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葉沼はぬま。お前、ゆっくり歩いて来ただろ」


「………………はい」


 職員室に呼び出されて、学年主任の先生——ばたことわり先生にそう言われて、肩を落として返事をした僕である。


「私は至急と言ったはずだが?」


「……確かに至急と言われました。ですが先生。僕はこれでも、最善を尽くしたスピードでここにたどり着いたつもりです。なぜなら、職員室に招かれるにあたって、やはり身嗜みだしなみというのは、大切だと思ったからです。なので、きちんと制服を着用出来ているか、そして髪型は乱れていないか、それらを確認しながら僕は、職員室までの道のりを一歩一歩、踏み締めて来ました」


「なるほど、葉沼。お前の言うことはわからないでもない。だが、そんなことどうでもいいから、さっさと来い——というのが至急だと思うのだが、違うか?」


「…………違いません」


 ちくしょう……。屁理屈を並べてみたら、普通に論破されてしまった。


 九旗先生は、僕たちの学年の学年主任である。


 見た目だけを言えば、美人先生と言えるのだが、話し方と話す雰囲気と声のトーンが僕は苦手である。つまりほとんどの要素で、僕はこの九旗先生が苦手と言える。一年の時から学年主任だったこともあり、深く話したことはないのだけれども、あくまでなんとなくだが、怖いイメージが強いのだ。


 学年主任という肩書きからすでに、なんか怖いし。


「まあい。葉沼、私に着いて来なさい」


「……………………」


「返事」


「はい…………」


 ここで、イエス! サー! と返せないところが、僕が道化になりきれないポイントなのかもしれない——と。自己分析をしながら、僕は九旗先生の後ろを着いていく。金魚の糞、って感じに。


「入りたまえ」


 案内されたのは、生徒指導室だった。


 こんな場所に呼ばれたくないから、許されるのなら、嫌です! って堂々と宣言して帰りたいくらいだが、残念ながら僕はそんなたんりょくを持ち合わせていなかったので、


「……失礼します」


 と。従わざるを得ない。


 別に悪いことをしていない(はず)なのに、なぜだろう。今まで僕は、悪いことだけをして来たかのような錯覚さっかくおちいってしまう。権力に屈している気分だ……。


「まあ、そんな固くなる必要はないよ、葉沼」


「は……はあ?」


 ザ、生返事。いやだって、生徒指導室なんて、そんな場所にご招待されて、緊張しない方が難しいだろう。生返事くらいしか返せないのも無理はあるまい。


「お前を呼んだのは、別に説教をするつもりじゃあないさ。そもそも、私から見た葉沼。お前の学校生活態度は、悪いところなど見当たらないからな」


「……え、と……。それは褒められているのでしょうか?」


「褒めているよ。まあ、はっきり言ってしまえば、悪いところは見当たらないのは本当だが、しかし良いところも見当たらないとも言えてしまうがな」


「…………あ、ははは」


「なにがおかしい? 笑っている場合か?」


「……すいません」


 もうやだよー。超苦手だよ、この雰囲気。


 さっきの言葉で笑いがないなら、もう僕にはどうにも出来ないよ。文字通りお手上げだ。この雰囲気から、コメディラインに路線を変更させられるほど、僕には腕も才能もない。


 まあ、別に僕はコメディアンを目指しているわけでもないので、そんな腕がなくとも構わないと言えば構わないのだが、この雰囲気——というか、この生徒指導室に呼ばれるという状況に対して、どう対応していいのか、それがわからない。


 まず、なぜ呼ばれたのかわからない。


 本当に。わからないわからない。


「最近、学校生活は楽しいか?」


「……まあ、はい。もともとつまらないとは思ってませんし」


「それは良かった」


「……………………」


 なんだろう。ひょっとして僕、気を遣われているのかな……?


 これあれか? もしかして、僕に友達が居ないから、学年主任が気を遣って、相談に乗ろうとしてくれているのか?


