第十六章 夏を1つ、ホットで。

1

「まだ、まだあいつは帰らないのか!? 」

ガシャンッと音を立てて割れたガラスから、赤い液体が零れて床にシミをつくる。

「そう怒るな。ほら、手紙を預かってるから」

「なに!? だったら早く寄越せ! 」

この様子じゃ、手紙を渡さないともっと暴れてしまうだろう。

「本当にあいつからの手紙なんだろうな? 嘘を吐いたら承知しないぞ! 」

「本当に、紛うことなきイベリス・カレジからの手紙だよ。君が人間不信になってしまっているのは分かるが、全ては全部自分のせいで起こったことだということを、忘れてはいけないよ? だいたい君はいつも……」

「うるさいっ! おまえが……おまえが勝てると言ったから俺は……! おまえのせいで、またあいつらに俺の……! おまえが、復讐できると言ったからぁ! 」

「だが、それももう1年も前のこと。どうする? なら、今年も勝負を挑んでみるか? 」

そう提案してみたが、返事は返って来ない。

「また負けることを、恐れているのか? また、あの目に晒されることを」

「……っさい! そんなわけないだろう!? いいからさっさと手紙を寄越せ! 」

「はいはい」

投げて寄越すと、犬のようにして貪り取った。

封筒をびりびりに破いて、中に入っている紙だけを開けて読む。

そして、ぶるぶると震え出した。

言うまでもない、怒りで震えているのだ。

「なっ!? そんなことをしている暇はない! 」

イベリスからきた手紙の内容、それは今回頼んだ依頼を成功させるためには、もう少しの観察時間が必要であるということだった。

それと、候補に上がってる人が1人いるということ。

「落ち着けジャック。おまえが急ぐ気持ちも分かるが、この計画を必ず成功させるためには必要なことだと……」

「俺は騎士だ! このシャトリック王国騎士団にして、騎士団長! 偉い立場にいるはずだ! だったらもう少し、俺の言うことを聞いてくれてもいいはずだろう!? 」

「なら、おまえが騎士なら俺はなんだ? 」

憤るジャックにそう問いかけると、予想通り、ジャックは黙った。

そして、沈黙を破るように舌打ちをして言う。

「……シャトリック王国の、現国王様、です」

「よろしい。なら、これ以上の戯言は……」

「チッ! 」

大きな舌打ちに、聞こえなかったフリをして窓の外を見る。

ここ王室に用意された甘いお菓子もワインも、全てジャックの手によって台無しにされてしまっている。

その中でも唯一無事だったピンク色のマカロンを1つ手に取り頬張ると、サクサクした生地の中にほんのりとラズベリーの香りがした。

余りの美味しさに、ペロリと舌なめずりをする。

庭に咲いている血のように真っ赤な薔薇を一生懸命お世話する庭師を楽しげに眺めた後、この国の国王である男は、これまた楽しそうに目を細めてジャックを見た。

「この国は、もっともっと繁栄させなければいけない。隣のサリファナ王国なんぞ、目に入らないくらいにな。そのためには、どんなことでもするだろう? 」

「はっ! 俺はブレイブ・ダリアさえ見返すことができればどうでもいいね。あいつさえ、あいつさえいなければ……! 」

ジャックの血のように赤くなった目を見て、男の口角も自然と上がる。

「ご歓談中失礼いたしますローズ様、平民共が城の門を開けろと今日も……」

「かまわん。放っておけ」

「かしこまりました」

そう伝えにきた傭兵をものの数秒で追い返すと、ジャックはつまらなそうに欠伸をした。

またか、とでも言うように。

「ローズ様も冷酷だな。給料くらいもっと上げてやってもいいんじゃねぇか? 」

口では言いながらも、顔は笑っている。

次にローズが何を言うか分かった上で、言っているのだろう。

なら、その期待に応えよう。

「あいつらは所詮平民だ。平民は、国王様のために働く。それが当たり前なんだ。それなのに城の門まで来て争いなんてバカバカしい。醜い生き物だよ、全く」

新しいグラスにワインを注ぎ、小さく揺らす。

「もうすぐ、もうすぐだ……。もうすぐあの国は……」

世界は、シャトリック王国のもの。それ即ち、国王であるローズのもの。

人民はローズのために働き、尽くす。

その図を想像しただけで、身体が震えた。

「ま、ゆっくりとイベリスからの報告を待つとしよう。ジャック、君にもお酒を」

「ああ」

割れたグラスの破片をメイドに片付けさせて、もう1つ、新しいグラスを持ってこさせる。

赤色のそれを注ぎ込み、2人で乾杯をした。






「これで、終わりだあああああああああ!! 」

