8

「見合い話、全部断ったそうだな」

「……はい」

眉間に皺を寄せる父に、アイビーは苦い顔をして返事をした。

「まさか全員断るとは……」

「すみません……」

あれだけいろいろ準備してくれたのにこんな結果になってしまって、本当に申し訳ない。

「それじゃあ、令嬢達には断わりの返事でもいれてお……」

「あ、断わりならもう言ってきました」

「なに? 」

父がたいそう驚いた顔でアイビーを見つめた。

「おまえが、自分で断ったのか? 」

「はい」


「すまない。今回の見合い話は、なかったことにしてくれ」

リン、イザリア、テリナ、三人の家に行ってそう言ったのは記憶に新しい。

その返事に、どう思われるのか不安で、恐かった。

自分から見合い話を設けておいて結局誰とも結婚しないなんて、なんだこいつと呆れられてもしょうがない。

信頼を失ってしまうかもしれない。

自分の悪い噂が広まるかもしれない。

でも、ちゃんと言いたかった。

この三人は、自分のことを好きだと言ってくれた。

結婚したいと、言ってくれた。

その気持ちに応えることはできないけれど、真正面からぶつかりたかった。

向き合いたかった。

「今、俺は、誰とも結婚する気はないんだ。自分からこんな話を持ちかけておいてなんだが……。本当に、すまない! 」

そう言い切った。

「私は、諦めませんわよ……」

「……え? 」

その呟きに驚いて頭を上げると、そこには悔しそうな顔をしたリンがいた。

「いつか、絶対、振り向かせてみせますから! 」

イザリアも、

「アイビー様に隣に立っていただけるような、もっともっと素晴らしい女性になりますわ! 」

テリナも。

皆、アイビーに失望したとか、そんな雰囲気は微塵も感じられない。

「……こんな俺を、嫌いになったりしないのか? 」

信じられない、というふうにそう聞くと、リンもイザリアもテリナも、不思議そうに目をぱちぱちと瞬かせた後、同じ答えを口にした。

「私は、アイビー様のことが大好きですわよ? 」

その言葉に、ひどく驚いた。

「だがっ! 俺は、気持ちに応えられない……。こんな俺なんかより、もっと、別の人を見つけた方が……」

「それは、ご無理な相談ですわ……。だって、今私が好きなのは、アイビー様なんですもの」

三人はまた、全く同じ言葉を口にした。

こんな自分を、まだ好きでいてくれるのか。

その事実に、なんとも言えない、優しい気持ちが込み上げてくる。

「……そうか」

そして、また泣きそうになってしまい、急いで帰宅するのだった。


「まさか、自分で断れる日がくるなんてな。おまえはいつも、ワシに断っておいてくれと頼むばかりだったのに……」

「自分で言わないと失礼に値すると、最近、学びましたので」

「それは随分と遅い学習だったな」

ガハハと豪快に笑いながら言う父に、「はい」と苦笑しながら返す。

本当に、遅すぎる学習だ。

「まぁ、それを学んだということは、決して無駄な見合いではなかったということだな」

一頻り笑った後で、父はそんなことを言った。

「……怒って、ないのですか? 」

無駄ではないと、言ってくれている。

てっきり婚約一つ結べない息子に、痺れを切らして怒っているかと思っていたのに。

「怒る? 何故だ」

「いや、せっかく見合いをしたのに、良い結果が報告できなかったので」

「なんだ。おまえは見合いをする前から、まだ結婚はしないと言っていたではないか」

確かに。

まだ婚約は結ばないと父に言った記憶はある。

そして、それに父は頷きながらも「良い経験になるから」と言って、見合いの話を持ってきたのだ。

? じゃあ、良い経験というのは……。

「自己主張の弱いおまえが、相手とちゃんと向き合えたこと。それが、今回得られた収穫じゃな」

「……あ」

「たとえ結果が分かっていたとしても、その過程の中で得られるものは必ずある。無駄なことなんて、何一つないということじゃよ」

そこで父は座っていた椅子から腰を上げ、ゆっくりとした足取りでアイビーの元までくると、ポンとアイビーの頭に手を置いた。

「ワシとしては、我が子が成長してくれた。それだけで、この見合いをする意味はあったと、そう思うぞ」

大きくて温かい掌が、アイビーの赤い髪を優しく撫でる。

「お父様……」

どうやら、父には全てお見通しだったようだ。

自分が自己主張が弱いことも、それで悩んでいたことも、全て分かった上で、何も言わず見守ってくれていたのだ。

親というのは、本当にすごい。心の底からそう思った。

「とは言っても、見合い相手には申し訳ないことをしたがな」

「うっ……」

それを言われると弱い。

断った今でも尚、自分のことを好いてくれている存在というのは、嬉しいことは嬉しいのだが、なんというか……後ろめたく感じる。

「ま、後で何か詫びの一つでも持っていくとするか」

「俺も、行きます」

また行くのも何だか嫌な感じがしたが、父だけに行かせるわけにはいかない。

もう逃げない。そう決めたから。

すると、扉をコンコンと、軽くノックする音がした。

入ってきたのは、この家に仕えているメイド。

「アイビー様、お客様です」

「客? 」

「はい。ヤナギ・ハラン様がお見えです」

「あ……」

ヤナギにはまだ、結婚の返事をしていなかった。

忘れていたわけではない。

ちゃんと覚えていた。

