第1話
マフラーの隙間から、白い息が漏れる。はぁ、とかじかむ手を暖めてそのまま頬を包み込めば、頬の冷たさが手に移った。
これだから、冬は苦手だ。全然手が温まらない。
遠くから車のエンジン音が近付いて来ている。程なくして、一台の見慣れたワゴン車が敷地内に入り、いつもの場所に停まった。
ガチャと扉を開け、短い芝生の上に足を付けた彼は、いつも数枚の花びらを風に靡かせながらこちらへとやってくる。
「おはよ」
「おはようございます!」
歩み寄りつつ短く挨拶をすると、軽く手を上げて応じる彼。初めて会ったときから半年以上が経ち、彼の見た目にも慣れて、もう驚きも緊張もほとんど無くなった。
首から上はなく、代わりに花をたくさん生やしている“花の人”。
「今日もたくさんの可憐な花たちを連れてきました!」
「……あなたが一番、ね?」
可憐でしょう?
そう語尾に含みを持たせれば、彼はいやいや、とオーバーに手を振り否定する。
「僕なんてついでみたいなものです!」
頭には、丁度腕に抱えられる花束くらいの花が咲いていた。今日はオレンジを中心にした花が多いらしい。
彼は車の後ろに回り、荷台を開ける。手前にはユリ、そして奥には彼の頭と同じようにオレンジを基調とした花が積まれている。
ついでというのは、そういうことだ。
「お裾分けを貰っているのは、僕の方です」
彼の頭の花は、その日使う花が余ったり、少し萎れていたり、折れてしまったりしたもので彩られているらしい。照れたように白いシャツの襟を上に引き上げて、髪をかき上げるように優しくオレンジのガーベラに触れる。襟は花を包む包装紙のようだ。
「早く式場にユリを飾ってあげましょう?」
カーキ色のエプロンを翻し、荷台のユリを持ち上げる。私も同じように持ち上げれば、ズシリと腕に重さが掛かり、揺れたユリの独特な香りが鼻腔をくすぐった。
「今日のユリもキレイでしょう?」
「うん、キレイ。花びらには張りがあって、葉もツヤがある」
彼は満足そうに笑うと、足取り軽やかに式場を目指す。
ユリの花に、水を吸ったオアシスと呼ばれるスポンジ。意外と力仕事なのが、この装花の作業だ。なのに彼の動きに重さを感じないのは、単に彼に力があるからなのか、いつも高めなテンションのせいなのか。
館内に入り、すれ違う人にも快活に挨拶を交わしていく。
挨拶をするたびに、彼の声が笑顔を咲かせているような錯覚。ランランと弾む声は、スキップをする代わりなのかもしれない。たくさんの花を持つ手が不安定になってはいけないから、きっと代わりに声が弾むのだ。
「おはようございます!」
「おーおはよー。なんか元気いいな」
「いつものことですよ、
「そういや、そうだな」
眠そうに目を擦り、隠そうともせず大きなあくびをするのは私の同期だった。
「眠そうねぇ」
「お前が眠くないのが俺には理解出来ん」
「どうせ昨日も遅くまで飲んでたんじゃないの? 朝早いのに」
「せいかーい。だいせいかーい」
そうしてまた、あくびを一つ。悪びれもしないのんびりとした態度に、私は眉を曲げて文句の一つでも付けようと口を開いたが、制するように先手を取られる。
「部長に怒られるから、顔洗ってくるわ」
桐山はヒラヒラと手を振りながら、やはりのんびりとした足取りで去っていった。
「この時間眠いのは分かるけど……桐山がメインで動くのは式の間だし」
「桐山さんは、何をしているんですか?」
「基本的にはカウンターでバーテンダーしてる。ここ、お酒は網羅してるから、結構大変なのよ」
「桐山さんはお酒がお好きなんですね」
「好きと言うか、本当はお酒に溺れるのが好きって言う方が正しいんだろうけどねぇ」
お酒の席で彼が毎度のごとく酔い潰れているのを見ると、そう思わざるを得ない。お酒が好きで、それに浸っているのが好きな人。そして美味しくて飲みやすいものを人に勧めたがる、常に一緒に溺れる同志を求める人。
「花男くんは朝強いけど、なんか秘訣でもあるの?」
「花屋は仕入れが早いから、この時間はそんなに早くないですよ」
