第16話世界の秘密

 ●世界の秘密


 アサヒは、ずっとササナに憧れていた。ササナは目立たない人だが子供たちに対して優しく接してくれる。家畜の世話は丁寧だし、外で狩りもすることができていた。外に行ける大人は、子供たちにとっては憧れの的だ。肉はごちそうであったし、冬を乗り越える際の大切な保存食にもなる。


なのに、最近のササナはずっとユキと言う少年につきっきりだ。


彼が狼に育てられた野生児で、色々と面倒を見なければならないというのが理由らしい。でも、アサヒは納得できない。それぐらいで特別扱いされるなんて、納得できなかった。アサヒだって、ササナに特別扱いされたい。

 

それなのに、ササナはユキをいつも特別扱いしていた。


 自分の部屋で寝かせて、狩りに行くときも連れていく。


 しかも、ユキはアサヒたちよりもずっと強いというのだ。


 ユキとアサヒの年齢はさほど変わらない。ということは、ユキも狩りの時は見ているぐらいしかできないだろう。なのに「強い」と認められているなんて許せない。たしかに運動神経は良いかもしれない。良いかもしれないが、それでも特別扱いは許せなかった。


 アサヒは、訓練でユキのことをぼこぼこにしてやろうと思った。


 なのに、ユキは思いっきり蹴ってきた。まだ始まってもいないのにだ。そして、ササナの顔に足蹴りをした。ユキはなんてことないという顔をしていて、それもアサヒは生意気だと思った。


 だが、それもこれまでである。


 ササナは、次は馬に乗る訓練をしてくれた。アサヒは、馬の世話をいつも率先してやっていた。そのため、馬になつかれている。ユキよりも、ずっとうまく乗りこなせるはずだ。


 だが、ユキは馬に乗る基本ができていた。


 それどころか、彼は馬の背に立つ。二本足で、まるで馬の背中が地面であるかのように立っていた。恐ろしいほどのバランス感覚に、これにはアサヒも愕然とした。馬の背中は丸みがあり、常に動いているのでまたがっているのも初心者には大変だ。なのに、ユキはそこに立つという離れ業を見せつける。


 ササナは「他の子が真似するからやめろ」といって、ユキを叱る。ユキは、結構簡単だよと言って笑っていた。


「……ユキ。お前は、保存食作るのほうを手伝ってこい」


 ササナは、頭痛をこらえながらユキに言う。


「でも、ボクにも色々教えたいって」


 ユキは、すこし残念そうだった。


 保存食を作ることよりも馬と一緒にいるほうが楽しいからであろう。


「あとで教えるから。それに保存食を作るのも大切だぞ」


 ササナに言われたユキは、馬から離れた。


 アサヒは、むっとする。


 また、ササナはユキを特別扱いするのだ。


「ユキなんて、ただの野生児のくせに」


 だが、アサヒも勘づいていた。


 ユキは、特別だ。


 それは、ユキの育った環境のせいだ。狼に拾われて育てられた。自然で育まれた身体能力や狼に培われた攻撃力は、他の追随を許さないものであった。まさに特別な存在だ。


 反対に、アサヒは平凡だ。


 これは、アサヒの育った環境のせいだ。小さな頃に、アサヒは他の村からやってきた。住んでいた村が死者に襲われて、この村に流れ着いたのだ。


親とははぐれてしまったが、この村での生活はアサヒにとって良いものだった。仲間もたくさんいるし、頼りになる大人もたくさんいる。アサヒの今の夢は、早く大人になって黒組に入ることだった。そのためには、ササナのような大人に認められなければならない。ユキのように。


「自分と他人を比べるな」


 ササナが、アサヒの頭を小突く。


「ユキにだってできないことがたくさんある。というか、できないことのほうが多い。そういうときに、おまえがちゃんと助けてやってくれよ」


 ササナの言葉に、アサヒは内心舌を出した。


 ユキが困っていても、絶対に助けてなんてやりたくなかった。


 他の子供たちに混ざって、アサヒも馬に乗る訓練を始めた。やはり馬はアサヒになついていて、馬の扱いはアサヒが一番うまかった。他の子供たちが尊敬の目で見るので、アサヒは気分がよくなった。これこそが自分の正当な評価だと思った。


