4
好きだ、そう言ってくれた彼のことを思い出す。
今頃、何をしているのだろうか。
もう、訓練は終わった頃合か。
「何と、言えばいいのでしょうか……」
今まで誰かとの関係性に、名前を付けたことなんてなかった。
親は親だし、クラスメイトはクラスメイト。
メリアとは、メリアが友達というからそうなのだろう。
じゃあ、セルフとは?
セルフだけじゃない。
アイビーもブレイブもカルミアも、今ここにいる、シードだって、ヤナギとは、何という名前が付いた関係なのだろうか。
分からないけれど、ただ1つだけ、ハッキリしていることはあった。
知り合い、というものとは違う。
ちゃんとした、親しい間柄であるということだけは、確かだった。
この関係性を、何というのか……。
「……好き、ですか? 」
言葉に迷うヤナギに、シードが選択肢をくれる。
好きなのか、そうでないのか。
なら、答えは自然と1つになる。
「好きです」
「意味、分かってます? 」
好き、に意味なんてあるのか、それさえも分からない。
好きは好きだ。意味を問われても、理由を聞かれても、明確な答えは見つからなかった。
「ヤナギ様は、セルフ様のことを、恋愛感情として……1人の男として、好きなんですか? 」
恋愛感情……。
前世で、クラスメイトが話題にしていたのを、聞いたことはある。
誰が誰を好きとか、誰が誰と付き合ってるとか、フラれたらしいとか。
そんなものはやなぎにとっては、ただの会話でしかなかった。
興味もなければ、考えたことすらない。
だから、恋愛感情というものがどういうものなのかも、分からない。
分からないことだらけだ。
それでも、とヤナギは今自分が思っていることを告げる。
「セルフ様のことを考えていると……胸が、温かくなるんです」
シードの表情が曇る。そんな顔をしないでほしい。
「毎日訓練を頑張っている様子や、何事にも手を抜かず、全力で取り組む姿勢……。そして、素直で前向き……。私は、そんな彼が、好きなんだと思います」
「それは……」
「セルフ様だけじゃありません」
「え……? 」
「アイビー様は、優しいんです。ご自分ではそんなことないと首を振りますが、いつだって自分より他の人を優先して、誰かのために行動している。カルミア様も、人から頼まれたら、断らないんです。自分のためにも、人のためにも、何かできる人……素晴らしい、人達です」
優しくて、真面目。
「ブレイブ様は、人望があります。人をまとめることが上手くて、たじろいでいる人を引っ張っていける人だから、皆彼について行くのでしょうね」
先陣を切って行動するブレイブが皆から頼られているところは、ヤナギもよく見かける。
「メリアは純粋で、いつも率直に、自分の気持ちを伝えてくれる……」
まっすぐに伝えてくるその瞳には、一点の曇りも無い。
「シード様も……」
「僕、も? 」
「シード様も、明るくて、一緒にいると、元気を貰えます。それなのに、誰が悩んでいたら、困っていたら、誰よりも親身になってくれる人……」
「そんな、照れるじゃないですか……」
赤くなった頬は、夕日のせいなのか、それとも……。
「私は多分、好きなんだと思います。皆のことが……」
「皆……」
「はい」
今答えられるのは、このくらいだ。
期待に添えない答えで申し訳なかったが、シードは何処か安心したようにほっと息を吐いた。
「ありがとうございます、ヤナギ様。それを聞いて、安心しました」
「安心? 」
「こっちの話です」
何の話かは教えてくれなかったが、深く聞こうとは思わなかった。
「ヤナギ様? 」
視界がぼうっとしてくる。
涙はもう止まっているはずだから、これは多分、眠気だ。
無性にうとうとしてしまって、瞼が重く感じる。
「風邪、早く治してくださいね? ほら、もうゆっくり休んで」
前髪が上げられて、おでこに掌が乗せられる。
心地良い声に、自然と瞼が下がっていく。
「おやすみなさい、ヤナギ様」
視界が完全に暗くなる。
「僕も、好きですよ」
甘い甘い、声だった。
おでこに当たる柔らかい感触を感じながら、深い眠りに落ちていった。
「また、またあの子のせいでっ……! 」
怒りで真っ赤に燃え上がる瞳を隠そうともせずに、パーティー会場を歩いている少女。
それを見た瞬間、これは夢なんだと理解した。
きっとこれは、夢の続きだ。