確かさっき見たとき七時だったはずだから、今はそれを少し過ぎたところのはず。
「そっか、市場は早いもんね」
「花も生鮮食品みたいなものですからね」
あー、と何か言いにくそうに少し唸る。
「あと……日が落ちるとすぐに眠くなるので」
「だから朝起きれるのね」
「僕の性質上ですから」
「性質上なのね」
「子どもだからとかじゃないですから!」
やけに語気を強くして否定する。誰かに何か言われたのだろうか。
そうして雑談をすれば、すぐに目的の場所に着く。
豪奢な扉を開いたその先には、いつもの様子からすれば何かが物足りない。この場所を彩る、彼女たちが。
では、ユリの花をあるべきところに飾っていこうか。
ここは小さな結婚式場。
ヴァージンロードに沿って椅子の脇に、そして真ん中の祭壇の上に。ユリの花を順番に飾っていけば、殺風景な式場は一気に華やいで、花婿と花嫁を迎える準備が整っていく。
カラフルなステンドグラスの下、真っ白なユリ。
純白で清純を形にした花は、このチャペルによく映える。
あとここに足りないのは、幸せな二人だけらしい。それも、数時間後には叶うことになるのだが。
私は真ん中を通る道を歩きながら、確認するように花を見ていく。彼はそばにしゃがみ、席に添えた花を整えていた。
漂うユリの香りに、私は思い出したように彼に質問を投げ掛ける。
「ねぇ、花男くん」
「はい?」
「ユリの香りが苦手なお客さんがたまにいるのね? 場合によっては他の花を飾ったりもしたいんだけど、なんか良い案ない?」
「あー香りキツいですもんね。そうだなぁ……」
手を止めて「んー」と唸りながら、頭をくいっと傾げて悩む彼。彼の頭から、花と葉の擦れ合う音が微かにした。
「そうですねぇ……どうせなら、披露宴会場と似たような感じにするのも味気無いですし……」
「今すぐにじゃなくて良いの。何か思い付いたら教えて」
「はい、考えておきますね」
彼は整えていた花に満足したように立ち上がり、式場を見渡す。
「出来ました」
「じゃあ披露宴会場もサクッと終わらせようか」
「はい!」
気勢の良い返事。一度車に戻り、今度はオレンジを基調とした花を下ろしていく。
披露宴会場に着けばまだ他の準備は途中で、それぞれがそれぞれの役割通り、いそいそと動き回っていた。その中の一人に、彼は声を掛けた。
「ミキさん、おはようございます」
「やっほー花男くん! ちょーっと待っててね今テーブルクロス変えるし」
ミキ先輩は、かなり長い間彼と装花作業をするポジションに就いていたらしい。その後任を今年度から引き継いだのが私だった。
テーブルのセッティングをしていたミキ先輩は、手にテーブルクロスを持っている。その端を持つように促され、一旦花を置き、バサリと広げて整える。淡い黄色のクロスは、目に優しいたんぽぽ色。
「ここからやっていってくれる?」
先輩が花男くんにそういえば、ハリのある返事をしてテーブルの装花をしていく。
白い浅めのフラワーベースには、ガーベラ・カーネーション・バラ・アイビーなどが咲いている。上から見下ろすようにして花をいじる姿は、彼の頭からベースに花がこぼれたようにも見えた。彼との違いはアイビーがあるかないか、というところ。
そういえば、こんな噂を聞いたことがある。
“彼らの種族が触った花は、長く長く咲き続ける”
彼が花の触れることで一体何が起こるというのだろうか。しかし噂が本当かどうかを別にしても、彼の様子を見ていればそう言われるのも当然かもしれない。我が子を包み込むように優しく触れる指先は、あまりに繊細で慈愛に満ちているのだから。
テーブルに、入り口に、階段に。
高砂席には一際キレイな花を、二人に寄り添い、しめやかに彩るように。
そうしていけば部屋は段々と華やかになり、微かな花の匂いに満たされていく。照明も一段明るくなったような気さえした。
「ブーケも搬入しますね」
一度車に戻り、先程より一層細心の注意を払って持ってきたのは、オレンジのガーベラをメインにしたブーケ。
