7


 はるかいにしえより伝わる伝説の魔法——レジェンダリーマジック。すなわち、あーんの魔法に掛けられた僕は、言わずもがな照れっ照れである。溶けそう。


 葉沼はぬまの沼はドロドロ沼の沼、ってくらい溶けそー。


 僕が(精神的に)ドロドロになっている間にも、フウチは唐揚げを食べている。重箱なので、当然のように二段なのだが、上の段は普通の唐揚げ。下の段は、たぶん風邪を引いたフウチのために、レモンが一個丸々とやっぱり唐揚げだった。おそらくビタミンを補給させようとしたのだろうけれど、唐揚げ以外の選択肢はなかったのか、と。思いたくなる。


 あと、レモンを丸々一個そのまま入れるのは、どうかと思うが。カットしてくれても良いんじゃねえか、って思っちゃうけれども。


 そして今更だけれど、作りすぎだろ。二段の重箱に、二段とも唐揚げとか。何個揚げたんだよ僕の妹……。あとすげえ食ってるし。もはやマスクを完全に外して食ってるくらいだし。


 レモンを発見したフウチは、キッチンに向かい、レモンをカットして来た。ついでに取り皿二枚と、マヨネーズも。どうやら必然的に、あーんタイムは終了したようである(ガッカリ)。


「やっぱり、唐揚げにはマヨネーズは欠かせない存在なのか?」


『ううん。そうでもないよ。しぃるさんの唐揚げは、そのままでも美味しいやつ! マヨネーズを持ってきたのは、単に私がマヨネーズが好きだから……だよ!』


「じゃあ四位はマヨネーズか?」


『バレたか……さては心を読んだなあ!?』


「ふっふっふ。まあな」


 全然読めていないけれど、僕は謎の笑みとともにそう言った。


『うう……えっち』


 えっちって書かれた。


 なぜかキュンとした。


 えっちと書かれて、キュンとしている僕がいた。どう考えても不名誉な称号だと思うけれど、すげえときめいてしまった。本当は調子に乗って、『僕の前では、フウチの心は丸裸だぜ。すっぽんぽんのハートを一気読みしているぜ!』って、ギャグで言おうと思ったけれど、ときめきの衝撃で、言うタイミングを逃してしまった。言った後に確実に後悔するやつだと思うから、タイミングを逃した後悔はない。むしろ安心するくらいである。


「まあ、本当に読めていたら、もっと早くにマヨネーズ好きってことを見抜くだろ」


 結局、そんなコメントしか言えない僕は、やはりコメディアンには向かないだろう。コメディアンなら、言うタイミングを逃していようとも言っただろうし、あるいはもっと面白いコメントを探すだろうし。反省反省。いやまあ、別に僕、コメディアンを目指しているわけじゃあないんだけれど……。


 なぜ反省しているのかもわからない(本当に)。


『日本のマヨネーズって、すごいんだよ!』


「え? そうなの? 味が?」


『味もだけど、この容器がすごいの!』


「それそんなにすごいのか?」


 僕からすれば、生まれたときからその容器だから、いまいち凄さがわからない。というか、その容器でしかマヨネーズをほとんど見たことがない。あとはお弁当サイズの使い切りのやつしか見たことがない。


『海外だとね? マヨネーズはほとんど瓶詰めなの。使うぶんを、スプーンでお皿に取るんだけれど、なかなか保存には向かないの。それは酸化しちゃうからなんだけど、でもね! この容器は酸化も防いでくれるし、それに使いたいぶんだけ、すぐ使えるでしょ! これは天才的なアイディアだよ! アメイジングだよ! 瓶よりゴミ捨てが楽なのも素晴らしいんだよっ!』


「マヨネーズに詳しい!」


『えっへん!』


 マヨネーズに詳しいというか、容器に詳しいな。酸化防止能力の高さとか、意識したことなかったぞ僕。てか海外でマヨネーズが瓶だと言うことすら、今知ったくらいなんだけど。


 海外か。ふとそんなワードが出たけれど、たぶんフウチは、海外での生活が長かったんだろうな。改めて部屋を見渡すと、日本的なグッズがちらほらある。赤べことか、小さいちょうちんとか、『火の用心』って書いてある掛け軸とか(センスは謎だ)。


「日本が好きなんだな、フウチ」


『うん! だって……』


「だって?」


『ううん、やっぱりなんでもないよ!』


「日本人の僕としては、嬉しく思うよ。日本を勝手に代表して、お礼を言いたくなるくらいだよ。むしろ言っておくよ。ありがとう」


『えへへ』


 可愛い。サングラスしてても可愛いもんは可愛い。


「そういえば、メガネ壊れて平気か? ないと困るんじゃないのか?」


『……うん。困る』


「だよなあ」


 視線が苦手なフウチには、欠かせないアイテムだもんな、あのメガネ。僕が瞬時に修復できる異能力でも持っていれば、修復してやれるのだが。残念ながら無能力な僕なので、それは無理である。


