6
翌日。
ヤナギは約束通り午後に来た。
客室に入ってもらいメイドに茶菓子と紅茶を頼み、ヤナギと対面してソファに腰を下ろす。
「えーと、昨日はすまなかったな」
まずそうアイビーが謝罪すると、ヤナギは「いえ。問題ありません」と一言だけ述べた。
「あ、この茶菓子は有名なパティシエのものなんだが……」
「そうですか」
「この紅茶、遠くの街から取り寄せたもので……」
「そうですか」
「さ、最近暑くなってきたよなー……」
「そうですね」
駄目だ、会話が続かない。
さっきからアイビーが話題を振っているも、ヤナギは淡々とした様子で「そうですか」と返すだけ。
アイビーは別に口下手なわけではない。
誰とでも身分なんて関係なく気軽に話すことができるし、それなりに話題だって持っている。
ただヤナギ相手だとなんというか、会話のキャッチボールというものが続かないのだ。
「さ、最近どうだ? 」
「特に変わりありません」
またも、投げたボールは見送られてしまった。
先程からずっと、投げては拾いに行きまた投げるという行為を繰り返している。
一応見合いだが、あと一人、誰か来てくれないかと願った。
誰でもいい。
執事でもメイドでも、この際父でもいい。
誰かこの沈黙を破ってくれる者。
すると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
まさか、アイビーの願いが通じたのだろうか。
「あ、はい! どうぞ」
了承の言葉を投げかけると、バァンッ! 、と勢いよく扉が開かれた。
「アイビー様! 」
「……イザリア? 」
前言撤回。
誰でもいい事はない。
急に現れたイザリア・ノーマスに動揺していると、イザリアは室内にいるもう一人の存在、ヤナギに気がついたようで目を丸くした。
「なっ! ハラン様……!? アイビー様、私ではなくハラン様をお選びになったのですか!? 」
今にも泣き出しそうな絶望した顔でイザリアが勘違いをしている。
「違うイザリア。ハランとは昨日見合いができなかったから、日程を変えさせてもらったんだ。まだ婚約を決めたわけでは……」
「まぁ! それではやはり私と結婚してくださるのですわね!? 」
「いや、そうではなく……」
「なんと喜ばしいことでしょう! ハラン様、悪いですけれど、アイビー様はこう仰っていますので、いくらハラン様ほど身分の高い方でも、今回の婚約話はどうかお見送りを……」
「いや、何も言っていないのだが……」
というか、イザリアは公爵家のヤナギ相手に随分と強気な態度である。
「イザリア様。ハラン様に対してライバル意識を持っておられるのは重々承知ですが、さすがに……」
と、隣にいたイザリアの執事が言う。
なるほど。そういうことか。
ヤナギは我儘で自分より下の人を見下す性格なのは、社交界でも結構有名だ。そして、それを良く思わない人、それに不満を抱いている人は勿論いるわけで。
イザリアはきっと、ざまぁみろとでも思っているのだろう。
アイビーがヤナギより自分を選んでくれた、その優越感に浸っているのだ。
まだ選んでいないが。
「アイビー様、こうして今日出向いたのは、アイビー様と親睦を深めたいと思ったからですわ」
執事の言葉を無視して、イザリアは話を進める。
「親睦? 」
「はい。これから私と一緒に、アイビー様のお庭でもお散歩しながら……」
「アイビー様! ごきげんよう! 」
