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「いい加減にしろよ! 」

ガシャン、とビール瓶が床に叩きつけられる。

まだ入っていた中身は床に水溜まりをつくっていき、瓶の粉々になった破片が辺りに飛び散った。

その大きな音にビクリと身体を震わせて、隣の部屋の様子を伺ってみると、そこには怒りで身体を震わせた兄の姿があった。

「毎日毎日遊んでばっかり! 借金残ってんだろ!? 頑張って返すって言ってたじゃないか! 」

「……っせぇなぁ。俺はもう疲れたんだよ。子供が大人にグチグチ言ってんじゃねぇ」

面倒くさそうに言う父親に、兄はますます苛立ったようだった。

「子供って……。俺は来年で成人する。おまえなんかよりも稼いで、立派な大人になってやる」

「俺よりも立派だと? ふん、馬鹿が。金を稼ぐことが、どれだけ大変か分かっているのか? 」

「まだ働いたことはないから分かったようなことは言えない……。けどな、俺は逃げない。おまえと違って、目の前の問題から逃げたりしない」

「……誰が、逃げてるって? 俺だってなぁ、こんな借金、抱えたくて抱えたわけじゃないんだ! 母さんが病気になって治すのが大変だから、仕方なくだな……」

「だったら! その病気を治してくれた恩人に、せめてもの恩返しとして、金を返そうとは思わないのかよ!? 」

「最初は思ったさ! だが、もう疲れたんだよ! 返しても返しても、減らない……俺はいったい、どうすりゃいいんだ……! 」

そうお酒を飲みながら言う父を、兄は冷ややかな目で見下ろしていた。

その目には、かつて一緒に笑いあった笑顔はない。

「あなた……ごめんなさい、私が、私のせいで……」

母がついに泣き出してしまった。

瓶の破片を片付けようとは誰もしない。

マリーも、どうすれば良いのか分からず、見ていることしかできなかった。



「ジャン、あなたどこに行くの? 」

ある日の朝、母の大きな声で、マリーは目を覚ました。

「お母さん……? 」

寝ぼけ眼を擦りながらマリーがそこに行くと、家の扉の前で、大きな荷物を持った兄と、焦ったような母の姿があった。

「あ、マリー、起こしてしまったのね……」

「おはようお母さん……。お兄ちゃん、どこに行くの? 」

「ああ。この家を出ていくんだよ」

思ってもみなかった言葉に、寝起きの頭はすぐに冴えた。

「え? 出ていくってどういうこと? もう帰ってこないの? 」

「……そうだよ」

「ジャン、考えなおしてちょうだい? お母さんも、もう大分良くなったから、働きにでようと思うの。あまり収入が多いとはいえないけれど、これからまた頑張っていけば……」

「頑張る? あのクソ親父はどうするんだよ? 今日もまだ寝てんだろ? 」

上の部屋から、父のいびきが聞こえてくる。

それに何も言えなくなった母は、話題を変えることにした。

「……出ていくって、どこに行くつもりなの? 」

「騎士の養成所」

「騎士!? 」

兄の返答に、母の顔は青くなった。

「騎士って……戦ってお金を稼ぐつもり!? 」

「騎士になりゃけっこう良い額が貰えるから、借金も返せるようになるだろ」

「駄目よ! 絶対駄目! お母さんが許さないわ! 騎士なんて、もし死んだりでもしたら……」

「はぁ……。あのな、戦争なんてもうとっくに終わってんだよ。騎士の仕事っつーのは、国からきた依頼を遂行したり、困ってる人を助けたりするのが仕事なんだよ。俺けっこう体力ある方だし、養成所に入るための試験だって、勉強してきたから絶対受かる」