 訓練が終わると、ササナは子供たちに休憩を言い渡した。


 この後は、馬と刀の扱いに長けた子供が選ばれて狩りに行く予定だった。アサヒは当然選ばれるだろうと思っていた。良い気分で休憩していると、ユキがふくれっ面をして帰ってきた。


「どうしたんだ?」


 ササナが尋ねると「包丁の扱い方が下手だから、今度教えてから手伝ってもらうって言われた」とユキは答えた。その言葉に、アサヒは小さく笑う。包丁の扱い方など、村ではもっと小さいうちに習うことだったからだ。そんなこともできないなんて、なさけないと思ったのだ。


「刀しか使ったことがないんだからしょうがないって。今度、教えてやるから」


 ササナは、ユキに笑いかける。


その笑顔は、とてもやさしいものだった。


アサヒたちへ向ける顔も優しいものだが、それともまた違った微笑みである。愛しくてたまらない、という笑顔。そんな笑顔は、アサヒは親にしか向けられたことはなかった。


「じゃあ、ボクも馬の背に立つ方法教えてあげようか?」


 ユキは、その笑顔を当たり前の顔をして受け取る。


 それは、親と共にいたころの自分をアサヒに想起させた。


「それは遠慮しとく」


 ササナと話しているからであろうか。ユキは、あっという間に上機嫌になった。ササナとユキは、とても楽し気に談笑を続ける。


 アサヒは、面白くなくなった。


 もっと、落ち込んでいればいいのにと思った。


「ユキ。もうしばらくしたら、狩りに行くから手伝ってくれ。ウサギを狩るんだが、もしもの時には頼むぞ」


 ウサギ狩りは罠を確認するだけなので、難しくはない。それでも「よろしく」と言ったのは、死者が出た時に備えてであろう。子供数人をつれて外にいく予定だが、ササナ一人ではもしもの時に子供たちを守り切れないと考えたのであろう。ユキは、頷いた。


「うん」


 アサヒは、ため息をついた。


 ウサギ狩りなんて、楽しくもない。村で英雄になれるとしたら、鹿や猪といった大きな獲物がとれたときである。だが、今回はウサギだ。これでは、ただ外に行くのとかわりがないだろう。アサヒも、ただ外にでるだけなのに心配症だ。


「つまんないの」


 アサヒはそう呟きながら、休憩時間をつぶした。


 そして、アサヒは当然のごとく狩りのメンバーに選ばれた。アサヒのほかにも二人の子供が選ばれ、皆が馬に乗った。馬は死者が多くいる村付近を走り抜けて、森へと向かう。ここが一番危険な箇所だ。村の近くには、どうしても死者があつまる。だが、そこさえ通り抜ければ比較的安全と言えた。単独でいる死者は怖くない。死者は遅いから、馬に乗っていれば簡単にふりきることができる。


 馬を走らせながら、アサヒは森で動物の影をみた。


大きさから言って、ウサギではない。小さな猪ぐらいの大きさだった。あれぐらいの大きさだったら狩れるかもしれない。

 

アサヒは、そう思って馬を方向転換させた。


 慌てたのは、ササナである。


「アサヒ!ユキ、アサヒを追ってくれ。無理しないで、アサヒを保護したらそのまま村に帰っていい」


「分かった!」


 どうやらササナは、アサヒの馬が暴走したと思ったらしい。


 まさか、とアサヒは思った。


 馬の扱いは得意なのだ。


 アサヒは、動物の影を追った。


 十分に近づくと、影が猪ではないことに気が付いた。

子熊だ。


 アサヒは、どきりとした。子熊は殺すなと教えられていた。近くに母熊がいることが多く、帰りうちにされる場合が多いからだ。だが、それでも普通の獲物よりも大きな子熊の肉を持ち帰れば英雄になれるかもしれない。


