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 では僕と雪水ゆきみず氏がなにをしたのか。それは単純なことでしかなく、雪水氏が車内に乗った際、僕は名刺と同時にプレゼン用紙を差し出した。


 プレゼン用紙といっても、内容は薄っぺらで、僕が書いたのは以下のこと。


 これから僕は、フウチさんの声を取り戻すために、あなたに失礼な言葉を投げつけます。先んじて、ご無礼をお詫び申し上げます。


 なぜそのようなことをする必要があるのか。まずそこからお話し致しますと、雪水さま。あなたがフウチさんの親だからです。


 親を悪く言われたら、黙っていられる子供は居ない——と。僕はそう思っています。


 だから今から僕は、あなたに失礼な言葉を連発しますことを、どうかお許しください。


 以上のことが、僕が書いた本当のことである。


 では本当と言うからには、嘘もあるのか?


 そう問われたら、もちろんあると僕は答える。


 僕が書いた嘘の言葉は、たったひとつ——この方法で声が出せた人は、十人中、七人。確率七十パーセントの荒療治です。


 これが嘘だ。前例があるかなんて知らない。ネットを調べても出てこなかった。だけれど、この取り引きをおこなうには、まず持って雪水氏を取り引きに引きずり込む必要がある。


 雪水氏とタッグを組む必要があるのだ。


 だから二体一。僕と雪水氏、対、フウチの構図だ。


 真面目で堅物——と。ジーヤさんが書いてくれた雪水氏のデータにあったことから、そう言う性格の人間は、数字やパーセンテージには弱い傾向にある、と。常々思っていた(真面目な僕も当然そうだ)。小心者でぼっち時代があったから、周りを気にしまくっていたことが性格分析に役立った。成功確率を七割と書いたのは、百パー成功すると書くと胡散うさん臭さを否めないからで、雪水氏と取り引きをするなら、まずもって雪水氏を取り引きに合意させねばならない。


 だから、あえて。成功確率を七割とすることで、それなりの信憑性をもたらすことにした。仮に相手が頭の悪い人間なら、百パーと書いたかもしれないが、相手は大人。そして、独自で情報を求め集めていた雪水氏が目にしたことがない方法を提示することが、僕の最低条件。念のため、雪水氏のツイートのリプを全部チェックした結果、この手段のアドバイスは存在しなかった。


 だからでっち上げた。


 親を悪く言って、子が庇い声を出せたケースがさもあるように——ハッタリをかました。


 無論、そのようなケースは、ネットを調べても出てこなかったし、ひょっとしたら地球を見渡せば成功例があったりするのかもしれない。が、そこは重要ではなく、雪水氏が知らなければ、それで良い。そこはギャンブルだった。ツイッター以外のルートから、もし仮に、雪水氏がこの方法を知っていて、万が一効果が得られない、と。そのようなデータを持っていたら、取り引きが成立しないギャンブルだった。


