第62話

 すぐさま《全反射フル・リフレクション》を展開すべきかどうか逡巡する僕。

 レナちゃんの安全を第一に考えるなら悩まずに発動する一択だろう。

 けれどそれを是と承認しない僕がいた。幼女に何かしらの執着は感じ取っているものの、殺意は向けられていなかったからだ。


 レナちゃんが閉じ込められる部屋に辿り着くまでに魔法らしい魔法を行使しなかったおかげもあって、僕のことを救出に来た一般人だと思っている節がある。

 少なくとも帰還者だと察知された気配はない。


 もしもここで戦闘を開始させるなら暗殺者よろしく瞬殺するしかないわけで。

 けれど、すでに姿を視認されているあげく、幼女を抱きながら挑むのは無茶が過ぎる。


 とはいえ、ここで能力を解放するのも躊躇われるわけで。

 なにせ相手は火属性の魔法使い。それも身体の一部に火を纏っていることから推測して、自然エネルギーと同化できる高度な術者と判断していい。


 おそらく体術は通用しないはず。物理攻撃はすり抜けるからね。肉体が自然物と同化するタイプの魔法使いへの対応策はいくつかあるんだけど、最も王道なのが、自然物ゆえの弱点を突くこと。


 つまり術者が火の使い手ならこっちは水で消火を試みるというわけだ。

 けど、ここで露骨に大量の水を発生させるわけにもいかなくて。その光景は誰がどう見ても自然法則ガン無視。


 さらにすでに崩壊しかけている建物を急激に冷やすことになれば一瞬で形が保てなくなるだろう。

 市街地で魔法使い同士の戦闘開始だ。


 僕だって表の生活がある以上、素性が明かされるのはごめんだし、ある意味《桜四係》の一員としてチカラの見せどころだと思うわけで。


 だから僕は一般人を装うことで、演技をすることにした。

 志望はスタントマンといえど、アクション俳優で演技を求められる日が来るかもしれない。ちょうどいい練習だ。


「かっ、かか身体が燃えていますよ! 早く消火して手当を! ちょうど今消防隊員がマットを下に敷いて――!」


 ……うん。なかなかに上手くない? 我ながらいい演技だと思うんだけど。

 僕は精神を研ぎ澄まし《繊細聴覚》と《感情嗅覚》で不審な動きを捉えるようことにした。


「――なるほど。優しいな。他人のために命を顧みない善良な少年というわけだ。だが、私とてこれは譲れないのだよ。その少女はここに置いて行け」


 どうやら向こうはまだ僕のことを一般人だと思い込んでいる様子。

 無差別犯ではなくて、この幼女にだけ危害を加えるつもりらしい。


 さて、どうしようか。

 もちろん説得できるなんて考えてはいないけれど……。

 この場における最適解を弾き出すために、シンキングタイムを開始する。


 まずレナちゃんの安全確保。これは絶対に譲れない。向こうが問答無用で襲いかかってくるようなら僕も全力で阻止しよう。正体が――、魔法が――、は一旦頭の隅に置いておこう。

 

 その上で魔法を行使せずにこの場を立ち去ることができればベストだ。

 狙うは相手に僕たちが死んだと誤認させて、一旦撤退させること。もちろん長々と放火魔を野放しにするつもりはなくて。

 

 九条さんと長官の指示を仰いで、きちんとケリをつけさせてもらう。魔眼の移植が成功していれば空間転移もできるはず。

 長官に転移させられた無人島に場所を代えることだってできる。

 幼女を焼死体にしようというなんていう屑は僕が焼死体にしてあげるよ。


「あの、さっきから言っていることがよく分からないんですけど……」

 困惑した様子を見せる僕。隙あらばこの窓から飛び降りよう。

 

 向こうも僕がただの学生だと思っている分、「私は火属性の魔法使いだ」なんて打ち明けるのは憚れるはず。

 なんて言おうか逡巡した様子を見せた後、


「この火事の原因は他ならぬ私だ。放火魔という言葉を聞いたことがあるだろう?」


「それが貴方だと……?」

「ああ、そうだ」

「では僭越ながらもう一度進言させていただきます。一緒にここから脱出しましょう。そして自首してください」


 何をバカなことを、というのはごもっとも。あくまで演技の台詞だということをあしからず。


「……すまないがそれはできない。私はその娘の父親からひどいパワハラを受けて自殺――しかけた人間だ。わかるかね? 復讐だよ。私とて人命救助に乗り出した果敢な少年を燃やしたくない。君だけ飛び降りなさい」


