6
文化祭も終了を告げ、赤かった空も暗い闇の中へと呑まれていく。
月の明かりだけが辺りを煌々と照らす夜空を、ヤナギは1人バルコニーから眺めていた。
時折り吹く夜風が心地良い。
大広間からは弦楽器の音色が聞こえ、目を向けると沢山の男女が互いの手を取り踊っている様子が伺えた。
文化祭が終わった後のパーティー。所謂、後夜祭、というやつだ。
「こんなところで、何してるんだ? 」
声と共に、肌にヒヤリと冷たいものが当たる。
それに驚くこともなく、ヤナギは静かに声の主へと振り返った。
そこには、シャンパンの入ったグラスを片手に、アイビーが立っていた。
いつもの真っ赤な髪も瞳も、夜空に晒されていて暗く見える。
「これ、飲むか? 」
シャンパンの入ったグラスを少し傾けて見せると、ヤナギは「いただきます」と受け取った。
1口飲むと、シュワシュワと口の中で泡が弾けていく。
「どうだ? 」
「普通です」
「ははっ! そうか」
やはり、お酒というものは何度飲んでも美味しいとは思えない。
ヤナギの舌がまだまだ子供なのかもしれない。
それとも、単純に体質の問題か。
「何、見てるんだ? 」
ヤナギの目線の先を、不思議に思ったアイビーも追う。
「ふくろうです」
さっきから、社交ダンスの音楽に混じって聞こえてくる「ホー、ホー」という鳴き声は、ふくろうのもので間違いない。
街の明かりからずっと遠い場所、大きな山をヤナギはずっと見ていた。
耳をすませば、今も小さくだが聞こえている。
「ああ。ふくろうか。ふくろうが、どうかしたのか? 」
「……初めて、見たもので」
ふくろうなんて、前世ではテレビ以外では見たことがなかった。
母が、「このふくろう可愛いわね〜。ミミズクっていうんだって」と言っていたことを思い出す。
「ふくろうか……。俺も、直接目にしたのは数回程度だな。森の方へ行くと、よくいる」
「森、ですか……? 」
「ああ。この国を出て、少し離れた先にある。西の方向に、確か……」
「西……」
そういえばヤナギは、サリファナ王国から出たことがない。
夏休み中に1度家に帰省してはいたが、それも国内での移動だった。
キミイロびより! の小説内でも学園が舞台だったため、国外の描写はなかったように思う。
王国の、外の世界……。
そこには一体、どんな景色が待っているのだろうか。
「知ってるか? ふくろうって、幸運を運ぶ吉鳥といわれているらしいぞ」
「幸運を運ぶ吉鳥? 」
その時、バサバサッと、小さくだがハッキリと、そんな音がした。
何事かと目を凝らせば、月に隠れるようにして現れた1匹の鳥。
山から飛んできたのだろうか。
大きな羽を羽ばたかせるようにしてゆっくりと視界に映ったそれは、紛うことなきふくろうだった。
その白くて美しい姿に、目を奪われる。
ギョロリとした大きな目と、ヤナギの目が合った気がした。
そして、ふくろうはそのままバッサバッサと翼をはためかさて飛んでいってしまった。
急な出来事だったため、慌ててヤナギはバルコニーから身を乗り出して右方向を見た。
「お、おいっ! 」
後ろからのアイビーの声にも気づかないほど、ヤナギはふくろうに夢中になっていた。
もの凄く小さいが、それでも後ろ姿はまだ見えた。
さっきまでの大きさが、米粒程度のものへ変わっていく。
「危ないっ……! 」
と、ふくろうが完全に見えなくなったところで、アイビーが後ろからヤナギを抱きしめた。
外に落ちそうなほど傾いていた身体が、瞬時に元の位置に戻される。
振り返ると、安心したように大きなため息を吐くアイビーの視線とぶつかった。
意外と近くにあった顔に、少しだけ驚く。
「アイビー様? 」
咄嗟のことだったため何が起こったのか分からず名前を呼ぶと、安心した顔から一転、アイビーは顔を赤くして「す、すまん……」と言って謝った。
抱きしめられていた腕が、するりと離れていく。
そのことに何故か、寂しさのようなものを感じてしまった。
「その……急に乗り出すと、危ないぞ」
ようやっと、先程の行動の意図を理解する。
