8
「で、誰だったんだあいつは」
さっきまでの緊迫した雰囲気は、それを作り出した張本人であるブレイブの手によって、いや、口によって壊された。
「誰だったって……知らずにあんなこと言ったんですか? 」
「ああ」
シードの言葉に軽く頷くブレイブに、アイビーが苦笑する。
「イベリスだよ。イベリス・カレジ。今年学園に入学した新入生」
「え、あいつがイベリスなのか? 」
セルフが「まさか」と言いたげな様子で驚く。
「はい。いつもあんな感じの子なんですけど……でも、悪気はないみたいで」
メリアがフォローするように言うと、シードが大きなため息を吐いた。
「メリアちゃん、優しすぎ。悪気なくてもあんなこと言っちゃ駄目でしょ。僕はブレイブ様の意見に賛成でしたよ。ま、初対面にあれだけ言った勇気は共感できませんけど」
「あんなに怒ったブレイブは、初めて見たな」
セルフがそう言ったということは、ブレイブはあまり怒らない性格らしい。
「俺もまぁ、怒ったりすることはあれど、どちらかというと注意の方に近いからな。それに、今回のことに関しては、完全に俺の……言ってしまえば、私情だ。だが、こう言っちゃなんだが、反省はしてない。言いすぎたとも、思ってない」
堂々とそんなことを言ったブレイブは、目線をセルフの方にやった。
「……その、もう一度、謝罪させてくれ。すまなかった。俺の、お守りのせいで……」
「いや、もういいって」
セルフが裏ポケットからネモフィラを取り出す。
額には小さなヒビが入っていたが、花は無事だったようだ。
掌のネモフィラを暫く見つめて、優しく握りしめる。
「大切にする」
そう言って、微笑んだ。
「……そうか」
ブレイブも、優しく笑った。
「しかし、気になるな」
メリアとアイビー、シードも自然と笑みを浮かべるなか、カルミアは考えるように顎に手をやった。
「気になるって? 」
「メリアは気にならなかったか? なんでさっき、イベリスとスイセンが一緒にいたのか」
「……あ」
カルミアの指摘に、ヤナギとメリア以外の男性陣の表情が険しいものに変わる。
「メリア、何か心当たりがありそうな顔をしているな」
「え? いや、えーと……心当たり、というか……」「なんでもいいから、話してみてくれ。……嫌な予感がする」
嫌な予感。それは、ヤナギも最近、主にイベリスと出会ってから感じていたことだ。
そして、ヤナギの耳元で貴方は頑張ったと囁かれた時、今日スイセンとセルフの話をしていたのを目撃した時から、次第にその思いは強くなってきている。
「えと、今日のお昼休み、イベリス様とセルフ様が、一緒に話しているのを見かけて……」
メリアは話し始めたが、そこで一旦セルフの方を見た。
申し訳なさそうな、居心地の悪そうな瞳。
その瞳を見て、セルフが何かを察する。
「……俺への愚痴か」
「そう、ですね。まぁ……すみませんなんか」
「いや、メリアが悪いわけじゃねーし。それで? 」
「えとえと、スイセン様がなんでセルフ様なんだーみたいなこと言ってて、だったら復讐してやればいいんじゃない? って、イベリス様が言って……」
「俺の試験を邪魔しようと、イベリスが促したわけか」
「そう、ですね。でもなんか、雰囲気? っていうのかな……それが違って……」
「雰囲気? 」
「暗い……? 重くて、気味が悪い、とでも言うのでしょうか? なんか、そんな感じの……気分が悪くなるような、寒気がするような……ねぇ? ヤナギちゃん」
メリアがヤナギに助けを求めてくる。
その場にはヤナギもいたので、ヤナギも状況説明をする。
「暗い沼の中に、飲み込まれていくかのような……まるで、何かに取り込まれてしまうかのような、そんな感じです」
「余計分かりにくくなったな……」
ヤナギの説明に、アイビーが半笑いでそう言う。
ヤナギ的には1番しっくりくる言い方をしたつもりだったが、あまり伝わらなかったらしい。
だが、あの感覚をヤナギは、2回も経験している。
しかも内1回は、ヤナギがイベリスといる時に直接感じたものだ。
あの何とも言い難い感覚は、魔法でもかけられているかのようなものだった。
もしかして、本当に魔法だったりするのだろうか。
ヤナギが知らないだけで、本当はこの世界には魔法が存在するのかも……。
「あの、この世界には、魔法なんてありませんよね? 」
一応確認しておこうと聞くと、カルミアからはぁ? というような顔を向けられた。
「あるわけないだろう。何を言っている。小説の読みすぎなんじゃないか? 」