 アサヒは、そう考えて刀を抜こうとした。


 そのとき、馬が暴れた。


 手綱を引くが馬は落ち着かず、アサヒは振り落とされた。アサヒが思わず振り返ると、そこには親熊がいた。アサヒは、目を丸くする。大きな熊は、アサヒに向かって手を振り下ろそうとしていた。


「あさひ!」


 刀が、クマの爪をはじく。


 それは、ユキの刀だった。


 彼は馬から飛び降りて、目にもとまらぬ速さで抜刀したのだ。ササナを相手にした時と同じような、人間業と思えぬでたらめな動きでユキは熊を相手取る。クマの力は、人間よりもはるかに上回る。そのため、ユキはできる限りクマの攻撃をかわしていた。


 ユキは、吠える。


 それは、狼の遠吠えだ。


 クマは、その遠吠えを聞いてじりじりと下がり始めた。


 ユキは、もう一度吠える。


 クマとユキとの駆け引きがあった。アサヒには何が起こっているのか分からなかったが、クマは子熊を連れて姿を消した。


「……よかった。子供の安全を考えたらしい」


 ふぅ、とアサヒは息を吐く。


「あさひ、大丈夫?クマは、兄さんたちが来ると思って逃げたみたい。それにしても、クマに襲われるなんて。まるで、ささなみたい」


 疲れたように、アサヒは笑う。どうやら、クマとの戦いに精神を摩耗したらしい。それでも、彼は笑う。アサヒには、そんなふうに笑えることが彼の強さの証明に思えた。少なくとも、今のアサヒは笑えない。


 ユキは、いつの間にか腰を抜かしていたアサヒに向かって手を差し出した。


「……おまえ、本当に狼なの?」


 アサヒの質問に、ユキは首を振る。


「違うよ、人間。狼の母さんに育てられただけの人間」


 アサヒは、嘘だと思った。


 ただの人間であれば、そんなに強くはなれない。アサヒのように、つまらない人間になっているはずだ。


「……そんなに強くて、特別だったら一人で生きていけたじゃんか。わざわざ村に来ることなんてなかったんじゃ」


 自分のように群れるのではなくて、一人で生きていけばいい。


 本当に、アサヒはそう思った。


 それは親とはぐれた時に、選択できなかった未来であった。


「違うよ」


 ユキは、答えた。


「ボクは、ササナに助けてもらったんだ。それに、兄さんとか義姉さんとかがいなかったらここまでの旅もできなかった。一人じゃ生きていけないんだよ」


 ユキは、差し出した手でアサヒの腕をつかむ。そして、強く引っ張ってアサヒを立ち上がらせた。そうやって立ち上がってまじまじと見ると、ユキはアサヒよりも小さかった。その小さな体には筋肉が――ユキが家族と生き残ってきた歴史がぎっしりと詰まっていた。


「母さんは、僕に人間として生きてほうがいいって言った」


 ユキの言葉に、アサヒは首をかしげる。


「狼が、喋ったの?」


 ユキは狼に育てられたという。


 そんな彼が母というならば、狼以外に母親はいないであろう。


「母さんは、誰よりも賢いよ。ものすごく大昔――人間がまだ世界を支配していたころに、お母さんの祖先は遺伝子をいじられた」


「いでんし、ってなに?」


 それは、アサヒが知らない言葉だった。


「体を作る設計図だよ」


 それも狼が教えてくれたらしい。


 信じられないことだが、ユキを育てた狼は人間よりもずっと賢かった。アサヒが知らない言葉をユキに教えられるぐらいに。


「それで、とっても賢くなった。お母さんの一族は、それからずっと世界の秘密を守ってる。でも、お母さんの子供たちは血が薄くなって喋れなくなったから、ボクが養子になったの」


