第四章
第18話母の気配
●母の気配
朝起きると煙が見えた。
秋は実りの季節であり、同時に冬支度を急ぐ季節だ。遠くで見えた煙は、きっと他の村が他の村を襲っている煙であろう。食料の備蓄が足りないことがわかり、他の村から奪おうとする。冬は雪が深くて動けないときもあるから、秋にこのような抗争はおきやすいのだ。まきこまれないといいな、とスウハは思った。
村と村との戦争は、ときにどちらかが滅ぶまで続く。
スウハが暮らしている村は、今のところは平穏である。
その平穏はイツキの采配のおかげであろうとスウハは思う。イツキはまだ年若いが、この村を何年も収めている。食料の貯蔵量を決めたり、各人の仕事を決めたり、時にはもめごとの仲裁も図る。その仕事は多岐にわたり、スウハはイツキの近くで仕事を手伝っていた。
イツキの後任は、スウハであるからだ。
もしも、イツキがいなくなったら今度はスウハが皆をまとめなければならない。イツキはまだ若いが、いつ死ぬのかは誰にもわからない。死人がうろつき世界では、死はとても身近なものだ。あるいは、イツキよりも先にスウハが死ぬかもしれない。その時は、別に人物がイツキによって後任に選ばれるであろう。
スウハは、ため息をつく。
最近は、死に関することを考えることが多くなった。
たぶんそれは、スウハが一人前に少し近づいたからだろうか。スウハは今年から食料の管理を任されることになった。経験の少ない自分がそのようなことできるか自信がないが、やらなければならないのだから仕方がない。死のことを考えるのは自信のなさの現れであろう。
スウハは、黒組にいるシチナシのことを考える。
黒組の統領であるスズとイツキは、良い付き合いをしている。程度の差はあれど、歴代の統治者たちは互いに互いを必要としあったらしい。
順当にいけば、次はスウハとシチナシの番だ。シチナシは、信用が置ける人間である。少しばかり慎重すぎるきらいがあるが、統領になればそれもいいように動くと思うのだ。この世界において、慎重なことは美徳の一つでもあるからだ。
いつかは、スウハとシチナシも結ばれる。
そのことを考えると、不安も少し軽くなるような気がする。少なくとも未来は悪いことばかりではないように思える。
「シチナシ……」
冬にならなければ、シチナシには会えない。
厳しい季節だが、そのことだけがスウハの心の支えであった。
だが、今はシチナシのことを考えている場合ではなかった。首を振って、スウハはシチナシへの思いを断ち切る。
村で煙が見えたということは、何かトラブルがあった村が比較的近いということだ。ということは、この村もなにかトラブルに巻き込まれてしまう可能性が高かった。
シチナシは、少し考える。
ここ数年シチナシは、外の世界というものを見ていない。おそらく変わりはないであろうが、外の情勢を知らないでトラブルに対処できるようになるとは思えなかった。シチナシは、外を見に行こうと決心する。
そうと決まれば、スウハはまずはイツキに了解をとりにいく。
イツキは、部屋で薬草を煎じていた。部屋の中央で乾燥させた薬草をごりごりとすりつぶす姿は、なんとなくではあるが母親を想起させた。
「どうしましたか?」
イツキは、尋ねてきたスウハに尋ねる。
「村の外で煙が見えました。近くの村でなにかがあったようです」
スウハは、まずはそのことを報告した。
そして、今後のために外に出たいと告げた。
「いいですよ」
思いのほかあっさりとスウハが外に出る許可が下りた。
「外をみてくるのは良いことだと思います。ただ危険なことはしないでくださいね。護衛は、ササナとユキに頼みましょうか。あの二人は、明日も狩りに行く予定でしたから」
ユキと聞いて、スウハは顔をしかめた。
狼に育てられたという彼について知っていることは少ない。イツキにしてみれば、そうだからこそスウハとユキと共に行動させようとしたのだろう。ユキも今となっては大切な仲間である。そんな仲間のことをスウハが知らないというのは困りものだろう。
話が終わると、スウハはイツキの手伝いをし始めた。
イツキの薬はとてもよく聞く。
スウハも同じ手順で作っているのに、イツキが作るもののほうが品質が良いような気がするのだ。愛情の差なのだろうか、と考えてしまう。イツキは、薬を作るときはいつもスズのことを思って薬を作るという。そんなふうに作られる薬は、万人を癒した。イツキはスウハの薬も効くと言ってくれるが、スウハとしては納得できない。
納得できないものをシチナシに持たせてしまっていることも口惜しい。本当ならばもっと効く薬を作れるようになって、持たせてあげたいのに。
「スウハの薬は、シチナシさんの頼りになっていますよ」
イツキの言葉に、スウハははっとする。
「僕、顔に出ていましたか?」
そう尋ねると、イツキはくすくすと笑った。
「スウハは分かりやすいですからね。それに、秋は何故か寂しくなるものです」
「イツキさまもですか?」
スズが恋しくなるのだろうか。
だとしたら、自分と一緒だとスウハは少し考えた。
「……いつでも恋しいですよ。あの人は」
静かにイツキは語る。
その横顔は静かで、穏やかだった。スウハは、この人の激しい感情を見たことがない。いつでも静かな人なのだ。
「スズさまは、イツキさまに何かあったら死ぬと言っていますね……」
「怖がりになってしまったんですよ。あの人は」
イツキは、遠い目をしていた。
その目には、きっとスズの後姿が写っているのであろう。
「あの人は強いから、私たちよりもずっと多くの仲間の死を見てきた。もう耐え切れないんでしょう。だから、死ぬ口実を探しているんです」
私が死んだときがキリが良いと思っているのでしょう、とイツキは語った。
スウハは、イツキやスズがいなくなってしまった世界を思い浮かべる。そこは、なぜかいつも以上に広いのだ。
だが、とても息苦しい。
その息苦しい世界とシチナシと半分にしなければならない。
なんとなく、スウハはイツキの膝に縋りついた。
小さな子供のようであったが、それでもスウハはがまんすることができなかった。縋りついたイツキの膝は温かく、どことなくよい匂いがした。死んだ母もこのような臭いがしたのだろうか、とイツキはぼんやりと思った。
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