第18話 ハリボテ
「東郷さん、オレと付き合って下さい」
朝練の後に呼び出された私は当惑していた。目の前には、私に深々と頭を下げる男子空手部の部員……確か名前を遠藤といったはずだ。
短く刈り込まれた頭髪に、運動部ならではの引き締まった体躯。まだ幼さの残る顔にはニキビがポツポツと出来ている。
特に特徴の無い男であった。私自身も、こうして告白されるまではこの男の事を気に留めた事も無かったのだから。
「えっと、遠藤くん? なんで私なのかな」
女子空手部員にしても、私より可愛い部員なんてたくさん居る。なのに何故、こんなデカくて無愛想な女に告白などするのだろう。
「だって、東郷さんってカッコイイじゃないか。オレ、東郷さんの試合を何回か見たんだけど、その時の東郷さんの表情がすごく凛々しくて、それで気が付いたら好きになってたんだ」
カッコイイ
凛々しい。
褒められる事は単純にうれしい筈なのに、何故か素直に喜べない自分がいた。
―――葵ちゃんはすっごく可愛いよ。
ふと脳裏に浮かんだのは幼馴染の姿。私は何故か、少し自分の口元が緩むのを感じていた。
「遠藤くん、君の気持ちはすごくうれしいけど……ごめんなさい。君とは付き合えないわ」
私の言葉に、見るからにショックを受けた様子の遠藤くん。少し心が痛むが、仕方がない事だ。私は彼とは付き合えない。
「……東郷さん、よかったら断られた理由を聞いてもいいかな?」
遠藤くんの問いに、私は少しためらってから、ゆっくりと口を開いた。
「好きな人が、居るの」
◇
恥ずかしい。
昼休みの教室で、私は自分の席で羞恥に悶えていた。気づいてしまったのだ。初めてトラ以外の男子から告白され、私は自分の気持ちをはっきりと自覚してしまった。
トラが好き。
うっすらわかっていた。自分はトラの事が好きだという気持ちは、幼き頃からこの胸の奥に存在していたのだ。
だからこそ恥ずかしい、自分の後ろにトラが座っているという事実も、今の私には耐えがたい現状だった。
「どうしたの葵ちゃん? 気分でも悪いの?」
流石は幼馴染といったところか、鋭い洞察力で私の様子が普段とは違う事を察したトラが話しかけてくる。
「………………っ! だ、大丈夫よ」
トラの顔をまともに見ることが出来ない私は、振り返らずに答える。
「そう? 辛かったら無理せずに保健室に行きなよ? じゃあ、ボクはお昼ご飯を買ってくるね葵ちゃん」
トラが購買に弁当を買いに教室を出て行ったのを確認すると、私は深く溜息をつく。まさか自分がこんなに取り乱すとは思っていなかった。私は、自分が考えていたよりも乙女な部分があったらしい。
「……ふう、外でご飯食べようかしら」
今の自分が教室に残っていると、また取り乱してしまうかもしれない。少し気持ちを落ち着かせるためにも、外でご飯を食べるのが賢いだろう。
そうと決めると、私は鞄からお弁当を取り出して教室を後にする。さて、どこでお昼を食べようかな?
