5

突拍子もなく告げられたそれに、言葉を忘れたかのように辺りは静まった。

意味が分からない。理解できない。理解したく、ない。

「……なくなるって、なに……? だって、え……? 」

冗談だろうと、硬く笑いながら言うメリアに、カルミアは静かに首を横に振った。

「亡くなるは亡くなるだ。アザレアさんは、赤ちゃんを産めば……」

「待ってくれ……」

理解が追いついていないアイビーが、頭をかかえる。

セルフは呆然としており、シードは真っ青になってただただアザレアの方を見ていた。

「あー良かった! 」

1人だけ、元気な声でそう言ったアザレアは、上半身だけをベッドから起こして大きく伸びをした。

何が「良かった」なのか分からず、皆が一斉にアザレアへと視線を送る。

その視線に答えるように、アザレアは言った。

「何処も異常がなくて、本当に良かったわー! 」

「な、何言ってるんですか……? 異常なんて……」

メリアの身体がガクガクと震え出す。

アザレアが「亡くなる」かもしれないという理解が、時間をおいてやってきたのだ。

「あ……でも、赤ちゃんを産まなければ、アザレアさんは……」

確かにメリアの言う通り、アザレアは赤ちゃんを産めば亡くなると言っていた。

だったら、流産させてしまうという手もある。

とても気の毒なことではあるだろうが、アザレアの命が助かるならそれでも良いと思った。

だが……

「産むわよ? 赤ちゃん」

サラリと告げるアザレアの言葉に、今度こそメリアは何も言わなくなった。

張り詰めた顔をして、どうしてと訴えるだけだ。

「だって、せっかく来てくださった子だもの。この子を産むことが、私の使命」

「……産んで、お世話してあげることも、貴方の使命ではないんですか? 」

シードのややキツい言葉にも、アザレアは動じない。

「そうね。産んだらちゃんと、育てなくちゃ。でも、それは主人に任せるわ。あの人なら、きっと……」

「何年もアザレアさんを放置してた人に? 」

シードの声は、震えていた。

顔も俯いたまま、上げようとしない。

鼻を啜る音もした。

「あの人、子供には結構優しいのよ? いや、子供だけじゃないわ。私を嫌っているだけで、他の人には親切なんだから」

「アザレアさんは、それで良いんですか……? 」

「セルフ様、心配してくださって、ありがとうございます。でも私はこれで……」

「ネイラ先生が、言ってました。アザレアさんには、悪いことをしてしまったと……。ネイラ先生は、アザレアさんのことを嫌ってなんかいません。ちゃんと、大切に思っています。だから、もっと一緒にいるべきだと、俺は思う、から……。だから……」

セルフは、爪がくい込むほど、拳をぎゅうっと握っていた。

「……そう。あの人が、そんなことを……」

アザレアは、悲しそうに笑った。

その笑みに、ヤナギは耐えられなくなった。

その目は、どんなに真実を知っても揺らぐことのない決意に満ちていたから……。

「……私は、もう行きます。あまりいると、ご迷惑でしょうから」

ヤナギはそう言って、席を外した。

ふらりふらりと去るヤナギに後押しされたように、カルミアとメリアも「俺も」「私も」と後を追った。

「カルミア様は、知ってたんですね」

「ああ」

メリアの静かな声に、カルミアも静かに返す。

ヤナギは、何も言えないでいた。

「アザレアさんが倒れたと聞いて駆けつけたら、1人でいたから少し見てようと思って……。何かあったのかと聞いたら、教えてくれた。いつも通り、笑顔で、何でもないことみたいに」

「……そうですか」

どうしてアザレアなのだろう。

この世界に人は沢山いる。

その中には、妊婦さんだって多く含まれているはずだ。

それなのに、どうしてアザレアが選ばれたのか。

何故、こんな形で人を失ってしまわなければならないのか。

『あら、またお花を見に来てくれたんですか? 』

『いつも手伝ってくれて、ありがとうございますね』

『このお花、綺麗でしょう? 私のお気に入りなの』

ずっと、あんな日々が続くと思っていた。

この先もずっと……。

毎日のように花壇に行っていたヤナギにとって、その現実はなかなか受け止められるものではない。

「何とか、助けられないのでしょうか……」

「ヤナギちゃん……」

「方法は、ないのですか? 無事出産ができて、尚且つアザレア様も助かるような、そんな方法が……」

「無理だな」

無情にもそう言ったカルミアの顔は、悔しさで酷く歪んでいた。

「見つかったのがもう少し早ければどうにかなったかもしれないが。もう出産間近まできてしまった状態ではどうにもならないと、医者は言っていたそうだ。唯一の方法は流産らしいが、それもアザレアさん本人が拒否しているからな……」

