4
負の連鎖、というものがある。
「桔梗さん……今、連絡があって」
3時限目が終わり、移動教室から帰ってきた直後、教室で担任の先生が顔を真っ白にした様子でやなぎにそう言ってきたのは記憶に新しい。
「はっ……はぁっ」
校門を出て、道路を思いっきり走る。
幸い平日の昼間と言うこともあって通行人とぶつかることはなかったが、通り過ぎる人は皆、驚いた顔でやなぎを見ていた。
「はぁっ、はぁっ……」
走る。走る。走る。
『桔梗さん。あなたのお母さんとお父さんが、お買い物に行っていたらしいんだけど……』
赤信号につかまる。
目の前を大型トラックが勢いよく走っていった。
そして、青になるとまた猛スピードで走り出す。
『帰る途中で、交通事故にあったって……』
「はっ……は……」
角を曲がって細い道を抜けると、目的の建物がそこにはあった。
中に入り、受付のお姉さんの元へ行く。
「っ……あのっ! 桔梗と申します! 今さっき、交通事故で運ばれた人がいるって……」
両親が、と言わなかったのは、せめてもの抵抗だった。
その人が両親であることを、信じたくなかった。
「あ……その方でしたら、408号室に……。3階の奥の……」
「っ……」
どこか困ったようにそう言うお姉さんにお礼を言うことも忘れて、やなぎは急いでエレベーターに乗り込んだ。
「お父さんっ! お母さんっ! 」
バンッと大きな音を立てて病室に入ると、中には先生と思われる白衣を着た若い男性と、その隣にはこれまた若い看護師さんがいた。
2人は、申し訳なさそうに、残念そうにやなぎを見つめた後、視線を元の、ベッドの方へ向けた。
「……え」
掠れた声が、喉から漏れる。
「いろいろと、手は尽くしたのですが……」
重々しく、医者がそう言う。
やなぎは、全身から力が抜けていくのを感じた。
立っていられなくなって、その場にへたり込む。
「11時14分。桔梗久志さん、桔梗由美子さん。ご臨終です」
冷たい言葉が、やなぎの胸を貫く。
それは抜けることはなく、むしろやなぎの身体をじわじわと蝕んでいくようだった。
「……んで」
「運転に慣れていない方の車とぶつかって、運悪く……」
「なんで……」
「……我々は、退席いたします。何かあれば、呼んでください」
そう言い残して、医者と看護師は部屋から出ていった。
「なんで……なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!? 」
暗い部屋で1人叫ぶ。
さっきまで、学校に行く前まで、生きていたのに。
朝、母は笑ってお弁当を差し出していたのに。
父は、庭の花たちにいつものように水をやっていたのに。
いつも通り、だったのに。
「なんで……」
白い布を被った2人は、顔は見えなくても自分の両親だとわかる。
何年も一緒にいた、やなぎの家族。
涙は出なかった。
なんで? それだけが、頭の中を支配している。
「私は、どうすれば……」
父の手に触れる。
感じたことのない温度が、手の平を通して伝わってきた。
「お父さんがいなくなれば、私は一体、どうすれば良いのですか……? 」
その問いかけに、父は答えてくれなかった。
「すごいわね桔梗さん。また学年トップよ」
2月半ば。職員室には暖房がよくきいており、中に入った瞬間廊下での寒さは一気に吹き飛んだ。
コーヒーを啜る音や、キーボードを打つ音があちらこちらで聞こえてくる。
そんな職員室の一角で、やなぎは担任の先生と向かい合って座っていた。
「国語も数学も英語も、どの教科も満遍なく良い点とってる。文句なし! 」
「ありがとうございます」
内容は先日行われた期末テストについて。
国数英だけじゃなく、物理や日本史、その他家庭科や情報などの副教科までも100点や90点以上を連発しているやなぎに、先生は心の底から関心していた。
それらを眺めながら机の上に置いてあったコーヒーに手を伸ばそうとしたところで、思いついたように先生が言った。
「あ、コーヒー飲む? 」
「じゃあ……」
すると、すぐさまインスタントコーヒーを入れてくれる。
自分だけ飲んでいるのが申し訳なかったのだろう。
「ブラックでいい? 」
「はい」
「じゃ、お待ちどうさま。熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます」
入れられたコーヒーは、湯気を立てて揺れている。
少し飲むと思っていた以上に熱く、すぐに口を離してしまった。
そんなやなぎを見て先生は少し笑った後、話を成績表の方へと戻した。
「それで、桔梗さんは進学どうするの? 」
「え? 」
不思議そうな顔をするやなぎを見て、再び先生は苦笑した。
「え? って。進学よ。一応、面談している生徒には、それぞれ聞いてるんだけど」
期末テストの成績に関して、3組の生徒達は各自先生と1体1の面談を行っていた。
やなぎももちろんそれについてこうして昼休みをつかって呼び出されているわけだが。
「進学……」
「桔梗さんは定期テストも問題ないし、こないだの模試だって全国1位でしょ? 桔梗さんなら、何処だっていけるわよ」
「私は、どこへ行けばいいのですか……? 」
すると、先生の顔が曇った。
眉をひそめて、コーヒーの入っているカップを零さないようゆっくり机に置いた後、言葉を選ぶようにやなぎに問いかけた。
「桔梗さんは、何になりたいの? 」
「私は、何になれば良いのですか? 」
これまた困った発言に、先生の顔が更に曇る。
「桔梗さん。それは自分で決めないといけないわ」
「自分で……? 」
「ええ。あなたの人生なんだから」
求めた答えは得られず、そんな言葉が返ってきた。
将来何になるか。星の数ほどある選択肢の中から選ぶことは、一見自由に見えるがとても難しいことだ。