オレンジのガーベラが多いのは、新婦の希望によるものだ。オレンジ色が好き、可愛らしいガーベラがすごく好き。その要望に沿って、彼と彼の店長が仕上げていく。
淡い黄色のクロスも、この花たちが映えるようにと選んだらしい。
「どうですか?」
持ってきたのは、全体的に丸みを帯びた涙型のティアドロップブーケ。小ぶりな花がたくさん咲いて、華やかで可愛らしい印象だった。
「わあ、キレイ……!」
「良かった。店長もこれはよく出来たって言ってくれたから」
はにかむように笑い、弾む足取りで彼は踵を返す。
「では、いつもの場所に置いておきます」
そうして彼は、自分の分身のようなブーケを、奥の部屋へと持っていく。
いつもの場所とは、花嫁が準備をする部屋のこと。新郎新婦はここへ来るとまずその部屋に行き、ブーケを目にすることとなる。
これから始まる式を予感させる、心踊らせるブーケ。それは、式の主役を誰よりも先に祝う役割をこなすのだ。
そうして、ブートニアやフラワーシャワーの花などの物も下ろしていき、一度披露宴会場に戻りぐるりと会場を見渡した。
「これで搬入するものは揃ったかな」
書類と照らし合わせながら、伸びをしつつ私は言う。
「明るくて素敵な式になるんでしょうね」
「始まるのが本当に楽しみね」
「見れないのが残念です」
そう言う彼の声はトーンが落ちていて、本当に残念に思っているのがよく分かる。花を下ろしてしまえば彼の仕事はそれで終わり。本番に同席することは、ほとんどない。
「……結婚式って、行ったこと無いんですよね」
「え? この仕事してるのに?」
驚いて隣を見れば、おもむろに襟を触りながら彼は言う。
「機会が無くて」
苦笑いをして、一人言のように呟いた。
「明日の模擬挙式くればいいじゃん」
「ミキ先輩!」
突然会話に割って入った声に振り向けば、ミキ先輩が背後から覗き込むようにして立っていた。手には大量のフォークを持っていて、仕事の真っ最中であることが窺える。
「模擬……挙式?」
「そう。年に何回かやってるんだけど、おいでよ! 明日は私が新婦役だし」
「いいんですか?」
「いいでしょ。午前中だけど、配達ある? 最悪、日向さんに言えばどうにかなるよね?」
「なる、とは思いますが……」
急な誘いに戸惑いつつ彼が言い澱んでいると、先輩は一度微笑んでから、キョロキョロと誰かを探す。
「橘ぶちょー! 良いですよね?」
どこかへ行こうとしていたところ引き止められる、長身でかっちりとした印象の橘部長。厳格な表情で、ミキ先輩の手に持つフォークを薄目でねめつける。
「……何が」
「明日の模擬、花男くんいても。スタッフ側として置いとくんで!」
眉を潜め、不可解な感情を露にし、私たち三人を見渡して、ため息を一つ。
「担当お前だろ。勝手にしろ」
吐き捨てるようにそう言えば、用は済んだというようにそそくさと業務に戻り、その場を去る。
「じゃあ、そゆことで」
決定事項、変更不可、とでも言うように先輩は言いきるが、私と彼は納得しきっていない。
「い、いいんですか?」
「いいんだってー。部長ああ言ってるし」
快諾、という雰囲気では無かったんだけど……。
「いいのいいの。部長っていつもあんな感じだし、問題ない」
問題ない。
なんとか、だし。
そうやってなんでもかんでも適当に済ます先輩なので、本当にいいのかはいつも見当が付かない。
「まー責任者も私だし大丈夫よ」
しかしながら頼れる笑顔でそう言われたら、お言葉に甘えてみようかな、なんてことも思ってしまうわけで。
「お願いしますよ?」
「もちろんよ! じゃ、私あと続きするし。いろはは詳細を花男くんに伝えといて」
そして持ち場に戻り、手際良くテーブルの上にフォークをセットしていく先輩。しっかりしてるし、頼りになるけど……かなり適当な人。
「いいんですかね、橘さん」
不安そうに、彼は聞く。
部長の、反応が悪い理由。――それは部長自身の性格や、半分部外者のような人を呼ぶからということだけではないと、私は気付いている。
「……ま、ミキ先輩もああ言ってるんだし、大丈夫じゃないかな」