「勉強ってそんな……いつ……」

戸惑う母とは違い、マリーには心当たりがあった。

母と父が寝た後、夜遅くになってから毎日机に向かって何かをしていたことは知っていた。

何をしているのかは知らなかったが、まさか勉強だったとは……。

「あっちに行けば寮もあるし、何よりあいつと顔を合わせなくて良くなるからな。それに、俺だってもう成人した、大人なんだ。好きにさせてくれよ」

「そんなっ……」

まだ引き止めようとする母に背いて、兄は扉を開けた。

本当に出ていくつもりらしい兄に、マリーは後ろから抱きつく。

「行かないでよお兄ちゃん! もう帰ってこないなんて、そんなのやだよ! 」

嫌だ。まだ一緒にいたい。

まだ、一緒に笑っていたいのに。

でも、抱きついたマリーを、兄は強い力で突き飛ばした。

思ったより強い力だったことに、マリーは驚く。

「……やめてくれ」

「え……」

「こんな家……大っ嫌いなんだよ! もう、関わらないでくれ! 俺を……自由にさせてくれよ! 」

そう言って、ジャンは走って出ていってしまった。

「……う、うぅ……」

驚きの後に、悲しみが押し寄せてくる。

兄からのハッキリとした拒絶に、マリーは泣きじゃくった。

「うわあああああ!! 」

「マリー……! 大丈夫よ、お兄ちゃんはきっと、すぐに戻ってくるわ」

母が抱きしめてくれるも、マリーが泣き止むことはなかった。


そうして、それから何ヶ月経っても、兄が戻ってくることはなかった……。




「マリー様? 」

箒を持ったまま突っ立っているマリーの意識を戻したのは、この部屋の主、ヤナギだった。

「……っ! すみません! 今お掃除を……」

そう言うも、手はあまり動いてくれない。

そんなマリーの手を、ヤナギが優しく握ってくれた。

「お疲れでしたら、お休みになられてください」

「え、ですが……」

「この部屋は、もう十分綺麗になりました。今のマリー様のお仕事は、休憩なさることだと思います」

「そう、ですか……。なら、お言葉に甘えて……。ありがとうございます」

箒とちりとりを持って、ヤナギの部屋を出る。

ヤナギに言われた通り少し休憩することにする。

箒とちりとりを片付けた後、マリーは外へ出た。

辺りを見回した後、ちょうど座れる場所を見つける。

だが、噴水前に設置されているベンチは、まだ水で濡れていた。

メイド服を汚してしまっては悪いと、ベンチから立ち上がる。

小さくため息を吐き中へ戻ろうとすると、今度は足に冷たい物がかかった。

バシャンと音を立てたそれは、水溜まりだった。

それが、あの日の割れたビール瓶と重なって、マリーは瞬時に目を逸らす。

「お兄ちゃん……」

久しぶりに再開した兄は、マリーを見て怒っているようだった。

『こんな家……大っ嫌いなんだよ! 』

それには、マリーも含まれているのだろうか。

いや、含まれているのだろう。

そうじゃないと、久しぶりに会った妹に、あんな態度はとるはずがない。

父が働かなくなってから、兄は父だけでなく、全てを嫌いになってしまった。

母も、マリーも……。

マリーは、心の中に重石が溜まっていくような、息苦しさを感じていた。






「どうしたジャン、動きが鈍っているぞ」

「っ……! すいません! 」

最近、ジャンの様子がおかしい。

ジャンが騎士になるための入団試験で合格したのは、今年の春のこと。

セルフの友人ということもあって、ブレイブもジャンのことはよく知っていた。

16歳で騎士になったジャンを、周りの人は皆「第2のブレイブ」だとか言って、褒めていたものだ。

正式な騎士になってからも、ジャンは凄まじい成長を遂げていた。

朝はブレイブの次に訓練に来るようになり、誰よりも頑張って剣を振るう。

訓練が終わってからも、遅くまで残って自主練を続けている姿を、よく目にしていた。

そのジャンが、最近ずっと調子が悪い。

剣を振るう姿も、表情も、不安定なものだった。

こんな調子が続きだしたのは、ちょうど森の動物を退治しに行った日からだ。

農家の方たちからきた依頼は、畑に現れる野生の熊や猪を退治してほしいというものだった。

退治とはいっても殺すわけではなく、畑に来させないようにする、という意味合いで。

だから畑に罠を張って、ここは危ない場所だということを伝える作戦でいったのだが、罠を張っている途中で問題の動物達が現れたのだ。

いつもより早い時間に来た動物達は、まだ試作中だった罠を軽々飛び越え畑に突進した。

やむを得まいと当たらないように剣を振るっていたが、その数が尋常じゃないほど多く、苦戦した。

雨が続いていたせいで地面もぬかるんでおり、転ぶたびに服が泥まみれになっていく。

悪戦苦闘していると、突如ジャンの悲鳴が響き渡った。

