第19話 永久に

「あれ? 葵ちゃんがいない」




 お弁当を買い終え教室に戻ってきたボクだが、何故か教室には葵ちゃんが居なくなっていたのだ。




「ねえねえ横田。葵ちゃんってどこ行ったの?」




 隣の席で呑気にヤキソバパンをかじっている横田に問いかける。




「東郷? ああ、確か外で弁当食べるとか言ってたかな」


「へえ、そうなんだ。ありがとう横田」


「おう」




 外でお弁当、ね。うーん、何か気になるなあ。今日の葵ちゃんはどこか調子が悪いみたいだったし、少し心配なんだよね。




「……探しに行こうかな」




 何か悩みがあるなら相談に乗ってあげたいし、体調が悪いなら早く家に帰ったほうがいいしね。葵ちゃんは我慢強いから、ほっといたら無理して午後の授業も受けてそうだ。




「そうと決まったら善は急げだね♪」


 ボクは葵ちゃんを探す為に教室を後にした。











「さて、葵ちゃんが行きそうな場所といえば……」




 あんまり人が多いところは葵ちゃんは苦手だしな、多分人気のない場所でお弁当を食べるんだろうと予想を立てる。




「屋上とか……校舎裏とかそのあたりかなあ」




 どちらから確認しようか迷っていると、背後から声をかけられた。




「あれ、石堂か? お前さっき教室に戻ったんじゃなかったのかよ」




 田淵である。彼は今日も懲りずにセレスちゃんを昼食に誘った帰りなのだろう。そういえば購買で会ったような気もする。




「ああ、ホモの田淵じゃないか」


「本気でやめろよその呼び方! 前のアレの所為で噂になってんだぞ!?」




 いやあ、ボクもあんなに広まるとは思ってなかったよ。みんなよっぽど暇なんだろうね。




「そうだ、ホモの田淵。ちょっと聞きたい事があるんだけど」


「だから止め(略」


「あーはいはい。それで、ちょっと聞きたいんだけど。葵ちゃん見なかった?」


「ちくしょう、あっさり流しやがって。東郷? そういやさっき校舎裏の方向に向かっているのを見たけど……」




 ナイスだよ田淵!




「ありがとう田淵! これからはホモって噂を流さないであげる♪」


「ちょっと待て! この噂はテメエが流してたのかよ!?」




 田淵が何か騒いでいるけど……まあいいか。どうせ大したことじゃないよね♪


 ボクは田淵から情報を得て、葵ちゃんが向かったであろう校舎裏に向かう。











 昼間だというのに巨大な校舎に太陽の光を遮られ、薄ら寒さすら覚える校舎裏の日陰。何度来てもボクはこの場所が好きになれない。まるでこの場所だけ世界に忘れ去られたかのような……そんな寂しい気持ちになるから。




「さて、葵ちゃんは……!?」




 そこで見たのは、金髪のガタイの良い不良男に詰め寄られて涙を流す葵ちゃんの姿であった……。


 ボクの中で何かがはじけたような気がした。




「おいお前! ボクの葵ちゃんに何やってんだ!」




 ボクの怒鳴り声に、葵ちゃんに詰め寄っていた金髪男が驚いたように振り向く。




「あー、今日はよく邪魔される日だなおい。なんだテメエは?」


「U ☆ RU ☆ SE ☆ E ☆ YO! おいコラこのデクノボー野郎が! テメエごときが人類の至宝であるクールビューティー葵ちゃんに涙を流させるとはどういう了見だ! 死ね! もしくは滅びろ! 息もするなバァカ!」




 金髪男の額に青筋が浮かぶが知ったこっちゃない。




 ボクは今もの凄く怒っている。


 ああ、怒っているともさ!


