第23話
「ふぅー」
ワイヤー一本で飛び降りる無茶ぶりをやり遂げた僕は、ベンチに腰を落として天を仰いでいた。
魔法を行使して飛び降りるのと、自然法則に逆らわないのでは想像以上に違った。具体的に言えば全身が感じ取るGだ。
久しく感じていなかったスリルに心臓がどくんと跳ね上がる。
さらに緊張感からの達成感。
現実世界に帰還して初めての満足感かもしれない。
「お疲れ龍之介くん。はい、どうぞ」
「すみません。いただきます」
源さんからお茶を受け取る僕。
咄嗟に指が触れる。
「あっ、ごめんね」
「いえ、僕の方こそすみません」
異世界で三年も過ごせば、さぞ女性に慣れていることだろう。そう思われるかもしれない。
けれど、結論から言うと僕は童貞だ。
なのでお姉さんと手が触れるだけでドキドキなんだけど、『あっ、全然大丈夫っす』みたいな虚勢を張っていた。
「あれれー。わざと手に触れたのにその反応――さては龍之介くん、見た目に反して遊んでる?」
「ぶほっ」
お茶を通した瞬間に衝撃的な発言。お茶を盛大に吹き出してしまう。
すました言動が一瞬で台無しだ。
「げほっ、げほっ、げほっ……!」
やっちゃった。お茶が気管に入って……。
「だっ、大丈夫⁉︎」
すぐに僕の背中をさすってくれる源さん。
けれど左腕に柔らかい感触。
ええっ、ちょっ、当たってますけど⁉︎
もっ、もしかして源さんの方が遊んでいらっしゃる?
なぜか僕の脳裏に魔性なんて言葉が浮かんでいた。
みっともなく目と鼻から液体を垂れ流す僕に源さんはハンカチで拭き取ってくれる。
えっ、何この恥ずかしい絵。
もしかして屋上から飛び降りたときに三歳児まで若返ってしまったとか?
そんな馬鹿な!
「あの、もう大丈夫ですから……それより源さん、さっきからその、胸が」
「わざと当てているって言ったらどうする?」
「うぐっ……!」
間違いない! この人は小悪魔だ!
僕のような純粋無垢な少年をからかって楽しむ大人の女性だ!
「ふふっ、何その反応。まさか龍之介くん、童貞だったりする?」
「源さん!」
「ごめんごめん。龍之介くんの反応が可愛くて、ついからかっちゃった。でもすごいギャップ。さっきまではあんなにカッコ良かったのに。同一人物に思えないね」
童貞丸出しで悪うございやしたね!
涙目で訴える僕に源さんは優しい笑みを浮かべて、
「私で良かったら卒業していく?」
「ぶへlkhなsdfぁdsfj;あsdflkj⁉︎」
「えっ? 何? 落ち着きなよ龍之介くん。とりあえず私も座らせてもらうね?」
ぴたっ。
いやいや、近くない? 二の腕当たってますけど? 柔らかい感触がぐいぐい腕に来てますけど?
一説によるとおっぱいと二の腕の柔らかさは同じらしい。
さっきまで左腕に感触が残っている分、僕はその都市伝説を検証することができる。
結論から言うと……同じかも!!!
「……胸の柔らかさと比較してるでしょ? 龍之介くんのえっち」
ジト目で僕のことを刺してくる源さん。
なぜそんな目を。解せぬ。
「でも撮影に協力してくれたらご褒美をあげるって言っちゃったしなー。文字通り一枚脱ぐしかないのかなー?」
「いやいやいや⁉︎ お礼って何もそれだけじゃないですからね⁉︎」
「……一夜だけでは足りないと。言質はいただきましたので、はいはい、スマホ出してスマホを」
すごいなこの人! 本当に積極的だ。いくら事務所に若い男性がいなくて飢えているからって僕なんかのどこがいいんだろう。
「って、あっ、ちょっ、何勝手にポケットに手を入れて、あっ」
「ここかー? ここがいいのかー?」
ポケットに手を入れながら体をくすぐってくる源さん。
なんというか仲の良い姉弟がじゃれているような気分だった。
その後連絡先を交換した僕はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの、もし良かったら聞いてもいいですか?」
「スリーサイズは上から――」
「聞いてませんよ!」
「下着は赤色だけど?」
「だから聞いてませんって!」
「ふむ。違うとおっしゃる。少年が他に気になることと言えば――」
どうやらまだ僕を揶揄うつもりのようだ。さすがにもう言わせないですからね。
「――どうして源さんは高校卒業してすぐこの業界へ? 幼い頃からの夢だったんですか?」
今でこそこうやってふざけているけれど、いざアクションシーンの撮影に入った源さんはなんというか別人だ。
目の色が違う。危険を伴う撮影だからこそ真剣になるのは当たり前なんだけど、言語では言い表せない覚悟のようなものを感じていた。
「――私には弟がいたの」
いた。過去形。
《未来視の魔眼》を発動するまでもなく、先の話がなんとなく読めてしまった。
話を聞くと生まれてすぐ難病を発症した弟――健太くんは余命宣告を受けてからも笑顔を絶やさず、生きることを諦めなかったらしい。
心の支えは休日の朝に放送されるヒーロー戦隊。
どんなに薬の副作用で激痛が走っても、決して弱音を吐かなかったらしい。ヒーローは泣かないと自分に言い聞かせるように言っていたらしい。
医者に呼び出された源さんたちは健太くんの余命宣告を受けることになる。もって一年だと、そう告げられたらしい。
けれど健太くんは諦めなかった。
ヒーロー戦隊が映画化されることを知った彼は最後のチカラを振り絞り、余命宣告よりも半年以上先に上映されるそれを映画館で鑑賞したという。
その翌日、健太くんは安らかな表情でこの世界から旅立った。
「もしもヒーロー戦隊が放送されていなかったら健太はもっと早く天国に行ってたと思うの。鼻で笑われるかもしれないけど、ドラマや映画には生きるチカラを与えられるって思っててね。だから高校を卒業してすぐこの世界に入ったの。何より健太に生きるチカラを与えてくれたこの業界に恩返しがしたいって思ったから。気が付いたらこの業界の門を叩いてた。そしたらだんだん仕事が楽しくなってきて、私も誰かに生きるためのエネルギーを与えられる一員になれたらって……って、ごめんね。なんかしんみりさせちゃったね」
僕は首を横に振ってから、
「素晴らしい生き方です。むしろ話してくださってありがとうございました。おかげですごく参考になりました。僕も源さんのように熱中できる〝何か〟を見つけられたらいいんですけど……」
「じゃあさ、お姉さんと一緒に見つけようよ」
「えっ?」
「ほらっ、せっかく連絡先も交換したし。それに私がご褒美じゃ気に入らないからようだからさ、お礼に今度一緒に――」
源さんが何かを提案しかけたときだった。
「――うっぷ。悪りぃ、悪りぃ。寝坊しちまった」
頬を紅潮させて、近づいてくる一人の男。近付いただけでアルコール臭が漂ってくる。真昼間から飲酒しているようだった。
無性髭を生やした男の外見は四十代前後といったところかな。
酔っ払いとはいえ、引き締まった身体付きをしている。
「ええ〜と、今日はなんだ? 屋上から飛び降りるシーンだっけか?」
えっ?
まさかとは思うけれど……。
僕は慌てて源さんの顔を見る。
「大隈吾郎。龍之介くんがやってくれたシーンを撮影するはずだった人なんだけど……また飲酒に遅刻。怒りを通り越して呆れるわ」
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