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「ただいマーメイド! って、やだん。人魚ってわたしのこと? どうしてそんな本当のことを言うの? 照れちゃうでしょ」


 えへへ——と、勝手に喋って、一人で照れながら帰宅したのは、僕の妹だった。


 今年から高一になったくせに、馬鹿みたいなことだけを言いながら帰宅しやがって。


「あ、お兄ちゃんおかえリーダー! ちょっとリーダーってわたしのこと? 統率力があり過ぎる、って。本当のことを言われても照れちゃうよ! えへへ」


「おかえり、しぃる。とりあえず手洗いうがいのついでに、知性を磨け」


「じゃあお兄ちゃんは、男を磨け」


「うるせーほっとけ!」


「るうる先輩。牛乳減りましたー?」


「うん。あと少しで、ひとパックがからになるよ」


「さっすがるうる先輩です! いよっ! 女!」


「僕には理解出来ないが、それ褒め言葉なのか?」


 持ち上げ方が頭悪そう過ぎるだろ。あとなぜその言葉でちょっと照れてんだ無鳥……。


 まあ、どうでもいいけど。無鳥なとりが褒められようが、どうでもいい。本当にどうでもいい。


 買ってきた食材を冷蔵庫にしまったしぃるは、そのまま手洗いうがいをして、リビングに戻ってきた。


「どうしたのお兄ちゃん? そんな友達が居ないみたいな顔をしてどうしたのかな?」


「僕今、どんな顔してんだよ! ぜひ聞かせてくれ!」


「鏡見ればいいじゃん。お兄ちゃんの表情パターンなんて、基本的に友達が居ないみたいな顔なんだから」


「デフォルトが寂し過ぎるだろ、僕の顔」


「デフォルメしたらどうかな? お兄ちゃん」


「アドバイスが雑!」


「まあ、可哀想なお兄ちゃんはほっといて、るうる先輩、わたしのお部屋で遊びましょう」


 そう言って立ち上がったしぃる。


「あ、別に遊ぶ、って言ってもお兄ちゃんが想像してるような、百合百合した遊びじゃあないからね? 勘違いしないでね?」


「しねえよ!」


「どうだかなー? お兄ちゃんど変態だから、一応言っておかないとって思って。わたし賢い!」


「さらっと僕をど変態キャラにすんな」


「じゃがいもの皮剥いておいてね、お兄たん」


「不意に僕を萌えさせようとするんじゃねえ」


「萌えたの?」


「萌え萌えだったよ」


「こわあっ!」


 そう言ったしぃるは、元気良くリビングから去っていった。あと、冗談で言ったのに、無鳥が僕を見る目が、酷かった。具体的に説明したくなくなるくらい、酷い視線だった。


 ふう。なんだか一気に静かになったな。


 この静かな空間を存分に満喫したいところだが、とりあえずじゃがいもの皮むきをするとしよう。


 誰だ今、お前の周りなんて常に静かだろ、って言ったやつ(誰も言ってない?)。


 ということで、冷蔵庫からじゃがいもを取り出して、キッチンに立つ僕。なんだか、数十年後もこんな具合に一人でキッチンに立っていたら、悲しいな、って思いながらじゃがいもの皮むきをスタートした。


 じゃがいもの皮むきをしながら思うことではなさそうだが。


 逆に、じゃがいもの皮むきをしながら思うこと、ってなんだろうか?


 あー、むきにくいなあ、とかか?


 ボコボコしてんなー、とか?


 そんな感想、何が楽しいんだよ。てか、じゃがいも買いすぎだろ。どんだけ買ってんだ。


 ……そんなに安かったのだろうか。


 だとしても、結構な大きさの五個入りを三つも買う必要はあるのだろうか?


「…………あ、やっぱり」


 なんとなく、そう思ったので、冷蔵庫を確認したら、シチューの他にカレールウがあった。今夜がクリームシチューだから、明日はカレーか。でも鶏肉しかなかったし、鶏肉もやたらと多くあったから、チキンカレーだろうな。一応、明日リクエストでバターチキンカレーを提案してみようかな。


 いや、チキンカツカレーでも良いな。


 あー、でも。パン粉がねえな。パン粉を買ったら、パン粉を消費するまで揚げ物になる可能性が高いだろうし……、バターチキンカレーをリクエストするとしよう。


 妹は、やたらと安い食材を見つけて買ってくるのだが、消費の仕方に計画性がないのだ。卵が安いと、朝、昼、晩、全てが卵料理になる。


 こないだ卵が安かった時は、朝オムライス、昼オムライスと卵焼きのお弁当、夜オムライスの上に目玉焼き——と。卵料理というか、主食オムライスだった。まさか三食ともケチャップ味になるとは思っていなかったぜ。


 まあ、オムライス好きだけども。


 そもそも、食事を作ってくれる時点で、文句は言えないしな。お弁当も作ってくれるし。


 もともと、シングルマザーだった母親が亡くなったのは、僕が高校に入学して、すぐだった。


 本当なら、親戚に引き取られるはずだったのだが、近くに親戚が不在だったため、親戚に引き取られる場合、どうしても転校することになる。僕は構わなかったが、妹がそれを嫌がっていて、ならば家はあるし、母さんが残してくれたお金で、二人で生活していこう——と。兄妹で話し合って決めたのだ。


 それを承諾してくれた、親戚。お爺ちゃんお婆ちゃんには、感謝しかない。今は僕もしぃるも高校生だが、あの時はしぃるは中学生だったし、そんな僕たちの考えを尊重してくれた、お爺ちゃんお婆ちゃんには、足を向けて寝れないだろう。


