第12話 プリンの話

「……プリンが食べたいな」




 私、東郷葵はいつものように部活を終わらせ、家に帰る途中で猛烈にプリンが食べたくなった。


 普段の私なら部活後はすぐに帰宅するのだが、このプリンを食べたいという欲求にどうしても逆らえなかった私は、帰り道にあるコンビニへと立ち寄ったのである。




 自動ドアが開くと共に聞こえる、店員のやる気のない「いらっしゃいませ」の声を聞き流し、スイーツの棚に直行する私。




「プリンプリンと、……あ、ラスト一個」




 スイーツのコーナーには一個だけ残ったプリン。最後の一個が残っているとは今日はついているようだ。


 私はプリンを取ると少し浮かれ気味にレジまで持っていく。




 ガラでも無い事は自覚している。身長が180センチの巨体でプリンを持って浮かれている様子はさぞ滑稽なことだろう。しかし私だって17歳の乙女である。スイーツに浮かれたくなる時もあるさ。




「あれぇ、プリンがないよおかあさん」




 背後から幼い女の子の声が聞こえた。




「あらあら、売り切れみたいねえ」


「えぇ! わたし ずっと たのしみにしてたのにぃ!」




 そして女の子はぐずり始める。どうやらずっとプリンを楽しみにしていたようだ。


 はあ、同じプリン好きとしてその気持ちは痛いほどよくわかる。……しょうがない。私は決意すると、レジに向かっていた足を止めて、女の子の所へ歩いていった。




「泣かないで、ほら、お姉ちゃんが買おうとしてたけどアナタに譲ってあげるわ」




 身を屈め、少女と視線を合わせる私。




「ぐすっ……いいの? おねえちゃんのぶん なくなっちゃうよ」


「いいよ、だから泣かないで」




 おずおずとプリンを受け取った女の子は、しばらくプリンを見つめると、ぱっと輝くような笑顔になった。




「ありがとう! おおきいおねえちゃん!」




 満面の笑みでそう言った女の子は、母親に手を引かれてレジへと向かった。母親がぺこりとお辞儀をしながらお礼を言ってくる。




 しかし……大きいお姉ちゃん、かあ。


 そりゃあそうだよね、普通の大人から見ても私は大きいわけだし……あんな小さな子から見たら、私は大層巨大に見えた事だろう。




「まあ、もう諦めてるんですけどね」




 でも私だって花の女子高生である。おしゃれだってしたいし、……できれば可愛いと思ってもらいたい。まあ、この身長だと少し難しいけどね。




「プリン……無くなっちゃったな」


 私はプリンの存在しないスイーツ棚を恨めしく見ながらコンビニを後にした。











 あれからプリンが諦めきれなかった私は、コンビニから少し歩いたところにある洋菓子屋さんまで行き、普段はその値段により買う事のない高級なプリンを購入して帰宅した。




「しょうがない事とはいえ、手痛い出費ね」




 私の小遣いは多くない。普段は部活をしているからあまり出費の心配はないのだが、それでも計画的に使わないとすぐ無くなってしまう。




「……必要経費よね? うん、プリンを買う為だもの、仕方ないわ」




 そう自分に言い訳しながらプリンを冷蔵庫にしまう。とりあえずお風呂に入って今日の疲れを癒すとしよう。プリンは入浴後のデザートだ。




 鞄を自分の部屋に置いた私は着替えを持って脱衣所に向かった。部活で疲れて帰ってくる私を気遣った母親がお風呂は沸かしてくれている。ありがたい事だ、本当に。




 脱衣所で制服を脱ぐ、そこに設置されている大型の鏡に自分の裸体が映った。余計な脂肪が一切ついていない筋肉質な体。そこに色気など無く、ただ愚直に空手に適した引き締まった肉体がそこにはあった。




「…………」




 この肉体は私が練習を頑張った結果だ。その事に後悔は無いし、ここまで頑張れた事に誇りも持っている。しかし……。




「空手も強くなりたいけど……同時に可愛くもありたいと思う私は、ワガママなのかな?」




 私の脳裏に浮かぶのは、男なのに私以上に可愛い幼馴染の姿。




「ねえ……トラ」




 私たちは何でこの性別で生まれてしまったのかな? 何度も考えた疑問を自らに問いかけて……静かに頭を横に振った。考えたところで何か変わる訳でもない。




 体を洗い流し、熱々のお風呂にゆっくりと足から浸かる。全身の疲れがじんわりと溶けていくような感覚、私はゆっくりと伸びをして脱力する。




 明日も朝練……か。別に練習は苦痛ではない、しかし、こう毎日練習尽くしだと流石に息も詰まるというものだ。




 今日の疲れをお風呂で癒した私は、湯上りで上気した体を覚ます為に水を一気飲みする。そして楽しみに取っておいたプリンを食す為に冷蔵庫を開け……、




「プリンが……ない?」




 おかしい、確かに私はプリンを冷蔵庫に入れて置いたはずだ。父親は甘いものが苦手なため、プリンを発見したとしても食べる筈はない。つまり私のプリンを食べた犯人は、一人しか思い浮かばない。




「お母さん! 私のプリン食べたでしょ!」




 私は洗濯物を畳んでいる母親に苦情を訴える。




「ああ、冷蔵庫に入ってたやつね、おいしかったわよ」




 しれっと言いやがって!