「なんで、なんでアイビー様は、あんな子を……」
このシーンは、ヤナギもよく知っている。
小説の中で何度も見た、ヤナギがメリアに対して怒っている場面。
メリアに悪口を言ったり、貶したり。
悪役令嬢である彼女は、登場回数こそ少ないものの、メリアをしっかりと虐めている。
この夢も多分、そういうシーンだ。
「なぜ上手くいかないの!? なぜ、私の思い通りにならないの!? 」
いつだって世界は、自分中心だったのに。
崩壊していく世界の果てで、ヤナギは独り苦しんでいた。
「誰かっ、誰でもいいから、あいつを……メリア・アルストロを……! 」
「お困りですか? 」
バルコニーに足を踏み入れる前に、そう声をかけてきた人物。
振り返ると、センターパートの黒い髪に、金色の瞳が輝く、白い服に身を包んだ男性。
肌も、キメ細やかでとっても白い。
白い指に嵌められたルビーの付いた指輪が、光の反射でキラリと光った。
「貴方は? 」
「失礼。俺は――の、――というものだ」
夢のせいか、上手く聞き取れない。
けれど、ヤナギはこの人を、知っているような気がした。
何処かで、見たことがある。
そうだ。確か、「キミイロびより! 」の小説に出てきた……頭が痛い。
彼のことを思い出そうとする度に、頭痛がする。
なんで? 他のシーンなら思い出せるのに。
「こちらに協力してくれれば、貴方を俺の――」
ザーザーと、黒い砂嵐のようなものがかかる。
遮られていく視界の中で、ヤナギが彼の手を取るのが見えた。
「――様、やっと――」
最後、そう聞こえた声は、間違いなく知っているものだった。
彼とヤナギの間に立っているのは……イベリス?
どうして、イベリスが……。
そこで目は覚めた。
さっきの夢は、いったい何だったのだろうか……。
「シード様? 」
ベッド脇に、もうシードはいなかった。
その代わりに、サイドテーブルに水の入ったコップが1つ。
「まぶし……」
その眩しさは、夕日からくるものではなく、朝日からのものだった。
「7時……」
どうやらぐっすり眠っていたらしい。
起き上がりぐっと伸びをすると、もう身体の不調は治っていた。
鼻の詰まりも、喉の痛みもない。
すっかり元気になったらしい。
「ヤナギ様、宜しいですか? 」
コンコンコンと、扉がノックされる。
「どうぞ」と声をかけると、メイドが部屋に入ってきた。
「ヤナギ様、もう体調は宜しいのですか? 」
「はい。もう大丈夫です。昨日はどうも、ありがとうございました」
「いえいえ。ご主人様の面倒を見るのが、私メイドの務めですので。……といっても、あまりお傍にはいられませんでしたが」
「いえ、それでも十分、お世話になりました」
またシードにも、お礼を言っておかなくてはならない。
とはいっても、今日は学園はお休みのため、お礼を言うのはまた休み明けになりそうだ。
「ヤナギ様」
「なんですか? 」
運んできたワゴンから朝食をテーブルに移し終わったところで、メイドは一通の手紙をヤナギに差し出した。
「これは? 」
「ヤナギ様のご両親からでございます」
思ってもみなかった意外すぎる人物の名にも動じることなく、ヤナギは手紙を受け取った。
少し香水の匂いが付いた薔薇の絵が書かれた手紙の下には、サントリナ・ハラン、ゼフィランサス・ハランと、長い名前が綴られている。
サントリナが父の名前で、ゼフィランサスが母の名前だ。
「我が娘、ヤナギ・ハランへ。至急、屋敷まで戻ってくるように……ですか」
両親からの手紙なんて、珍しいこともあるものだ。
この両親はきっと、昨日までヤナギが風邪をひいて寝込んでいたことなんて、知らないのだろう。
「今日は、御屋敷の方へお戻りになられますか? 」
心配そうにメイドが聞いてくるのは、おそらくヤナギの体調を気遣ってくれているのだろう。
確かに、治ったとはいえ、まだ病み上がりだ。
「そう、ですね。至急ということですし。ですが、そんなに時間をかけての移動ではないので、大丈夫ですよ」
「そうでございますか。それでは、出発の荷物をお纏めいたします」
さすがメイド、仕事が早い。
「両親、ですか……」
朝食のパンを食べながら、ヤナギは両親について想いを巡らせていた。
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