『でもね。いつまでもそれだとダメ……だよね』


「視線が苦手なことがか?」


『それもあるけど、目を見てお話しなきゃ、って』


「んー。それは確かに大事なのかもしれないけれど、でも、必ずしも必要なのかと言われると、僕は違う気がするんだよなあ」


『そーなの? どうして?』


「なにか本当に伝えたいことがある時なら、それは必要だろうけれど、雑談とかならそうでもないだろ? たとえば就職面接とか、そういう場面だけ、頑張れば良いと思ってるからな、僕」


 僕も人の目を見て話すことが得意じゃあないし。そもそも人との会話が苦手なのだから。


 午前中の美容室での僕なんて、それが丸出しだっただろうし。


『なるほどー。詩色くんも苦手なんだね』


「僕の場合は目を見る以前に、コミュニケーション能力の低さをどうにかすべきだろうけどな」


『でも……私に話し掛けてくれたよ?』


「かなりぎこちない感じだっただろ……思い出すと恥ずかしいくらいだ……」


『嬉しかった!』


「なら、ぎこちないあの日の僕も満足だよ」


『今日さ? 詩色くん。いつもと違う……よね?』


「そうか? いつもこんなだぜ?」


 嘘である。


 服は新品だし、美容室に行ってヘアースタイルまでカットとセットをしてもらっている。完全なる嘘である。どこが『いつもこんなだぜ?』なのか。いつもの自分自身を知らなすぎなのか、あるいは、恥ずかしいからそう返したのか。もしくは詐欺師としての才能に目覚めたのか。


 それとも——気づいて欲しいから。だろうか。


 なんだか最後のは乙女チックな願望だが。まあ、気づいて欲しい感は否めない。詐欺師は絶対にないとして(顔に出る時点で才能のカケラもないと思う。もしあっても捨てるが)。


『違うよ。いつもと違う』


「…………変かな?」


『良いって……思った』


 良いと思われたああああああああ!


 ありがとうしぃる! お前のおかげで今日の僕は、良いと思われたぞ! イイねを押されたぞ! サンキュー妹よ大好きだ!


「…………ありがとう」


 照れるー。照れる照れるー。マジ照れるー。


「でも、良く僕の変化に気づいたな」


 ほとんど僕を見ていない感じだったけれど、それでも気づけるくらい、今日の僕がいつもと違っていた——ということだろうか。


『実はね……サングラスのおかげ』


「サングラス?」


『うん……これしてるから、見ててもバレないかな、って。ほんとは、今も……ずっと見てるの』


「……………………」


 体温の上昇を確認した。ただちに冷静にならねば、二分後くらいには、全身が燃え上がり、あだ名がフェニックスになるかもしれないくらい、体温上昇中!


 顔はもう、焼けてる。焼け野原だと思う。


 ずっと見てるの。って。ずっと見てたの?


 うっそーん。見られていないと思っていたのは僕の勘違いで、ずっと見られていたの僕?


「どっひゃー! うっそーん!」


 こうやっておちゃらけた発言で誤魔化さないと、気絶しそうなのだ。


『ほんと……だよ』


 そう書いたフウチは、顔を持ち上げた。その顔に装着したサングラスの内部では、僕を見つめている——ということだろう。ミラーレンズなので、僕が見ても僕しか写っていないけど。


『ずるい……かな?』


「え? なにが……?」


『私だけ、目を隠して……ずるい?』


「ずるいって言ったら、どうするんだ?」


『がんばる……かも』


「じゃあ、ずるい」


 そう書かれて、そう返した僕の方がずるいのかもしれない。だけど、ずるいって返したくて仕方なかったのだ。べつに本当にずるいと思っていたわけじゃあないけど。でも、そう返すことで、フウチがどう頑張るのか——知りたかった。あるいはストレートに、下心と言うべきか。