覚えていて、行かなくてはいけないと思っていたのに行けなかった。行きたくなかった。

「なんだ。まだちゃんと返事しとらんかったんか」「……はい」

すると、背中をトン、と押された。

後ろを振り返ると、笑った父が立っていた。

「行ってこい。自分の気持ちを伝えるんじゃぞ? 」

「……はい! 」

返事をして、アイビーは部屋から出た。

ヤナギに、自分の気持ちを伝えよう。

そう、決意して。


だが、その決意はヤナギを前にすると呆気なく崩れ去っていった。

「アイビー様? 」

ヤナギと二人、あの日、見合いをした部屋にて。

返事をもらいにきたヤナギに答えようとしたものの、数秒固まったままでいるアイビーをヤナギの瞳が覗き込む。

「……えぇっと」

断らなければ。

今は結婚する気はない。

そう言わなければいけないのに、何故か躊躇っていた。

今更躊躇う必要がどこにある?

リンにも、イザリアにも、テリナにも、そう答えることができたのに。

でも、口が開いてくれない。

何故?

恐いとか、そんな感情はない。

別の感情で、断れずにいる。

何かは分からないが。

断りたく、ないのだ。

この婚約を、断りたくないと思っている。

「俺、は……今は、誰とも……」

「はい」

ヤナギは、急かすことなくアイビーの言葉を待っている。

言わなければ。

返事はもう、決めてきたはずだ。

この見合い話は受けない。そう、決めたはずだ。

「誰とも、結婚する気はないんだ。だから、すまない……」

言い切った。

そして何故か、名残惜しさを感じた。

「わかりました」

ヤナギは、何の疑問も抱かずにアイビーの返事を受け止めていた。

「すまないな……。それと、ありがとう」

「? 私は何もしておりませんが……」

「いや、ヤナギのおかげで俺は、成長することができた」

ずっと、勘違いをしていた。

自分が我慢することで、相手のことを考えていると、対等に接することができていると、そう思っていた。

そうして自分の気持ちに蓋をして、意志というものを見失っていた。

けれど、それは間違いだった。

「自分の意思を伝えないと、相手と向き合えているもはいえない。俺は結局、自分のことも相手のことも、ちゃんと見ていなかったんだ。それに気づかせてくれたのはヤナギ、君だ。本当に、感謝している」

「……どういたしまして? 」

よくわかっていないらしいヤナギを見て、少し苦笑する。

今、とっても心が軽く感じた。

自分を出すというのは、こんなにも気持ちが良いのか。

「アイビー様、あれは……」

ヤナギがドレッサーの上に置いてある赤い紐を目にして言った。

「ん? ああ、髪留めか。あれは、とっておくことにしたんだ。やっぱり、捨てられなくてな」

もう使えないが、大切なものだ。

ポケットの中にいれておくとくしゃくしゃになってしまうので、こうやって出しておくことにしたのだ。

「少し、借りてもかまいませんか? 」

何を思ったのか、ヤナギがそう聞いてきた。

「ああ。かまわないぞ」

了承すると、ヤナギは髪留めを慎重に手に持つと、

「裁縫箱を貸していただけないでしょうか? 」

と言ってきた。

すぐにメイドが裁縫箱を持ってくると、ヤナギは中に入っている針と赤い糸を取り出す。

そして、切れた紐の先端どうしを重ね合わせるとその丁度真ん中に、針を突き刺した。

「お、おい! 」

何をするんだと抗議しようとしたが、ヤナギがあまりにも真剣な表情だったため、出しかけていた声を引っ込める。

考え無しにこんなことをしているわけではないだろう。

針を回して、糸を巻き付けている。

何周か回した後で、また針を突き刺して糸を結ぶ。

最後に糸を切ると……。

「っ……!? これは……! 」

できあがったものに、アイビーは息を呑んだ。

「赤い糸で目立たないようにしましたが、元通りにはなりませんね。申し訳ございません」

「い、いや。こんなことをしてもらっただけで、十分……」

髪留めは、しっかりと弧を描いていた。

元通り、丸い形をしている。

直ったのだ。

「すごいな……。こんなの、一体どこで……」

「母が私と違って髪が長かったので、こんなふうに直しているのを、見たことがありました」

「私と違って? ヤナギも髪は長い方だと思うが……」

それとも、母親はもっと長いのだろうか?

「……すみません。忘れてください」

と、ヤナギは視線をアイビーから外してそう言ったので、これ以上は追求しないでおくことにする。

それにしても、本当にすごい。

「この手法、ご存知ありませんでしたか? 」

「あいにく、裁縫はからっきしでな」

もしかしたら、メイドに頼めばすぐに直して貰えたのかもしれない。

こんなことなら髪留めくらい、と呆れられてでも直してほしいとすぐに頼みに行けばよかった。

早速、今つけている髪留めを外して、今直してもらった方に付け替える。

ずっと感じていた違和感が消えていく。

「ありがとう、ヤナギ」

直してくれたことも嬉しかったが、ヤナギが自分のためにしてくれたと考えると、また嬉しくなった。

「もう、大丈夫ですか? 」

ヤナギがそう聞いてくる。

それに、アイビーは笑って答えた。

「ああ。大丈夫だ」

今度こそ、本当に――――――。











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