 アサヒは、目を白黒させていた。


 信じられないような話であった。


 人間より賢い狼がいるだなんて。


 その狼が、世界の秘密だなんてものを知っているだなんて。


「じゃあ、ユキは世界の秘密を知ってるの?」


 アサヒは、ユキにそう尋ねてみた。


 ユキは、当たり前のように答えた。


「うん。くだらない秘密を――知ってる」


 くだらない、とユキは言った。


 その目は、どこか悲しそうだった。 アサヒは、その目に会ったこともない賢い狼の面影を見た。ユキを育てた狼も、きっと今のユキのように静かに悲しい目をしていたに違いない。賢いがゆえにすべてを見通し、賢いがゆえに人以上に憂いを覚えた狼だったに違いない。


「どんな秘密?」


 アサヒは、尋ねた。


 ユキは「知りたいの?」と尋ねた。


 どこか神秘的な雰囲気をまとった、ユキ。そんなユキは、アサヒをまっすぐに見て尋ねた。知ってしまったら、狼と同じ苦悩を知ると警告しているようであった。


「知りたい」


 アサヒは答える。


 ユキは、深呼吸をした。


 その瞬間、アサヒは世界の時間が止まったと思った。世界の時間が止まって、ユキだけが正常の時間のなかにいるような奇妙な感覚だった。


「あのね……人間が自分の世界を滅ぼしたの」


 ユキは、そっと囁いた。


「死人がいるのは、全部が全部人間のせいなだよ」


 悲しそうにユキは呟く。


「死者のせいで起こる悲しみは結局のところ、ボクたち自分たちのせいなんだ」

 アサヒは、ユキが泣いているように思えた。


 泣いてなんていないのに。


「……でも、大昔の人間がやったことなんだろ。俺たちは、関係ないって」


 アサヒは、そう言った。


 心の底から、そう思ったからである。


「あるよ」


 ユキは、首を振った。


「人間は、賢くならない。相変わらず、奪い合って殺しあって自分の心と仲間を満足させようとしている。アサヒ、きっと――人間はこれから滅びるまで繰り返すんだよ」


 遠い目をする、ユキ。


 アサヒは、知った。


 きっとユキは、ずっと心にしまっていたに違いない。そう思いながら、人間の営みというものを見ていたに違いない。孤独な子狼は、ただ静かに見ていたのだ。


「ボクも人間なんだよね。……きれいって言われてうれしかったんだ。大切って言われて、すごくうれしかった」


 ユキは、微笑む。


 心の底から、彼は笑っていた。


 アサヒは、驚く。あまりに笑顔がきれいで、美しくって、この世のものではないようで。けれども、アサヒの心には靄がかかった。誰か、ユキのことを美しいと言ったのか気になってしょうがなかった。


「……その……誰が、そんなことを言ったの?」


 アサヒの疑問に、ユキは答える。


「ササナだよ」


 やはり、とアサヒは思った。


 ユキに対して、美しいと言えるのはササナだけだと思っていた。そんな思いを抱いているのは。


「さて、帰ろうか」


 アサヒは、ユキと一緒に馬に乗って村に帰ることになった。


 馬に乗りながら、アサヒはユキに抱き着く。


「あのな……あのな!ユキ、俺もお前のことが綺麗だと思うぞ」


 アサヒは、顔が赤くなった。


 他人にこんな気持ちを抱くのは、初めてだった。


「ありがとう」


 ユキは、あっけなくそう返した。


 たぶん、アサヒの気持ちになど気が付いていないだろう。


「……もしかして、お前って綺麗って言われ慣れてる?」


「うん。よく言われる」


 アサヒは、ため息をついた。


 やっぱり、と思った。


 ユキは花のような美貌なのだ、だから綺麗と言われ慣れていてもおかしくはない。


「あのな。俺の綺麗は特別なの!すごく特別なの!!」


 アサヒは、そう断言する。


 だが、ユキは首をかしげる。


「でも……ササナのときみたいに特別なものは感じないよ。ササナに言われるとすごくうれしかったけど」


 アサヒは、むっとした。


 そして、アサヒはユキの頬を引っ張る。


「俺も特別なの!特別なんだからな!!」


「いたいよぉ」


 ユキは、アサヒに頬を引っ張られながらも帰還した。


 それを後から聞いたらササナは、アサヒを叱ろうとしたが「負けないから!」と何故か敵視されていることを宣言されてしまった。

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