『…………わかった』


 そう書いたフウチは、少し下を向いて——サングラスを外した。そしてゆっくりと。


 ゆっくりゆっくり。赤く染まった頬で、顔を上げる。口はもう『〜〜〜』みたいな形で。


 そのまま、まっすぐに。


 僕を見つめた。


「……………………」


 互いに無言。もともとフウチは無言だが、僕も無言。初めてまっすぐに見つめたその瞳は、とても綺麗で——全部が綺麗で。


 およそ三秒。無言のまま見つめ合った。


「ふはっ!」


 と。僕は吹き出してしまった。なにに笑ったのか——自分の馬鹿さに。だろう。


 ようやく気づいた——なんだ。そういうことか。


 だからか。だから無鳥なとりは、まだ気づかないの? と。そう言っていたのか。


 気づいた。今、気づいたよ。


「なんだ。そうか。そういうことか」


 自分の馬鹿さに面白くなった僕は、そう言いながら、


「……久しぶり」


 と。言った。久しぶり。果たしてこの言葉にフウチは、


『バレちゃった……かな?』


 と。書いた。


「隠してたのか?」


『ううん。隠してるつもりじゃなかったの。でも、やっぱり怖いとは思ってた……でも気づいて欲しいなあ、とも思ってたの……覚えててくれたんだね、詩色くん』


「覚えてたよ。記憶力には自信があるからな。どうやら洞察力には欠けるけど」


 中学三年の頃。無鳥がナンパされてる女の子を助けに行くのを止めて、僕が止めに行ったあの女の子。


 沈黙の殺意と呼ばれていた僕が、沈黙を破ったと噂になっていたらしい、あの時の女の子。


 果たして今、どうしているのかな——と。そんな風に思っていた自分がアホらしいよ。


 だって——


「でも、あの時は黒髪だったもんな」


『うん』


「ショートだったし」


『うん! そこまで覚えてるんだあ!』


「覚えてるよ」


 だって、僕があの時止めに行ったのは、本当はナンパ行為ではなく。


 ナンパされていて、困っていた——フウチの涙だったのだから。


 我ながら、洞察力のなさに笑えてくるぜ。


 全く。もう少し早く気づいてれば、フウチがどうして、


 それに関しても、謎にするほどでもなかったんじゃねえか。なんてことはない。そこにはなんのトリックもない。


「心配はないよ、フウチ。不安はなくていい。僕はフウチがどんな存在でも、態度を改められるほど、器用じゃあないからな。今までと同じにさせてもらうよ」


 おそらく無鳥もここまで気づいているのだろう。きっと、だから無鳥は、フウチが急に現れたことについて、フウチに聞かなかったのだろう。たく、僕に言わなかったのは、僕が自分で気づいた方が良いから——だろうな。惚れた相手のことくらい、自分で気づけよ、という親友からのメッセージみたいなものだろう。


『うん……』


 ありがとう——と。フウチは口パクで、そう続けた。


 フウチがなにに怖がっていたのか。それは、単純なことだ。


 単純なことだが、確かに——先生が言ったように、先生の立場ではなかなか言えるものでもないことだと思う。


 あの時の女の子——あの時のフウチを僕は、。間違いなくそう思った。教師の立場から言えないとは、わざわざ言う必要がないからである。


 言う必要は、ないだろう。僕もそう思う。それを言わないことで、平穏無事に暮らせるのなら、それが一番だろうからな。言うリスクがあるのも事実だからな。


 つまりフウチは——年上なのだ。


 ここに居る、僕の目の前に居る彼女は、僕と同級生でありながら、年上なのだ。


 それがわかった。気づいた。気づけた。


 おそらくフウチは、高二に進級後、なにか事情があって休学していて、今年から復学した。その事情がなんなのかはわからないが。


 だから急にクラスに現れたのだ。


 僕があの時のフウチを年上に感じて、現在では同い年だと思い込んだことについては、簡単に説明できる——それは単に僕が育ったからである。


 中学三年といえど、中学年から見た高校生と、高校生から見た高校生では、年齢以上に大人と子供に感じるものだ。そしてそれは、僕が高校生になったことで、年上に感じなくなっただけなのだ。


 クラスのみんなが知らないのも無理はない。だって、入学と同時に休学した上級生を知ってる下級生なんて、普通居ないだろうしな。転校生でもないから、九旗くばた先生は、幽霊でもなければ非存在でもない。この学校の生徒だよ——と。生徒指導室で僕に言ったのだ。


「これからもフウチはフウチだよ」


 きっと、心配だったんだろうな。自分が年上だとわかったら、どうなるのかわからなくて不安だったんだろうな。


「泣くなよ」


 安堵あんどからなのか、フウチは静かに涙を流していた。その姿がとても愛おしくて、本当なら抱きしめたいけれど、僕にそんな度胸はなく。


 でも、勇気を出して、フウチの頭に手を置いた。


 優しく頭を撫でると、フウチは恥ずかしそうにチラッと僕を見上げた。でも年上だと僕にバレたから複雑なのか、頬を膨らませたりして。


 それがとても可愛くて、とてもとても——愛おしくて、本当に大好きだと。再認識した僕だった。


 あるいは再々認識か。きっと中三のあの時から、僕は惹かれていたのだろう。そうでもなきゃ、僕が単なる人助けをするはずもないだろうし。たとえ泣いていたとしても、僕の性格なら見て見ぬ振りをしている可能性が高い。だってチキンだし。


 甘えたがりで。可愛くて。それだけで僕は、こんなにもメロメロだと言うのに、更にそこにプラス要素で——実は年齢的にお姉さん属性持ちとか。


 ああもう。参ったな。困ったな。ちくしょう。困ってしまうな。頭を抱えてしまうな。


 だって——最高に萌えるじゃねえか。


 好きが止まらなくて、本当に困ってしまうよ。

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