月天楼
私が必死になって走った距離は、どうやらかなりのものだったようだ。
既に数分は中鬼の腕の中にいるのにまだまだ道もない森の中である。
この間会話らしい会話もなく、変わり映えもしない景色にかなり気まずい時間が流れていた。
何か話しかけるべきかと目を泳がせていると、ようやく視線の先の木々が途切れ、先程気が付いた石畳の道に出る。
私がここにきて初めて歩いた道を今度は中鬼の腕に乗って通り過ぎ、そしていよいよあの鳥居の階段下まで帰って来た。
「この鳥居は白明様の結界が張ってある。鳥居の中と外を隔て、中に入ろうとする者の情報が白明様に伝わり、許可なく外に出ようとする者は阻まれる」
階段に足をかけた中鬼が私に語って聞かせるように鳥居のことを教えてくれた。
それを聞いてついさっきみた事について納得したのと同時にいくつかの疑問も湧いてくる。
「普通は許可なく中に入ろうとするのを防ぐ物なんじゃないんですか?それに私は一歩だけ中に入りましたけど外に出れましたし」
「この街が行き場を失ったり、何処からか逃げ出して来たりした妖怪達を受け入れるためにある街だからだ。来るものは拒まないが、弱い者が連れ去られる事を防ぐためにこのようになっている」
そういう事なら確かに納得できる。
駆け込みに来たのに阻まれてしまったら許可を待っている間に捕まってしまうかもしれないし、簡単に外に出られたらせっかく逃げ込んでも意味がなくなってしまう。
けれどそれだとやっぱり危ない人–––妖怪が簡単に入り込めてしまうのではないだろうか。
連れ去る事は防げてもこの鳥居の中でならなんだってできるのだから。
「それでは外からの害を防げないのではないか、と考えているのだろうな」
中鬼は私のそんな考えを見透かしたようにそう言った。
「まだわからないだろうが、白明様に会えばわかるだろう。まともな者ならあの方と正面から敵対するような真似はしない。それと君が結界の外に出られたのは君が小夜だからだ」
「私だから?」
中鬼の話を聞くと一つ疑問が消えるとまた一つ疑問が増えていくようだ。
私の疑問に答える前に中鬼は階段を登り終えていて、いよいよ目の前には話題の鳥居があった。
鳥居の先には先ほど見たのと同じように祭りが行われている通りだ。
そこを行き交う妖怪達は私達に気づいた様子はない。
しかし私は知っている。
この鳥居に一歩でも踏み入った瞬間にこの全ての妖怪の目が私に向かうのだと。
つい先ほどの身の毛が弥立つような感覚が思い出され、無意識に中鬼の服を掴む手に力がこもる。
そんな私の不安を感じ取ったのか、中鬼は背中側に回している手でぽんぽんと私の肩を叩いた。
「私がそばにいるのだから心配をする必要はない」
そう言うと中鬼は特に気負った様子もなく鳥居の中に足を踏み入れる。
するとやはりその瞬間にその場にいた全ての妖怪の視線が私達へと集まった。
遠くで流れていた祭囃子も止まり、まるで時間が止まったかのような光景に全身が硬直して冷や汗が溢れる。
「散れ」
しかしそんな私とは正反対に視線を向けられた中鬼が不快そうにそう言うと、その声が聞こえた妖怪達はあわあわとその場から逃げ去っていった。
その姿はまさしく蜘蛛の子を散らすようであり、中鬼とその他の妖怪達との力の差がはっきりと伝わってくる。
「安心していい。奴ら風情が小夜に手出しをする様な事があれば白明様の怒りを買う。興味本位で近寄ってくる事はあるだろうが指一本とて触れるものはいないだろう」
と言う事はもしかしたら最初にここを訪れた時、逃げ出さなくても襲われる事はなかったのかもしれない。
けれどあの状況で逃げ出さない人はきっといないと思う。
それよりも先程から話を聞く限り白明様という妖怪は随分と恐れられている様だ。
これからその人のところに連れて行かれるのだけれどはたして大丈夫なのだろうか。
「その、白明様って怖い人なんですか?」
周囲から妖怪たちがいなくなり、鳥居の先にある道を進むといかにも神社らしい社の姿が見えた。
社を見ながら私を運ぶ中鬼に問いかけると、困った様な表情を浮かべた。
「ふむ、そうだな。立場を変えてみればとても恐ろしいお方ではあるだろう。だが私の言葉よりも実際に会って話し、君自身に感じて欲しい」
その声は悩みを含みつつ、何処か温かみがあり、中鬼が白明という妖怪をどう思っているのかが感じられる様だった。
「さて、もう少しで月天楼だ」
そう言って中鬼は正面に見えていた社の前で立ち止まる。
それは田舎によくあるさほど大きくもないようなこじんまりとした社だった。
正直に言って月天楼と言うにはあまりにも名前負けな建物だと思う。
「念のため言うがここは月天楼ではなく入り口の一つだ。月天楼はこの先にある」
「そ、そうなんですね」
失礼なことを考えていたのがバレてしまったようで声が震えてしまった。
それを気にする様子もなく中鬼は社の前で私を腕から下ろすと、社に向けて手を伸ばし、そしてその腕を横に振るった。
すると社の戸が振るわれた腕に合わせてパタンと音を立てて開く。
戸の先は明るく光る膜のようなものが張られていて先を見通す事はできない。
「さぁ、行こう」
「あっ、ちょっと!」
中鬼は再び私の戸惑いを無視して横抱きにし、躊躇う事なく光る膜を超えて社の中へと踏み入った。
ほんの少しの恐怖で目を閉じている間に戸を過ぎた私の目に、瞼を超えて眩い光が差し込んだ。
その明かりに目を細めながらゆっくりと瞼を開く。
「……す、すごい」
思わず私の口から漏れた語彙力のかけらもない心からの感嘆の言葉。
けれど言葉にしようとしてもこれを賞賛する言葉はそうそう簡単には見つからない。
渓流に架かる橋を超えた先に立ち並ぶ天を衝くほど高い岩山。
その岩山を支柱にするように山肌に沿って浮かぶ天空の巨大楼閣。
壮大な滝や川、巨大な池に楼閣の光がキラキラと反射して幻想的な光の景観だった。
小夜と鬼の宵街 @himagari
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