 なのでギャンブルは僕の勝ちだ。雪水氏が取り引きに応じた時点で、条件はひとつクリアした。


 ここまでは良かったのだが、いかんせん僕に欠けていたのは、演技力の方だろう。


 賭けには勝っても。欠けていた。


 僕が雪水氏を悪く言った言葉は、およそ棒読みに近く、茶番劇も茶番劇。我ながら恥ずかしくなるくらい、僕に演技力が皆無だったのだ。


 しかしそこを見兼ねた雪水氏がカバーしてくれたおかげで、助かった。


 プランでは僕が雪水氏を罵倒するだけだった。


 だけど雪水氏はアドリブで僕に罵倒を返したのだ。凄まじい演技力で。


 雪水氏の言葉には迫力があった。僕が悔しさを隠せないほどに。僕の言った棒読みにも似た言葉が、迫力と大人の怖さをプラスされて、跳ね返ってきたのだ。


 親の顔が見てみたい——と。雪水氏は言ったけれど、僕の家庭事情を知らない雪水氏を責めることは出来ない。


 演技力が僕とは桁違いで、本気で悔しくて、心からご紹介出来るならしてやりてえよ、って。思いを禁じ得なかったけれど、責められるものではあるまい。


 が、僕が大人の怖さ、雪水氏の鬼気迫る演技力に、自分の無力さを痛感していると同時に。


 事前にジーヤさんに合図をして、フウチと通話を繋ぎ、端末をスピーカー通話にして車内の声を拾えるよう設定してもらっていたのだ。それを車内のスピーカーにも接続して、音量を最大にしてもらっていた。どんな小さな声も拾えるように——と。僕なりの悪あがきのつもりで。


 だけど、雪水氏の言葉——親の顔が見てみたいという発言に、取り引きを持ち掛けた僕はなにも言う資格がなかったし、仮に資格があろうとも、言えなかっただろう。言いたい放題されていただろう。けれど、僕の家庭事情を知っている者が聞いたら?


 たとえば、僕の家庭事情を知っていて、心優しい人物が耳にした場合は?


 つまり、雪水氏の発言に激怒した人物が居たら。


 居たら——ここまでの過程を経て、その仮定が現実になり、先ほどの声に繋がるのだ。


 心優しい人物——フウチの声に。


「男が泣くもんじゃない」


 僕がぼろぼろ泣いていると、雪水氏はそう言って笑った。その顔は、先程の僕を震え上がらせた怖い表情とは真逆の笑み。フウチの父親だと、そう思える笑みだった。


「……すいません」


 僕は涙を拭い、返す。


「ジーヤ。通話は切ったか?」


「はい。雪水さま。お嬢さまの叫び声と同時にお切りしました。なにせあのまま通話状態にしていたら、更なる大声が車内に響いたことでしょう。ほっほっほっほっほ」


「否定出来まい。おおかた、私はボロくそ言われていたことだろう」


「ほっほっほっほ。でしょうのお。雪水さまの一言が、どうやらお嬢さまを叫びへといざなったご様子でしたのお」


「まったく。娘に嫌われてしまったようだ」


「今に始まったことでもありますまい」


「……そうだったな」


 葉沼くん——と。ジーヤさんの方を向いていた雪水氏は、僕の方を向き直し、


「世話になった」


 と。頭を下げた。


「いえ。僕の方こそ、本当にすいません。ありがとうございます」


 僕も頭を下げる。


「……あの。ところで、お願いがあるんですけれど……良いですかね……?」


 お願い。雪水氏のツイッターの自己紹介欄をスマホで開き、画面を向け僕は、言った。


「なんでも良いんです……よね?」


 もともと大人全般に苦手意識がある僕だが、さっきの演技力に迫力がありすぎて、内心ビビリながら、顔色をうかがいながらの発言。


「なるほど。私のツイッターか。つまりきみは、報酬が目当てで、こんなところまで乗り込んで来たと言うわけか。なかなかきもが座っているな、きみは」


「……いえ、ビビリですし、今もずっと震えてます」


 震えている。怖くて——でも、達成感の方が強いかもしれない。ビクビクよりもブルブル。恐怖に勝る感動だ。


「それで? きみの求める条件とはなにかね?」


 僕の発言で、ブチ切れられる可能性もなくはない。会社の知識はほとんどない子供の僕が、長年頑張って働いて来た大人に言って良いことなのか——わからない。でも、言わないとならない。