特に人に言われるがままにしてきた、人の敷いたレールの上を歩くだけの人生を歩んできたやなぎにとっては、これ以上ない難題だった。
「少し、考えてみます」
今は、そう返すことしかできない。
もう両親はいないのだ。
まだ時間はあるし、ゆっくり考えてみてもいいだろう。
「失礼しました」
「失礼しまーす! 先生~、デザイン系の専門学校に行きたいんだけど、親に反対されてて~……」
やなぎが職員室を出ると同時に入ってきた女生徒。
3年生だろうか。進路についての教科書を手に持ち、担任であろう男性教師に熱心に話しかけている。
「私、どうしてもイラストレーターになりたいんです~! 先生からも親になんか言ってやってください~」
「いや、おまえの夢は応援するけど……さすがに親に直接言うのはなんか……」
「え~」
内容は複雑そうだが、夢を語る姿はとても楽しそうだ。
あの子にも、夢がある。
その光景が、やなぎにはとてもキラキラして、眩しくうつった。
その日、珍しくやなぎは深夜まで起きていた。
いつも父に「早く寝なさい」と言われてきたやなぎは、初めて夜更かしというものを経験していた。
何をするでもなく、ぼーっとしていた。
床に散らばった進路についての本や、国立・私立大学・専門学校についてまとめられたいくつもの紙。
それらを無表情で見つめるやなぎは、完全に路頭に迷っていた。
「そろそろ、寝ないと……」
そう思うのに、身体はなかなかベッドへ動こうとしない。
それどころか、何故か勝手にテレビのリモコンを触っていた。
なんだか寝たくない。そう思い、おもむろにテレビをつける。
深夜2時を回っているせいか、あまり興味を惹くものはなかった。
ピ、ピ、ピ、とチャンネルを変えていくと、綺麗なイラストが目に飛び込んできた。
「これは、アニメ……というやつなのかしら? 」
今までアニメなんて見た事のなかったやなぎは、暫くそれを見つめていた。
美しい外国のような街並みの背景に、目を惹くキャラクター。
初めて見る景色を、食い入るように見つめていると、1人の女の子が画面に映った。
『私には、何もない……。アイビー様のように人気者でもなければ、ブレイブ様のように勇敢でもない……』
悲しそうな顔で1人呟くその少女は、ギュッと拳を強く握りしめた。
それは、どことなく今のやなぎと似ていた。
『何も、何もないけれど……でも私はっ! 今の私に出来ることを精一杯しようって、そう思ったの! 』
『なっ……!? 』
少女の力強い言葉に、画面に出てきた女性が反応した。
黒髪ロングに、赤いリボンを2つ左右に付けている。
少女は1人で話していたのではなかったらしい。
女性の方は一瞬怯んだ様子を見せるも、すぐに怒りに満ちた表情に変わった。
『あなたに……あなたに何ができるっていうの!? 今のあなたにできることなんて、何一つないの! いいからこれ以上、アイビー様に近づかないでちょうだい! この、平民風情が! 』
怒鳴ると同時に、女性が少女に右手を振り下ろす。
平手打ちをするつもりらしい。
だが、その右手は横から伸びてきた手に掴まれる。
『ア、アイビー……様? 』
女性が怯えた声を発する。
すると、名前を呼ばれた赤髪の端正な顔立ちの青年がキッと女性に厳しい視線を向ける。
『何をしている? ヤナギ』
「ヤナギ……? 」
怯えきった表情を浮かべるこの女性は、ヤナギというらしい。
「同じ、名前……」
これで、自分と同じ名前に出会うのは2回目だ。
この女性と、庭に咲いている柳。
『ヤナギ、君は今、メリアに何をしようとしていた? 』
『あ、えっと……』
メリア、とは少女のことだろう。
ヤナギは青い顔で何も答えることはなく、『し、失礼しました』と言って足早に去っていった。
『大丈夫かい? メリア』
心配そうにアイビーがメリアに声をかける。
『私は大丈夫です。それより、アイビー様も、ヤナギ様にあんなことを仰って、大丈夫なのですか? ヤナギ様は、公爵令嬢と聞きました。いくらアイビー様がサミファナ王国の王子様でも……』
『確かにハラン家は有名な公爵家だ。だが、貴族だからといって平民を虐めていいわけがない。なに、危なくなったら裁判でも起こすさ。そうなれば、100%あっちが有罪になる』
冗談っぽくアイビーがそう言うと、メリアはようやく少し笑った。
そんなメリアを見て、アイビーもまた笑う。
『メリア』
優しい声で、名を呼ぶアイビー。
『はい。なんです……』
返事を言い終わるより先に、アイビーはメリアを自身の胸に引き寄せていた。
『好きだ』
目を見開くメリア。
すると、キャストの名前が紹介されていく。
どうやらエンディングに入ったらしい。
『キミイロびより! 次回もおっ楽しみに〜! 』
メリアの声で次回予告をして、アニメは終わってしまった。
「キミイロびより! って、どこかで……」
はっとする。
そう、確かあれは入学式の自己紹介の時。
1番最後に挨拶をした、女の子が言っていた。
『少女漫画が大好きで、特にキミイロびより! が最近のお気に入りです! 』
あの子が、言っていた。
「キミイロびより! ……」
もう一度、タイトルを口にする。
「キミイロびより! 、キミイロびより! 、キミイロびより! ……」
何度も何度も反芻する。
暗い部屋でパソコンを開き、検索ワードを開く。
「キミイロ……びより! 、と」
カタカタと打ち込みEnterキーを押すと、数秒とかからずにすぐに詳細が提示された。
3年前に小説家サイトから書籍化され、その後コミカライズもされており、アニメ化も決定……。
今話題沸騰の大人気作品と書かれている。
「小説なら、読んでみようかしら……」
あの子が触れた景色に、自分も触れたいと、そう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます