7

ポツポツと雨が降り出してきたのは、本日最後の授業が終わろうとしていた頃だった。

初めは小降りだったためすぐ止むだろうと思っていたのだが、すぐに土砂降りになっていく。

まるで壊れた機械のように「ザーザー」という空を見ながら、生徒たちはため息を吐いていた。

また雨か、とその顔にはかいてある。

「朝まで晴れてたのにね……」

メリアが憂鬱そうに呟いた。

「ヤナギちゃんは、この後何か予定ある? 」

「いいえ、特にないわ」

「じゃあさ、マリーちゃんに、会いにいってみない? 」

やっぱり、メリアなら言うと思っていた。

お昼休み、稽古場で別れてから、マリーとは会っていないのだ。

あんなことがあった後だから、心配なのだろう。

「そうね。落ち込んでいるかもしれないし、様子を見てみましょうか」

「うん。じゃあ、早速行こうか」

そう言って、メリアとヤナギは教室を出た……ときだった。

扉を開けた先にいた人とぶつかりそうになってしまい何とか避けると、相手はなんと、いつもヤナギのお世話をしてくれているメイドだった。

メイドはヤナギを目にした瞬間、静かな声で、だが確かな焦りも加えてこう言った。

「ヤナギ様、マリー・ルミスを見ませんでしたか? 」

「マリー様? 」

見ていない。というか、今から様子を見に行こうとしていたところだ。

「いないんですか? 」

焦っているメイドを見て、メリアが眉をひそめてそう聞いた。

メイドは更に困惑した様子で、首を縦に振った。

「いないのです。休憩時間が終わって、掃除を頼もうと思っていたら、何処にも……。メイド総出で学園中を探し回ったのですが……」

メイドの手は、ガクガクと震えていた。

よっぽど心配なのだろう。

「分かりました。私の方でも、探してみます」

「私も探すよ。皆にも、見てなかったか声かけてみる」

「ありがとうございますヤナギ様、メリア様」

メイドは一礼して、その場を素早く去っていった。

ヤナギとメリアも、顔を見合わせて頷きあった。




「いたか!? 」

「いえ! カルミア様の方は? 」

「こっちにもいない! 」

「こっちにもいませんよ! 」

「3階にはいなかった! 2階は!? 」

「いらっしゃいません」

ぐるぐるぐるぐる。学園中を回ってマリーを捜索するも、姿どころか手がかりさえ掴むことができなかった。

生徒会室の前で合流した途端、シードが頭を掻きむしって声を荒らげた。

「あーもうっ! それもこれもぜーんぶ、あのジャンとかいう男のせいじゃないですか! ていうか、探しにもきてないですよね? マリーちゃんがいなくなったこと、知らないんじゃないですか? 」

「そういえばそうだな……。だが、知らせたところで来てくれるかどうか……」

アイビーが神妙な面持ちで言った隣で、メリアは小さく嘆息した。

「ヤナギちゃん、どうしよう……」

探し始める時よりも顔が曇っているメリアは、マリーがなかなか見つからないこととは別に、何か事情があるようだった。

「私、マリーちゃんがジャン様にプレゼントを渡すって言った時、よく考えもせずに絶対喜ぶ、なんて言っちゃった。マリーちゃんとジャン様の間に溝があるのは知ってたのに、無責任だったよね……」