私がお昼を食べる場所を探してウロウロしていると、通りすがる生徒達の会話が耳に入ってきた。
―――オレ、さっき向こうで鮫島見たんだけど。
―――マジで!? アイツもう学校来てるのかよ。
鮫島……か。
私はその男を覚えている。武道系の部活動は、学校に一つしかない武道場を交代で使用しているため、互いに面識がある。
故に、私は不良になる前の鮫島をよく知っている。
少し、短気な所はあったが真面目な男だったと思う。少なくとも、適当に練習をしていた他の柔道部員よりは真摯に柔道に取り組んでいた。部活内の誰よりも強さに貪欲だったとも聞いている。
一年生から先輩を押しのけ、レギュラーに抜擢されたとなれば、嫉妬の念から先輩に目をつけられるなんて事は、程度の違いこそあれよくある事だ。私も一年の時は、レギュラーに入れなかった先輩から嫌味を言われていた。
「悲しいわね」
同情はしない。きっかけが何であれ、鮫島が悪事を働いた事は事実なのだから。だが、悲しい事だとは思う。彼は運が悪かったのだ。
しばらく考えて、私は校舎の裏庭に、ボロボロのベンチが設置されていた事を思い出した。今日はそこでお昼を食べる事にしよう。
ぼんやりと目的地へ歩いていると、視界の端に気になる人物が映りこんだ。
「……鮫島?」
190センチ近くある巨体をだらしなく着崩した制服に包み、ワックスでツンツンに立てた髪の毛は金髪に染められている。あんなに目立つ容姿だ、間違いようがない。
鮫島と関わってもロクなことはない。私は予定を変更して教室に戻ろうかと思い……鮫島の隣にいる人物に気が付いた。
ひどく怯えた様子の遠藤くんが、鮫島と共に校舎裏へ向かっていったのだ。
考える前に体が動いていた。私は急いで鮫島たちを追う。
自分が行った所でどうにもならない事はわかっていた。でも私は、動かずにはいられなかったのだ。
たどり着いた校舎裏で私が目撃したのは、鮫島と遠藤くんが何やら言い争っている場面であった。明らかに遠藤くんは怯えた様子で今にも逃げ出しそうになっているが、鮫島がソレを許さない。
先生に連絡すべきだ。下手したら鮫島が暴力を振るうかもしれない。そう考えた私は職員室に向かおうとし……動きを止めた。
言い争いの最中鮫島の怒りが頂点に達したらしく、憤怒の表情を浮かべた鮫島が遠藤くんの襟元を掴み、そのまま制服の襟で遠藤くんの頸動脈を締め上げる。恐怖でガチガチになりながらも、遠藤くんにも空手部の意地があるのか、締め上げられながらも必死で鮫島を殴りつけるが、不十分な体勢から放たれた攻撃は十分な威力を発揮できずに、鍛え上げられた筋肉にはじかれてしまう。
徐々に顔が紫色になっていく遠藤くんを見て、私は後先考えずに飛び出していった。仮にも私に好意を寄せてくれた人間を見捨てるなんて事はできない。
「止めろ鮫島!」
私の声に、鮫島は遠藤くんを締め上げていた手を離して振り向く。気を失った遠藤くんがパタリとその場に倒れた。
「なんだ? 確かお前は女子空手部の……東郷だっけか」
意外な事に、鮫島は私の事を覚えていたらしい。
「もういいでしょう? これ以上はまた停学になりかねないわよ」
私の言葉を聞いた鮫島は、馬鹿にしたように笑うと、ゆっくりと私に近づいてきた。
「停学……か。で? それでオレがビビるとでも思ったのか?」
デカい。
至近距離から見た鮫島は、まるで巨大な壁が目の前をふさいでいるかのような圧迫感を持っていた。
それは、普段他人を見上げる事の無い私にとって、耐えがたいほどの恐怖でもある。
「思ってないわ、でも彼を見捨てるわけにはいかない」
勇気を振り絞ってそう言うと、今までニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた鮫島の表情が消えた。
無表情になった鮫島が、死んだ魚のような濁った眼で私を睨み付けてくる。
「……へえ、立派な事だねえ。流石は空手部のエースとして順風満帆に高校生活を送ってきたエリート様は言う事が違う」
それから付け加えるように、「むかつくねえ」と言って、鮫島は私にずいっと顔を近づけた。
「そのスカしたツラをぐちゃぐちゃにしてやろうか?」
ゾクリ。
私の背中を悪寒が走り抜ける。自慢じゃないが、私は今まで喧嘩などした事はない。故に、こんなにもむき出しの悪意を受けることなど生まれて初めての経験であった。
鮫島の手がゆっくりと私に迫ってくる。逃げなくては。鮫島は一流の柔道選手だった、掴まれたら終わりだ。そう、わかっているのに私の体は恐怖で動かなかった。
無意識の内に、一筋の涙が頬を伝う。自分がこんなにも弱いなんて思ってもみなかった。何が空手だ、何が全国大会だというのだ? 護身の為と始めた空手も、私自身の弱さ故に全く役に立たないではないか。私はハリボテの人形だ。頑丈な体の内側には何も持ってはいない。あるのは怯えた弱い自分だけ。
ああ、怖い。恐怖が全身を支配する。
助けて……
トラ
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