3


 そっと、『筆談部活動記録日誌』を閉じ、顔を上げた。情けなくも読みながらボロボロと泣いてしまった顔をそでで雑にぬぐい、顔を上げる。


「……読まなかったことにするよ」


 読まなかったことにする——それが僕の答えだ。


「承知しました。ではわたくしめは、この辺で失礼させていただきます」


 僕の言葉に肩を落とし(?)、お辞儀をしたグラン・G・ジーヤスナイトさんは、そのまま振り返り、扉のなくなってしまった出入口に向かう——が。


「待ってくれ、ジーヤスナイトさん」


 僕は呼び止めた。僕の言い方が悪かった。


 あの言い方だと、僕がリタイヤしたように聞こえてしまっただろう。


 しねえよ。リタイヤなんか。


 出来るかよ。


「なんでございましょうか?」


「読まなかったことにするけれど、でもそれは不可能だ。読んでしまったことを読まなかったことにするのは、事実上不可能」


「……………………」


「読まなかったことにするのは、一部だけ。僕についての言葉の部分だけです」


「なぜですかのう?」


「ズルいでしょう? だって。僕だけ知ってるのはズル過ぎるでしょう?」


 僕だけ、知ってズルい。僕はまだ、なにも伝えていないのに。


 ださくて、チキンで、ヘタレで、女々しくて、みにくくて、どうしようもなく格好悪い僕だけれど——でも。


「卑怯者になるつもりはない」


 それが僕の答えだ。


 僕が言うと、ジーヤスナイトさんは、その場で膝をついた。まるで騎士のように。


 かしずく騎士のような格好で、


「ほっほっほっほっほっ!」


 と。笑った。


「ご無礼をお許しくだされ、詩色さま。わたくしめが、あなたさまを試していたことをどうかお許しくだされ」


「試して?」


 一体僕のなにを試していたというのか。


 チキン度? ヘタレっぷり? だささ?


 それなら、試すまでもなく首席合格する自信がある。


格好良さヒーロー具合でございます。学校からのお帰りの際、お嬢様は毎日それはもう嬉しそうに、あなたさまのことをお書きになりますので、言ってしまえば、じじいの嫉妬でございますのお」


「まあ……それなら確かめたくもなりますよね」


 なにせ僕だ。活動日誌に書かれているような、ヒーローではないことは、僕が一番知っている。


 でも、こんな僕をヒーローたと呼んでくれるのだから、じゃあヒーローが動かない——なんて。そんなわけにもいくまい。


 ビビリの本質は変わらないけれど、たとえビビリながらでも、行動してこそ——だろう。


「ジーヤスナイトさん。頭を上げてくださいよ。むしろ頭を下げるのは、ヒーローと呼ばれても全くもってヒーロー感がなさ過ぎる僕のほうでしょう」


 皮肉まじりに僕は言った。自分への皮肉。


 こんな僕をヒーローと呼ぶフウチの正気を疑ってしまうぜ。やれやれ。


 でもそうだな——僕ごときとか、所詮僕とか。


 そう言うのは、今日で辞めようと思う。


 僕が僕を卑下したら、僕をヒーローだと呼んでくれた、大好きなヒロインに申し訳ないからな。


「ジーヤスナイトさん。フウチはまだ、日本に居るんですか?」


「そのご質問にお答えする前に、ひとつよろしいですかな?」


「はい? なんです?」


「わたくしめに、丁寧語は辞めてくだされ。そして、ジーヤ——と。お呼びくだされ、詩色さま」


「……わかりました。いや、わかったよジーヤさん。じゃあ僕のことも、さま付けしないでくれよ」


「ありがとうございます。しかしながら、わたくしめは、詩色さま、と。お呼びさせてくだされ」


 じじいからアイデンティティを奪わないでくだされ——と。そう言われては、拒否れば拒否るほど、自分が小さい人間になっていくような気がしたので、じゃあわかった……と。渋々承諾してしまった。丸め込まれた感、バリバリだけど。


「で、ジーヤさん。フウチはまだ日本に?」


「はい。ります。ずっとご自宅の自室に引きこもっております」


「……あのさ? この活動日誌って、そもそもどうやって持ってきたんだ……?」


 パクって来たわけじゃないよね?


 まさかとは思うけど、パクって来たんだとしたら、それを読んでしまった僕の罪、重くね……?