近くにいるミキ先輩を見て、遠くで部下に指示を出す橘部長を見て、私は僅かに眉を八の字に曲げる。
「……多分」
苦笑いをすれば、彼もつられるように苦笑い。
確認も終わり、彼は車へと戻る。私は明日の予定を確認してから、彼を見送りに駐車場へと向かった。
「明日の日曜日、十一時から始まるから早めに来といて。スタッフの一人としてって言ってたし、服装はいつもの通りでいいよ」
「はい。十一時からですね、分かりました!」
「また明日」
「はい、また明日!」
そうして彼は車を出して、自分の店へと帰っていく。
彼の見れない式が、数時間後に始まる。それなら、彼の分までしっかり見ておこうかな、なんてことを思いながら私は準備の続きをしに会場へ戻った。
天気はとても良く、これなら普通の式が出来たら良かったのに、なんてことを思いながら窓から見える空を仰ぐ。
今日は式の予定を入れないで、模擬挙式をする日。元々、ゲストハウス形式の披露宴会場なので、一日に多くても二回ほどしか式が出来ない。
年に数回の、いつもより規模の大きいウェディング説明会には、何組ものカップルが既に来て、チャペルの本来ならば列席者が座る席にいた。
十一時の少し前に来た彼は、少々不審な挙動で式場に入ってくる。いつも通りの格好で、いつも通りではない動き。座っているカップルたちが振り返るのは、そんな彼の挙動ではなく、珍しい“花の人”がいるからなのだろうけれど。
「なんか、緊張しちゃって」
仕事以外の用事でここに来るのは初めてで、人がこうして入っているのを見るのも初めてらしい。
「日向さんは何か言ってた?」
「いい機会だから行ってきな、ってすんなりと送り出してくれました」
日向さんらしいな、と私は頬が弛んだ。
とはいえ普段の仕事では彼がいつも来るので、実はまだ日向さんと会ったことはない。電話で話すことはあるが、用件以外のことは話さないので詳しくどんな人なのか知らない。けれど声音や話から、なんとなく彼のように陽気でそんなことを言いそうなイメージだった。
彼は私と同じく式場の壁際に立ち、挙式が始まるのを待つ。
パイプオルガンの荘厳な音を合図に、その場にいる人は口を閉ざす。
式が始まるのだ。
重い扉がゆっくりと開かれれば、日の光と共に現れる一人の純白を纏った女性。一歩、二歩、と歩みを進める。
私の隣では、ほうと感嘆のため息を漏らす彼。手を胸の前で合わせて見とれていた。
「キレイですね……!」
通り過ぎる先輩には、昨日多めに入れておいたオレンジのガーベラが横顔を彩っている。
ふと、思い出したのは昨日の式のこと。彼の言った通り、明るく笑顔に包まれた式だった。その余韻を残す、一輪の花。
「なぜ担当のミキさんが、新婦役を?」
どうやら、ずっと気になっていたらしい疑問を彼は口にする。
「あみだくじよ。公平にね」
「……適当なんですね」
「適当な割には適役でしょ? ミキ先輩って、スタイル良いし似合うのよね」
小声はカメラのシャッター音に隠れて響かない。パシャパシャとフラッシュが瞬くたび、ミキ先輩の纏う白は際立だって、美しさを顕にする。
カップルたちはミキさんと道の半ばに居心地悪そうに立つ桐山の姿を写真に収めながら、自分の姿と愛する人を重ね合わせているのだろうか。
「相手は桐山さんなんですね」
「そう、それもあみだくじ。けど桐山、背が低いからなぁ。先輩と身長が逆ならもっと良かったのに」
「しかもミキさん、ヒールも履いてますよね」
「あえてかなり高いのを選んで履いてたわ」
「ミキさんらしい」
彼は声を殺して、楽しげに笑う。
「……けど桐山さん、僕より高いですよね」
「え?」
隣を見て私の身長と比べると、彼の方が十センチほど高いようだ。下を見ても足元は踵のないスニーカー。だから大体一七〇センチかそれより少しあるくらいだと思うのだけれど。
「花男くんの方が高くない……?」
とはいえ、彼の身長はどこまでなのだろう? 数日ごとに花を入れ替えるし、もしかして茎の長さによって身長は変わるのだろうか……?
