8

「今日も、お願いできるかしら? 」

今日は、玉ねぎのスープだけ。

それだけでも、アザレアが一生懸命作ったものだ。

体調が少しでも回復した時に、わざわざベッドから起き上がって作ったもの。

「はい」

玉ねぎのスープを、アイビーがカゴに入れて持っていく。

「あの、アイビー様」

「どうした? ヤナギ」

手伝おうか、そう言おうと思ったけれど、たかが玉ねぎのスープ1つ持っていくくらい、アイビー1人で十分だ。

「いえ。何でもございません」

「そうか。ヤナギ」

「はい。何でしょうか? 」

アイビーは、ヤナギの耳元にひそひそ話でもするように囁いた。

「今は、アザレアさんの傍にいてくれ」

「……はい。そうですね」

ヤナギとしても、そうしたいところだ。

もう、残された時間は少ない。

医者によると、もういつ産まれてもおかしくない状況らしいから。

できるだけ、アザレアの傍にいたいと思っているところだった。

部屋から出るアイビーを見送ると、シードが明るい声でアザレアに話しかけた。

「アザレアさん! 何かして欲しいこととかあります? 僕、けっこう役に立つんですよ? 」

「そうですね。シードはこう見えても役には立つ方なので、何でもお願いしていいんですよ? 」

「カルミア様、こう見えてもが余計です……」

2人のやり取りに、アザレアがふふっと笑う。

「じゃあ、飲み物を貰えるかしら? なんだか喉が乾いてしまって……」

「わっかりましたー! 」

すぐに水を入れにシンクの方へ行くシードを見て、アザレアが「ありがとうね」と朗らかに言った。

その表情は、これから死を迎える人のものとは思えないほど綺麗だった。

「はい、お水持ってきまし……」

コップに入った水を手にシードが戻ってきた時に、それはきた。

バタンッ、とアザレアがベッドから落ちた。

ベッドのすぐ近くに置かれていたミニテーブルが、ぶつかって倒れる。

シードも思わず、手に持っていたコップを落としてアザレアの元に駆け寄った。

「アザレアさん!? アザレアさん!? 」

「馬鹿揺らすなっ! 医者を呼べ! すぐにだ! 」

「わ、わかった! 」

カルミアの要請に、セルフがすぐに部屋を出て医者を呼びに行く。

アザレアの出産が迫っていることもあって、医者には暫く学園に寝泊まりを繰り返してもらっている。

呼べばすぐにでもきてくれるだろう。

「お、お腹が……」

「え、ええと……こんな時、どうすればいいんだ!? 」

さすがのブレイブも出産のことまでは自信がないらしく、ヤナギとメリアに意見を求めるようにこちらを向いた。

だが、意見を求められたメリアも、ブレイブ同様狼狽えていた。

「うぇっ!? えっとえっと……お腹痛い時は、温めたら良いとお母さんから聞いたことがあります! 」

「温めるんだな!? じゃあ……お湯で絞ったタオルだ! ええと、何ていうんだったか……」

「蒸しタオルですか? 」

「そうだ! ヤナギ、それを持ってきてくれ! 」

「分かりました」

桶にお湯を入れて、その中にタオルを入れる。

十分に温めたところでギュッと絞って、それをアザレアのお腹の上に敷くも、アザレアの表情は苦しそうに歪められたまま変わらなかった。

「おい! 医者呼んできたぞ! 」

すると、どうすれば良いのか分かりかねている家に、医者を連れたセルフが戻ってきた。

年老いた医者と2人の看護師であろう女性は、颯爽とした出で立ちでベッド脇まで来ると、一斉に顔を険しくした。

「……陣痛か」

何ら不思議ではなかった。

医者ももうすぐ産まれると言っていたそうだったから、別に今陣痛がきてもおかしい事なんて何もない。

ないけれど、驚いていた。

まさか、こんなに早くくるとは思わなかったのだ。

「今すぐ出産の準備をしよう。申し訳ありませんが、皆様は外で待機していてもらえますかな? 」

「は、はい。分かりました」

ブレイブが返事をして、皆を引き連れて部屋を出る。

扉を閉めても、中からはアザレアの苦しそうな呻き声が聞こえてきた。

「アザレアさん、大丈夫かな……? 」

そう言ったメリアの肩に、シードが手を置いた。

きっと大丈夫だよ、そう言うように。

大丈夫かどうかは、ヤナギには分からない。

ヤナギだけではない。

皆だって、分からない。

今はただ、きっと大丈夫だと、信じて待つことしかできないのだから。




「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」

女性に抱き上げられた小さな赤ちゃんを見ると、アザレアはほっと息を吐いた。

無事に、産むことができたのだ。

さぞかし安心できたことだろう。

「おめでとうございます、アザレア様」

「ええ。ありがとうございます、ヤナギ様」

おめでとう。そう祝福するのが正解だ。

赤ちゃんが、新しい命が誕生したのだ。

おめでとうと言って、心の底から祝福して、笑うべきだ。

そうするべきなのに。

ヤナギ達は、暗い顔をしていた。

「女の子、なんですね。とっても可愛い……」

メリアが赤ちゃんを見て微笑みかける。

大泣きする赤ちゃんは、ヤナギの目にも尊く映った。

「アザレアさん、出産おめでとうございます」

「あら、アイビー様も。ありがとうございます」

気がつけば、食事を持って行っていたアイビーが、部屋に入ってきていた。

「アイビー様、ネイラさんは、ご飯を食べてくれていたかしら? 」

アイビーが、悲しそうに俯く。

それだけで、もう答えは分かった。

「そう……。全く、意地っ張りなんだか……ゴホッゴホッ」

「アザレア様! 」

ヤナギがアザレアの手を握ろうと傍に行くと、その手を見てハッとする。

赤色の液体がついた手は、ガクガクと震えていた。

耐えきれなくなってベッドに目線を落とすと、シーツにも赤色の液体が点々と付着していた。

アザレアが少しでも身体を動かすと、隠れていた赤色が更に視界に入ってきた。

「アザレアさ……」

「ありがとう」

メリアの言葉を遮って、アザレアが優しくヤナギの手を握って言った。

「私の我儘を、聞いてくれて」

「そんな、私は……」

何もしていない。何もできていないのに。

「いつも、お仕事のお手伝いをしてくれて、ありがとうございます」

「そんなの、当たり前です。困っているのでしたら、お願いされれば、手伝います。いつだって」

アザレアの視線が、次はメリアに移される。

「お昼の時間、いつも来てくれてありがとうね。貴方のおかげで、退屈せずにすんだわ。シード様も、ありがとう」

「私だって……私の、方こそありがとうございます……! 花壇のお花を見ることが、本当に、楽しみでっ……! 新しい種を撒いてる時とか、次はどんな花が咲くんだろうって、本当に……」

「僕の方こそ、ありがとうございました。僕、植物とかすぐ枯らしちゃうから、ほんと、尊敬してます」

「あらそうなの? 意外だわ」

苦しそうに笑って、今度はカルミアを見た。

「発表は、上手くいったのかしら? ……と言っても、もう随分前のことだけれど」

「はい。いろいろありましたけど、良い思い出になりました。アザレアさんの助言のおかげです」

「そう言ってもらえて、何よりだわ」

ブレイブは、まっすぐにアザレアを見つめていた。

一切逸らそうとせず、ただまっすぐに、アザレアの言葉を待っている。

「ブレイブ様も、ありがとうございますね。ずっと、ネイラさんの傍にいてくれたのでしょう? 」

「……それは、俺の方です。ネイラ先生はずっと俺に、剣を教えてくれていて、俺を、見てくださっていましたから……」

「それじゃあ、おあいこってことね」

アザレアは次に、アイビーの方を見る。

アイビーも至極真面目な顔で、アザレアに深々と頭を下げた。

「ヒーストリア学園のため尽力してくださったこと、深く感謝いたしております。この先も、ずっと……。そして、何もできない、不甲斐ない俺で、申し訳ありません……」

悔しそうに声を絞り出すアイビーに、アザレアはゆるゆると首を横に振った。

「アイビー様には私、感謝しているんですよ? いつも学園の皆様のことを第1に考えていて、私にもいつも優しく接してくれた。本当にありがとう。仕事が楽しいと思えたのは、貴方のおかげでもあるんだから」

「……これ以上ないお言葉、ありがとう、ございます」

そして、最後にセルフを見た。

セルフは、アザレアと目を合わせようとしない。

ずっと下を向いたまま、握り拳をつくっている。

そんなセルフに、アザレアは自身の想いを語った。

「セルフ君も、最後まで本当にありがとう。ネイラさんに、いろいろ言ってくれたんでしょう? 」

「すみませんアザレアさん」

急に謝るセルフに、アザレアはキョトンとした顔をする。

「アザレアさんに、生きててほしいと思ったのは本当です。でも、それだけじゃない。俺は、ネイラ先生を、助けたい。ネイラ先生に、後悔してほしくなかった……。だから俺はっ……。すみません、すみません、こんな、気持ちでアザレアさんを心配して……」

「ありがとうセルフ君」

「何が……」

「ネイラさんのこと、そんなに想ってくれて。私はその事が、何より嬉しいわ。本当に、ありがとう」

「っ……! 」

セルフの目から、涙がこぼれ落ちた。

堰を切ったように溢れてくる涙を見て、アザレアが困ったように手を差し伸べる。

セルフの微に触れようと伸ばされた手は、何も掴むことなく空を斬った。

「貴方達に、お願いがあるの。お願いばかりで、悪いんだけど」

「いえ。何でしょうか? 」

アザレアの頼みなら、いくらでもきいてあげたい。

ヤナギが問うと、アザレアは力なく言った。

「私がいなくなっても、泣いたりせずに、笑って居てね? 約束よ? 」

約束。そう言って、手を差し出してくる。

震える手を、ヤナギは両手で握った。

「はい」

約束は、守らなければいけない。

それにこれは、最後のお願いなのだから。

「あと、長くて1時間です」

無情にも、医者がそう言った。

もう本当に、時間がない。

何か喋らなければ。そう思うのに、何故か言葉は出てこなかった。

まだ話したいことはたくさんあるというのに、こんな時に限って、何も出てこない。

歯がゆい思いをしていると、不意にポツリとアザレアが言った。

「……あの人は、来てくれないのかしら」

違う。

「アザレアがいなくなっても笑っていること」、それが、最後のお願いなんかじゃない。

違うのだ。アザレアの最後の、本当のお願いは……。

「少し、残念ね……」

そう言った瞬間、ヤナギはくるりと背を向いた。

「ヤナギ様? 」

何処に行くの? そう聞いてくるアザレアに、ヤナギは強く宣言した。

「必ず、連れてきます」

「私も行く」

すると、メリアも察してヤナギの隣に並んだ。

「俺も行く」

アイビーも。

「俺も」

ブレイブも。

「俺も、絶対連れてくる」

セルフも。

「俺も行こう」

カルミアも。

「僕も行きます」

シードも。

皆、強い瞳を宿して走り出した。






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