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「婚約……ですか」

紅茶の入ったティーカップを一旦置く。

いつものように授業が終わり、メリアの様子でも見に行こうと考えていたアイビーの元に届いた一通の手紙。

すぐに帰ってこい。

それを見て何かあったのかと心配して来てみればこれだ。

「おまえもじきにワシの後を継ぐ。その時に婚約者がいませんなんて、大衆の者にどう言えばいい? 」

「ですが、結婚なんて……」

「幼少の頃からそうだったな。いつもいつも婚約の話を断って。いずれ運命の相手でも見つけるかと思ったが、そういう話もない。そろそろ腹を括る時が、きたのではないか? 」

父の言い分は最もだ。

むしろ、政略結婚が当たり前の貴族社会で、今まで自分が婚約の話を断り続けることができていたことが奇跡なのだ。

「そこで、おまえにまた婚約の話がきておる。ユリス侯爵家の次女、リー……」

「断っておいてください」

名前を言い切る前に即座に断ったアイビーに、父の顔が険しくなった。

それに若干冷や汗をかきながらも、アイビーは何とか言葉を絞り出す。

「結婚の話は、何度も断ってしまっていて、大変申し訳なく思っております。ですが、その……自分が結婚している姿というものが、想像できないといいますか……」

すると、父は「はぁー」と大きなため息を吐いた後、至極残念そうな顔をして言った。

「しょうがない。こういうのはあまりしたくないと思っていたのだが……。するか、お見合い」

「……え」

なんともまあ軽い調子で言われたので、内容を整理するのに少しの時間を有する。

だが、考えを巡らせている間にも、話はトントン拍子に進んでいく。

「生憎、おまえのところにはこれだけ沢山の婚約話が毎日のように届いていてな。ワシも、おまえには幸せになってほしいと願う者だから、暫く待ってはいたのじゃが……。そもそもおまえには、出会いというものがない」

「いえ、あの、出会いなら学園で……」

「じゃあ知り合った令嬢の中で、気になった娘はおるのか? 」

いない。即答できる。

「ですが、お見合いなんて……」

「まぁまぁ、一回くらいこういう経験をしてみるのもいいぞ? ワシだって、おまえくらいの歳で婚約者を決めたからな。ワシもお見合いだったんじゃが、あの時の母さんといったらそりゃあもう……! 美しいなんて言葉で片付ていいものではない! あんな女性、世界中探してもなかなか……」

ああ、また始まってしまった。

父は母の話になるとこれでもかという程長く話す。

昔、家にあったホラー小説を読んで一人で眠るのが怖いと父と母の寝室に夜中枕を持って行ったことがあった。

その時、なかなか寝付けなかった時に聞かせてくれた話が、父と母の馴れ初めだったのだ。

母は小さい子供の前で何を仰っているのですかと散々呆れていたが、父はもうそれは自慢げに長々と話した。

お見合いの時のよそよそしかった思い出。

初めてのデート。

初めてのダンス……。

そして初めて一夜を共にした時の話をしようとしたところで、母が父に無言の圧力をかけ、ようやっとその話題は幕を閉じたのだ。

父は、母に弱い。

一回だけ父と母が喧嘩をしているところを見たことがあるが、初めこそ母を罵倒していたものの、1時間もすると直ぐに泣きついてしまっていた。

ワシが悪かった。だから早く仲直りしよう、と。

そんな父を見て直ぐに自分も悪かったと反省して謝っていた母を見て、母も早く仲直りしたかったのかなと、あの頃のアイビーは思ったものだ。

呆れたり、喧嘩をしたりしながらも、お互いを支え合う仲の良い夫婦。

そんな二人をずっと傍で見てきたアイビーは、その関係をとても羨ましく思うことが多々あった。

ふと、何の気なしに自身の髪を触る。

母から受け継いだ赤い髪。

そして、それを結ぶ髪留め。

すると、父は一旦話を止めて、アイビーを見て微笑んだ。

「なつかしいな。母さんがくれたのか? 」

「あ、はい。学園に入る前に」

アイビーは、この髪を大切にしている。

できるだけ切りたくないが、長すぎてもいろいろと邪魔なためどうすれば良いか悩んでいたところ貰った物がこれだ。

アイビーの髪と同じ赤色をしたゴムで髪を結ってみると、髪は丁度肩にかかる程度に落ち着いてくれた。

「それ、ワシがあげたやつなんじゃがなぁ……」

「ええ! ? 」

突然の父のカミングアウトに動揺を隠せないでいると、父はさらに遠い目をして言った。

「ワシが、初めてのデートで買った髪留めでな……。たいそう気に入ってくれておった……。だがそうか……。あの頃の思い出は、もうあの日乗ったボートと共に、遠くへ流れていったのじゃな……」

「あ、あの、お母様は、叔母さんに赤色なんて、派手すぎるからアイビーにあげると言っただけで、決して気に入っていないとかそういうのは……」

「なにおぅ! ? 」

フォローするつもりで言ったのだが、どうやら余計だったらしく、父は今度は顔を真っ赤にして憤慨していた。

「まーた自分をそんなふうに悲観しおって! 何が叔母さんじゃ! まだぴっちぴちの42歳じゃろうに! よし! 今から喝を入れに行ってやる! おい、母さんは今どこにおる! 」

傍にいた執事が「先程自室のバルコニーの方で見かけましたが……」と言うやいなや、父はすぐに向かおうと席を勢いよく立ち上がった。

そして、扉に手をかけたところでアイビーの方を振り返る。

「見合いも良いと思うぞ。それで結婚するかしないかはおまえの自由だが、もしかしたら何か考えが変わるかもしれんしな」

そこで父は、視線をアイビーの髪留めの方へ移しふっと笑った。

「ま、何はどうあれ、ワシと母さんはおまえの幸せを願っておる。親の期待を裏切るでないぞ? 」

「お父様……」

「母さーん! どこじゃー? 」

それだけを言い残してから、すぐさま母のところへ向かう父を見届けて、アイビーは机に積まれている山ほどある紙束を一枚手に取り目を走らせる。

そこには、婚約希望である貴族令嬢のさまざまな情報が乗っている。

「親の期待を裏切るな、か……」

アイビーはその日、一日中目の前にある婚約者達と睨めっこしていた。

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