鋭い剣先がまっすぐブレイブに向かって襲いかかる。

ブレイブはそれに正面から当たった……ように見せかけて、難なくその木剣を自身の木剣で弾いた。

空高く飛んだ木剣は、少し先の茂みに落ちていく。

「なん、だと……? 」

「あの程度の剣さばき、なんてことない」

本当になんてことなさそうに伸びをするブレイブに、シードが悔しそうに唸る。

「ああ〜! あとちょっとで勝てそうだったのに! 」

「いや、そんなことないだろ」

「カルミア様は黙っててください! このままじゃ、次の授業で女の子達に格好悪いところを……」

「シード様、来週の剣技の授業、楽しみにしてますね! 」

「やめてメリアちゃん! そんな輝く瞳で僕を見ないでぇ! 」

シード曰く、次の剣技の授業に生徒同士で対戦をするらしいとのこと。

運動神経は良いが剣技がまるで得意ではないシードに、ブレイブが稽古をつけているのだ。

「動きは素早いが、勢いしかない。まるで考えてないな。もう少し頭を使え」

「ま、シードだからな」

「カルミア様、何か言いました? 」

シードの言葉に聞こえないフリをしてカルミアは手元の本に目を戻していた。

「あ、そうだ! 僕ヤナギ様の応援があれば頑張れるかも! 」

「私……? 」

そこで自分の名前が出てきたことは不思議だったが、シードが応援してほしいなら……。

「頑張ってください、シード様」

「わーい! 僕、頑張りますね〜……」

「無駄口を叩くな。ほら、もう1回やるから、木剣取ってこい」

「いや、犬じゃないんですからそんな言い方……」

言いながら木剣を取りに茂みに向かっていくシードと入れ替わるようにして、アイビーがやって来た。

「皆、競技場で何してるんだ? 」

「アイビー様。シード様の剣技を、ブレイブ様が見てたんです。アイビー様は、どこに行ってたんですか? 」

メリアが聞くと、アイビーは思い出したように「そうだった」と言ってカルミアの方を見た。

視線に気づいたカルミアが、本から顔を上げる。

「カルミア様、4ヶ月後のあれについて、お話が……」

「ああ、今年がそうだったか。分かった。悪いが少し席を外す」

「え、はい。分かりました」

アイビーと何処かへ行ってしまうカルミアをメリアと見送っていると、シードが木剣を持って戻ってきた。

「あれ? カルミア様は? 」

「あ、アイビー様と一緒に、何処か行っちゃいました」

「えー。僕の勇姿を見てて欲しかったのに……」

「じゃあその勇姿とやらを見せてもらおうか」

「わ、ブレイブ様まっ……」

シードを待たず、ブレイブはさっさと木剣を振り始める。

それに慌てて避けるシードを何となしに眺めていると、メリアがヤナギの顔を覗き込んできた。

「大丈夫? 風邪、まだ長引いてる? 」

「大丈夫よ。もう大分前に治ったから」

「そう。でも、何だか悲しそう」

「え……? 」

ガキンッと、剣と剣がぶつかり合う。

「何かあったら、言ってね? 」

「……ありがとう」

別に、特別な何かなんてない。

ただ、この間家に帰った時の憂鬱な気持ちを、引きずってしまっているだけだ。

「今年の夏休みは、家に帰らないでおこうかしら、と思ってね」

「え? なんで? 」

「帰っても、何もないから……」

夏休みは絶対家に帰らなくちゃいけない、なんて決まりはないわけだし。

家に帰らなかったところで、どうせあの人たちは気づかないだろう。

「そっかぁ。なら私もここにいようかな」

「え? 」

ヤナギはともかく、メリアにはちゃんとした帰る家があるのに。

「大丈夫なの? 親御さん、心配とか……」

「うーん……。でも、ヤナギちゃん1人になっちゃうでしょ? 」

そんな言葉に、ハッとする。

「そんなことのために、学園に残るの? 」

「そんなこと、じゃないよ」

メリアが、ヤナギの手をキュッと握って笑う。

「だってヤナギちゃん、すごく辛そう……今にも、いなくなっちゃいそうなくらい」

「そんな……」

「何があったのかは知らないけど、私は傍にいるから。ね? 」

胸に、温かいものが溢れてくる。

家のことも、忘れてしまえるくらいに。

「ありがとう」

「えへへ……ん? あぁ! そうだ! 」

穏やかに笑っていたメリアが、突如大きな声を上げる。

その声に、剣を振っていたブレイブとシードもびっくりして振り返った。

「メリア? いったいなに……」

「うち、来る!? 」

「……え? 」

まさかの申し出に、数秒間固まってしまった。

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