第41話

 エレベーターでスキップ作戦が上手くいかなかった僕たちは裏口の階段から上のフロア進むことにした。

 どうやらエレベーターが作動したことに気が付いたのは二階担当だけだったらしく、彼らのインカムに確認の音声は飛んで来なかった。

 ここさえ看破できていれば、今ごろ最上階の制圧が完了できていたかと思うとやるせないね。


 とはいえ、残念がってもいられないし、早く上を――。

 九条さんは身に纏った衣装を失念しているのか、慎重かつ大胆に僕の前を登っていく。

 脚が長く、スカートも短いせいで、その、なんというか……下着が見えているわけで。薔薇のような真っ赤なそれとよく鍛えられている太もも、言動からは想像もつかない真っ白で滑らかな脚は目に毒すぎる。


 視界に入れた対象を石化させる魔眼の一種《ゴルゴンの瞳》よりも厄介だ。いや、冗談抜きで。

 

 早い話がラッキースケベ。しかも九条さんは全くと言っていいほど気付いていない様子。

 状況が状況だ。自ら敵のいるフロアを目指しているわけだから、ここで漫才のような掛け合いをするわけにもいかないし、僕が見て見ぬ振り――もちろん極力見ないようにしている――を続けていたのだけど。


『あらあら。死ぬわよ、あの小娘』


 具現化することなく、声だけが脳に響いてくる。

 声の持ち主は《未来視の魔眼》――ウィル。魔女の中でも最年長。見た目こそ妙齢だけれど、その実、天文学的な年齢であり、僕のことを息子と慕ってくれている――は今はどうでもよくて僕は二つの失態を犯したことにようやく気が付く。


 一つは《未来視の魔眼》開眼に係るトリガー――発動対象に九条さんを設定することを失念していたこと。

 なんというか無意識に彼女は死なないと思い込んでいた。

 何が言いたいかといえばウィルの厚意が無ければ九条さんの死は免れなかったということ。


 僕は至急、九条さんを開眼対象に追加すると共に、もう一つの失態を拭うべく耳を研ぎ澄ます。《繊細聴覚》だ。

 場違いにも九条さんの女性らしいそれに気を削がれていた僕は警戒心が薄くなっていたと言わざるを得ない。

 魔法という異能を過信して、鼻の下を伸ばしていても大丈夫(もちろん直接思っていたわけじゃないけど)という甘えがあったんだと思う。


《繊細聴覚》でようやく察知できる音の正体は――足音。

 なんと元暗殺者アサシンの僕でも驚きを隠せない隠密性の高い歩行。

《導の魔眼》で階段を上がり切った三階フロアを覗く。すぐそこまでテロリストの一人が迫っている。


 しかも明らかにさっきの彼らとは物が違う。ここへ来て質が格段に上昇している。あと二、三段で上がり切ってしまう九条さんを視認した僕はやむを得ず体術の《瞬歩》――ではなく魔法の《縮地》で距離を詰める。


 そのまま壁に誘導し、「合わせてください。すぐに分かります」と耳打ちした僕は躊躇することなく――、


 ――九条さんと唇を重ねる。


 見た目は研修医とナース。テロの騒ぎに気付かず、裏口の階段で危険な火遊び。

 ストレスがかかる上に変態が多いこの業界だ。

 もしも目撃されてもすぐに発砲はして来ないはず。運が良ければ見逃す可能性だって――!


 九条さんの腕を必死におさえる。僕の右足が九条さんの股に入る。

 できれば騒いで欲しくないんだけど、「うっ、うー」と抵抗。

 もう少し一緒に過ごした時間があれば言葉を交えることなく意思疎通ができたかもしれないけれど、今の僕たちの関係性なら抵抗して当然だろう。


 その証拠に、

 痛っ……!


 九条さんは僕の唇を食い破る勢いで噛み付いてくる。すぐに口と鼻に広がる鉄の味と匂い。

 随分と金属臭いキスだ。むしろ僕の方が泣きたいよ。

 

 細目のテロリストはこちらを振り向くことなく(僕は《導の魔眼》で背を向けていても視えている)通り過ぎようとする。

 九条さんの方もようやく僕の真意が理解できたのか、テロリストの姿を視認した途端、僕の頭に両手を回して演技のスイッチを入れてくれた。


 テロリストの視界に入る瞬間にはもう誰がどう見ても熱い口付けを交わす、若い肉体を持て余す男女。

 このまま通り過ぎてくれさえすれば、後ろ向きのまま《瞬歩》で後頭部を肘打ちすれば僕の勝ちだ。

 そんな甘い思考をしていたちょうどそのとき。


「「⁉︎」」


 なんとテロリストは僕たちに視線を向けることなく的確に銃口を向けてくる。

 そう。振り向かないままのバックショット。

 ――バンッ、バンッと銃声が二度響き渡る。


 弾丸は僕と九条さんの頭があった壁の高さに亀裂を入れてめり込んでいた。

 危険を察知した僕たちは頭を下げることでそれらを躱し(ちなみに九条さんは僕の服を掴んで強引に下へ引っ張ってくれた。もちろん《導の魔眼》で視えてはいたけれど、素直に感謝しかない)


 壁に背を着けて銃を取り出す僕たち。

 猛省が必要だ。これは誰がどう見ても僕が悪い。

 九条さんのパンチラに気を取られて緩んでしまったせいで、きっと僕たちネズミが潜入していることを指揮官に伝達されてしまっただろう。


 もちろん魔法で通信遮断ジャミングは可能なんだけど、壁に背を付けて隙を窺っている現状で発動しても間に合うかどうか。

 ただの人間(もちろん相手チームには元軍人や知能指数が高い犯罪者もいるけれど)に遅れを取ってしまったのは僕の油断が招いた結果。甘んじて受け入れなければ。


『カルロス。鼠が二匹だ。女の方をそちらに向かわせる。好きにしていいぞ』

『ラジャー』


《繊細聴覚》がインカムの応答を拾ってくる。

《導の魔眼》で目の前の男は韓国人、奥にいるのがアメリカ人。二人とも元軍人で相当の手練れだ。


「悪かったな佐久坊。口を出血させちまって。後でお詫びに舐めて治してやるから許せ」

「結構です」

「んだよ、連れねえな――正面の方を任せていいか。俺様はもう一人を始末しに行く」


《未来視の魔眼》の発動対象に追加は完了している。万が一の時は開眼して教えてくれるはず。

 こうなってしまった以上、ここからはスピード勝負だ。最優先事項は速やかな三階の制圧。最上階が事態の把握・収集するための十分な時間を与えないこと。

 何が起こったのか、理解させないまま最上階さえも制圧することが求められるわけで。


 タイムロス、人質の安全確保という点においても二手に分かれることは最善に違いない。

 覆水盆に返らず。反省なら後でいくらでも出来る。将棋でも悪手の後にそれを忘れて次の手から最善を打ち続けられるかどうかで勝敗は大きく変わってくる。


「ご武運を」

「佐久坊もな」


 こうして僕は威嚇発砲。九条さんが奥に進むために導線を作る。

 数発の銃声が病室に響き渡った後、無事に二手に分かれた。

 

「よし。が残ったな。ちょうど退屈していたところだ。楽しませてくれよ」


 うるさいなおかっぱ。悪いけど八つ当たりさせてもらうから。

 僕の不甲斐なさと後悔を晴らすために。

 覚悟してよ。



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