋さんにはあるでしょう?」

「あ、いいとこ突きましたね。たまにしかないです」

「雑草……?」

「違いますよ。自生はしてますけど」

「どこにいったらある?」

「んー、公園にはたまにあるかなぁ」

「……雑草?」

「違いますって」

 言いながらハンドルをきって、角を曲がる。普段から運転していることもあってか、運転はかなりうまいらしい。見ていると、人よりも周辺視野が広いような気もする。

「バラもちょっと惜しいんですけどね。なんとかのバラとか、妖精と呼ばれることもありますし」

「なんとか、の部分は」

「それを言ったら結構なヒントになるので言いません」

「で、答えは?」

「当ててくれたら当たったって言いますよ」

 自分から言う気は更々無いらしい。

 言ってくれないだろうかと見ていたら、赤信号で止まり視線に気付く。

「運転しにくいんですけど!」

 不満を漏らして目を塞がれた。

 ち、と思いつつ窓ガラスを向く。この時期は、昼が短い。既に日は暮れつつあり、段々と街が茜色に染まっていく。その赤で思い起こしたのは、一人の少女。

「ロゼって」

「気になりますか?」

 口をついて出たのは彼女のこと。脳裏には彼女の姿が浮かんだ。

「バラなの?」

「……名前のままなので答えてしまいますが、バラですよ」

「どんな子なの?」

「どんな、と聞かれても……」

 一頻り、頭を悩ませ考える。

「あそこで働いている人たちは、ロゼのことを花らしい花とよく言います」

 花らしい花、という言い方が引っ掛かる。

「花男くんは?」

「僕は人らしい花って言われます」

 やっぱりか。

 花らしい花、人らしい花。

 どう違うのかは説明出来ないが、ニュアンスはなんとなく伝わる。

「ロゼは僕と比べると普段の生活も違うんです。僕は花屋として働いていますが、彼女はお金持ちの家で見られるのが仕事らしくて」

「観賞用の花ということ?」

「そういうことになります。見られて、愛でられて、触られて……あれが本来僕たちのあるべき姿だ、と彼女は言うのですが」

 言葉を切って、彼は異を唱える。

「彼女を見るたびにこれでいいのかな、っていつも疑問に思います」

 赤いバラの少女。一瞬しか見ていないが、私も彼女が“花”だとそう認識した。

「不自由はないようですが、彼女はなんていうか……いつも見下して、睨んでいて、諦めているようで。キレイだけど、生き生きとしていなくて。君はそれでいいの? っていつも聞きたくなります」

 というかたまにそう聞いてますし、と彼は続けた。

「家から出ることも滅多に無いらしくて」

 そこで、言い澱む。

「……僕も昔は一歩も外に出られなかったから、余計に気になっちゃって」

「昔?」

「以前、イタリアに住んでいたことがあるんですよ」

 一度も行ったことの無い遠い国。思いを馳せても、固定されたイメージしか湧かない。

「あ、名前」

 思い出したのは日向さんが呼び掛ける声。異国の響きの彼の名前。

「花男くんの名前、知らなかったんだけど!」

「あれ? 言ってませんでしたっけ?」

 責めるように言えば、間の抜けた返事が戻ってくる。

「つまり名前もイタリア語ってこと?」

「そうです。フィオーレは花、リコルドは記憶」

「花の、記憶……?」

 ふふ、と笑い横顔の花が揺れた。

「名付け親が、付けてくれたんです」

 どこか誇らしげにそう言う。

「窓辺が、自分の定位置だったことは覚えています。日本以外の国では、あんまり自由に動けなくて……」

 前のことが、頭をよぎる。一旦外に出ると注目を浴び、奇異の目を向けられ、何かしらちょっかいを掛けられる“花の人”たち。

「ロゼとか、同じ種の人たちと比べれば僕は自由に動けている方だとは思うのですが、それでも普通の人ほどは動けない。……自分も皆と同じように人間だったら良かったのにって、思わないようにはしてるんですけどね」

 苦々しげに自嘲する。

「だから、配達してる間は楽しいんです。外に出て、色んな物が見えるから。車の中は、店にいるときよりも意外と安全ですし」

「じゃあいつこっちに……?」

 またハンドルをきり、笑ってはぐらかす。

「子どものときに、いろいろあったんです」

 なんとなく、自分のことをはっきりとは教えてくれない彼。キーワードは出すのに、全ては言わないから余計に気になることを彼は分かっているのだろうか。

「今の生活は楽しいですよ。父さんには感謝をしていますし、今の生活にも満足していますしね」

 それからしばらく運転し、お礼を兼ねてと家まで送ってもらった。

「今日はありがとうございました」

 頭のたくさんのバラ。その一輪を、いつものように彼は指先で折る。

「大学にいるときはいつもバラを貰うんです。ロゼはバラしか認めてないから」

 手に取ったのは固いつぼみのバラ。

「たまにはこんなのもどうです?」

 差し出された一輪。閉じた緑は、隙間から赤い色が見え隠れしている。

「リコルド、くん」

 ハッとしたように、花が一度揺れた。

「その内咲くかな」

「――咲いたら、良いんですけどね」

 意味深な響きを残して、花を持った彼の手が、私の髪に触れた。

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