やっぱりなかった。
「あ、でもでも、ヤナギちゃんの今の表現が、1番しっくりくるかも」
と、メリアがヤナギの言葉に反応する。
「今の表情って……魔法にかかってる感じだとでも言いたいのか? 」
信じられないと言いたげにカルミアが言うと、メリアは神妙な顔で頷いた。
「はい。あれは、魔法みたいな……今まで感じたことのないものでした。妙な寒気と、気味悪さがあって……とても、怖かったです」
思い出しただけで嫌なのか、言ってから自身の腕をさすった。
まるで、寒さを凌ぐように。
「……暫く、注意して見てみよう」
メリアとヤナギを交互に見て、アイビーが言った。
「この先も、イベリスは俺たちの周りにいるだろうし。何かあったら、俺が何とかする」
「何かって? 」
シードが、困り顔でアイビーの瞳を覗き込む。
イベリスが何をするかどころか、普段何を考えているかも分からないのに、と言うように。
「何かは、何かだけど……」
アイビーも、言葉に詰まって困り顔になった。
各々が顔を見合わせる中、カルミアが口を開いた。
「イベリスは、できる限り俺が見ておく」
カルミアにしては、少し意外な発言だった。
カルミアは基本的に、面倒事、特に意味の無いことに関しては避けるタイプの人間だ。
自分にとって意味のあることか無駄なことかをきっちり判断して、尚且つそれが周りにどういった影響を与えるかまで考えて動ける。
打算的と思われるかもしれないが、本当は誰よりも人を想っていることが、彼と付き合っていく上で分かってくるのだ。
去年、文化祭実行委員のお手伝いを嫌々ながらも一生懸命取り組んでくれたことから、それは立証されている。
だが、だがだ。
カルミアは、嫌いだと思った人間に対しては、とことん冷たくあしらう傾向がある。
以前メリアのことを平民だからという理由で罵ったイベリスは、カルミアに良い印象を与えなかったはずだ。
それならば、もう一緒にいたくはないと思ったはず。
「いいんですか? 」
アイビーがカルミアに再確認すると、カルミアは空を見上げて言った。
「……別に、俺は自分がしたいからやろうと思ったまでだ」
やっぱり、カルミアは優しい。
カルミアがやりたいと言うのなら、止める権利は誰にもない。
「そうですか。なら、宜しくお願いします。俺もできる限りできることをしますので」
「ああ。アイビーも、無理をしない程度にな」
カルミアが言って、この話は一旦お開きとなる。
するとまた、沈黙が訪れた。
セルフは入団試験に不合格、イベリスの謎は残ったまま、少なくとも、明るい雰囲気ではなかった。
そんななか、ヤナギはじっとセルフを見ていた。
詳しく言えば、セルフの唇を。
「……ヤナギ? 」
目が合った。当たり前だ。凝視していたのだから。
「あ、いえ……」
ヤナギにしては、珍しく言葉に迷った。
何と言っていいのか……いや、ストレートに言いたいことを言えばいいだけなのだが、何故か迷いが生じてしまっている。
「セルフ様」
迷っていても仕方がないだろう。
ヤナギは、このことが気になってしょうがないのだ。
当事者に聞けば、確実に分かることなのだから。
臆することなく、聞けば良い。
「先程のキスのことなのですが」
その瞬間、空気が凍ったのを肌で感じた。
イベリスの時とはまた違った寒気が、身体を通り抜けていく。
季節外れの吹雪に晒されていると、セルフがヤナギに1歩、詰め寄った。
セルフが近づいてくると共に、寒気とは正反対の、温かい空気が流れ込んでくる。
「ああ、そうだったな。まだ、肝心なことは言ってなかったか」
「肝心なこと? 」
やはり、あのキスには何か重要な意味があったらしい。
「ヤナギ」
優しく名前を呼ばれて、思わず「はい」と返事をする。
「好きだ」
続けられた3文字の意味を理解するのに、数十秒かかった。
好きだ? 好き、好き……。
セルフはヤナギのことが好きらしい。
それだけのことだ。
それだけのこと。
「そう、なのですか」
「……え? それだけ? 」
ヤナギの相槌に、セルフが微妙な顔をする。
……ヤナギは今、何を求められているのか分からなかった。
そうですか、だけでは足りない。
でも確かに、それだけでは足りない何かが、ヤナギの心を満たしていた。
「それだけ、というと、少し違います」
自分の胸に手を当てると、いつもより大きな鼓動が聞こえる気がした。
「……胸が、温かいです」
誰かに「好き」と言われたことは、今まであっただろうか?
