3
曇天の空の下、青年と少女は固まったまま見つめあっていた。
青年の方は心底驚いた、といったふうに目を見開いており、対する少女の方はといえば、驚きの中に垣間見える困惑とよく似た焦りのような感情が顔に浮かんでいた。
「マリー……おまえ、どうしてここに……」
「お、お兄ちゃん……。お疲れ! 騎士になったんだね。おめでとう! 」
青年、ジャンの質問には答えようとせず、マリーは騎士に昇格した兄に祝福の言葉を述べた。
その額にはうっすら汗が滲んでおり、やはりどこか焦りを感じさせる。
「それじゃあ私はこれで……」
「おいっ、待てよ! 」
散乱していたバスタオルを拾い集めてマリーがその場から立ち去ろうとするも、ジャンに手首を掴まれて引き止められる。
鋭く光るジャンの眼光は、怒っているようだった。
「マリー、何でおまえがここにいるんだよ。それに、その格好……」
マリーはメイド服を来ている。当たり前だ。メイドなのだから。
「ここで、働いてるの。メイドとして」
ここでようやく、マリーはジャンの質問に答えた。
「は? 働いてるって、なんで……」
「お父さんが、紹介状書いてくれた。ほら、家、お金ないでしょ? 私も頑張らなきゃ。お兄ちゃんばっかりに、任せてられない」
「はぁ!? 何のために俺が騎士になったと思ってんだよ!? 」
ジャンの大声がグラウンドに響き渡る。
訓練していた養成所の生徒や、獣退治から戻ってきていた騎士の人達が一斉にこちらを向いた。
だが、周りから注目を集めてしまっていることにも気づかずに、ジャンは声を荒立てた。
「それに紹介状って……! あのクソ親父!! 」
「違うよ! お父さんは悪くないの! お父さんだって、今ではちゃんと働いてるんだよ!? 」
「そんなの信じられるわけないだろ!? ていうか、ちゃんと働いてるんだったらわざわざお前をこんな所に寄越すかよ! 」
「だって、どんなに働いても、お母さんが……」
「っ……! それは、それは……」
言葉が見つからないのか、そこでジャンは何も発さなくなった。
空気が静まりかえったところで、ようやくジャンは周りの視線に気がついたらしい。
ハッと顔を上げて、バツが悪そうにセルフの方を見た。
セルフは、その目を逸らさなかった。
ジャンの「助けてくれ」と言っているような顔から、目が離せなかった。
「……ほら」
固まったままでいるジャンの元まで行って、セルフは1本の剣をジャンに渡す。
養成所の入口前に立てかけられていたものだ。
ジャンは一瞬呆けた顔をしたが、すぐに「あ、ああ……」と言って剣を受け取った。
「これ、取りにきたんだろ? 雨降ってきたら、錆びるしな」
「……そうだな」
剣を受け取るなり、ジャンは逃げるように養成所の中へと引き返して行った。
マリーには、何も言わずに。
「何か、事情でもあるのかな? 」
メリアがマリーの隣でしゃがみ目線を合わせると、マリーはそれをふいっと逸らした。
「言いたくないなら無理にとは言わないけど……でも、良かったら聞くよ? その問題が解決するかどうかは分からないけれど、聞くぐらいならできるから」
そう言うと、マリーは逸らしていた目を元に戻した。
伏せらていた大きな瞳が、段々と開かれていく。
「私の家系は、下級貴族なんだって、お父さんが言ってました」
小さな声で、マリーは語り出した。
「家は貴族なのに、何でお金がないの? そう聞いた事があります。そしたら、お父さんが教えてくれたんです。下級貴族は上級貴族と違って、お金に困っているところも多くあると。それが、家でした」
「そう、なんだ……」
シードが眉を潜める。シードも貴族だが、男爵家。
上級貴族の中では1番低い階級に属している身だ。何か通づる所があったのかもしれない。
「でも、お金なんかなくたって、毎日楽しかったんです。毎日、笑顔が絶えなくて……お兄ちゃんも、その頃は本当に楽しそうでした……」
「その頃は? 」
セルフが、少し驚いたように言った。
「はい。その頃は、とても楽しそうに暮らしてて……。家族の中も良かったのに。でもある日、お母さんが、病気にかかっちゃって……。すごく重い病気で。一応は治ったんですけど、治療費が、けっこうな金額で……。その時はお父さんの知人や友人からお金を借りて何とか凌いんだんですけど、でも、その借金がまだ返せてなくて……」
マリーの口から語られる言葉に、メリア達はただただ驚くばかりだった。
まだこんなに幼い少女が、家が抱える借金の話をしているのだ。
「借金を返そうと、初めはお父さんも頑張ってたんです。でも、しだいに何か、お仕事を放棄? するようになっちゃいまして……。毎日、お酒を飲んで過ごすばかりで、せっかく貯めていたお金も全部、それで消えちゃって……。お兄ちゃんも、イライラするようになって、毎日怒ってばかりで……」