 フウチのため。なにより僕のため。


 僕は顔を上げて、普段なら初対面の相手には絶対にしない、相手の目を真っ直ぐに見つめてから——声を出す。


 相手の目を見て話すのは、本当に伝えたいことがあるときで良い。以前、フウチに言ったことを思い出しながら、僕は声を出した。


「フウチの……フウチさんの婚約を取り消してください。フウチさんを日本に居させてください」


 お願いします——と。車内なので頭を下げることしかできないけれど、土下座で頼んでいるくらいの勢いで、頭を下げた。


「ひとつ。聞いていいかな、葉沼くん」


「……は、はい」


「きみと娘はどんな関係だ?」


 こ、怖ええ…………。さっき罵倒された時よりも数倍怖え……。薄ら笑っているけれど、目が笑っていない。


「あ、あ、あの……ぼ、僕はそ、の……」


 蛇に睨まれたカエルとは、僕のためにある言葉だったのか——そんなことすら感じてしまうほど、僕はおどおどしてしまった。


「相思相愛ですかのお」


「ジーヤさんなに言ってんの!?」


 突っ込んだ。突っ込むことで冷静になれるというのは、案外僕が今後生きていく上で、処世術になり得るのかもしれない。まあ、それが僕の生命線になるかはわからない。なにせ視線の先に居る死線。眼前のお父さまというデッドラインを踏み止まれなければ、生命線とか関係なくなってしまう……。


 雪水氏は、僕を存分に震え上がらせる眼差しで見ている。この人こそが、本物の沈黙の殺意なのでは——とさえ思える。


 なんだその戦国武将みたいな殺気。


 ジーヤさんが言ったことを聞いてから、僕の目の前には、戦国武将みたいな殺気を放つお父さまがにこやかな笑みを浮かべ、無言で座っている。だから怖えんだって!


「まあいい。なにも言うまい」


 生き延びた。僕は生き延びた!


 明らかに寿命が減った気がするけれど、ここで始末されることはなくなったようだ。


「ツイッターに書いた私が招いたことだ。わかった。娘の婚約は取り消すように動く。それと、日本に居させることも渋々だが承諾しよう」


 やったあ! ありがとうございます!


 って、言おうとしたら、雪水氏は、


「だが!」


 と。本日一番の大声で、続けた。


「私の可愛い娘を、どこの馬の骨ともわからない男にくれてやるつもりはない。ゆめゆめ忘れるな。良いな?」


「……は、はい…………魂に刻みます……」


「……ふう。あまり言うと、娘にもっと嫌われてしまいそうなので控えておく。しかし私は、おそらく今の会社を去ることになるだろう。そこで私からの提案なのだが」


「……………………」


「どこの馬の骨ともわからない男にくれてやるつもりは毛頭ない——が、きみが本当に娘を愛しているのなら、学業を終えたのち、私のところに来なさい。私が自ら、娘にふさわしい人間に育て上げてやろう。きみがそれまで、娘を愛していれば——だがな」


 そう言った雪水氏は、胸ポケットから名刺を取り出して、僕に差し出した。


 受け取り、頭を下げる。すると僕が差し出した僕の名刺も差し出してきた。


「これはきみが覚悟を決めたときに、改めて受け取ろう」


 ジーヤ。私はこのまま一度ロシアに戻る——と。言った雪水氏は、実は空港の駐車場に停車しっぱなしだったリムジンから静かにドアを開け、降り立った。


「あの——っ!」


 その背中に僕は声を投げる。


「なんだね?」


 なにを言うつもりだったのか、自分でもわからない。ただ、アピールしたかったのだと思う。だから、今できる最大限のアピールをすることにした。


「僕の名前は、葉沼詩色です」


 それだけでも、覚えて帰ってください——と。僕は言った。


 返事はなかったけれど、雪水氏は小さく声を漏らし、笑ってから、去ってしまった。


「お見事でした。詩色さま」


「……僕は結局、なにも出来ていないよ」


「なにも出来ていない——ですが、なにもしなかったわけではありますまい」


「ありがとう。ジーヤさん」


「では、帰りますかのお」


「うん。帰りもよろしくお願いするよ」


「ほっほっほっほっほ。お嬢さまへの言い訳を考えておくべきですぞ」


「……そうだな。父親を悪く言ったことを謝らないとな。きちんとしないとな」


 きちんとお礼もしないとな。僕を庇ってくれてありがとう、って。目を見て伝えよう。

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