どうやら自分が言った言葉を後悔しているらしい。

「絶対喜ぶ」なんて、確信もなく言ってしまったことを、悔やんでいる。

でも、それは何だか違う気がした。

「……ジャン様は、喜んでいなかったのでしょうか? 」

ヤナギの発言に、全員が振り向いた。

「今更何を言っているんだ? ペンダントを地面に叩きつけていたではないか。それが、何よりの証拠だろう? 」

カルミアが呆れたように言うが、それでもいまいち理解できない。

確かに、ジャンはプレゼントのペンダントを壊してしまった。

でも……。

「ですが、ジャン様は1度も、プレゼントなんていらないとは仰っていませんでした」

ジャンはこう言った。

給料を貰ったのなら、こんなものを買わずに家に送れ、と。

それは、家計が苦しい家のことを、心配しているようだった。

「ジャン様がマリー様のことを嫌っているかどうかも、私には分かりません。ですが、家のことを……家族のことを心配している。それだけは、確かなのだと思います」

「……ヤナギちゃん」

外は雨が降っている。

この雨の中外にいるとは考えにくいが、可能性がないわけではない。

「……外にいるとしたら、どこでしょう? もしかしたら学園を出た、なんてことも……」

「いや、それはないと思う。学園を出たとしたら、誰かが見ているはずだしな。できるかぎり聞き込みをしたが、そういった目撃情報もなかった」

「アイビー様が言うならそうなんでしょうね……。ったく、救援要請を頼みましょう! ブレイブ様とセルフ様にも、探すの手伝ってもらいましょうよ! 」

「で、でも、2人とも今は稽古中だから、断られちゃうんじゃ……」

「大丈夫だよメリアちゃん! 僕が引っ張ってくるから! 」

「確かに、こればっかりは、シードの言う通りかもしれないな。人手は多い方が助かるし」

「さっすがカルミア様分かってるぅ! じゃあ早速呼びに行きましょう! 僕とヤナギ様とメリアちゃんでブレイブ様呼んでくるので、アイビー様とカルミア様で、養成所の方行ってください! 」

「おい待て。なんだその組み合わせは……まぁ、いいか」

何かを言いかけたカルミアだったが、ため息を吐いて最後には了承していた。

「じゃあ、俺とカルミア様で養成所の方へ行ってくる」

「はーい。じゃあ僕達も行こうか」

「はい! 」

「はい」

こうして、ヤナギとシード、メリアの3人で、セルフのいる稽古場の方へと行くことになった。




「マリーって……ジャンの妹が? 」

事情を説明すると、ブレイブの顔が険しいものへと変わった。

「はい。昼間せっかくのプレゼントを床に投げつけた、あのジャンとかいう男の妹です」

嫌味を含んだ口調でシードが言うと、メリアが横で「シード様」と軽く咎める。

「ああ。昼のことだったら、俺の方からジャンには注意をしておいたよ。俺とマリーの問題だから気にしないでくださいって、言われてしまったけどな」

「ところで、その問題のジャン様はどこに? 」

「シード様」

「うっ……。ごめんって、メリアちゃん」

「ジャンなら、今訓練が終わって剣を片付けにいっているところだ……」

「なんの話だ? 」

ブレイブが言い終わらないうちに、背後から声が聞こえた。

噂をすればなんとやら。

振り向くと、そこには訓練が終わったばかりで額に汗を浮かべているジャンがいた。

「さっきぶりですねジャン様。元気でしたか? 」

「ああ……。昼に会った金髪の……」

「どうもこんにちは! 自己紹介はまだでしたね? シード・スカシユリって言います〜! 貴方は……マリーちゃんのお兄様? でしたっけ」

「シード様」

「ごめんメリアちゃん。これで、これで最後だから」

本人を前にズカズカと棘を含んだ台詞を連発するシードだったが、ジャンはそれらには一切反応しなかった。

ただ、視線をシードから逸らしただけ。

「ちょうど良かったジャン。おまえにも、手伝ってもらうこととしよう」

「ブレイブ様? いったいなんの話ですか? 依頼なら勿論お供しますが……」

「言ったな? この3人からの依頼だ。マリー・ルミスを探してくれ、と……」

「マリーを? 」

「マリー」と聞いた途端、ジャンの眉がピクリと動いたのを、ヤナギは見逃さなかった。

ブレイブは大きく頷いた後、ジャンに事情を説明した。

「マリー・ルミスがいなくなったらしい。学園中探しても見つからなかったため、人手が欲しいとの依頼だ。マリーとは昼休憩で別れた後、一切見かけていないらしい。学内のメイド達も総出で探しているらしいが、見つからないとのことだ。ジャン、手伝ってくれるな? 」

ブレイブの説明を聞いたジャンの顔色が、だんだん青くなっていく。

血の気が失せて、今にも倒れてしまいそうなほど、顔面蒼白になっていた。

「……は? なんでマリーが……何処探してもいないなんて、そんなことあるわけ……」

「落ち着けジャン。まだ見つかってはいないが、俺たちも探せばきっと……」

ジャンは、ブレイブの言葉なんて聞かずに、真っ先にヤナギの両肩を掴んだ。

「っ……! おい! マリーが何処にいるか、本当に分かんねぇのかよ!? 」

急に浴びせられた怒声に、さすがのヤナギもこの時ばかりはいつもの無表情ではいられなくなってしまった。

掴まれた肩は小刻みに震えだし、身体から冷や汗が出てくる。

「知ってんだよ! マリーと再開したあの日、他のメイドに聞いて……! マリーはあんたのお世話係だって聞いたから! マリーが何処に行ったのか、本当に知らないのか!? まだ8歳なんだぞ! 働いているとはいえ、ちゃんと見とけよ! 」