と、イザリアの言葉を遮る形で、またも別の人が扉を開けて入ってきた。
「アイビー様! 昨日の婚約話なんですけど、婚約が決まったことをお祝いして、今日はスイーツでもと……あ」
「あなたは、リン・ミーヤ……」
イザリアが苦虫を噛み潰したような顔で、突如部屋に乱入してきたリンを見る。
対するリンはといえば、これまたイザリアと全く同じ顔をしていた。
「あらノーマス様ごきげんよう。敗北者がアイビー様に何のご用ですの? 」
「ごきげんようミーヤ様。敗北者? ふふっ、ご冗談を。負け犬の方はあなたでしょう? 」
バチバチと火花を散らす二人。
と、そこへ――……
「ごきげんようアイビー様。今日はアイビー様とお話がしたく……あ」
テリナまでやってきた。
三人の視線がかち合う。
なんということだ。これならさっきの沈黙の方がどれだけマシだったことか。
「すまんヤナギ。見合い中に……」
「いえ。大丈夫です」
本当に申し訳ない。
どうしたものかと思っていると、何やらごちゃごちゃと揉めていた三人が、一気にアイビーの方へ押し寄せてきた。
「アイビー様、ぜひ私とご一緒にお庭をお散歩いたしませんこと? こんなやつらより、ぜぇぇぇったい、私の方がアイビー様を楽しませてみせますわ! 」
「いえアイビー様、ぜひ私と! 」
「なっ! 私と行きますわよね? アイビー様! 」
正直早く帰ってもらいたいが、行く気満々でいるこの三人の前で断る勇気もなく。
「み、皆で行こうか……? 」
そんなありふれた提案をすることしか、アイビーにはできなかった。
「美しい薔薇! この赤、まるでアイビー様のようね! 」
「ちょっ! その台詞、今私が言おうと思っていましたのに……」
「ふん! 早い者勝ちですわよ! 」
「アイビー様、お手を……」
「あ! テリナ様、抜け駆けはいけません! 」
庭に来ても、三人はずっと揉めていた。
その視線は花なんて見ていない。
そんな中、一人熱心に咲き誇る花を見つめているヤナギがいた。
「花、好きなのか? 」
「はい」
質問すると即答された。
花が好きなんて、知らなかった。というか、意外だった。
ヤナギはいつも宝石やら香水ばかりの話をしているイメージしかなかったから。
「このルドベキア、とても綺麗ですね」
「え……」
ルドベキア?
ヤナギが指さした方を見ると、そこには小さな黄色の花が咲いていた。
「すまない。花に詳しいわけではないからよく分からないのだが……。これは、ルドベキアというのか? 」
「はい。カリブラコアにゼラニウム……。とても、綺麗なお庭ですね」
そう褒めるヤナギの瞳は、気のせいかいつもよりも爛々としているように見えた。
「……ありがとう」
自分の家の庭なのに咲いている花の名前が分からないなんて、少し情けない。後で調べてみることにしよう。
そんなことを思っていると、ヤナギは更に言葉を綴った。
「マーガレットにペチュニア、シャクヤク、アネモネ……。こちらは、キキョウ、ですか」
「あ、キキョウなら知っている。この紫と、あと白があるのだったな」
「はい。その他にも、青やピンクがございます」
「そ、そうなのか? 」
てっきり紫と白の二種類だけだと思っていたが、そんなに色があったなんて知らなかった。
「ヤナギは、どの色が好きなんだ? 」
「え……」
すると、ヤナギの顔が固まった。
何か不味い質問をしただろうか。
「すまない。何か、気に触ることでも……」
「あ、いえ。呼び方が……」
呼び方?