記憶を探ってみるも、見受けられない。
「好き」なんて、今初めて言われたのだ。
「嬉しい、のでしょうか? 」
自分でもよく分からないけれど、多分これは、「嬉しい」だから。
「多分、意味分かってない、よな? 」
「意味? セルフ様は、私のことを好きなのですよね? そのことに、何か意味があるのですか? 」
「……やっぱ、分かってねぇな」
ヤナギとしては、分かっていたつもりだったのだが、どうやら理解できていなかったらしい。
「……申し訳ございません」
「いや、謝る必要ねぇよ。ただ、そうだな……」
そこでセルフが、ぐいっとヤナギの腕を引っ張った。
身体が傾いて、そのままセルフの腕の中に収まってしまう。
「いつか、俺と同じ気持ちにさせてやるから」
同じ気持ち? セルフは今、何を思って……。
「ちょっといいですか? 」
と、セルフと無理矢理引き離される。
間に立っていたのは、目を血走らせてセルフを見つめるシードだった。
「セルフ様って、恋愛に鈍感なヘタレじゃなかったんですか? いつから強引に誘う系になったんですか? 」
「は? 何言ってるんだおまえ? 」
「いやいやいやいや! 皆思ってましたって! セルフ様は恋愛事に鈍感で、誰よりも恋愛下手で、結局告白しないまま終わりそうな人だよなーって! 少なくとも僕はそう思ってましたけど!? 」
「そうか。期待に添えなくて悪かったな」
「セルフ、おまえ……」
「うわ、ブレイブどうしたんだよ? 顔、真っ青だぞ? 体調悪いのか? 」
「それでいて人の恋愛事には疎いのか……」
ブレイブを気遣うセルフを見て、シードが口をあんぐり開ける。
「ヤナギちゃん、く、くくくく詳しく……」
メリアが、赤い顔でヤナギの肩を揺さぶってくる。
「詳しくって、何を……。カルミア様、どうかなさいましたか? 」
カルミアはさっきから、微動だにしていない。
顔も身体も固くして、何処か遠くを眺めている。
アイビーは俯いて、「えー、つまり……え? 」と状況についていけていないような、置いてけぼりにされてしまっているような状態になっていた。
「ヤナギちゃん! アイスキャンディー食べながら、ゆっくり話そう! ね!? 」
「え? ええ、そうね」
言われるがままに、メリアと食堂へ向かう。
「アイスキャンディー!? 俺も行く! 」
「ちょ、セルフ様!? まだ話は終わってないんですけど!? 」
「セルフ、おまえ……」
さっきまでの暗い空気なんて最初からなかったように、群青の下で騒ぐ少年少女達。
その後、ヤナギはメリアと食堂で、キャンディーのように甘い話を小一時間たっぷりしたのだった。
「ちぇっ、もう少しでいけたのになー」
小さく舌打ちをして、イベリスは空を見た。
今日の入団試験、簡単に事が進むどころか、思った結果とは全然違う方にいってしまった。
これではまた、怒られてしまう。
「ジャックの時は、上手くいったのに」
最近、あまり調子が良くない。
全てが、思い通りにいっていない。
そのことに苛立ちを募らせながらも、イベリスは頑張っているのだ。
だから、怒るどころか褒めて欲しいくらいだ。
「……ヤナギ・ハランだけじゃなく、セルフ・ネメシアにも効かないとか……。ま、スイセンには効いたから、力は落ちてないみたいだけど」
でも、あの2人が罠にかからなかったことだけは、どうしても気がかりだった。
だがまぁいい。
時間はまだある。
焦らず、丁寧に。
食堂で買ったばかりのアイスキャンディーは、もう食べ終えてしまっていた。
余韻に浸るように、自分の人差し指をペロリと舐める。
甘い、甘い味がした。
微笑んだのは、その甘さのせいなのか、それとも、もっと別の事のせいなのか。
「……おもしろそー」
ふふっと笑って、呟いた。
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