 まあ、どの方角にお爺ちゃんお婆ちゃんが居るのか正確にはわからないから、もしかしたら寝ているかもしれないが。こういうのは、気持ちが大切だろうからな。


 精神的に、足を向けて寝ていない。これが大事。


「ふう。こんなもんか」


 そんなことを思いながら、じゃがいもの皮むきを終わらせた僕。全部剥く必要はないので、とりあえず八個のじゃがいもを裸にしてやったぜ。


 すっぽんぽんのじゃがいもを水にひたし、リビングに戻った僕は、残っていた牛乳でココアを作って、一息。


 リラックスタイムである。


 特にすることもないので、ココアを飲みながら、テレビを観ている。ときおり、二階の妹の部屋から、笑い声が聞こえてきたりして、ちょっと羨まし……、いや、楽しそうでなによりだ、と。妹の笑い声に、兄としての感想を抱いたりしながら、ニュースとか観てる僕。


 こういうとき、普通の男子高校生なら、どのようにして、時間を過ごすのだろうか?


 スマホをいじったりするのか?


 スマホを弄って、なにが楽しいんだ?


 僕のスマホなんて、悲しいくらい鳴らないからなあ。というか、このスマホにしてから、鳴ったことないんじゃねえの? たぶん。


 スマホでゲームするなら、部屋でゆっくりとテレビでゲームする方が好きだし。


 驚かれるかもしれないが、なにせこのご時世だというのに、僕のスマホには、あの有名なメッセージアプリすら、インストールされていないからな。


 だって、あのアプリ、僕には不要過ぎるし。


 妹から連絡があるなら、電話だし。というか、悲しいかな。高二になって、僕のスマホに入っている連絡先は、妹オンリーである。


 あ行をすっ飛ばして、さ行のし、から表示される僕の電話帳。切ねえ。


 さっきまでリビングに居た、無鳥の連絡先も知らないしな。無鳥にとって僕は、友達の兄でしかないのだろうし。まあ、僕も妹の友達くらいの認識だが(強がりじゃないからな!)。


「……………………」


 にしても、幽霊か。


 思い出したかのように僕は、内心で呟いた——幽霊。


 厳密に言えば、幽霊のような存在、だろうか。


 まさか本当に、晴後はれのちが幽霊だと思っているわけじゃない。僕もそう思っているわけじゃないし、クラスメイトもそうだろう。


 でも、たしかに不思議ではある。


 彼女の存在を知らないのは、僕が世間知らずならぬ学内知らずだったから、もっと言えば学内のコミュニティに全然関わりがなかったから。そう思っていたのだが。


 だけれど、クラスメイトどころか、学校内で幽霊と噂になるほど、誰も彼女を知らなかったのか。


 本当にそうなのだろうか?


 いや、普通に考えて、誰か一人くらい居るんじゃないのか?


 もし、本当に誰も知らないのだとしても、誰か一人くらい、先生などに確認した生徒はいるんじゃあないのだろうか?


 それくらいの行動力がある生徒、一人くらい居るんじゃあないのか?


 行動力と呼べるほどの行動でもなさそうな気もするし。


 なら僕が聞けば良い——のかもしれないが、でも僕、先生って苦手なんだよなあ。


 先生というか、大人が苦手なんだよなあ。


 そう言ってしまうと、僕に得意な人種は居ないのかもしれないが。まあ、得意かはさておき、妹と妹の友達である無鳥くらいなら、余裕で話せるけどな。


 それに、先生に聞くにしても、晴後に直接聞くのだとしても、どうやって質問すれば良いんだろうか。


 どんな正体——とか?


 それ、直接聞くのもなんか違う気がするし、先生にそんな質問するのも変だよな。


 案外、だから誰も知らないのかもしれない。


 こんな質問、先生に聞きにくい——と。生徒みんながそう思って、聞けないのかもしれない。


 一応それなりの進学校だから、みんながみんな、お利口りこうさんだろうし、わざわざ変な奴認定されるような質問はしないだろう。


 ついでに、僕みたいなぼっちくんと話していたのだから、尚更わけのわからない存在になっている可能性も否定できまい。


 自分たちが知らない存在なのに、僕みたいなぼっちが話していたら、クラスとしては、『あれ? じゃああの子は元々居たのか? ぼっちが話せるなら、元々存在していた?』——と、思うだろうし。


 そう考えると、僕。かなり彼女に迷惑掛けてねえか?


 足を引っ張りまくってねえか?


 だからと言って、急に避けるのも失礼だよな?


 それに、あの可愛さを避けることは僕には無理だろうし。やみつきになる可愛さ——と言うと語弊があるかもしれないが、あのタブレット端末に書きながら、照れ照れの表情で文字を向けられては、たまらないからなあ。


 ファン的な感情なので、恋愛感情と呼べるほどじゃあないけれど。


 可愛いから、目が惹かれる。惹かれてしまう。


 こんなことを言ったら、彼女は嫌がるのかもしれないが。なにせ、視線をぼかすためにコンタクトとかメガネをするほどだし。


 とにかく、考えても答えがわかることでもあるまい。


 直接聞くか、間接的に聞くかしかあるまい。


 僕に聞くつもりがあれば、だが。


 ぶっちゃけ、彼女の存在を確かめる必要性を感じない。誰だろうが、何者だろうが、別に良い。


 だから、きっと。僕は彼女が自分で言うまで、聞くことはないのかもしれない。


 それに、可愛ければ筆談でも良い、ってわけでもないが、まあ。


 話せるなら、筆談で問題ないだろう。


 ……声を聞きたくない、と言えば、嘘になるが。


 だって可愛い子の声は、聞きたいだろ、普通。

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