 ひょっとしてひょっとして僕、それほどまでに寂しい奴だと、学年主任からそんな目で見られているのか?


 うわ、切ねえ。


 だとしたら相当切ねえ……。いずれ大人になって、今日のことを思い出して、切なさで涙を浮かべながら酒を飲むことになりそうなくらい、切ねえエピソードじゃねえか。


「あの……僕べつに……いじめとかないですよ?」


 誤解されているなら、その誤解を早めに解消したい僕は、そう言った。


「当然だろう。私が学年主任をやっているのだから、二学年のみならず、この学校全ておいて、そのような行為を見逃すものか」


「さすが教師! いよっ! 女!」


「馬鹿にしているのか?」


「いえ。僕の育った環境では、これが最大の褒め言葉なんです……。育ちが良いので……」


 僕に神輿みこしを担ぐ才能はないらしい。


 おかしいな。妹にならって言ってみたのに、全然通用しないじゃねえか。僕を騙したなしぃる!


「まあ、ユーモアセンスを発揮して、雰囲気を和ませようとしている、その努力は認めてやる」


 やったぜ褒められたぜ。ありがとうしぃる! こんなてのひら返しのお兄ちゃんを許せ!


「しかしこうして葉沼。お前とゆっくり話すのは初めてだが、そのユーモアセンスをもっと発揮していけば、友達も増えると思うぞ? なぜお前は、人と関わりを持とうとしない?」


「別に、関わりを拒絶しているわけじゃあないですよ、僕は」


「それにしても、お前が誰かと仲が良い、なんて話は聞かないな」


「めっちゃストレートに言ってくれますね……」


「効率的だろう。お前には、こうやって真っ直ぐに質問したほうが良いと思ったからな」


「まあ……たしかに。先生の言う通り、僕にはおよそ友達と呼べるような人間は、片手で数え終わるくらいしか居ませんが」


「ほう? 片手を使えるのか?」


 ズバッと言ってくれるぜ……。


「目が泳いでいるぞ? 葉沼」


「眼球のストレッチです……」


 なんだこの追い込まれ方。どうして僕はいきなり、こんなに追い込まれているのだろう……。


 ふと、むなしくなった。


「先生、僕はなぜ呼ばれたんですか?」


 むなしくなった僕は、先生が単刀直入の質問をしてくるのなら、こちらも単刀直入の質問を返してやろう——と。少し強気に、言った。


「ふむ。そうだな。最初にも言ったが葉沼。私はお前に説教するつもりはないよ。少し話がれてしまった感は否めないが、そろそろ本題を話そうか。具体的に言えば」


 晴後はれのちフウチについて——と。


 九旗先生は、言った。


「晴後フウチと良く話しているそうじゃないか、葉沼」


「まあ、お隣の席ですし」


「ほう? しかしお前は一年の時。座席が隣だからと言って、コミュニケーションを取ったのかね?」


「取ってませんね……」


「なら、どうして彼女と話そうと思った?」


 なぜ。どうして。そう問われたなら、きっかけは僕が約二年というこれからの学校生活を過ごし安くする為——なのだが。


 だが、そう言われてみると、自分でも考えてしまう。学校生活を過ごし安くする為? 果たしてそれは本当なのだろうか?


 いや、べつに嘘ではない。嘘ではないが、それだけとも言えないのだろう。


 じゃあ、もうひとつの理由は?


 なんだ? 僕はどうして、晴後と話してみようと、話しかけてみよう——と。そう思えたのだ?


