第19話外の世界

●外の世界

 スウハはいつもの白い服装ではなくて、外で目立ちにくい柄の着物をきた。白は冬ならばともかく、秋の季節では目立ちすぎる。それに汚すのも申し訳ない。


「スウハさまは、しばらく馬に乗っていませんよね」


「ああ」


 ササナに尋ねられたので、肯定する。おそらく三年は乗っていないだろう。


「なら、ユキと一緒に乗ってください。ユキのほうが軽いので、二人乗りでも馬の負担が少なくて済むでしょう」


 ササナがそういうので、スウハはユキの側に近づいた。ユキはすでに自分の乗る馬をひいていた。そして、ササナにスウハのことを頼むと言われていたらしい。少し戸惑いながらも、自分の方に近づいてきた。


「乗るんだ……ですよね」


 たどたどしい言葉に、スウハはため息をついた。ササナたちを見習って警護を使おうとしているらしいが、慣れていないのがよくわかる。


「敬語は別に使わなくていいですよ。慣れてないんですよね」


 スウハがそういうと、ユキはほっとしていた。


 やっぱり慣れていなかったらしい。


「じゃあ、ボクが最初に乗って引っ張り上げるね」


 ユキは身軽に馬に乗り、上からスウハに向かって手を伸ばす。スウハはその手に捕まり、しっかりと馬の背に導いてもらった。馬の背中にのると、それだけで視界が全く違った。目線が高くなっただけなのに、なんだか別世界の眺めような気がする。


「気持ちがいい。この感覚をすっかり忘れてた……」


 馬に乗ることは気持ちがよかったのだ。


 そういえば、イツキに後継者に選ばれる前は自分は馬に乗るのが好きだった。スウハ、それをようやく思い出した。


「すうは、馬になるのが好きなんだね」


 ユキの言葉に、スウハは思わずうなずいた。


「昔は怖くて嫌いだったんだけどね」


 それは、もっと大昔のことだ。馬に初めて触ったときだけが、怖くて苦手だった。でも、乗ってからは馬が好きになったのだ。


「どこが怖いの?」


 ユキは、不思議そうに尋ねた。


 馬は草食の動物なので、ユキにはどこが怖いのか分からないのだろう。


「馬の歯がしっかりしてて、噛みちぎられそうだから」


 ユキは、くすくすと笑う。


 どうやら、スウハの子供時代の恐怖心がおかしかったらしい。スウハもいつの間にか笑っていた。自分の子供時代の恐怖心が、やっぱりおかしくって。


 こんなふうにのびのびするのは、久しぶりなような気がした。


「おい、ユキ。外に行くぞ。気を引き締めろよ」


 ササナの言葉に、ユキは頷く。


 スウハも口をつぐんだ。


 村から出るときが一番危険なのだ。そこはどうしても死人が集まってしまうからだ。


 門が開けられると、ササナもユキも馬を全速力で走らせた。そうやって死人を振り切って、森まで急ぐのである。


「ユキ、昨日の煙の方向は覚えてるな」


 スウハは、ユキに尋ねた。


 元気のいいユキの声が帰ってきた。


「うん」


 二人は馬上で会話しながらも馬を走らせる。森を抜けて、しばらく走ると村が見えた。おそらくは、昨日煙を上げていた村であろう。


「ユキ、何か見えるか」


 ササナに尋ねられると、ユキは馬の背に立って遠くを眺めた。


 狂人的なバランス感覚で立ち上がったユキは、村の様子を見るために目を細める。


「ダメだ。柵が高くて何も見えない。でも、柵が壊された様子はないよ」


「なら、人間同士の抗争か……あるいは単なる狼煙だったのか」


 昨日の様子を思い起こしながら、ササナは考える。


「でも、狼煙にしては煙が上がっている時間が長すぎたよね」


 そうだよな、とササナは呟く。


 ユキも狼煙と言う答えは、納得がいかないらしい。


「どうする、もう少し近づく?」


 ユキの言葉に、ササナは首を振った。


 ササナが注目していたのは、村の周囲の死者の数であった。


「いいや。村の周りに死者が多すぎる。昨日、何かしらの騒ぎがあったんだ」


 村を囲む死者の数。その数が見れば、大体何があったのかが分かる。集まった死者の衣類は古ぼけていて、ここ数日で死んだようには見えなかった。あれここで死んだのではなく、音に反応して集まってきたのだろう。だとしたら、村からの死者はたいしてでていないか、まったく出ていないかのどちらかである。


「内部抗争かもしれないな……。死人がほとんど出ていないような感じの」

 ササナの言葉に、スウハはどきりとする。


 今のところスウハの村は安定している。だが、不満を抱くものがイツキやスウハを殺すことだって十分にありえた。


「内部抗争って?」


 ユキは、ササナに尋ねた。


 狼に育てられたユキは、他の人間と違って知らないことが多い。そういう知らないことをササナがその場で教えているようだった。まるで自分とイツキの関係性のようだ、とスウハは思った。親と子。あるいは、教師と生徒のような関係性である。