何も、できないのだろうか。

前世とは違い、ここは科学技術もあまり発達していない。

ヤナギは前世でも成績は良い方だったが、医療知識なんて生物の時間に習った程度のものだ。

出産に関する知識だって、保健の時間に少し齧った程度。

もっと、もっと前世で勉強をしていれば、何とかなったのかもしれないのに……。

「このまま、何もできないのかな……? 」

小さく呟いたメリアの声に、答える者は誰もいない。

必死に方法を模索するも、何も思い浮かばない自分が歯がゆかった。

と、その時。

キィと部屋の扉が開いて、中からいつになく真剣な顔をしたセルフが出てきた。

「セルフ様……? 」

急に現れたセルフにびっくりしてメリアが呼ぶと、顔を向けることもなくセルフは目の前を通り過ぎていった。

「セルフ様、何処に……」

「ブレイブのところ」

「え? 何でブレイブ様のところに……」

「あいつ、昔ネイラ先生に剣教わってたから。あいつなら、ネイラ先生を……」

「……待ってください」

ヤナギの声に、セルフが足を止めた。

ゆっくりと振り返ったその表情は、この短時間で酷く疲れているように見えた。

「私も行きます」

このまま、じっとしているなんてできなかった。

何ができるかは分からないが、動いていたかった。

「私も、行く」

「俺も行かせてもらう」

メリアとカルミアも、強い意志を宿した瞳でセルフをまっすぐ見つめて言う。

「俺も行っていいか? 何か分かるのなら」

「僕も行きます」

アイビーとシードも、部屋から出てきて言った。

「勝手にしろ……」

セルフはそれだけ言って、長い廊下を突き進んだ。

ヤナギ達は顔を見合わせて頷きあい、セルフに続いて騎士達がいる稽古場へと向かった。




「ブレイブ! 」

稽古場の扉を開けるなりそう叫ぶセルフに、中で訓練していた人達が手を止めてこちらを見た。

そんな目にかまわず、セルフは堂々と稽古場へと足を踏み入れる。

ヤナギも会釈をしてから中に入る。

柔らかい土をサクサク踏みしめてブレイブを探すと、水色の彼はすぐに見つかった。

突然入ってきたセルフ達に、一旦訓練を止めてこちらに近づいてくる。

「どうした? ここは騎士以外立ち入り禁止だぞ。何か用があるなら入り口の前で誰かに……」

「ネイラ先生とアザレアさんについて」

ブレイブの言葉を遮ってセルフが言うと、ブレイブはすぐに険しい表情になった。

この反応からするに、やはり何か知っていることは間違いない。

「……別の場所で話そう。おい、今日の訓練はもう終わりだ! 後は寮に戻るなり自主練をするなり勝手にしろ! ただ、後片付けはやっていくように! 」

「はい! 」

訓練をしていた騎士にそう呼びかけると、ブレイブはすぐにヤナギ達を稽古場から離れた、少し先の草むらに連れて行った。

「アザレアさんが倒れたのは、知ってるか? 」

「なに? 」

知らなかったらしいブレイブに、セルフが説明をする。

「アザレアさんに、子供ができた」

「ああ。倒れたというのは、陣痛か何かか……」

「いや、病気だ」

「……え」

「あんま詳しいことは分からないから端的に言うと……赤ちゃんを産むと死ぬ」

「は……? 」

あまりにも大雑把なセルフの説明に、カルミアが付け加えるように口を開いた。

「子宮壁から胎盤が剥がれて、赤ちゃんに酸素や栄養が行き届かなくなったんだ。このままだと、胎盤が剥がれた後の子宮から出血を起こして、全身の出血へと繋がっていくらしい。助ける方法は、まだ分からないと……。最悪の場合、アザレアさんだけでなく、胎児にも影響が……」

