6

中庭、食堂脇のテラス席、門の前に戻ってみたり、外をぐるぐる探し回っても、イベリスは見つからなかった。

もしかしてもう寮に戻ってしまったのかと不安が過ぎるも、まだ外にいるかもしれないという思いが、ヤナギの足を踏みとどまらせていた。

イベリスはことある事に、「時間の無駄」と言っていた。

何か用事でもあるのだろうか。

それなら、ヤナギが今行ってしまったら邪魔になってしまわないか。

そんな考えが浮かんでも、イベリスを探していた。

ヤナギの勝手で申し訳ないが、今は、会って話をしたかったから。

「あの、イベリス様を見かけませんでしたでしょうか? 」

校舎へ入っていく男子生徒を呼び止めて、イベリスの居場所を聞いてみる。

彼は先程ヨナとイベリスの言い合いを傍観していた者の1人で、もしかしたらイベリスがどこに行ったのか知ってるかもしれないと思ったからだ。

「イベリス? ああ、さっきの……。彼ならさっき、花壇の方へ行くのを見かけたよ」

「え? 」

花壇と聞いて、少し、いや大分驚いた。

「まだいるんじゃないかなぁ? あれから見かけてないし」

「ありがとうございます」

お礼を言って、すぐさま花壇の方へ向かった。



花壇へ行くと、そこには目的の人物、イベリスがいた。

しゃがんで、何処か浮かない顔でプリムラを見つめている。

「イベリス様」

声をかけるが、イベリスはこちらを見ようとしない。

「すみませんが、僕は貴方と話しているほど暇じゃありませんから。時間の無駄なんで」

「……分かりました」

やはり、忙しかったのか。

断られてしまったのならどうしようと悩んでいると、イベリスがこちらを振り向いた。

少しだけ、自嘲気味に笑ってみせる。

「貴方には話が通じるようで、何よりです」

「話? 」

「僕が貴方と話す時間が無駄って言っても、怒らないじゃないですか。普通は、何故か皆怒るのに」

「そのようですね」

ヨナも、それでさっき怒っていたようだし。

イベリスはそれだけ言うと、またプリムラに目を戻してしまった。

何もすることが無くなってしまったため、ヤナギもプリムラを見るべく花壇の傍に座る。

「なんで、ヤナギ様も見るんですか? 」

「お邪魔なら、どこかへ行きますが」

そう言うと、イベリスはふっと笑って首を横に振った。

「いえ。ヤナギ様が何をしようと、僕には関係がありませんから」

なら遠慮なく見させてもらうことにしよう。

「ヤナギ様は、どうして僕のところに来たんですか? 」

さっき話はしないと言っていたはずなのに、イベリスはそう聞いてきた。

「イベリス様の、お話を聞きに」

「僕の話? 」

「はい。時間の無駄と仰っておられましたので、何か用事があるのかとか、あとは……何故、花壇に来たのか、とか」

よくよく考えてみると、話すことはそんなにないように思える。

けれど、この疑問2つには、何か重要な意味がある気がしてしまう。

「……ヤナギ様は、人ってどのくらいの時間生きることができると思いますか? 」

唐突にそう聞かれるも、ヤナギの答えは決まっている。

「分かりません。寿命がどうの、というお話でしたら、だいたい80年から90年ほどだと思いますが……。人は、いつ死ぬか分からないので」

もしかしたら明日かも、いや、今この瞬間死んでしまうかもしれない。

そう、思い知ったから。

「そうですよね。僕も同じ意見です。いつ死ぬかなんて分からない。だったら、無駄な時間は過ごしたくないと思うのが当然でしょう? 人のために費やすなんて、バカバカしいにもほどがある。自分のために生きて、充実した毎日を送りたい。皆、そうでしょう? 」

皆、に引っかかる。

イベリスの意見を否定するつもりはないが、皆そう思っているかどうかなんて、ヤナギには分からない。

「花壇に来たのは、何となくですよ。他に行くところがなかったし。あんまり人がいないところを選んだら、ここになっただけです。特に意味はありません」

花壇に来た理由を聞いて、思わず拍子抜けしてしまった。

てっきり、アザレアの育てた花を見に来てくれたのかと期待していたのに。

「さ、次はヤナギ様が話す番ですよ」

「私が、ですか? 」

まさか自分に回ってくるなんて思っていなかったため、すぐには言葉が出てこない。

「当たり前ですよ。人の話を聞いておいて、自分は話さないなんてことありませんよね? フェアじゃないですから」

確かに、これを取り引きだと言うのであれば、ヤナギだけ話さないなんてずるい。

「しかし、私が話すことは何も……」

「そうですね。それじゃあ、ヤナギ様が考える、人生論について」

「人生論、ですか? 」

「はい。ヤナギ様の、人生について教えてください」

ヤナギの人生……。

「職務を、全うすることでしょうか? 」

出てきたのは、そんな言葉だった。

「職務? 」

「はい。与えられた仕事を遂行して、やり遂げる」

「誰のために? 」

「誰……」

誰、と言われると、誰なんだろう?