「そりゃあ、おいしかったでしょうよ! なにせ私が無理して買ったお高いやつだから


ね! どうしてくれるのよ! 私のデザートがなくなったじゃない!」




 もうこの時間じゃあ洋菓子屋も閉まっているだろう。




「まあまあそんなに怒っちゃって、しょうがないわね、お金あげるから明日にでも買っていらっしゃいよ」


「そういうことじゃないの! 私は今プリンが食べたいのよ!」


「……そんなに全力で怒る事無いじゃない? ちょっと引くわ」


「怒るわよ! 楽しみにしてたのに!」


「はいはい、ごめんなさいね葵ちゃん。全く、変な所で子供っぽいんだから」




 どれだけ怒った所でプリンが戻ってくるわけでも無い。意気消沈した私は自室のベッドまでふらふらと移動してぼすっと倒れこんだ。




「うぅ~、プリンが食べたいよ~」




 我ながら子供っぽいとはわかっているが、食べようと思っていたモノが急に食べられなくなるというのは結構辛い。私は枕に顔を埋めて足をバタバタと動かす。


 部活の疲れもあったのか、気が付くと少し寝ていたようで、母親の私を呼ぶ声で目を覚ました。




「……なにかしら?」




 少し寝ぼけながら、私は母親の元へと行くために部屋を出る。




「やあ葵ちゃん、夜遅くにごめんね♪」


「…………トラ?」




 我が家のリビングに、居る筈のない幼馴染の姿を発見した私は、驚きで寝ぼけていた意識が一気に覚醒した。




「トラ、なんでこんな時間に?」


「ふっふっふ、今日はちょっと葵ちゃんにお土産があってね」




 そう言ってトラは紙袋を差し出した。


 トラから貰った紙袋をそっと開くと、そこには洋菓子店の高級プリンが入っていた。




「プリン! でも、なんで?」




 ものすごくプリンが食べたかった私にとっては、すごくありがたい事だが、なぜこのタイミングでトラがプリンを持ってきたのだろう?




「ん、最近葵ちゃんが疲れてるみたいだったからさ。葵ちゃん、プリン好きでしょ? プリンを食べて元気になってもらおうかと思ってさ」


「……そう、ありがとねトラ」




 驚いた。自分で言うのもなんだが、私はそうとう表情の読みにくい人間だ。学校では普段通りに振舞っていたつもりなのだが、トラには私が疲れていた事がわかったという。幼馴染故のことなのか、それとも……。




「それにしても久しぶりねえトラちゃん。ますます可愛くなっちゃって、アナタ本当に男の子? うちの葵ちゃんより可愛いわよ」


「お久しぶりですおばさん。ボクが可愛いのは事実ですけど、葵ちゃんの方が可愛いですよ♪」


「あら、愛されてるわね葵ちゃん! 妬けちゃうわ、早くくっついちゃいなさいよアンタたち」




 カアッと頬が熱くなる。




「う、うるさいわよお母さん! ちょっと黙ってて!」




 はいはい、お邪魔虫は消えるわねと自室に戻る母親。私はまだ熱さの残る頬を意識しながらトラに話しかけた。




「ともかく、ありがとねトラ。ちょうどプリンが食べたかったの」


「うん、そうだろうと思ったよ♪ じゃ、ボクはそろそろ帰るね夜も遅いし」


「え? あんたプリン渡す為だけに来たの?」


「葵ちゃんに会いたかったってのもあるけど、基本はそうだね、プリンを渡すために来たよ」


「……なんでそんな面倒な事を」




 そんなの、コイツにとって何のメリットも無いのに……。




「もお、それはわざと言ってるの? ボクはいつも言っているでしょ?」




 そしてトラはぐっと背伸びをして私の耳元でささやく。




「ボクは、君の事が大好きなんだよ?」




 再度、頬がカッと熱くなるのがわかった。


 トラは悪戯が成功した子供のような表情で「バイバイ」と言って出ていく。




「ったく、恥ずかしいのよいちいち」




 その日食べたプリンの味は、すごくおいしかった事を覚えている。

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