5

朝食を食べた後すぐ馬車に乗り、数時間ほどかけてやって来た場所は、久しぶりに帰ってくるあの家だ。

数人のメイドが出迎えてくれ荷物を預けると、早速「こちらです」と部屋まで案内してくれた。

両開きの扉を開けると、アンティーク調で統一された部屋の中に、父がいた。

ワックスで固めたような綺麗に整えられた金髪に、水色の瞳、白いスーツを着た40代くらいの男性。

その隣には、靴元が隠れるほど長い赤いドレスを身にまとった、黒いサイドダウンの髪をもつ母がいる。

父の名はサントリナ・ハラン、母の名はゼフィランサス・ハランという。

赤いカーペットをまっすぐ進み、父のいる作業机の前まで行くと、窓の外を見ていた父がこちらを向いた。

何の感情か分からない、無表情。

母は、にこにこと笑みを向けている。

「ただいま戻りました。お父様、お母様」

そう言って一礼すると、父がメイドに「君たちは下がっていなさい」と言った。

言われたメイドは「かしこまりました」と返事をして部屋から出ていく。

メイドが出るのを見送ってから、父はまたヤナギに視線を戻した。

「なぜ呼ばれたのか、理由は分かっているな? 」

分からない。

自分はなぜ、呼ばれたのだろうか。

「申し訳ありません。なぜ呼ばれたのか、理由はご存知ありません」

そう頭を下げると、父は驚いたように瞬きをした。

「……ずいぶんと、変わったんだな」

「旦那様、ヤナギも学園に入って、いろいろと学んだのでしょう」

2人が何の会話をしているかは分からないが、怒ってはいないらしいことにホッとした。

「そうか……。それでヤナギ、君を至急ここに呼び出した理由、本当に分からないのか? 」

「……分かりません」

少し考えてみるも、やはり分からない。

何か悪いことでもしたのか。それとも、何か用事ができたのか。

「君が、1番よく分かってるはずだがね」

「私が、ですか? 」

父がはぁ、とため息を吐く。

「私はおまえが婚約者は自分で決めると言ってきかなかったから、おまえの婚約者を決めないでおいたんだが」

どうやら記憶が戻る前のヤナギは、父にそんなことを言っていたらしい。

「だが、学園に入っても、全く情報がないではないか。いい加減、おまえの我儘に付き合ってばかりもいられないんだ。もう少し、ハラン家の令嬢としての気品さを持ったらどうなんだ? 」

「旦那様も私も、貴方のために言っているのよ? 」

母も、父の言葉に加担する。

「そりゃあ、旦那様が連れてくる婚約者に良い人柄の人がいなかったのは確かね。でも、侯爵や伯爵と、家はどれも良かったはずよ? 社交界でも有名な方たちばかりで……いったい何が不満だと言うの? 」

何が不満、かは分からないが、もしかしたらヤナギは、アイビーと結婚したかったのではないだろうか。

小説でもアイビーのことを慕っている描写はあったし、だから他の人との婚約は嫌だったのではないか、と勝手な推測を始めていると、父がまたはぁとため息を吐いた。

今度のため息をには、少々の苛立ちも含まれているような気がした。

「おまえは本当に、昔から我儘がすぎる。私が仕事で家にいない時は、決まってメイドに迷惑をかけて……。学園では、ちゃんとしているんだろうな? 試験の成績はどうなんだ? 1位とまではいかなくとも、せめて10位以内には……」

「試験は1位でした」

「……え? 」

鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった父は、母と目を見合わせた後、もう一度こちらを見た。