「……あ」
さっき、アイビーは「ヤナギ」と呼んだ。
ずっとハランだったのに。
「すまない、つい自然と……。嫌なら止めるが……」
「いえ。かまいません」
「そうか。ならヤナギ、君は、どの色のキキョウが好きなんだ? 」
ヤナギ呼びに何故か喜びを感じたことを若干疑問に思いつつ、先程の質問をヤナギにする。
「……私は、紫、でしょうか」
「そうか。ヤナギに良く似合うな」
「そうですか? 」
「ああ」
小さく揺れる紫色の花びらとヤナギを交互に見ると、やはりよく映えていた。
そうして、暫く二人で花を鑑賞していると。
「アイビー様ー!! 」
後方からリンの甲高い声が聞こえてきた。
「どうした!? 」
何かあったのかとアイビーも声をあげて駆けつけると、薔薇が咲き誇っている傍の木を困惑した面持ちで眺めているリンとテリア、そして怒りで顔を真っ赤にしているイザリアの姿があった。
「どうした? 」
「あ、アイビー様。実はその、イザリア様のハンカチが木の上に……」
言葉を発さないテリナの変わりに、リンが事情を説明する。
「木の上? どうしたってそんな高いところに……」
「それが、テリナ様が……」
「なっ!? 私のせいにしないでください! リン様だって……」
「はぁ!? もとはと言えばテリナ様が……」
「……カラス」
またも喧嘩を始めたリンとテリナの横で、ヤナギがぽつりと呟いた。
「あそこに、カラスがいます」
見上げた木の上、確かにそこにはカラスがいた。
カァカァと鳴きながら、アイビー達を威嚇している。
「カラスの足元に、ハンカチがあります」
「なに? 」
ヤナギの言う通り、そこにはイザリアの物と思われるハンカチがあった。
すると、喧嘩を止めてリンが口を開いた。
「イザリア様が、ハンカチを自慢したんです。何でも、世界にたった5枚しかないといわれる、大層豪華なハンカチでして。それを見たテリナ様が、その……ハンカチを、取り上げてしまって……」
「リン様っ! 」
「黙りなさいテリナ! 今私が説明をしていますから! それで、返せと言ったイザリア様の言葉を聞かずハンカチを眺めているうちに、飛んできたカラスに取られてしまいまして……」
「だが、カラスがハンカチなんて取るのか? 」
カラスは光り物が好きとは聞くが、ハンカチ好きとは聞いたことがない。
すると、リンは無言でカラスの足元、ハンカチの方を指さした。
すると、一瞬ではあったが、キラリと何か光る物が見えた。
「宝石です」
そこで、やっとテリナが説明を始めた。
「あのハンカチ、沢山のビジューが付いてるんです。おそらく、それがカラスの目に止まったのかと……」
「なるほどな……」
それならカラスが取っていくのも分かる。
「どうしてくださいますの!? 」
すると、ずっと木の上を見つめていたイザリアがテリナに向かって大声を投げつけた。
「あのハンカチは、この世でたった5枚しかございませんのよ!? あなた、その価値をわかっていますの!? あんな薄汚いカラスに触れられてしまうなんて、もう使えないじゃありませんの……! 」
「で、ですが、自慢してきたイザリア様にも問題があるのではないですか!? それに、リン様だって、私が取り上げたのを、面白うにご覧になっていたではありませんか! 」
「責任を押し付けないでくださいまし! テリナ様が取り上げたのが全ての元凶でしょう!? 」
わーわーと騒ぎ立てる三人は一旦置いておき、アイビーはハンカチを取る術を考えていた。
「登りますか? 」
ヤナギがそう提案してくるも、登ったところでカラスに突き返されるのは目に見えている。
下手すれば木から落ちかねない。
ならば、カラスをどかせるのが先だろう。
「カラスって、何が苦手なんだ……? 」
「強い光りや大きな音が苦手と、聞いたことがあります」
「本当か? 」
「はい。ゴミ捨て場にカラスがいた時、近所の方がよくお玉とタライで音を鳴らしていました」
お玉とタライで……。
ヤナギの言う近所の人がどんな人かは気になったものの、まずは目の前のカラスについて考える。
「お玉とタライを使いますか? 」
「いや、それはちょっとな……」
見つかったらちょっとした問題になりそうだし。
父なら笑って許してくれそうだが、母の場合、王子がタライとお玉を持って何を大きな音を立てているんだと小言を聞かされることになるだろう。
だとすれば、強い光か。
「鏡、とか? 」
「そうですね。太陽の光を反射させてみたりするのもよいかと」
「……だな。誰か、鏡を持っているか? 」
アイビーが聞くと、リンが「手鏡なら」と言って、ドレスのポケットから手鏡を取り出した。