 葵ちゃんが泣いていた。泣いていたんだぞ? 許せない。かつて無い程の怒りがボクのはらわたを煮えくらせる。




 ボクはボキボキと指を鳴らしながら金髪男に近づき……




「とりあえず死ねぇえぇええええええ!」




 鋭い踏み込みからの、不意打ち気味の正拳突きを相手の鳩尾に叩き込む。金髪男はボクの奇襲に対応できず、まともに正拳突きを受ける形となった。




 鳩尾にめり込む正拳突き、肺の空気が押し出され、金髪男は苦悶の表情を浮かべる。


 わずかに違和感。




 打ち込んだ金髪男の腹筋は、ボクの予想を超えた硬度を持っており、ボクの勘が緊急のアラームを鳴らしている。




「トラ! 危ない!」




 葵ちゃんの悲鳴にも似た叫び声。


 にゅっと伸びた金髪男の手がボクの襟元をがっちりと掴む。




「がぁぁあぁ!」




 ふわりと体が浮かび上がる。次の瞬間、ボクは地面に叩き付けられていた。




「かはっ!」




 とっさに受け身をとったボクであったが、それでも地面に叩き付けられた威力は半端ではなく、全身を激痛が駆け巡る。




 息が、出来ない。


 もしかしたら肋骨も折れているかもしれない。それでも……ボクは立ち上がらなくちゃならないんだ。




「はぁ、はぁ、はぁ」




 息を切らしながらゆっくりと立ち上がる。視線を上げると、金髪男が鳩尾を抑えながら苦しそうに荒い息をしていた。




「……ちっ、そのまま……寝てろよ……チビが」


「……はは、面白い……冗談だねデクノボー」




 とは言ってもかなりヤバい。喧嘩はえらく久しぶりなうえに相手が格闘技……おそらくは柔道の経験者ときた。




 ボクは体格に恵まれていないため、相手から攻撃をもらわないように立ち回らなければいけないのに……失敗したな。不用意に相手の懐に入ったのはまずかった。頭に血が上って冷静な判断ができていなかったのだ。




 体格の差か、ボクより一足先に動けるようになった金髪男がじりじりと距離を詰めてくる。流石に相手も不用意に近づくような事はしない。かなりの実力者だ。




 ボクはそっと拳を握りしめる。




 ……拳の先の数センチの距離。それが……ボクが空手をやめざるをえなかった理由である。


 伸びない身長、つかない筋肉……実力者の世界では数センチのリーチの差が勝敗を分ける。そういう世界だ。




 だけど今はそんな泣き言も言ってはいられない。拳が数センチ届かないのならば、気合と立ち回りで数センチの距離を埋めるまでだ。




 ボクは一気に息を吐き出すと、先ほどと同じように鋭い踏み込みで相手との間合いを一気に詰める。


 自分で言うのもなんだが、ボクの踏込の速さはなかなかのものだ。金髪男は回避を諦めて腹筋に力を入れる。ボクの一撃を受け切り、先ほどのように反撃をするつもりだろう。




 ボクは拳を握りしめ……がら空きの股間に右ひざをねじ込んだ。




「…………っ! …………っ バタバタ」




 声にならぬ悲鳴を上げて、金髪男は股間を抑えてしゃがみ込む。




「よいしょぉお!」




 手ごろな位置に来た金髪男の顎を豪快に蹴り上げ、髪を掴み頭を引き寄せてから思い切り膝を顔面に叩き付ける。




 ぐるりと金髪男の眼球が回転し、そのまま失神して倒れこんだ。


 ボクの……勝ちだ!




「やっ……たぁ」




 張り詰めていた気が抜けて、ボクはその場にへなへなと座り込む。




「トラ!」




 駆け寄ってきた葵ちゃんがボクの背中を支えてくれた。




「あ、葵ちゃん大丈夫だった? ケガしてない?」


「馬鹿、ケガしてるのはトラでしょう!」




 そう言って、葵ちゃんは真っ赤な顔で涙を流しながらボクをぎゅっと抱きしめる。




 ああ、暖かいな。


 ボクは震える葵ちゃんの背中を優しくなでる。




「怖かったね葵ちゃん。もう大丈夫だよ、ボクが、葵ちゃんを守るから」


「…………ごめん、トラ。…………ありがとう」


「ん」




 葵ちゃんの頭をポンポンと叩く。




「ダメね私は。結局トラに助けて貰った。…………強くなった筈なのに」


「葵ちゃんは十分強いよ。ボクと違って、ちゃんと空手を続けて全国大会にまで出てるじゃないか」


「そんな、トラが空手を続けていたら、私なんかよりずっと……」


「……違うんだよ葵ちゃん」




 ボクは空手から逃げ出したんだ。


 周囲から寄せられる期待に、耐えきれなくなったんだよ。




「ボクはね、葵ちゃんを尊敬しているんだ。ボクに出来なかったことを全部やっていて、ボクの持っていないものを全部持っていて……正直、少し嫉妬した時期もあったけど、それでも、空手をやっている時の葵ちゃんは輝いて見えたんだ」




 葵ちゃんは、自分が空手で成績を残している理由が身長のためだと思っているみたいだけど、そんなことはない。ボクは葵ちゃんが誰よりも練習を頑張っていた事を知っている。




それを誇らず、苦にも思わずここまで続けてきた事が……ボクは単純にすごいと思ったんだよ?




「葵ちゃんは強いよ。でもね、もし力が足りない時はボクを頼って。いつでも助けてあげるからさ」




 君の事が好きだから。




「……トラ」




 抱きしめていた手をそっとほどき、葵ちゃんは涙を拭ってボクを見る。




「調子に乗らないでね、私はトラに助けて貰わなくても大丈夫なんだから」




 どこか拗ねたように笑う葵ちゃん。




「うん、知ってる」




 そしてボクは願う。




 叶うなら、ずっと葵ちゃんを好きでいられますように。








                ―――校舎裏に差し込んだ太陽の光が、ボクたち二人を照らし出した。

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とらまる♂ 武田コウ @ruku13

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