「これは葉沼。お前には失礼に聞こえるかもしれないが」


 僕が黙考していると、先生はそう言って言葉を続けた。


「葉沼と晴後には、共通点がある」


「共通点……ですか?」


「うむ。だがそれは、私の立場的に教えることは出来ないがな」


「立場的に……?」


 なら失礼と言われても、なにが失礼なのか判断出来ないじゃねえか……。


「そうだ。だが、これくらいは言ってやろう——その共通点は、互いの痛みを理解し合える共通点だよ」


「……はあ?」


「わからないのなら、考えると良い。私としても、彼女と仲良くしてくれるお前の存在には感謝しているのだ。ありがとう」


「わけがわからないので、感謝されても素直に受け取れる自信がないです」


「感謝を受け取るのに、自信は必要ないさ。人はありがとうと言われたら、どういたしまして——と。それだけ言えば良い。お前は屁理屈と理屈をぐちゃぐちゃにして考えるタイプで、はっきり言えば面倒くさい性格をしているが、それはそれで美徳だよ」


「どういたしまして」


「この文脈でそう言われると、いささか私が皮肉を言ったみたいに聞こえるな」


 はは——と。九旗先生は、そう言って少し笑った。よっしゃウケた! って思える流れでないことはわかる僕なので、ガッツポーズをすることはなかったが。


「先生……」


 と。僕は言った。聞いていいのかわからない。でも、聞いてみてもいいのだろう、と。トライする気持ちで、質問を投げる。


「彼女……晴後は、どんな正体なんでしょうか?」


 我ながら、ざっくりとした質問だし、ざっくりとしながらも、直接的で直線的な質問だと思ったが、これ以外に言葉が見つからなかったのだ。勉強不足だな。


「それも、私の立場的に言えることじゃないな」


「ですか……」


「しかし正体と来たか。なかなか的を射ている質問だと思うよ」


「?」


「深い意味はないさ。お前ももう知っているだろう、彼女が幽霊だとか噂されているのを」


「はい。なんとなく耳にしました」


「確かに、生徒がそう噂したくなる気持ちもわからないでもない——だが、彼女は非存在でもなければ、幽霊でもない。彼女は彼女で、この学校の生徒だよ。私から言えるのはこれくらいだ。あとは葉沼。知りたいのなら、本人に直接訊ねるといい」


「訊ねて……いいのでしょうか?」


「さあな。それは私には答えられないな。これは立場うんぬんではなく、私は私で、彼女は彼女だからだよ。知りたいのなら、お前が直接訊ねるべき質問だろう——ただし」


 聞き方を間違えるなよ——と。真剣なおもちで、九旗先生は言った。


「無論、聞きたくないなら、聞かなくても良いだろう。それは葉沼。お前が決めると良いさ」


「じゃあ、聞きたくなったら聞きますし、彼女が話してくれる時を待つかもしれないですね」


「ほほう? つまりお前は、晴後フウチに気がある——と?」


「いや、そんなつもりじゃあないですけど」


「はは、照れるなよ青少年。良いじゃないか。青春したまえ、若者」


 私からの話はこれで終わりだよ——と。先生は立ち上がり、


「時間を取らせて悪かったな、葉沼。散々学年主任として——みたいなつらをして話してしまって、すまなかった」


 内緒だぞ——と。先生は僕の手のひらに二百円を置いた。


「それでジュースでも買ってくれ。お釣りはやる。くれぐれも他言するなよ? これでも学年主任をやっている手前、一人の生徒にジュースを奢るのはよろしくないからな」


「安心してください。なにせ僕には、他言するような相手が居ませんので」


「それはそれで、心配になるから友達作れよ」


「努力します……」


「晴後フウチと仲良くしてやってくれよ、葉沼」


「それは先生に言われなくても、僕は彼女と話す時間が楽しいので、ご心配には及びませんよ」


「頼もしいじゃあないか。生徒会長に推薦しておこう」


「勘弁してください……」


「冗談だよ。それじゃあ私は仕事に戻るが、気をつけて帰りなさい」


「はい。ジュースご馳走さまです」


「どういたしまして」


 そんな会話をして、僕と先生は生徒指導室から退室した。


 一体、なんのために僕は呼ばれたのか——それは良くわからないけれど。でも、怖いだけの先生だと思っていたのは、僕の勝手なイメージだったな、と。少し反省して、自販機でジュースを買ってから、ようやく本日の帰宅路に着いた僕だった。

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