テリナも同様に持っていた手鏡をアイビーに渡す。
そのうちのテリナの手鏡をヤナギに渡し、二人で太陽の光を集める。
直接当てるのはさすがに可哀想なので、少し位置をずらして反射させると、
「ガッ!? カァッ、カァッ」
カラスは目玉を大きく見開いた後、素早い動きでその場から去っていった。
「成功だな」
ハンカチもちゃんと木の上に残っている。
後は木に登ってハンカチを取ってくれば万事解決だ。
手鏡をリンとテリナに返したところで、改めて木を見てみる。
「登れますか? 」
テリナが心配そうに聞いてきた。
高いといえば高いが、運動神経が良いアイビーだと、頑張れば登れるだろう。
「ま、何とかやってみるよ」
そう言って、木にしがみつく。
「……あ」
しがみついただけで、登れそうになかった。
一歩も先に進めないのだ。
木登りとは、こんなに難しいものだったのかと思い知らされる。
だが、ハンカチを取らなければ、イザリアはますます怒るだろう。
それだけは避けたいとなんとか手を前に出して、足をしっかりと着地させながら進んでいく。
「お気をつけてー! 」
「アイビー様、頑張ってくださーい! 」
リンとテリナの声援に応えようと、アイビーは必死に木登りに食らいついた。
そうして、かれこれ30分経過した頃。
「の、登れた……」
やっとハンカチのある枝まで到達したアイビーは、そこから手を伸ばしてハンカチを掴み取った。
カラスに踏まれていたせいか、若干汚れてしまっていたが、大丈夫。洗えば落ちるだろう。
落ちないよう気をつけながら木から降り、ハンカチをイザリアに渡す。
「アイビー様、立派ですわ! 」
「さすがアイビー様ですわね! 」
賞賛の言葉を送るリンとテリナ。それにヤナギも「お疲れ様でした」と労いの言葉をかけてくれる。
これでようやくトラブルは解決か……と思ったのだが。
「……しょ」
「え? 」
何かを言ったイザリアに反応したテリナ。
すると、イザリアはキッとテリナに鋭い目を向けた。
「こんなの、使えるわけないでしょう!? 」
今までで一番大きな怒声が庭中に響きわたる。
「こんな、薄汚いカラスのせいで汚れてしまって、もう使えないではないですか! 」
「ですが、こんなの洗えばすぐに……」
「黙りなさいテリナ! あなたのせいでこんなことに……! 」
「そんな、リン様だって、リン様にだって責任はありますわ! 」
「お、おい三人とも、落ち着いて……」
「何を馬鹿げたことを仰るのですか!? 私は悪くありません! というか、イザリア様もイザリア様ですわ。そんなに大切なものでしたら、わざわざ外に持ってくる必要はありません」
「うるさい! 黙りなさい! 黙らないと、家が黙ってないわよ! 」
「ふん。所詮ノーマス家でしょう? 」
「っ……!? なんですって! 」
「おい! 喧嘩は止せ! 」
アイビーの静止の声は届かない。
イザリアの目には、涙が溜まっていた。
「あっ! ちょっと! 」
イザリアは、アイビーがカラスを追い払うために使ったテリナの手鏡を取り上げた。
「これ、テリナ様のものでしょう? 私のハンカチと同じようにして差し上げますわ! 」
「およしなさいイザリア様! 」
「うるさい! 」
ガシャンッ!
大きな音を立てて、手鏡は割れた。いや、割った。
イザリアが、鏡を地面に叩きつけたのだ。
ガラスの破片がその場に散る。
「イザリア様! なんてことを! 」
我慢ならずにテリナがイザリアに掴みかかった。
「お二人共、暴力はいけませんわ! 」
テリナはイザリアの髪を掴んで離さない。
負けじとイザリアもテリナの腕を掴もうと手を伸ばすが、テリナはそれを避けようと髪を掴んでいた手を一旦離してイザリアの肩を引っ掴んで突き飛ばした。
「くっ……! テ……リナァ!! 」
尻もちをついたイザリアは、目を血走らせて、傍にあったガラスの破片を手に持ち、投げた。
「危ない! 」
アイビーが破片から守ろうとテリナを突き飛ばして自身が前に出る。
「アイビー様! 」
リンの叫び声が聞こえる。
ガラスはアイビーの方へまっすぐ飛んでいき、
ブツっ
切れた。
地に、赤い紐が音もなく落ちる。
髪ではない。一本の細い紐。
「……あ」
アイビーを見てようやく正気に戻ったイザリアが、怒りで真っ赤だった顔から青色に変わった。
さっきまで、ほんの数秒前までアイビーの髪を結んでいた髪留めを拾う。
切れた髪留めを、アイビーはただ呆然と眺めていた。
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