第十五章 甘い声と苦い思い出
1
お城の広間、食べたり踊ったり談笑する人々を、無表情で眺めている少女がいる。
何の感情も灯していない、冷めた瞳で、じっと彼らを見つめていた。
黒い髪に、赤いリボンを2つつけた、小さい女の子。
あれはきっと、幼い頃のヤナギだ。
そして、多分、というか絶対夢だ。
これは恐らく、ヤナギの記憶。
やなぎとしての記憶を取り戻す前の、ヤナギの思い出。
「あら、あそこのお嬢さんって……」
「ハラン公爵家のご令嬢よ。綺麗な子だけど……目元がキツいわね」
「おやめなさい。もし誰かの耳に入りでもしたら……」
「声、かけます? 周りに誰もいないようですし……」
「そうですわね。もしかしたら、ハラン公爵家とお近づきになれるかもしれませんし」
そこまで聞こえたところで、ヤナギは広間から出た。
誰の目にもつかないところで、1人ポツンと寂しそうにしている。
窓から漏れ出る月夜の明かりが、ヤナギの顔を照らしていた。
「ヤナギお嬢様、そんなところで何をなさっているのですか? 」
パーティー会場から抜け出したヤナギを追ってきたらしいメイドが、優しくヤナギに声をかける。
「……別に。つまらなかったから、抜け出しただけよ。メイドの分際で、私に何か文句でもあるわけ? 」
怒ったような、苛立ったような口調でヤナギが言うと、メイドは慌てたように「申し訳ございません」と謝った。
「そのようなつもりはなかったのですが、そう聞こえてしまわれたのでしたら、どうかお許し願います」
メイドは何も悪くない。
ただ、ヤナギに「何をしているの? 」と聞いただけ。
無礼なんて、していない。
その事をヤナギも分かっているのか、これ以上メイドを責めたりはしなかった。
「ヤナギお嬢様、旦那様がお待ちですよ」
そう言って、メイドがヤナギを広間に戻そうと促す。
そうなると、ヤナギは一段とつまらなそうな顔をするのだった。
「この子が我が愛しの娘、ヤナギ・ハランです。皆様、どうぞ宜しくしてやってください」
綺麗に整えられた金色の髪に水色の瞳をしたハンサムな顔つきの男性は、ヤナギの父親。
そして、その隣にいるヤナギによく似た長い黒髪に、にっこりと目を細めてころころと笑う美しい女性は、ヤナギの母親だ。
右に父、左に母の手を握って、ヤナギはあやつり人形のようにあっちこっちに挨拶へ回されていた。
「とても美しいお嬢さんですな。奥様にそっくりだ」
「成長すれば、もっと美人さんになりそうね」
皆口々に、ヤナギの容姿を褒めている。
だが、直接ヤナギに話しかけて、彼女の内面を知ろうとする者はいなかった。
話しかけるどころか、目も合わせない人もいた。
「今日もお父様とお母様はいないの? 」
並べられた夕食を前にして、少女は不機嫌そうに言った。
「ヤナギ、我儘を言わないの。お母様とお父様は、これから大事なお仕事があるのだから」
「でも、最近はずっと……」
「甘えるな。お父様の言うことを聞きなさい」
「……はい。お父様、お母様」
返事はしたが、表情は変わらない。
ぶすっとした顔で、目の前のステーキを切り分ける。
父と母が扉の外へ消えていくのを見届けて、ヤナギは横にいたメイドに明るい顔で話しかけた。
「ねぇっ! 貴方も一緒に食べなさい! 」
ヤナギの申し出に、メイドは首を横に振る。
「なりません。メイドはお嬢様と食事をしてはいけないと、旦那様からキツく言われております」
「……そう」
メイドから視線を外して、ナイフとフォークを持ち直す。
食事は豪華なのに、全然美味しそうではなかった。
「あれが欲しいわ! 」
「あれを持ってきて! 」
「もっと早く来てちょうだい! 」
ヤナギの我儘に、毎日振り回されるメイド達。
ヤナギの命令に背くことなく、完璧に仕事をこなしている。
「いい? 貴方達は私の召使いなんだから、私の言うことは絶対なんだからね!? 」
「かしこまりました、お嬢様」
父と母のいない屋敷、遊び相手はメイドだけだった。
得意気にメイドを使うヤナギの我儘は、日に日に要求が過激になっていった。
「このままではいけないわ」
「ええ。けれど、命令に背くことはできないし……」
「とにかく、お嬢様の機嫌だけは、損ねないようにしないと……」
ヤナギと遊び終えたメイド達が、そう言っているのを時々聞いた。
「ごきげんよう、ヤナギ・ハラン様」
「ごきげんよう」
ヤナギの家にやってきた2人のご令嬢は、お茶会などでよく姿を見かける、可愛らしい容姿の子だった。
「この子達は? 」
「ヤナギ様の、遊び相手でございます」
ヤナギに、初めて友達ができた。
「今日は何をして遊びます? 」
「そうですわね。どうぞ、ヤナギ様がお決めになって? 」
「私が? なら私は、お花を見に行きたいですわ。庭師自慢の、花園がございますの」
「まぁ素敵。ならそこに行きましょう」
「いいですわね。私も、賛成ですわ」
笑顔で、少女達は頷いてくれた。
「今日は何をいたします? 」
「ヤナギ様がしたいことで、宜しいですわよ? ねぇ? 」
「ええ。私も、それでかまいません」
「そう? でしたら私、最近弾けるようになったピアノの曲を、1曲披露しても宜しいかしら? 」
「あら、ぜひお聞かせくださいませ」
「ええ。ぜひ」
部屋にピアノの音色が流れる。
まだあまり上手いとは言えないが、それでも綺麗な、上品な音色。
「どうでした? 」
弾き終わって友達に意見を求めると、2人ともぱちぱちと拍手をしてくれた。