落ちそうになっていたヤナギを、アイビーが助けてくれたのだ。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、「ああ……」とだけ返ってくる。
まだほんのりと赤い頬に熱でもあるのかと心配したが、アイビーは深呼吸をするとすぐにいつもの顔に戻ってしまった。
「驚いた」
次に返ってきたのは、そんな言葉。
「ヤナギでも、そんな顔をするんだな」
そんな顔、とはどんな顔だろう。
頭に? マークを浮かべるヤナギに、アイビーは教えてくれた。
「すごい、輝いてた。キラキラしてて……まるで、小さな子供みたいな瞳をしていたぞ」
そんな顔をしていただろうか。
自分では全く気づかなかったため、顔をペタペタと触って確認すると、アイビーがクスクスと笑っていた。
「あー! 発見しましたよ! ブレイブ様ー! アイビー様と2人っきりで夜の空を見ていますー! 」
すると、バルコニーにシードが入り込んできた。
「何!? アイビー様と2人で……!? シード、それは本当か!? 」
続いて聞こえてきたのは、焦ったようなブレイブの声だった。
「はい! 2人っきり! もう本当仲良さげに! すっごい良い雰囲気醸し出してますよ! 」
「え……い、今行く! 」
「今行く」と言ったブレイブが、すぐさまシードの隣から顔を出す。
その額には汗が滲んでおり、相当ここまで急いで来たことが伺えた。
「なんだ、ここにいたのか」
ブレイブの横からひょっこりと顔を表したのはセルフだ。
小皿に入った肉料理に、フォークを突き刺して口に運んでいる。
「おーい! 」
「おい、そんなに走ると危ないぞ」
もう2人、小走りでバルコニーへと駆けてくる。
「メリアとカルミア様も。どうして皆さんここに……」
「いや、文化祭も終わったから皆で乾杯しようと思ってたのに、いないから……」
「セ、セルフの言う通り、決していないのがアイビー様とヤナギだけだったから心配して駆けつけたとか、そういうわけでは……」
「嘘つけよ。めっちゃ必死になって探し回ってたくせに」
照れているブレイブを、セルフが軽く小突く。
「メリア、そのドレスは? 」
アイビーが注目したのは、メリアが着ているドレスだ。
裾にフリルがあしらわれた、赤色の綺麗なドレス。
「これ、ヤナギちゃんに貸してもらったんですよ! 私ドレス持ってないって言ったら、貸してくれて」
その場でくるりと一回りすると、ドレスの裾がふわりと揺れた。
始めはヤナギしかいなかったバルコニーに、気がつけば皆集まっている。
皆が、揃っている。
「あー! そうだヤナギちゃん、あれだよあれ! 私あれを言おうと思ってたんだよ! 」
「……あれ? 」
思い出したように声を上げたメリアは、ドレスの襞の中から綺麗に折りたたまれた1枚の紙を取り出した。
「何かしら? 」
「もー、忘れちゃったの? ほら、じゃーん! 私とヤナギちゃんの、勝負結果、だよ! 」
言われて、やっと思い出す。
そういえばそんなこともしていた。
自分から言い出したことなのにすっかり忘れてしまっていた……。
「ああ。どうせヤナギが勝ったんだろ? 」
「なっ……! セルフ様、それは、ちゃんと結果を見てから言ってください」
「はぁ? 結果なんて、見なくてもわか……」
結果用紙に視線を移したセルフの目が、ゆっくりと、大きく見開かれていく。
「は? え、いや、え? ……」
「ふっふーん! 」
慌てふためくセルフの隣で、メリアが得意気に胸を張る。
結果用紙には、それぞれの花の名目の横に、売れた分の数量が書かれている。
花も色別に分けられており、細々とした数字が沢山並んでいた。
今回勝負をするにあたって、メリアとはどちらの造花が沢山売れたかで勝ち負けを競っていた。
ヤナギは紫の薔薇、メリアは白の薔薇を専門に作ったもので。
そして、紫の隣には14、白の隣には16の数字が並んでいる。
ということはつまり……。
「え、メリアが勝ったのか? 」
「なんでカルミア様まで意外そうな顔してるんですか!? 」
「メリアちゃん勝ったの!? 」
「シード様まで!? 」