「桐山さんの方が何センチか高いですよ。いいなぁ結婚式……」
羨むように、式の様子をうっとりと見守る。一歩を大事に踏みしめるように歩き、母親役の上司がベールを下ろし、父親役の上司と腕を組む。ゆっくりと歩いて、真ん中まで来ると桐山へ腕を組み直す。途中、目元をハンカチで拭くような演技をするところは、さすがというところだろうか。
その最中、パイプオルガンの音をバックにナレーターはヴァージンロードの意味を説明していた。
ヴァージンロードとは、人の人生を模している。扉を開き、一歩目は誕生を。歩を進めるごとに年を経て、ベールダウンの儀式は、最後の支度を母親が整え、子育てが終わったことを表している。父親との歩みは、これまでの思い出を想起し感謝をするところ。そして、花婿と出会い父は役目を男に託す。そこから先は、未来へと進む道なのだ、と。
「結婚式って行く機会無いんですよね。親戚も友達もほとんどいないし……」
その呟きに、一つの疑問が浮かぶ。彼の種族は世界的に少ないと聞くが、そういえば彼自身からも家族の話を聞いたことはない。もしかして――
「家族、いないの……?」
「あ、血の繋がった家族はいませんが、死んだとか悲しい話ではないのでそんな顔しないでください!元々僕はそういう種族じゃないんです。今は日本にも二人しかいないし」
「“花の人”はみんなそうなの?」
大きく首肯して、肯定を示す。
彼は一般的には“花の人”と呼ばれる種族だ。元来、日本には存在せず、故にうまく和訳出来ないためにこんな呼ばれ方をしていると聞いたことがある。
“花の人”
……まんまだ。
「あまり外を歩けないから、友達もそんなにいなくって」
なんとなく声音以上にしょげている気がしてじっくりと彼を観察する。手は手遊びのように襟に触れていた。
こんなとき、顔があったらもっと何を考えているか分かるのに、と思わない訳ではないけれど、きっと彼の雰囲気から感じ取れるままで合っているはず。
「私は……友達ではない?」
「――!? 友達に、なってくれるんですか?」
「もちろん!」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「……だから、もしも結婚式をしたときは呼ぶわ」
「嬉しいです!」
結婚の予定も、そもそも彼氏さえもいないのに、そんなことを約束する。だって、こんなに結婚式に似合う人が、式に行く機会が無いなんて勿体ない。
式は順当に進み、誓いを立てて、指輪の交換を執り行う。もちろん、誓いのキスは唇の触れない形だけの物。
この模擬挙式を存分に楽しんでやろうという意志の見えるミキ先輩と、照れた顔を苦々しげな表情の裏に隠す桐山は対称的で少し笑えた。
そうして、退場する。
私たちは来ていたお客さんの手に、花びらを渡していく。みんな期待に胸を膨らませているようで、今の感想や自分たちの式ではこうしたいなど二人で楽しそうに話していた。
フラワーシャワーの最後の列に、今日は私たちも混ざることになる。
扉が開き、新郎新婦の登場。二人へ向ける声と共に、投げられる花びらが祝福をする。
前を通る二人に、手に持つたくさんの花びらを下から上へとバラ撒けば、ハラリハラリと舞い落ちる花吹雪。
「おめでとうございます!」
本当に祝うように、花を届けた。
これで模擬挙式は一通り終わり。先輩はすぐさま着替え責任者としての顔に戻り、未来の花婿花嫁に今のことを踏まえて説明をすることだろう。お客さんは、説明のために館内に誘導する。
私は後片付けがあるのでその場に残り、箒とちり取りを持った。
彼には帰っていいと伝えたが、「後片付けまで手伝います」と言ってくれたのでまだそばにいるのだが……。
あまり、良くない場面を見せている気がする。
この花びらは、フラワーシャワーの役割を終えれば、箒で掃かれて捨てられる。自分の頭に花を湛える彼にとって、この行為はどう映るのだろうか。
「……あんまり、いい気はしないよね」
居たたまれなくなって、思わず彼にそう言っていた。だって、まだキレイな花びらなのに、枯れてもいないのに、捨てないといけないなんて。
少しだけ驚いたような間と、考える間が挟まって、彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そんなことは、無いですよ?」
予想外に、いつもと変わらない明るい口調で言われて、戸惑った。台詞の上だけではないのかと少し疑いもしたが、それは続く言葉で打ち消される。
「一瞬でも、誰かのそばで役に立てたなら、愛でていただけたなら、僕はそれでいいのだと思います。愛でられて、彩って、もしも人の記憶に残ることが出来たなら、それは素晴らしいことだと思うんです」
一瞬の輝きさえあれば。そんな刹那主義のような言葉に、私は胸が少しばかり痛くなる。
儚い生き方で、
多くを求めない人。
――それは、道に佇む花にも似ている。
「そんなもの、なのかな」
「はい、そうですよ」
気にしないで、とでも言うように笑いながら、彼も花びらを掃いていく。かたや頭を彩る花、かたや捨てられていく花。そんな二つを見て複雑だと思うのは、私の考えすぎなのだろうか。
式場をあらかた片付けて、私は彼を駐車場まで送る。
視界に入る彼の花。使っている花が同じなので、先輩が持っていたブーケを想起させた。その周りには、深くて広い首元を隠す白い襟。その姿に、どこか物足りなさを感じるのはなぜだろう?
車の扉を開けようとする彼の後ろ姿に、私は気付けば手を伸ばしていた。
「ひ!」
「あ、ごめん」
「や、止め……」
やっぱり突然は良くなかったか。
一歩、二歩と距離を取り、襟を持ち上げるようにして、頭を隠そうとする。
過剰な反応に、私も驚きが伝染った。ゆっくりと、彼の身体は遠退こうとしている……が。
たじろぐ彼には申し訳ないが、ますますブーケみたいだなぁなんて、暢気なことを考えてしまう。
「なんか、悪いことしたみたいでごめん。嫌ならいいよ」
「嫌、というかなんというか……まじまじと近くで見られるのは、ちょっと」
口調は柔らかくも、拒絶の色は濃い。益々悪いことしたなぁと反省するも、比例するように好奇心が湧いてしまうのは私の悪い癖だ。
「……何かあるの?」
「……何にもないですから」
意地悪をするように手を伸ばせば、身体を固くして合図があれば今にも逃げ出しそうなほど。洒落にならないくらいに、私の手を怖がる彼。
「お願いですから、それだけは、止めてください……!」
一言一言に力を込めて、あまりに悲痛に言うものだから、好奇心はどろりと罪悪感に塗り替えられる。
もしかして、花と人の境目を見られるのが嫌なのだろうか? どうなっているのか気にならないといえば嘘になるが、こんなに嫌がるのなら無理してまで見ようとは思わない。
「ごめん、ね?」
「いえ……すいません、こちらも無駄に取り乱してしまって」
「こちらこそ、ちょっと調子に乗ってごめん」
ぅう、と唸り、
そしておもむろに頭に手をやり何をするのかと思えば、プツリとガーベラの茎を指で折った。
「え!?」
「これで勘弁して下さい!」
目の前に差し出されたのは、オレンジ色のガーベラ。そんなことをするのを見たのは始めてで、あまりに衝撃的だった。
頭からちぎって大丈夫なのか、それは人間でいう髪を抜くようなことと同じなのだろうかと、色々なことが頭をよぎり、ガーベラと彼の頭を交互に見比べる。たくさんの花の中には、主人を無くしたガーベラの茎が一本。
唖然とする私の前で、彼は膝を曲げ、私の頭に軽く触れた。
「え……これ!」
「あなたも、ね?」
耳の少し上辺り。確認するように触れば、器用に髪にガーベラが挟まれているようだった。
「ね、って何が!」
「お詫びにあげます」
「大丈夫なの!?」