「学園生活も、ちゃんとの基準はよく分かりませんが、良い友人もできて、良い学園生活も送れていると思います」

「……友人? おまえが自分でつくったのか? 」

「自分……えと、あちらから友達になろうと申してきました」

友人とは、もちろんメリアのことだ。

友達になろうと言ってくれたあの日から、毎日のように会っている。

「その他にも、友人かどうかは分かりませんが、アイビー様やカルミア様、ブレイブ様やセルフ様、シード様などともよく……」

「ちょっと待て。アイビー様、というのは、あの、この国の王子様の……」

「アイビー様です」

「カルミア様、というのは、次期宰相の……」

「カルミア様です」

「ブレイブ様は、サリファナ王国騎士団に所属する、史上最年少団長を務めるあの……」

「ブレイブ様です」

父同様、母も驚いたように目を丸くしている。

その顔を見て、この人達は本当にヤナギのことをよく知らないんだなと思った。

「そう、か……。ならまぁ、いいんだが……と、とにかくだ」

「はい」

「とにかく、おまえが学園で2年生でいる間までに婚約者を連れてこなければ、私が決めた婚約者と結婚してもらう」

「2年生の間で、ですか」

「そうだ。異論は認めん。まだ待ってやると言うんだ、これでも優しい方だろう」

「ヤナギ、貴方ももう大人。これからは私達がいなくても、1人で頑張っていかなくちゃいけないのよ? 」

……特に一緒にいてもらった記憶はないが、ヤナギはとりあえず頷いておいた。

「ヤナギ、私の言うことが理解できるね? 2年生が終わるまでに婚約者を連れてこなければ、私が選んだ婚約者と無理にでも結婚してもらう。いいな? 」

「はい。分かりました」

父がそう言うなら、反論はない。

父の言うことは絶対、ヤナギはそれに従うしかないのだから。

「今日は一緒に夕食を食べましょう? 久しぶりの、家族揃っての夕食ね」

母がヤナギの背中を軽く押して、崩さない笑みでそう言った。

家族での夕食なんて、いつぶりだろう。

「今日は家族3人分の夕食をお願いしてあるから、できるまでヤナギは部屋でゆっくりしていなさい」

「はい」

母に言われて、一礼をして部屋から出る。

何処か心配そうな瞳を向けてくるメイド達の間を通り過ぎながら、ヤナギは言われた通り自室へ行った。

父の部屋とは違ったヴィクトリアン調の部屋を眺めて、扉近くに置かれてある学園から持ってきた荷物を手に取る。

たった1日泊まるだけだというのに、随分な大荷物だ。

中を見てみると、化粧道具や別のドレス、その他にも身だしなみを整えるための必需品が一式揃えられていた。

どれも、淑女には欠かせないものだ。

「……」

何だか、無性に疲れてしまった。

これはきっと、病み上がりのせいではない。

ふかふかのベッドに、倒れるようにしてボスッと顔を埋める。

ヤナギにしては、珍しい行為だった。

パジャマでもないのに、ベッドに寝そべるなんて……。

今頃学園で、メリア達は何をしているのだろうか。

今日はお休みの日だから、部屋でゆっくりしているのか……それとも、皆で会ってどこかにいるのか……。

どちらにせよ、今のヤナギには関係ない話。そう思うと、何だか虚しくなってしまった。

「退屈、ね……」

ゆっくりしていなさいと言われたけれど、落ち着かない。

とりあえずベッドから離れて部屋をうろうろしていると、勉強机に目がいった。

正確には、勉強机の引き出しに。

3段あるうちの1番上の引き出しを開けてみるも、何もない。空っぽだった。

続いて2段目も、何もない。

最後の3段目は、開かない。鍵がかかっていた。

引き出しに目をつけたヤナギは、次にドレッサーに備え付けられている2つの小さい引き出しを漁ってみることにした。

右の引き出しには、また何もない。

どうせ左もないのだろうと思いながらも開けてみると、予想に反して、小さい鍵が入っていた。

この鍵は多分、さっきの勉強机の3つ目の引き出しのものだろう。

鍵を持って勉強机まで戻ってくると、早速鍵穴にそれを差してみる。

すると……

「開いた……」

カチャリと音がしたので開けてみると、1冊の本が置いてあった。

手に取り1枚捲ってみると、そこには子供のような拙い文字が並んでいた。

子供のような……ではなく、実際に子供が書いたものなのだろう。

『今日から私は、日記をつけることにした』

本だと思っていたこれは、どうやら日記だったらしい。

ヤナギの部屋にあったということは、幼い頃のヤナギが書いたものなのだろうか。

『今日はメイドと遊んだ』

『今日はお勉強をした』

『パーティーがあった』

『踊った。挨拶もした』

『今日も、お父様とお母様はいなかった』

そんな何気ない1文が、延々と繰り返されている。

読み進めていくと、10ページ先にこれまでとは違う長い文章を見つけた。

『お父様が婚約者を連れてきた。私といる時はよく笑う良い人だったのに、影で私の悪口を言っていた。またか』

『またか』の部分のインクが、黒く滲んでいる。

その周りには、涙のようなシミもあった。

次のページを捲ると、もう何も書かれていなかった。

あまり長く続かなかった日記を、引き出しの中に戻す。

父が連れてきた婚約者は、いったいどんな人達だったのだろうと、そんなことを考えた。

「ヤナギ様」

扉をノックする音と共に、無表情のメイドが入ってきた。

「お食事でございます」




カチャカチャと、無機質な音だけが室内に響く。

そこには、会話なんてない。

居心地の悪さを感じてしまい、食欲も湧かない。

不思議と、1人で食べている時の方が美味しかったのではないかと感じた。

「ヤナギ、フォークを持つ手が止まっているぞ」

「……申し訳ありません」

会話と言えば、このくらい。

味なんて、しなかった。

すると、まだ半分も食べていないヤナギを置いて、父が席を立った。

「お父様、何処にいかれるのですか? 」

「仕事だ」

「そうね。私も行かなくちゃ」

と、母も揃って席を立つ。

「いつお戻りに? 」

「そうね……。朝の4時くらいになるかしら? 」

「かしこまりました」

メイドと話をする父と母には、もうヤナギなんて見えていない。

2人には、仕事しか見えていなかった。

「それじゃあ、行ってくるわね」

ヤナギに軽く手を振って、父と母は部屋から出ていった。

今日は、久しぶりに一緒に食べられると言っていたのに……。

でも、2人がいなくなったことでフォークが進むようになったのは事実で。

ヤナギもすぐに夕食を片付けた後、自分の部屋に素早く戻った。


明日には、学園に帰れる。

暗い部屋の中で1人、毛布の中でそう思った。

ピトリとおでこに触れると、昨日シードが置いた掌の熱が、戻ってくるような気がした。

「……早く、寝ないと」

早く寝れば、早く明日が来るから。

そうなれば、早く学園に戻れるから。

早く、この家から出られるから。

だからヤナギは、目を閉じた。



寝覚めの悪い、朝だった。

髪を整えて食堂へ行くと、そこに両親の姿はない。

「お父様とお母様は? 」

「旦那様も奥様も、4時に帰ってきてからすぐにお出かけになられました」

「そう、ですか……」

メイドの説明を受けながら、パンを口に運ぶ。

「それだけで宜しいのですか? 」

「はい」

パンを1つ食べて、ヤナギは自分の部屋に行って荷物を取ってきた。

何故か、一刻も早くここから出たかった。

「それではヤナギ様、行ってらっしゃいませ」

「はい。ありがとうございました」

馬車に乗って、離れていく屋敷を眺める。

移り変わる景色の中で、ヤナギは父に言われたことを思い返していた。

2年生の間に、婚約者を見つけておくこと。

「どうにかしなくてはいけませんね……」

そのための策を、今から練らなくてはいけない。

だってこれは、父から言われたこと。

ヤナギの職務なのだから。




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