「村の内部の人間が派手な喧嘩をすることだ」


 ササナは、ユキに簡単な説明をする。


 それでユキは納得したようだった。


 スウハとしては、なぜそんな簡単すぎる説明で納得できるのだろうかと思う。


「喧嘩で人が死ぬんだ……」


 ユキは、それが信じられないようだった。


 というか、正しくは喧嘩ではない。ササナの説明が簡潔すぎるせいで、あらぬ誤解を呼んでいるのである。


「正しくは、村の運営についてリーダーを信じられなくなっておきる喧嘩かな」


 スウハの説明が、ユキには信じられないようであった。


 狼はリーダーに絶対服従であるために、内部抗争がないのであろう。それを考えると狼たちの方が人間よりも穏やかな生活をしているのかもしれない。


「さて、帰るか。あの様子だと俺たちの村まで問題がくることはなさそうだな」


 ササナの言葉に、ユキたちは頷いた。


 帰りの森にたどり着くと、ユキは鹿を見つけた。


「ねぇ、ササナ。すうはをちょっと預かっていて」


 ユキの声は少し弾んでいた。


 楽しいものを見つけた、と言わんばかりの様子であった。


「ああ、いいぞ。狩りをするんだな」


 ユキは頷いた。


 スウハは馬から一度降りて、ササナの馬に乗りなおす。


するとユキは、狼の遠吠えのような声を出した。その声は本物に近く、ササナの馬が少し驚くほどだった。


「兄さん!」


 ユキの目が輝いた。


 森から現れたのは、狼であった。


 ササナの馬は驚いていたが、ユキの馬はすでに狼には慣れっこになっているようだった。どうやら、ユキと縁がある狼であるらしい。


「兄さん、鹿を狩ろうよ。うん、子供たちのお土産にもなるよ」


 ユキは、嬉しそうに狼に語り掛けた。


 心なしか狼も嬉しそうである。


「おー、ユキも叔父さんになったのか?」


 ササナがユキに尋ねると彼は「うん」と答えた。


 スウハにはどういう意味か分からなかったが、ササナは「狼の兄に子供が生まれたんだ」と教えてくれた。


 ユキと狼は吠えて会話を仕合い、鹿を追っていった。


 ユキは刀で、狼は牙で、鹿を追い詰めていく。


 その狩りのやり方は人間のものではなく、獣の狩りの方法だった。


「ササナ!」


 しばらくするとユキの声が聞こえた。


 その声がするほうに行くと、そこでは鹿が倒れていた。ユキはその鹿にとどめを刺しており、首に刀を入れて血抜きを行うところであった。血が抜かれた鹿の腹を裂き、ユキは内臓を取り出す。内臓は痛みやすいのでこの場で取り除いて狼たちの取り分とするらしい。


 狼は内臓、それに鹿の頭部を咥えて消えた。


 ユキは自分の馬に、内臓と頭部の分だけ軽くなった鹿を乗せる。


「兄さんとの狩りはやっぱり楽しい。ササナとの狩っても楽しいけど」


「身内との狩りは童心に帰るんだろ。鹿をさばいていた時も子供みたいな顔をしてたぞ」


 ササナの指摘に、ユキは微笑む。


 鹿の血で汚れていたが、それでも十分に美しいと言える笑顔である。スウハは、その顔がちょっとうらやましいと思った。もしも、自分の顔もユキのようなものであったらシチナシも喜ぶかもしれないと思ったからだ。


「鹿肉は大好物だしね。ねぇ、これで冬の保存食は足りるかな」


 ユキは、スウハに尋ねる。


 スウハは、村に貯蔵していた食料の量を思い出していた。


「もう少し必要になると思います。というか、できるかぎりためておかないと」


 スウハの言葉に、ユキは少しばかりがっかりしていた。きっと鹿肉のみでお腹をいっぱいにしたかったに違いない。


「でも、鹿は皮も使えますしありがたいですよ」


 スウハは、心から言った。


 なめして使えば鹿の皮は色々な用途がある。冬用の靴を作ることもできる。


 そういえば、そろそろ秋まつりの準備もしなければならないと思った。一年に一度の祭りは盛大に行い、それを楽しみにしている者も多い。


一日かけて祭りのときに食べるごちそうを用意して、それを祭りのときに食すのだ。それだけといえば、それだけの祭りであったは普段から節制している村人には何よりの娯楽だった。ユキも経験すれば、きっと毎年楽しみになることだろう。


「そりゃあね。よし、鹿の重みで馬がへばらないうちに帰ろうか」


 ユキは鹿を乗せて、馬を操る。


 だが、その動きを止めた。


「……誰か見てる」


 ユキがそう言った瞬間に、木の陰で誰かが倒れた。


 それは、少女だった。


 ユキよりも幼い十歳ぐらいの少女である。着ているものは、質のいい着物だった。外で倒れるような身分の子供には思えない。倒れた少女に、ユキが駆け寄った。


「危ないぞ。罠かもしれない」


 ササナは警戒していたが、ユキはなんてことないように少女に近づく。


 ユキは、少女の呼吸を確認した。


「気絶しているだけだよ」


 少女の衣類は汚れていたが、破れなどはなかった。それはササナたちの常識からすれば上等な部類に入る衣類であった。他の村の管理者の娘だろうか。だとしたら、どうしてこんなところで気絶しているのか。


「内部で抗争があった村の関係者かもしれませんね」



 ササナの言葉は、おそらくは当たっているだろう。


 スウハはよく考えた。自分の判断が、別の人間を危険にさらすかもしれないからだ。この少女を村に連れ帰るか否か、しばらくスウハは考える。


「……とりあえず、村で手当てをしましょう」


 幼い少女を見捨てるわけにはいかない、


 スウハは、そう決めて少女を村に連れ帰ることにした。


 その取り決めに逆らうものはいなかった。


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