「一本くらいなんてことないですよ。ミキさんとお揃いですね」
「待って」
行こうとする彼を制止するも待ってはくれず、足早にその場から逃げるように車へと乗り込んだ。
窓を開けて手を振り「今日はありがとうございました」と告げる。エンジンを掛けたので少し下がると、クラクションを一度鳴らして車は発進した。
「……いいのー?」
小さくなりつつあるワゴン車を見送る。後ろに書かれた《フラワーショップ日向》の文字も小さくなっていった。
「あれー? 花男くん帰っちゃった?」
イベントが終わり、廊下で出会ったミキ先輩。
「はい、終わったらすぐ帰っちゃいました。何か花男くんに用事でも?」
「ちょっと感想を聞いてみたかっただけ。で、いろは。その頭はどうしたの? 私とお揃い?」
「花男くんとちょっとあってお詫びにってくれたんです。実際悪いことをしたのは私だったと思うのですが……頭の花をプツっと折ってくれました」
「へぇー彼キザなことすんのねー」
先輩は彼と同じように、頭の花に優しく触れた。そして、さらりと一度、髪を梳く。
「いいじゃん。いろはに似合ってる」
「先輩も今日はキレイでしたよ?」
「褒めても何も出ないよ?」
そうしてしばし話していると、橘部長が通りがかった。眉間には皺が寄り、醸し出すオーラで言いたいことは大体分かる。目付きが妙に悪いのも、元々の目付きによるものだけではないのだろう。
「……お前ら仕事しろ」
「はーい!」と私は先輩とハモって返事をする。
それでも立ち去らない部長。薄目に私たちの頭を見て、更に眉間に皺が寄るのを感じて、背筋が急速に冷えていくのが分かった。何か言われるかとヒヤヒヤしていたが、そのまま何も言わず通り過ぎて言った。
「怒られるかと思いました……」
「怒られたでしょ」
「いや、この花に。浮かれすぎと思われたかな……とか、仕事中に何やってんだ、とか」
ああ、と納得しつつ、何がおかしいのかにわかに口元を綻ばせて言葉を続ける。
「あんたどんだけ部長恐がってんのよ。部長も形振り構わず怒るような鬼では無いって」
足を先程までお客さんがいた説明会会場に向け、歩き出す。確か余った資料がまだ残っていたはずだったから、それの片付けを先輩としよう。
「まーこんな職場だし、今日はもうお客様もいないし、咎める必要はないと部長の中で完結したんじゃない?」
「それならいいんですけど」
それでも、あの目付きは恐くてあまり目を合わせたくないというのが本音だった。
「ところでいろは、早く終わるしご飯でも行かない?」
「……? 褒めても何も出ないって言ったじゃないですか」
「もう奢らないわよ」
「すいませんって! 先輩ほんとにキレイでした私先輩と結婚したいって思いました!」
「調子いいわねー」
クスクス、とミキ先輩は口元を隠して笑った。
先輩との夜ご飯。駅前に出来たお洒落なレストランでパスタを食べたい、とのことだった。先輩はトマトソースパスタを、私は和風カルボナーラを食べている。
「もうすぐバレンタインが近いじゃない?」
「ですねぇ。えっと、二週間後くらい?」
そのこともあって、レストランはそれを意識した内装になっていた。式場も二月からはバレンタインを意識した挙式が増える。デザートも、チョコレート類の強化を図ると聞いていた。
「やっぱりうちってイベントごとに敏感な職場でしょ?」
「毎回何かしらやってますもんね」
「それで、毎年皆からお金集めて男性社員と取引先とかお世話になってる営業さんとかに渡すんだけど」
「はい」
「いろは、今週の水曜日休みよね?」
なんとなく、ここらへんで話は読めてくる。
「買いに行ってくれない?」
「いいですけど……」
この料理は、それを頼むための賄賂ということか。
しかしながら、まだ今年度に入ったばかりの下っぱだし、異論はない。そのくらいならば、そこまで面倒なことでも無いし。