 背負うごうが重くね? だって僕、好きな女の子の日記を読んだってことだぜ? その出所が窃盗なのだとしたら、いつの間にかただの共犯者になっているじゃねえか。まるで僕が盗みを依頼したと誤解されてもおかしくねえぞ。


「そちらは、お嬢さまが廃棄なさっておりましたので。ゴミ箱からじじいが拝借はいしゃくしただけですのお」


「窃盗じゃねえか……」


 たとえゴミ箱からだろうと、立派な窃盗行為だろそれ。僕を犯罪に巻き込むなよ……。


「……でもこれ、廃棄されたのか」


 捨てられたのか。なんかそれが悲しくなる。


「お嬢さまをお責めにならないでくだされ。お嬢さまは、詩色さまや、筆談部の部員の方々を本当に大切に思っております。そばにりたい、と。常におっしゃっておりました。ですが、叶わないと思うと、そちらの日誌を手元に置いておくのもつらかったのでしょう。ですから、どうか詩色さま。お嬢さまをお責めにならないでくだされ。じじいからのお願いですじゃ」


「わかってるよ。責めないし、責められる立場じゃないよ僕は。僕だってきっとそうしてしまう」


 なにせ僕は、ちょっと前まで、干からびようとしていたほどだからな。言わないけども。


「でも引きこもってる、って、ご飯とか食べてるのか……?」


「まったく手をつけていないわけではないのですが、しかし本当に極小の……最低限の食事しかお食べになっていないようなのでございます」


「心配だな、それ……」


 引き込もり期間が二日の僕。引きこもっている間は、特に感じない。自分の殻に閉じこもっている時は、空腹を忘れてしまう。引きこもりをやめると良くわかる。まあ、厳密に言うと、僕はまだ部屋に居るから、引きこもっているみたいなものだが。でも扉がなくなった部屋だし、僕の引きこもり期間は終わったことにした。


「心配でございます。お嬢さまがお身体をお壊しになりでもしたら、わたくしめは……、ライチさまに合わせる顔がありませぬ」


「ライチさま?」


「はい。フウチお嬢さまのお母さまでございます」


「母親か……」


 フウチの母親。フウチの家族。フウチの家庭環境。


 今まで踏み込むことが出来なかった。ビビって。ブルって。その話題に踏み込むことを避けていた。


 だが、ビビっていようとも、ブルったままだとしても、踏み込む。


 プライバシー? ほっとけそんなもん。


 好きな女の子の情報は、プライスレス。


「なあ、ジーヤさん。もしかしてフウチの母親。そのライチさんって——」


 僕は。きっとずっと気づいていたことを、口にした。


 ——と。もう結構前に、九旗先生から言われてから、そこに着目していたことを、口にした。


「——亡くなっているんじゃないか?」


 共通点。僕とフウチの共通点。


 それは、母親を失っていること。


 だけど、それだけじゃない。九旗先生が生徒指導室で言ったのは、それだけではなかった。


 痛みを理解し合える——と。九旗先生は言ったのだ。


 果たしてそれがどう言うことなのか。今の僕にはわからない。


「はい。お亡くなりになられております」


「そうか。わかったありがとう」


 僕は言って、ベッドから立ち上がった。そのまま身体を伸ばす。そして部屋の出口に向かって歩き出す。


「どちらへ?」


「シャワーを浴びてくるよ。そしてフウチの家に行ってくる」


 ここから先は——直接。


 僕からフウチに質問して、直接聞く。


 その決意を固めたのだ。


「ほっほっほっ。色気付きましたかのお?」


「いや、色気なんかついてないさ。着いたのは、炎だよ」


「ほほう。炎ですか」


「うん。燃え尽きたって、勘違いしてた。だけど燃え尽きてなかった。今の僕は燃え上がっているよ」


 燃えたチキンはただの焼き鳥だ。


「でも、チキンはチキンでも、燃え続けるチキンは不死鳥だぜ?」


「ほほほ。差し詰めフェニックスですかのお」


「日本では、しでの鳥って言ったりするんだ」


 燃え上がった僕は、チキンはチキンでも焼き鳥にはならない。


 燃えたチキンはなにになる?


 僕はフェニックスになってやるよ。


 短冊に書かれていた、フウチの願い。星に願うまでもねえ。


 僕が叶えてやる。絶対に叶えてやる。


 だからまず、シャワーを浴びてこよう。


 メインヒロインに手を差し伸べるために、身を清めてこよう。そうやって僕は、フウチのヒーローになろう。


 フウチだけの主人公に。それが僕の決意だ。

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