こうしなさいと言われればそうして、ああしなさいと言われればそうする。

あの高校に行けと言われたから行ったし、あの大学を見学してきたらと言われたから、オープンキャンパスに行ってみた。

この世界に来てからも、キミイロびより! のヤナギとして産まれたからには、ヤナギとして生きようと、そう思った。

それは全部、誰のためなんだろう?

改めて考えてみると、何だかよく分からない。

分からないけど、そうしていれば間違えないから。

誰かに言われたことをやっていれば、何も言われないから、だから、そうしているだけ。

「皆の、ため? 」

その皆には、自分も含まれている。

「……楽しいですか? 」

「え……」

なんて事ない問いかけに、頭の中が真っ白になる。

楽しいか。そう聞かれただけなのに。

「皆のために自分の人生の時間費やすんですよ? 無駄だとは思わないのですか? 」

「それは……だってそれが、1番良い解決策ですから……」

解決策? 何の?

もはや、自分が何を言っているのかさえ分からなくなる。

「良いんですよ」

良い? 何が……。

「自分のために生きて、良いんです」

言葉と共に、視界が真っ暗に染まった。

瞼の上に温かいものが触れたから、イベリスに手で目元を覆われたことが分かった。

「今まで、辛かったでしょう? ずっと皆に縛られて」

耳元で囁かれる声に、ぞわぞわしたものが脳を刺激した。

「ヤナギ様は、今までよく頑張りました。これからは自分のために生きていいんです。自分を1番に考えて、好きなことを思いっきりして、嫌なことは他の人に押し付ける。大丈夫。誰も怒りません。だって、ヤナギ様は今まで十分、頑張ってきたんですから。誰も貴方を責めないし、誰も貴方を怒らない」「責めないし、怒らない……? 」

「はい。もう貴方を縛るものはありません。皆のために頑張る? それは、本当に貴方が望んでいることなのですか? 違いますよね? そんなはずありませんもの。だって、人間の感情は、本心はもっと、どす黒いもので溢れて、溢れかえっているのですから」

足元がぬかるんでいるような、そんな感覚がした。

ズブズブと、ゆっくりと落ちていくような、そんな感覚。

どこまでも黒い真っ暗闇に飲み込まれるような……。

「もう、何もしなくて良いんです。貴方1人が頑張ったところで、何も変わりはしないんですから。だから、これからは好きに生きていいんです」

このままじゃ不味い、そう思った。

「好きなこと、とはなんでしょう? 」

イベリスの手を、掴んで離す。

そんなに力を入れずとも、すぐに視界は明るくなった。

「……私は、好きなことが分かりません」

花は好きだ。けど、今のところ花は好きな時にいくらでも見ることができる。

本を読むことも好きだ。けど、本は図書室に行けばいくらでもある。

好きなことをしていいと言われても、ヤナギはいつもしている。

「それに、私は誰かのために生きることが、苦ではありません」

辛くもないし、苦しくもない。

「私は、自分が頑張っているなんて、思っていません」

これが、この日常が、ヤナギの当たり前だから。

「……僕には分かりません」

だが、イベリスには理解してもらえなかった。

「そうですか」

けど、それもかまわないとおもった。

別に、誰かに理解してほしくてこんな人生論を語ったわけではない。

自分の人生なのだから、誰かに理解してもらう必要だってない。

ヤナギにはヤナギの生き方があって、イベリスにはイベリスの生き方がある。

生き方なんて、人の数だけあるのだから、違って当然だ。

「今日はお話を聞かせてくださり、ありがとうございました」

時間の無駄だからと断られたのに、何だかんだ話してくれたところに優しさを感じていた。

「それでは、私はこれで」

プリムラを背に、ヤナギは歩き出した。





素直に驚いた。

まさか、自分の甘い罠にかからない人間がいるなんて。

ヤナギと初めて会った時から、何処か不安定な印象はあった。

ゆらゆら揺れる天秤のようで、どちらかに傾くこともなければ、均等になることもない。

一方に重りを乗せれば、もう一方にも重りを乗せられる。

ずっと誰かに操られているような、「自分」を持ってない女の子。

だから、簡単に罠に嵌められると思っていたのに。

イベリスの覆った手を、いとも容易く解いてみせた。

「……自分の職務を全うする、か」

ヤナギの人生論を口に出してみると、改めて笑いが込み上げてきた。

「くっ、ははは……あははははははは!」

狂ったように一頻り笑い、目じりに滲んだ涙を拭う。

誰かから与えられた職務を、必ず実行してみせる少女。

彼女なら、きっと……。

どうやら、つまらないと思っていた学園生活にも進歩が見えてきたらしい。

「ヤナギ・ハラン……。使えそうだな」

そう、不敵に微笑んだ。




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