「けど、私皆の好みとか知りませんよ?」
「それは大丈夫。大体こんなもの買って欲しいとかは、メモにして渡すから」
依頼が成功して、安心したように先輩はパスタを口に運ぶ。
「バレンタインか……」
脳裏に映るのは、花頭の彼。
「何? 本命でも渡すの?」
「渡しませんよ」
「甘いもの好きの彼が悲しむわよ」
「彼氏いないこと先輩知ってるじゃないですか」
「好きな人とかは?」
「いませんって!」
楽しそうにおちょくる先輩に、私は膨れて言葉を返す。
「何をそんな難しそうなこと考えてるのよ? まさかお父さんに渡すチョコレートに悩んでるとか言うんじゃないでしょうね」
「そんなわけ無いでしょう」
「渡さないの?」
「渡しますけど!」
だからさっき話を聞いたときに、ついでに父親のバレンタインチョコも買っておこうと思っていたのだけれど、話はそこじゃない。
私は観念して、ため息を吐く。
「取引先ってことは、お花屋さんにも渡すんですよね?」
「渡すわよー、日向さんの分だけどね。彼食べないし」
「……花男くんって、やっぱり物食べれないんですね」
「水と肥料は飲むって聞いたことあるけど、遠回しに言わなくても。花男くんにも何か渡したいならそう言おう?」
「そうしたいな、と思うんですけど……」
水と肥料。体に取り込む物は、花と同じということか。しかし美味しい水や肥料をあげるのもなんだかおかしな話だし、食べ物はあげられない。
「本命?」
「だから違いますってば!」
朝のことを思い出す。親戚や友達が少ないから、結婚式に行くことが少ないと言う姿。どこか寂しげに見えたのは、気のせいではないだろう。
「友達、ですし」
あの様子だと、バレンタインなんて行事もほとんど無関係に過ごしているように思う。
どうやら“花の人”たちは、触れることの出来る世界が、狭いようだから。
少しだけ、何かしたいと思うのは私のエゴに過ぎないかもしれないけれど。友達になったことを喜んでいる彼が、とてもとても嬉しそうだったから、という理由も添えておきたい。
「あげるにしても、あんまり部長が見てるところでは渡しにくいかもねー。ちょっと花男くんに対して当たりがキツいところがあるし。そもそも彼が働いていること自体、部長はあまり良く思ってないみたいだから」
「やっぱりそうなんですか。直接聞いたわけではないですが、そんな感じはします」
“花の人”だから。
表情が見えないから。
見た目でお客さんが構えるから。
思い付く理由なんて際限なくて、仕方ないのかもしれないと諦めたくなってしまうほどだった。私とミキ先輩はもう慣れているが、社員の中には彼を苦手に思っている人も少なからずいるのだし。
「彼が普通の人だったら、そんなことはないと思うんだけどなー。性格良いし」
「そうなんですよね。性格良いし明るいし仕事もきっちりする、本当に良い子なんですけど」
二人で話しながらパスタを食べ終わり、デザートも食べて、店を出る。
「晩ご飯、ご馳走さまでした」
「いいえー。こちらこそ付き合ってくれてありがと。ここ、雰囲気はいいけど料理は普通だったなぁ」
会計を済ませた先輩が財布を仕舞いながら出てくる。
「今度、日向さんとこの近くのカフェ行ってみよう。前に日向さんにオススメされたんだけど、いけてなくて」
「行きます!」
そして電車で帰る先輩と別れる。
帰り道の議題は、もっぱら彼に何を渡すかということについて。
本命ではなくて、気兼ねなく貰ってくれるもので、高くないもの。
どうしようか、と思い浮かぶのは今日のブーケのような彼の頭。オレンジ色を基調とした花束の頭。あの頭に物足りなさを感じるのは、なぜなのか。
そうして考えていると、「そうだ」と一つの物に辿り着き、思い付いた名案に手を叩いた。
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