第12話野党

●野党


 昼の間、ユキたちは休まず馬を走らせた。


幸いにして死者に群れには会わなかったが、日が暮れればそれも難しくなる。手ごろな洞窟を見つけると、ユキたちは火を焚いて休むことにした。順番に寝ずの番を立ててのことであったが。

 

最初は、慣れぬユキが起きていることになった。


 二人が寝ると、ユキはそっと兄を呼んだ。馬は少し離れたところにつないでいたので、驚かせないと思ったのだ。


兄嫁は呼ばなかった。春を迎えてから、兄嫁は子を宿した。今は大事なときであるので、呼ぶのは忍びなかったのだ。

 

兄は、いつだってユキが幼子だと思っている。ユキの目の前で腹を見せて、ユキを喜ばせようとしているのだ。それを見て、ユキは笑ってしまう。


兄は、いつだってひょうきんだ。


「兄さん……僕は人間になれているかな」


 ぽつり、と漏れたのは弱音だ。


 ユキは狼として育てられた。


 なのに、母は人間に戻れと言った。


 今の自分はまだ狼なのか。それとも人間なのか。ユキ自身にも分からなかった。兄は、ユキの手を舐める。ユキは、ユキ自身だと言っているようであった。


「うん。分かってる……ありがとう、兄さん」


 ユキは、兄の堅い毛に顔をうずめた。


 兄は、すごい。


 いつもユキを安心させてくれる。だから、大好きだ。でも、こんな不安定な子供だから兄はいつまでもユキを子ども扱いしてしまうのだろう。


 突如、兄が顔を上げた。


 ユキも目を細める。


 人間の気配がした。


 生きた人間の気配だ。


「……ささな」


 ユキは、ササナを揺り起こす。ササナとミサは眼をこすって、起きる。


「人の気配がするよ」


 その言葉に、二人はすぐに焚火を消す。


「ユキ、武器を持て。……生きている人間の気配か?」


 ササナの質問に、ユキは頷く。


「なら、ユキは余計に注意しておけ」


 ミサは、ユキの頭をなでる。


 不快だったので睨むと、ミサは両手を上げた。


「それって、どういう意味?」


「綺麗な顔をしてるってこと」


 また、それである。

 人間と生活してから、言われ続けている言葉だ。


綺麗だ、と。

 

ユキは、美醜が分からない。


 手足がちゃんと機能していれば、それでいいのに。


「ユキ。ミサは、心配しているんだ」


 ササナは、膨れるユキに言う。


「心配されるようなことなんて、起きないよ」

 

ユキは、小刀を抜いた。


 足音が、近づいてくるのを感じる。


「ボクと兄さんで、先手を打とうか?」


 ユキの言葉に、ササナは首を振る。


「やり過ごせるなら、やり過ごそう」


 ササナというとおり、ユキはじっとしていた。だが、足音は遠ざかっていった。ユキは、ほっとする。ササナたちは、ユキほど耳が良くないのでいまだに警戒をしている。


 大丈夫だ、とユキは言おうとした。


 突然、兄が吠えた。


 どうしてと思った瞬間、洞窟の奥から男が現れた。その人間は獣の皮をまとう、足にも皮を巻き付けていた。それで足音を消していたらしい。獣の匂いをまとっていたから、ユキたちも気が付かなかったのだ。洞窟の奥から現れた男は、ユキの背後をとる。そして、ユキの首筋にナイフをあてた。


 ユキは、その刃を恐れなかった。


 首からわずかに出血しても恐れずに、自分を人質にとろうとする相手の目に指を突き立てた。男は悲鳴を上げた。ササナは、咄嗟に男とユキと引き離す。男のナイフが宙を舞い、ユキの白い首には赤い線が走った。


「危ないことをするな!」


 ササナは、ユキの傷を確認した。

 ミサは、目をつぶされた男を警戒する。だが、その顔は引きつっている。目をつぶされた男に同情さえもしていた。


「身長から言って一番狙いやすそうなやつを選んだつもりなんだろうが……獲物を間違えたな」


 ミサは、男が落としたナイフを拾った。


 そして、暴れる男を抑えて首筋にナイフを一突きする。


「今の声、外の連中にも聞こえたな……」


 ミサは、ユキの怪我が軽傷であることを確認した。


「移動しよう。このまま北に向うぞ」


 ミサの言葉に従い、ユキたちは洞窟を出た。馬は使わなかった。彼らは夜目が効かず、夜間の移動ができないのだ。


「今の人間は、外の仲間かな?」


 ユキの疑問に、ササナが答える。


「……たぶん違う。あの洞窟の反対側が別の場所に繋がっていたんだと思う。ちゃんと洞窟を調べるべきだった」


 後悔しているササナに、ユキは首をかしげる。


「ボクは無事だったよ」


「でも、一歩間違えれば死んでた。くそっ!……悔しいよ。あんなふうにお前に人を殺させたなんて」


 ユキは、自分の親指を見つめる。


 男の眼球をえぐったせいで、爪が体液で濡れていた。途端に気持ち悪く思えて、ユキは衣類でそれをぬぐう。


「自分の身を守るために殺しただけだよ」


「前にもこうやって殺したことがあるのか?」


 ササナの質問に、ユキは首を振る。


「母さんたちが、人間には敏感だったから。でも、クマとか獲物とかは食べるために殺してたよ」


「人間は、違うだろ……」


 ササナの言葉に、ユキは黙り込む。


 ユキは、なんとなく悟った。ササナは、自分と同類である人間を殺すことに忌避勘を持っている。それこそが人間の証明だとしたら、ユキは人間らしい心をまだ持っていないらしい。


「ササナ。ユキに当たるのはよせ」


 ミサが、二人に声をかける。


「さっきのは、ユキのおかげで助かったんだ。俺とササナのどちらかが人質に取られていたら、死んでたかもしれない」


「みさ」


 ユキは、ミサをじっと見つめた。


「みさだったら、殺せる?……人を」


 ユキの質問に、ミサは彼の頭をなでながら答えた。


「ああ、自分と仲間を守るためだったならばな」


 ミサの言葉に、ユキは少しばかり安心する。


 ユキの心は、ミサに近かった。


「俺は、人殺しは嫌だよ。普段は村の内部にいる弱虫の意見だけどな」


 ササナの言葉に、ミサは苦笑いする。


「俺も殺しが好きなわけじゃないぞ。それにササナの意見が、大多数なんだと思う。人が人を殺すのは、疲れるしな。……ここらで夜を明かそう。これ以上はなれると馬を回収できなくなるかもしれない」


 ミサの言葉に従い、ユキたちは交代で休みながら夜を明かした。

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