「っ……!? ちょっと待ってくださいカルミア様! 赤ちゃんにまで影響あるなんて、聞いてませんよ!? 」

更なる新情報に慌てるメリアを、アイビーが「落ち着け」と宥める。

赤ちゃんにまで影響を与える。

それはつまり、赤ちゃんも死んでしまうかもしれないということ……。

「なんで、アザレアさんがそんなことに……」

「分からない。……俺だって、分かんねぇよ。でも、ブレイブなら何か知ってんじゃないかと思って、今日は来たんだ」

「俺が? 」

「何を」と聞こうとしたブレイブより先に、セルフが口を聞いた。

「……正直俺は、アザレアさんには流産の方を選んでほしいと思ってる。流産すれば、まだ助かるかもしれないから……。でも、俺たちが言っても聴かないんだよ。だから、ネイラ先生なら、ネイラ先生から言ってくれれば……」

「なるほどな……。でも、だったら何で俺にネイラ先生とアザレアさんについて聞くんだ? それなら直接ネイラ先生に話したらいいだろう? 」

ブレイブの言葉に、セルフが首を横に振る。

「ブレイブも、知ってるんだろ……? 今のネイラ先生が、アザレアさんと会っていないこと。ネイラ先生は、アザレアさんの作ったご飯を食べる資格がないって言ってた。多分、今のネイラ先生じゃ、アザレアさんと会ってくれない。何か、説得できる材料が欲しいんだ。何でもいい。昔、ネイラ先生に稽古つけて貰ってたブレイブなら、ネイラ先生がアザレアさんに抱いてた感情が、分かるんじゃないか? 」

ブレイブは小さくため息を吐いた後、視線をさ迷わせながら話し始めた。

「小さい頃……7つの時だったか、ネイラ先生に聞いたことがある。何で、剣を教える立場になったのかってな。あの時の俺は、剣を握った人は誰でも騎士になりたいって思うことが、当たり前だと思っていたから。そしたらネイラ先生が、私も騎士を目指していたんだよって、教えてくれた。じゃあ、どうして騎士になってないの? って、無責任に俺が聞いたら、なれなかったんですよ、って、すごく……悲しそうに、言っていた」

子供は純粋だ。

相手の都合なんて考えずに、疑問に思ったことは何でも聞いてしまう生き物。

「アザレアさんのことについても、ちょっとだけなら話してくれたよ。幼い子供になら、話してもいいと思ったんだろうな。誰かを守りたくて騎士になったのに、守れなかった。そのことをずっと悔やんでいる、と……」

守れなかった。誰を? アザレアさんを?

そんな話、ヤナギ達は知らない。

「守れなくて、それからよりいっそう騎士になるため努力を積み重ねてきたそうだが、如何せん、上手くいかなかったらしい。俺が知ってるのはそれだけだ」

守れなかったといっても、アザレアさんはまだ生きている。

分からないことはあるが、それでも収穫はあった。

ハッキリしたのは、ネイラはアザレアを守りたいと思っているということ。

アザレアを守りたいのなら、流産を進めてもらえるかもしれない。

「俺、ネイラ先生のところに行ってくる」

ブレイブの話を聞き終えた途端、セルフがすぐに動き出そうとする。

「私はアザレアさんのところに行ってくる。私の方でも、アザレアさんを説得してみる……。流産は、私も嫌だけど……それでも、アザレアさんが死んじゃう方が、もっと嫌だよ……」

泣きそうになりながら言うメリアの肩を、シードが持った。

「僕もアザレアさんの傍にいようと思う。アザレアさん、今危ないんでしょ? だったら何かあった時のために……」

「それなら俺もいよう。何か力になれるかもしれん」

「なら俺も。そういう時の人手は、多い方が良いだろう? 」

カルミアとアイビーがアザレアの方に行くと言い出したことで、自然とネイラの方へ行くメンバーは決定する。

ブレイブ、セルフ、ヤナギの3人だ。

「じゃあ俺たちはネイラ先生のところへ行ってくる。事情を説明して、必ずアザレアさんのとこまで連れて行くから、待っててくれ」

「分かりました。頑張ってくださいね」

メリアからの声援に軽く手を上げて、それぞれ別の方向に向けて歩き出した。




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