勝ちを祝福してくれるどころか、驚いた様子でいるカルミアとシードに、メリアが抗議の声を上げる。
ヤナギは、この結果が分かっていた。
小説のメリアも、こうしてヤナギに勝っていたから。
メリアはいつもそうだ。
どんなに苦手なことであっても、諦めずに、出来るようになるまで努力する。
「頑張ったんだよ私! 最初はなかなか上手く作れなかったけど、てもね! ヤナギちゃんが帰った後とか、家でも頑張ってたんだー! どう? びっくりしたでしょ? 」
満面の笑みでピースサインを向けるメリアの指には、1つだけ絆創膏が貼られていた。
今日は文化祭で1日一緒にいたのに、全くきがつかなかった。
その絆創膏が、メリアの頑張りの証なのだろう。
前向きで、最後まで絶対に諦めない。
メリアは、そういう子だ。
だったらヤナギも、最後まで自分の職務を果たすべきだ。
メリアに負けたヤナギが言った台詞を、口にした。
「こんなことで勝ったと思わないように。次こそは、目にものを見せてやるわ」
「相変わらずの棒読みだね……。でも、次も負けないよ! 」
おかしい。
このシーンでは、メリアは悲しそうな顔をするはずだ。
せっかく勝ったのにヤナギに強く言われて、落ち込むシーンのはず、なのに……。
目の前のメリアは、ガッツポーズでわくわくしたようにヤナギを見つめてくる。
だが、ヤナギは自分の職務を果たしたのだから、これで良いのだろう。
「おめでとうメリア」
「ありがとうございますアイビー様! ほら、ブレイブ様も、私をもっと褒めてくれても……ってあれ? ブレイブ様? おーい」
「いやだから、俺はヤナギを追ってきたわけではなく……いやだが別に、探していたっちゃあ探してはいたのだが……それでも、そんなに一生懸命探していたわけでもいやだが、騎士として、そうだ! 騎士として俺は、ヤナギを心配して……」
「ブレイブ様ってば! 」
「え? お、おお……メリア、どうかしたか? 」
「もー……。私とヤナギちゃんの勝負、私が勝ったんですよ! 」
「えぇ!? メリアが!? 」
「えぇ!? そんな驚きます!? 」
メリア達の会話に耳を傾けながらまた夜空を見上げようとすると、隣から誰かの手がスっと伸ばされた。
そこには、凛とした目でこちらをまっすぐに見つめる、アイビーの姿がある。
「一緒に、踊っていただけますか? 」
そうだ。文化祭は終わっても、パーティーはまだ終わらない。
「はい」
アイビーの手をとって、バルコニーから出ようとすると……。
「あー! 何2人で踊ろうとしてるんですか! 」
シードがヤナギのもう1つの手を握って引き止めた。
それに気がついたブレイブも、「ど、どこに行くんだ? 」と声を投げる。
「何って、ヤナギとダンスでもしようと……」
「なら僕が先に踊っても良いですかー? いいですよねー? 行きましょう、ヤナギ様! 」
「え? あ、はい」
シードに手を引っ張らて行くと、ちょうどダンスの曲が始まるところだった。
されるがままに手をとって、ステップを踏み始める。
「ったく……なんなんだあいつは……」
優雅に踊る2人を、アイビーが怪訝な顔で眺める。
「アイビー様、次は俺がヤナギをダンスに誘いますね? 」
「いや、まず先に誘ったの俺だから……まぁいいけど……」
ブレイブの申し出に渋々頷く。
セルフとカルミアの方を見てみると、何やら談笑しながら肉料理を食べていた。
あの2人は、意外と気が合うのかもしれない。
「あっ! 見てください! 」
すると、夜空を見ていたメリアが空を指さしてこちらを振り向いた。
「流れ星ですよ! 」
見ると、さっきまで月しかなかった夜空には、無数の星々が輝いている。
もう流れ星は去ってしまったようだが、それでもこの星空を見られただけでも十分だった。
ダンスがひと段落したら、ヤナギにも見せてあげよう。
そんなことを思いながら、夜空を見渡す。
「あ! また流れ星! 」
メリアの声と流れ星が、空を彩った。
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