 ファイヤーマン(そう呼ばせてもらう)はどこか悲しげな表情でそう告げた。

 彼が言う自殺しかけた人間というのは嘘で、正確には自殺した、だろう。

 異世界に転生し、能力を持ったまま帰還したに違いない。もしかしたら僕と同じように最近かな。


 だとすると彼は僕と同じように復讐を果たそうとしているわけで。

 それを僕に咎める資格はなかった。なにせ僕は三井くんや中安先生、咲ちゃんに魔法を行使した。

 幼馴染に関して言えば《悪夢の魔眼》で人格を抹消している。それは人殺しと変わらない。


 けれど――、

「貴方が犯罪に手を染めた理由は把握しました。けれど、レナちゃんには関係ないはず。復讐をしたいなら貴方を苦しめた上司にすべきです」


「……眩しいな」

 眩しい? そんなわけないじゃないか。何度も言う通り僕は偽善者だ。ただの正義感だけでこんなことを言っているわけじゃない。


 今のは復讐は目を瞑るから、断罪されるべき人間にだけ危害を与えなさいって諭したんだよ。


「少年、父親にとって断腸よりも苦しいことはなんだと思う?」

「はい?」

「それは自分の娘が殺されることだよ」


 ……ああ、なるほど。しょせん貴方もそういう思考による犯行ですか。

「自分の子どもが焼き尽くされれば、絶望と悲しみを与えることができるでしょう。ですが――」


「――私の娘は移植手術を受けなければ助からない難病に犯されていた」

 一瞬で流れが変わった。ファイアーマンの顔から悲哀が滲み出ていた。


「適合者を必死に探したよ。お金ならいくらでも借金するつもりだった。娘の命が助かるなら私の残された時間など全てお金に変換するつもりだったからね。娘こそが生きる理由、存在する理由だ。幸い社内をはじめ、本当にたくさんの方に尽力してもらった。おかげで無事に適合者は見つかった」


 ……嫌な予感がした。

 これ以上彼の言葉を聞くべきではないと本能がギンギンに訴えかけてくる。

 善悪の価値観がひっくり返る空気だったからだ。


「血縁者でも20%ほどの適合率。しかし、親族で適合者は現れなかった。そんな中、数百万人に一人の確率と言われる他人の適合者が――私をずっと虐げてきた上司だった」


 足場がぐにゃりと曲がったような錯覚に陥る。聞かずして最悪の結末が目に見えていた。

「彼は適合手術を受けさせたければまずは退職するよう圧をかけてきた。むろん、即決でやめたよ。仕事などどうでもいい。トイレ掃除でも警備員でも――他人がやりたがらない仕事だってやるつもりだった。それが娘の命を救う代償なら安すぎる。だが、彼は――あいつは――約束を守らなかった!!!」


 ファイヤーマンの瞳から大粒の涙が溢れ出していた。それは頬の火に触れるや否や、じゅうと昇華の音を響かせながら、気体になる。


「娘はね子役として芸能界で活躍していたんだよ。そして君が抱えているその娘も芸能界で活動をしている。あいつは見下していた人間の娘が成功を収めているのが気に食わなかったんだよ。嫉妬に身を焦がし、数百万人に一人の適合者にも拘らず、手術を拒否したんだ! もちろんそれで命を取られるというならばまだ諦めることもできた。だが、ほんの少し分け与えてさえくれれば娘は助かったんだ! だから私はあいつに同じ苦しみを与えると誓った! その娘を焼死体にしたあと、あいつの前に差し出し、死よりも苦しい地獄を見せてやる! 誰にも邪魔はさせない! 娘の仇を邪魔するやつはたとえ子どもでも許さない!!!」


 僕はレナちゃんを抱きながら窓から飛び降りることにした。逃げる以外に選択肢が思い当たらなかったんだ。

 それを逃すまいとファイアーマンが火を漲らせた次の瞬間、まさかの大爆発!

 外の消防隊員からはバックドラフトが発生したように見えたことだろう。

 

 咄嗟にレナちゃんを庇うように背中を向けると凄まじい爆風と熱が外に吹き飛ばされていた。

 その威力はすさまじくマットを敷いているところよりも何メートルも先に吹き飛ばされていく。


 建物の屋上――瓦の上に背中から落下し、凄まじい衝撃と痛みが全身を襲う。

 やばい。完全に油断した! 《魔法障壁》を展開するタイミングを見事に見逃した!

 

 ガチャガチャガチャと瓦がひしめき合う音が鳴り響く音を聞きながら、衝撃とスピードが緩和されるタイミングを待つ。


 魔法の類を一切行使せず――《魔法障壁》も展開せず生身の肉体(と言っても普通の人間よりは頑丈ではあるのだけれど)でそれを受け続けるのはさすがに悲鳴を上げたいレベルだ。


 僕は吹き飛ばされた最終地点で抱いていたレナちゃんの意識があることを確認した次の瞬間、意識を失ってしまっていた。

 まさしく大失態だ。


 魔王を討伐した【暗殺者】にあるまじき醜態をさらしてしまっていた。

 次に僕が目覚めたのは真っ白な知らない天井だった。

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