なんだなんだと来てみれば、そこにいたのは大きな身体をくねくねとうねらせるあいつだった。

『へ、蛇……蛇が……』

怯えるジャンの前で、ブレイブは大蛇を片手で引っ掴んで空へ投げた。

あの時はブレイブが撃退したが、もしかしたら、どこか噛まれていたのかもしれない。

もう日は経っているから大丈夫だとは思うが、気分が悪いのなら無理はしない方が良い。

「ジャン、大丈夫か? 」

動きが鈍いジャンに声をかけると、ジャンは振り向いてニッと笑った。

「大丈夫ですよ! 確かにいつもよりちょっと調子悪いけど、でも、こんなのなんてことないですから! 」

明るくそう言うが、笑顔は無理をしているように感じた。

普段から皆を纏める団長という大役を担っているからか、そういったことには気がつきやすい。

「……蛇か? 」

「は? 蛇……? 」

「ほら、数日前に行った獣退治で。もしかしたらあの時の蛇に噛まれたりしたんじゃ……」

「違いますよ! ていうか、思い出させないでくださいよ。本当に怖かったんですから……」

ブンブンと手を振るジャンは、嘘は言っていないようだ。

「なら、どうしたんだ? 何か悩みでもあるのか? 」

「別に……悩みなんて……」

ジャンは、「ない」とは言わなかった。

それは、「ある」という証拠だ。

じっとジャンを見つめると、観念したようにジャンは口を開いた。

「俺、家族が嫌いで……。家から出るために、養成所に入ったんです。騎士になろうと思ったのも、単に金が欲しかったからで……。そんな理由で騎士になったなんて、ブレイブ様は呆れますか? 」

「別に。おまえは騎士だからな。日々の訓練を怠らず、人を救っている。この前の獣退治だってそうだ。理由はどうであれ、良い成績を残しているのだったら、俺はそれでいい」

「そう、ですか……。ちょっと意外ですね。まぁいいや。それで、家が嫌いで、出ていったんですけど……、この前、獣退治から帰ってきた時、学園に妹がいたんです」

「妹? 」

「はい。俺の妹……。8歳で、まだ幼いんですけど……メイド服着てて。何してんだって聞いたら、働いてるっていうもんだから……」

「メイドって、何故……」

「俺の家、金がないんです。それで、親父がマリー……あ、妹の名前です。マリーを、働きにだしたって聞いて……。せっかく家族から逃げてきて、やっと、楽しい日々が返ってきて、笑えるようになってきたのに……なってきた、ところだったのに……あいつがっ……! 」

吐き捨てるように、ジャンは言う。

ジャンは、妹……マリーのことが嫌いなのだろうか。

いや、そんなはずはない。

だって……。

「ジャン、おまえはさっき、騎士になったのは金が欲しいから、と言っていたな」

「? いいましたけど……」

「家にお金がない、とも言ってたな」

「いいましたね」

「ジャン、おまえが騎士になったのは、家のためじゃないのか? 」

「……」

「家計が苦しいから、助けるために、騎士になった。家を……家族を、助けるために」

ジャンは黙ってしまった。

下を向いたまま、何も言わないでいる。

「図星か? 」

冗談っぽく言うと、ジャンは悲しそうに目を伏せた。

「……違いますよ。俺は、家族が嫌いです。確かに、収入は送ってますけど、そんなんじゃ……」

「本当に嫌いなら、家に金なんて送らないと思うけどな」

「だからっ……! 」

「認めろ、ジャン」

静かに言うと、ジャンは顔を上げてブレイブを見た。

「認めるって、何を……」

「おまえは家族が好き、そうだろ? 」

「ちが……」

「自分の気持ちに素直になれ。それと、妹さんのことも認めてあげるんだ。小さいのに働いてるんだろ? その子もきっと、家計を助けるために……。だったら、その気持ちを認めてやれ。そうしないと、本当にすれ違ってしまうぞ? 」

「すれ違う……? 」

「ああ。嫌いだって、誤解されたままになる」

「……随分と、親身になってくれるんですね」

そりゃあ、1人の仲間が困っているのだから、助けたいと思うのは当然だ。

「助けて」そう言いたくても言えない人だって、世の中にはいるのだから。

「ジャンは、よく頑張っているからな。そういう奴ほど、本当のことを言えなかったりするんだよ」

「随分と、分かったように言うんですね」

「……まあな」

誰よりも頑張ってきて、皆を纏めなくちゃいけなくて。

「助けて」の3文字が言えず困っていた時に、駆けつけてくれた人がいる。

あの時は、事前に「助けてほしい」とお願いしたから来てくれたのだ。

「言葉にしないと伝わらないぞ」

最後にそう言って、ブレイブは自分の訓練をしにその場を離れた。

後ろで、「……んだよ」と苛立った声を聞きながら。







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