「とってもお上手でしたわよ」
「はい。綺麗な音色で、聞き惚れてしまいました」
「本当? 実は、まだ少し実力不足なところがあって……改善点があれば、お聞かせください」
「そんな、改善点なんてございませんわ」
「とても素晴らしい演奏でしたわよ? 」
「……そう? なら、良いんだけれど」
笑顔で、少女達は褒めてくれた。
「今日は何をして遊びます? 」
「ヤナギ様が決めてくださいな」
「……たまには、貴方達のしたいことを言ってくださって、結構ですのよ? 」
「いえいえ。私達より、ヤナギ様ですわ」
「……そう」
なんだか、楽しくない。
友達と遊ぶ回数を重ねる度に、ヤナギからは元気がなくなっていった。
友達は、毎日、ヤナギといる時は、いつも笑顔なのに。ずっと変わらない笑顔で、ヤナギと遊んでくれるのに。
その笑顔を見る度に、ヤナギは気味悪さを感じるようになっていた。
「今日も、私と遊んでくださり、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
帰る時、決まって彼女達はそう言った。
なんで、お礼なんか言うのだろう。
遊ぶなんて、友達なら当たり前なのに。
「友達とは、上手くやっているか? 」
「……はい」
珍しく夕食を共にした父と母から出てきたのは、そんな言葉だった。
友達の話は、したくないのに。
「せっかく私が知り合いからお願いして連れてきてもらったご令嬢なんだ。仲良くしなさい」
魚を切っていたフォークを持つ手が止まった。
呆けたように、父を見る。
「お父様、今、なんて……」
「せっかく私がおまえの遊び相手を見つけてきてやったんだ。2度も言わせるな」
「……申し訳、ございません」
フォークが、カタカタと震えていた。
成長してからも、ヤナギの周りの人間は変わらなかった。
「ヤナギ様、今日もお美しいですわね」
「さすが公爵家のご令嬢。お近づきになれたら、どんなに良いか」
口々に、ヤナギを褒める。
ヤナギの気分を良くするために、皆、ヤナギのために行動してくれる。
それに、ヤナギも甘えるようになっていった。
嫌なことがあれば他に押し付ければ良いし、気に入らないことがあれば、何とかしてもらえる。
地位も権力も、全てを握っているヤナギには、怖いものなんてなかった。
この世界では、ヤナギの言うことは絶対なのだから。
不自由なんて、全くなかった。
それなのに、ヤナギには、決定的に足りないものがあった。
何かが、足りない。
その何かは、ヤナギには分からない。
皆は持っていて、ヤナギは持っていないもの。
何で、ヤナギだけ持っていないのだろう。
ヤナギにかかれば、手に入らないものなんてないのに。
どうして、どうしてそれだけは……。
「何よ、あの女……」
外廊下にて、アイビーと楽しそうに会話を交わしているメリアを見て、遠くからヤナギは下唇を噛んでいた。
平民で自分より下の女が、国の王子様と楽しそうに談笑している。
「なんで、あんな子が……」
あの子も、ヤナギにはないものを持っている。
どうして、なんで……。
「絶対に、許さない……」
黒いオーラが、彼女にまとわりついた。
血走らせた目をメリアに向けながら、ヤナギはギュッと握り拳をつくる。
「私は……私だって!! 」
そこで、ヤナギはハッと目を覚ました。
窓から差し込む朝日に目を細めながら、さっきまで見ていた夢を、もう一度頭の中で再生する。
あれは、記憶が戻る前の……「キミイロびより! 」の中のヤナギだ。
小説の中のヤナギは、傲慢で、我儘で、やりたい放題の令嬢という設定だった。
けれど、夢の中のヤナギは、確かに我儘令嬢だけれど、小説での印象とは違って見えた。
何が違うのかは正確には分からないが、どこか寂しそうな、孤独な少女に見えたのだ。
もしかして、ヤナギはやなぎが思っていた人物と、全く違う人物像だったりするのだろうか。
「ヤナギ様、ヤナギ様? 」
「あ、どうぞ」
考えこんでいたヤナギに、メイドの声が扉越しに聞こえてくる。
許可を得たメイドが部屋に入ってくると、朝食の乗ったワゴンも一緒に付いてきた。
「ヤナギ様、もう朝ですよ? 早く起きないと、学園に遅刻してしまわれます」
まだ布団に潜ったままのヤナギに、メイドが声をかける。
基本的に、ヤナギは1人で起きられる。
体内時計がしっかりしているためか、朝は6時にはきっちり目が覚めている状態なのだ。
だが、今朝はいつもと違った。
時計を見ると、朝の7時を指している。
ヤナギにしては珍しい、朝寝坊だ。
「ヤナギ様? 」
いつまでたっても起きないヤナギを、珍しいと心配するようにメイドが揺する。
「はい。今起きま……」
何とか起き上がってベッドから床へ足をおろそうとした時……ぐらりと身体が傾いた。
視界が反転して、直後にバタンと大きな音が鳴る。
「ヤナギ様!? 」
床に倒れたヤナギを、メイドが急いで抱き起こす。
夏なのに、酷く寒い。
頭がくらくらして、鼻を啜るとなんだか変な感じがした。
何か喋ろうと口を開くと、代わりに咳が出てきた。
「……今日は、1日お休みですね」
お休み?
「何故ですか? 」
やっと出てきた声も、酷く掠れたものだった。
「何故ですかって……」
やっと出たベッドにもう一度戻されて、額に手を置かれる。
暫くすると、メイドは小さくため息を吐いた。
「夏風邪、ですね」
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