コトノハナ
2121
第0話
「言葉に葉があるのなら、花を咲かせることも出来るはず」
父親は花瓶の花を、花びらの一枚一枚をいとおしむように指先であやす。
「無数に生い茂り、大きく手を広げるような豊かな言葉。言の葉で恋に落ち、言の葉で愛を語ることもある。それを花が咲いたと称しても、差し支えはないだろう」
「……何恥ずかしいこと言ってんの」
ロマンチスト。
きっとロマンチスト病。
歯の浮くような台詞をペラペラと、さもそれが当然であることのように話す人だった。呆れを通り越して、ため息さえも出ない。
少年はただ、居心地悪そうに目を反らすだけ。
この遺伝子が自身にも根付いているはずだから、下手なことを言えないということもあるにはある。
「目は口ほどに物を言う、とかも言うじゃん」
「めは口ほどに物を言う?」
あれ? と違和感のある物言いに、少年は首を傾げる。
「そのめって、目? 芽?」
目を指差し、両手で双葉のジェスチャーをしながら聞いてみるも、男はふふ、と微笑むだけで返事はない。少年はどっちだよ、と心の中で毒突いた。
「めは口ほどに物を言う。つまり、めは葉よりも物を言う。ならば物をとはなんだろう?」
謎掛けのような問いを、少年は真面目に考える。男は小さな頭が眉間に皺を寄せているのを微笑ましく見ていたが、少年はしばらくすると思考を止めて「分からん」と素直に答えた。
答えのない、答えを求めてもいない問いなのだから、分かるはずも無いのだけれど。
「花の人を知ってるかい?」
唐突な質問に「知らない」と首を振れば、男は一冊の本をテーブルに置いた。古い本らしく、日に焼けて埃の臭いもしていたが、大切にされているであろうことは一目で窺えた。その表紙を、男は先程花に触れていたときと同じ手付きで優しく撫でる。
「花という、本来物を語らない者が、人の心を持って、歩き、考え、言葉を話すらしい。時には恋に落ちることもあるのだろうね」
少年は想像する。花の人という存在を。妖精のような、可愛らしい子なのだろうか。ファンタジーに出てくるような、歌う花みたいなのだろうか。
目の前の分厚い本。
布貼りの硬い表紙の本。
ベルベットの、バラの花びらの手触りだった。
***
今でも、花束を差し出されたときのような、照れくささにはにかむような胸の高鳴りを覚えている。
「どうも! フラワーショップ
彼の姿に驚きこそすれ、ハキハキとした声も相まって第一印象はかなり良かったのだ。
「はじめまして。今日からあなたが担当ですね!」
黒のスラックス、カーキ色のエプロンを身に付けて、白いシャツに立てた襟。手足の長い細身の姿。首の代わりに溢れんばかりの花を携えて、まるでブーケに手足が生えて歩いているようだと思った。
世界的にも珍しい花の男。
目を、奪われた。
「……キレイ」
心の底から湧いた感想は、頭で認識する前に息と共に吐き出されていた。耳から入った自分の声は自らの胸をもっと湧かせ、『すごく』『可憐で』『明るくて』と様々な言葉が始めの感想に追加されていく。
「ありがとうございます!」
「初めて見た」
「はい、よく言われます。数も少ないですし、この辺には中々いませんもんね!」
驚き目を見張る私に、彼はそう返答する。しかし続く言葉が見付からない。得体の知れない種族で、何より表情が見えないことに戸惑う私の両肩に、先輩はポンと手を置いた。
「大丈夫。彼、見た目はこんなだけど、いい人だから。花に関してはプロだし、花言葉とかよく知ってるし、頼りがいのある人よ。
肩の手が、そのままぐいと私を押し出す。一歩、彼と近付いて、緊張しながら深々と頭を下げた。
「あの、私、
用意したような自己紹介をする新人の私に、彼は優しく気遣ってくれる。
「いろはさんですね。そう堅くならないで下さい!」
そして、明るい声色で。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね!」
そう挨拶をして同じように頭を下げる様子は、同年代の元気な若者を思わせた。
花が風に揺れる。
心沸き立つ春。暖かな陽気が肌に心地良い日のことだった。
***
「お前、何やってんの」
古い建造物の建ち並ぶ、異国の街。
入り組んだ路地、その先に広がる背の高い花畑の中。男は少年の襟首を掴み、小さな背に問い掛ける。
「……」
「答えないなら、俺の勝手にするけど」
届いた声にびくりと肩を震わせて、勢いよく振り向く少年。花びらが、それに合わせて一枚落ちる。焦ったように男の手を振りほどこうと、ぐっと何度も引っ張るが手は弛まない。
「……止めて!」
悲鳴のような声を上げるが、男に聞き入れる様子はない。
「僕を、とらないで!」
「とらないから黙ってくれ」
「嘘だ! 止めて!」
「俺はお前を助ける気でいるんだが」
尚も抵抗する少年に、男は面倒くさそうに息を吐く。少年の力は男の力に到底及ばないらしく、引っ張っても叩いても爪を立てても動じない手に、苦戦を強いられた。
「帰らなきゃいけないの!」
「お前はこの国にいたら、その内死ぬぞ」
「家に帰るの! 止めて! 止めてよ!!」
男の言葉など耳に入らず、もはや涙混じりの叫び声を上げて否を伝える。男はゆっくりと、空いた手を拳に固めた。
「悪いが勝手にするからな」
ぐ、と嗚咽が漏れたかと思うと、少年は腹を押さえそのまま足が砕ける。男は脇を抱え、倒れそうになる身体を支えると、小声で謝った。
「手荒な方法を取るけど、絶対に悪いようにはしないから」
「帰らな、きゃ……」
手を伸ばす少年。その手の先に何を見ているかなど、少年と初めて会った男には知る由も無かった。
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