「も、もうしわけござ……」

「あんたがマリーのこと見てなかったから……! 」

「もうしわ……」

「あんたのせいでっ! 役立たず……! 」


「役立たず」


何気なく言われたその一言が、頭の中で反響する。

『この、役立たずがっ……! 』

昔言われた、あの人の言葉と重なった。

塞がれていた記憶の扉が、ズズズ、と嫌な音を立てて開かれていく。

床に散乱したビール瓶。

テレビの音だけが無機質に響くあの部屋。

残飯のような冷めきったご飯。

あの痣が。

切り傷が。

前世の記憶と、重なって……。

『おまえは俺の言われた通りにしていればいいんだ! 』

『なんでこんなこともできないんだ! 』

『役立たずがっ! 』



「ごめんなさい……」

震えた声を、何とか喉から絞り出した。

「ごめんなさい」

まだ、震えは収まらない。

肩だけじゃない。手も、足も、身体全体が、カタカタと震えていた。

「ごめんな、さい。ごめん……なさ……」

「ヤナギちゃん! 」

何度も謝ろうとするヤナギを、メリアが抱きしめる。

暖かい感触が身体全体を包み込む。

「メ、リア……? 」

「大丈夫、大丈夫だから……」

そうしていると、自然と身体の震えは収まっていった。

ヤナギを抱きしめたままの状態で、メリアはキツくジャンを睨んだ。

女の子から睨まれたジャンは、怒鳴るのを止めて一瞬怯んだように後ずさりする。

「ヤナギ様に八つ当たりとか、とんだ最低野郎ですね」

シードが、怒気を含んだ声でそう言った。

「す、すまん。気が、動転していて……。悪かった、この通りだ」

頭を深く下げて、ジャンは謝ってくれた。

「もう、怒っていないのですか……? 」

子犬のようにおどおどしながら聞くと、ジャンは頭を上げずに答えた。

「ああ。八つ当たりして、悪かった。騎士として……いや、人として、褒められる行為ではないことは、自覚している」

もう怒っていない。

そのことが本人から聞けただけで、ヤナギにとっては十分だった。

「でもまぁ、これで確信したな。ジャンは妹を大切に思っている、ということが」

ブレイブが言うと、ジャンはバツが悪そうに顔を歪ませた。

「……俺は、家族が嫌いです。毎日遊び呆けてる父に、働いてるかわりに家のことを全然しなくなった母、それに、何もしない……できない妹が、嫌いでした。それでもっ……」

「それでも? 」

先の言葉が分かっているかのような穏やかな顔つきでブレイブが先を促すと、ジャンは振り切ったように下げていた頭を勢いよく上げた。

「それでも俺はっ……、また家族と笑ってたい! 」

それが、ジャンの心からの叫びだった。

「もう、一緒にいたくないって思って出ていった家だけど……もし、もしもう一度、もう一度だけっ、そんな日が、笑っていられる時間が戻ってくるのならっ、俺は……! もちろん、その中にはマリーも必要だからっ! だから……! 」

必死に訴えるジャンの背中を、ブレイブがバシッと叩く。

まるで、押し出すかのように。

「なら、探しにいかなくてはいけないな」

「ブレイブ様……」

「私たちも、手伝います。ね? シード様」

「僕は、ヤナギ様が良いなら……」

「かまいません」

「なら、僕も」

「メリア様にシード様、ヤナギ様も……。ありがとう、ございます……! 」

ジャンはもう、大丈夫のようだった。

「よし! じゃあ行きましょう! 」

メリアの号令と共に、各々小走りになって稽古場から離れていく。

ヤナギも歩きだそうと足を動かした時、隣にブレイブが来て、耳打ちするような小さな声でヤナギに話しかけた。

「大丈夫か? 」

大丈夫? ヤナギに向けて言われたのだろうか。

「はい。私は別段大丈夫ですが……。何故? 」

どうして「大丈夫か」と聞かれたのか意味が分からず聞き返すと、ブレイブは曖昧に返した。

「ほら、ヤナギのあんな姿、見たことがなかったからな……」

「あんな姿? 」

「ジャンに怒鳴られた時、顔が真っ白で、如何にも危なそうだったから……心配していた」

その返答に、またさっきのことを思い出してしまった。

怒鳴られて、怒られて。どうすれば良いのか分からず、ただただ戸惑う自分……。

結局、謝ることしかできない自分……。

「ヤナギ? 」

心配そうに、ブレイブが瞳を覗き込んでくる。

何だか顔を見られたくなくて、ヤナギは目をそっと逸らした。

「……いえ。何でもありません」

少し、昔のことを思い出しただけだ。

ずっと昔の、小さい頃の記憶を。

「……何かあれば、言ってくれ」

ブレイブの言葉に、ヤナギは小さく頷いた。

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