「お酒……ですか」
ヤナギの口から出た低い声に、アイビーが視線を投げる。
「ヤナギ? 」
「いえ。なんでもございません」
少しだけ開いた記憶の扉に、瞬時に蓋をした。
「お母さんも、元気になってからは働きに出たんですけど、お母さんだけじゃとても無理だということで、今度はお兄ちゃんが騎士になるための、ここの養成所に行きました。騎士になれば、収入が入るからと」
そして、ジャンは騎士になった。
騎士になれば、収入が入る。そうなれば、少しでもお金に余裕がでてくるだろう。そう信じて。
でも、それでもマリーは、ここでメイドになった。
ということは……
「借金は、減らなかったのか? 」
カルミアの核心を突く一言に、マリーは小さく頷いた。
「それどころか、知らない間に、増えてたんです。お父さんが、借金を返すために、借金を繰り返して
て……」
借金を返すために借金をする。
お金を返せても、また返さなければならないところができていく。
そんなのただの、堂々巡りだ。
「だから、私も働きに出るしかなくて……。私だけ遊んでちゃ駄目だって思って、無理を言ってお願いしたら、お父さんが泣いちゃって……」
「泣いた……? 」
何故泣いたのか分からずに、メリアが首を傾げる。
「はい。働きたいと言った私に、謝ってくれたんです。おまえにまでそんなことを言わせてしまうなんて、俺は今まで何をしてたんだって言って……。おまえは働かなくていいって言われたけど、無理を言って紹介状を書いてもらったんです。私もルミス家の一員だから、家族皆でこの問題を乗り越えたいって思って……。お兄ちゃんには、反対されちゃいましたけど」
確かに、ジャンはメイドになったマリーを見て、ひどくご立腹の様子だった。
「でも私、お兄ちゃんに分かってもらいたい。お父さんも、ごめんなごめんなって、何回も謝ってたから……。私、もう一度、お兄ちゃんの笑顔が見たい! 」
力強くそう言ったマリーに、セルフは微妙な顔をした。
「あいつ、よく笑ってたぞ? 」
「え? 」
「騎士になってからは、俺もあんま合わなくなったからよく知らねぇけど……それでも、養成所にいる時は、少なくとも俺が見てた限りでは、笑顔が多かった、ように思う……」
確かに、文化祭で会った時も、怒ってはいなかったように思う。
「お兄ちゃん、笑ってたんですか? 」
「ああ。俺よく一緒にいたけど、笑ってる方、だったと思う……。てか、怒ってる所なんて見たことないし」
「え……」
相当驚いたのか、マリーの瞳が大きく揺らいだ。
そして、笑顔へと変わっていく。
「そっか……。笑ってたんだ、お兄ちゃん……」
ジャンが笑っていたことに安堵するマリーからは、本当に兄が大好きなんだということが伝わってきた。
「なら、私も頑張らないとですね! お兄ちゃんも、騎士になったらしいですし! 」
言ってマリーは、バスタオルの入ったカゴを抱え直した。
「私は私で、今できることを精一杯します! そうすれば、お兄ちゃんもきっとこの仕事、認めてくれると思うので! では! 」
カゴを両手で抱えて、よろよろとしたバランスで養成所の中へ入って行くマリーを見送った後、カルミアがポツリと小さくもらした。
「……なったらしい、か」
「どうしたんですか? 」
カルミアがもった違和感に、シードは気づかなかったようだ。
シードだけでなく、メリアとセルフも疑問符を浮かべている。
だが、アイビーとヤナギは、その言葉の意味に気がついていた。
「いや、普通、報告とかしないのかと思ってな」
「報告……あ」
セルフも、何が言いたいか理解したらしい。
「おかしいと思わないか? 養成所に通っていて、ようやく騎士になれたんだ。普通なら、手紙か何かで、家族に報告するものだろう? 」
「ああ。なるほど……。でもそれはやっぱり、家族の仲があんまり良くなかったからとかじゃないんですか? マリーちゃんのお兄さん、家では怒ってばかりだったって言ってましたし」
「でも、いくら仲が悪くても手紙くらいは寄越すんじゃ……? それとも、そんなに仲が悪かったんでしょうか? 」
シードとメリアが様々な憶測を飛ばすも、正解はなかなか導き出せない。
それに、人の家族の問題だからあまり容易に首を突っ込んではいけないことでもあった。
「ま、機会があれば、俺がまたジャンに聞いてみるよ」
結局、セルフがそう言っておしまい。
それからはなんとなく話すこともなくなってしまい、ヤナギ達は養成所をあとにする。
学園に続く道を暫く歩いていると、遠くの方で雷鳴が聞こえた。
ゴロゴロゴロと、不穏な音が耳に残る。
「降ってくる前に、急ごうか」
アイビーの言葉に頷いて、小走りになって学園へ向かった。
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