サイコーの試写会

OKAKI

サイコーの試写会

「夏木せんぱーい! 一緒に映画、行ましょーよー」

 部室のドアを勢いよく開き、長机の奥に座って雑誌を眺める夏木先輩に向かって叫ぶ。

「いや」

「ぐっ……」

 小さいけれどよく通る声が、俺の胸を貫いた。

「つ、はっ……!」

 胸を押さえながらふらふらと歩き、先輩の向かいに座ってパタリと机に倒れる。チラリと先輩を盗み見ると、先輩は雑誌から目を離さず「演技、ヘタ」とだけ言った。

 俺は勢いよく身を起こし、先輩に反論する。

「先輩にだけは、言われたくありません!」

 俺の勢いに反し、先輩は俺をチラリと見て

「いいの。もう出ない、から」

 と言った。

「ダメです! 出ないなんて許しません! 先輩の出ない映画は、牛肉のない牛丼です! そんなの、映画じゃない!」

「遠藤、ウザい」

 先輩は、相手をするのが面倒になったようで、その後は何を言っても顔すら上げてくれなくなった。

 それでも俺は、机の下で密かにガッツポーズをとる。先輩とこんなに長く喋ったのは、初めてだ。

「遠藤くん、めげないなぁ」

 本棚を見ていた部長が、ごつい体を揺らして笑った。ごつい体に優しい笑顔で、いつも俺の味方をしてくれる、すごく良い人。

「毎日、よくやるね」

 書き物の手を止め呆れたように言ったのは、童顔小柄の副部長。見た目は中学生、中身はこの部の全てを取り仕切るすごい人。

「夏木ちゃん。遠藤くんに、もう少し優しくしてあげてよ。大事な唯一の1年生だよ」

 そうだそうだと、心の中で副部長に声援を送る。

 先輩はゆっくりと顔を上げ、感情のない目を副部長に向けると「いやです」とだけ答えて、視線を戻した。先輩は、部長や副部長ともほとんど喋らない。と言うか、誰に対しても、ほぼ一言返事しかしない。

 初めて対面した時は、すごく驚いた。まさかこんな人だとは、思わなくて。




 先輩を初めて見たのは、学校見学をかねた去年の文化祭。何となく見た映研の自主制作映画。先輩は、それに少しだけ出ていた。

 清楚な白いワンピースに白い帽子、風になびく艶やかな長い黒髪。その人は、ゆっくりと振り返り、儚げに微笑んだ。

 一目惚れだった。

 映画の内容なんか覚えてない。台詞もない、ほんの数カットで強烈な印象を与えた綺麗な人。

 俺はその人を見たくて、その人に会いたくて、その映画を何度も観た。最後の上映の後、会わせて欲しいと前部長に詰め寄ったけど、体調不良で休みだと言われて、会うことは叶わなかった。

 あの人に会いたい。

 そんな思いを抱き続けて半年後、俺はこの高校に入学した。




 実際に会った夏木先輩は、映画の印象とまるで違った。誰かが呟いた、先輩への評価。無口・無表情・無感情。「綺麗なだけのお人形」と聞こえた時は、言った奴をぶん殴ってやろうかと思ったけど、聞こえていなかったのか先輩自身は全くの無反応だったから、俺も相手にするのを止めた。

 後で聞いた話では、裏方を希望していたのに、台詞なしのちょい役だからと前部長にゴリ押しされ、仕方なく出演したらしい。そのちょい役の効果は絶大で、今年の部活見学には、俺を含む野郎ばかりが5人も来た。だけど、先輩に何を話しかけても一言しか返事が返ってこない上にずっと無表情の先輩に、映画に興味のない先輩目当なだけの輩は、全員消滅してくれた。実に喜ばしい。

「先輩、次は何観るんすか? いつもどこで観るんすか?」

「教えない」

「いいじゃないっすか、それくらい」

「いや」

 攻め方を変えてみる。

「もうすぐ『雨の子』の公開日ですね? 先輩、アニメ映画も観ますか?」

「…………」

 返事なし。アニメ映画に興味がないのか、『雨の子』は興味がないのか……

 じっと先輩の顔を見ながらいろいろ話しかけてみるが、その後、なんの返事も、表情の変化も見られなかった。

 もはや日課となった夏木先輩への絡みを終えると、することがなくなる。先輩は雑誌に目を落としたままだし、部長と副部長は、スマホで映画を観始めた。しかも、1つのイヤホンを片方づつ付けて一緒に。家で観ろよ、忌々しい!

 することのなくなった俺は、仕方がなく自分のスマホを取り出す。最新の映画情報を見ながら、明日、先輩に絡むネタを考える。

 その時、メールが届いた。すぐにそのメールを開いて、勢いよく立ち上がる。

「夏木先輩! 俺と一緒に、映画に行きましょう!」

「いや」

 先輩は、俺に一瞥もしない。ここまでは、いつものやり取りだ。

「ふ、ふ、ふ……いいんですか? 何の映画か聞かずに断っても」

「…………」

 先輩からの返事はない。顔を上げるどころか、眉1つ動かさない。

「本当にいいんですか? 何の映画か聞かなくて……」

 雑誌をめくる音が、やけに大きく聞こえる。

「あの……何の映画かだけでも……」

「何の映画?」

 声は目の前の先輩じゃなく、少し遠くからした。

 声がした方を振り向くと、部長と副部長が、可哀想なものを見る眼差しで俺を見ていた。胸の奥から湧き上がる感情が目から溢れ落ちないように、ぐっと唇を噛んで堪えると

「じゃじゃーん! これですよ、これ!」

 印籠を突きつけるようにスマホを突き出した、先輩に向かって。先輩からの反応はない。かまわず俺は、言葉を続ける。

「四谷幸治監督最新作『記憶がありません』」

 先輩の形のいい眉が、ピクリと動く。

「この前応募した試写会、当たったんです」

 先輩が、ゆっくりと顔を上げる。

「四谷、幸治……」

 夏木先輩が四谷幸治監督の大ファンだということは、入部してすぐに分かった。邦画洋画を問わずたくさんの映画を観ているようだけど、高校生の少ないお小遣いじゃ映画館で観られる映画も限られる。そんな中、5年ぶりとなる四谷監督の映画は、必ず映画館で観ると予想はしていた。何度もスマホでPVを見ていたり、映画雑誌の記事を熱心に読んでいたから。

「夏木先輩。俺と一緒に、試写会に行きましょう!」

 ゆっくりと、先輩の視線が俺に向く。俺を見る目が、キラキラと輝いている。初めての経験に、胸がバクバク言っている。綺麗な人だとは思ってたけど、喜びに瞳を輝かせた先輩は、女神のような美しさを放っていた。

 先輩は、大きくて綺麗な目を薄く細め、ピンクの唇の端を持ち上げると、いつもより少し高い声で「行く」と言ってくれた。


 この瞬間、俺は死んでもいいと思うほどの幸福に包まれた。


 いや、死んだら一緒に映画に行けないから、たとえ幸せ過ぎて心臓が止まったとしても、死なないけどさ。




 試写会はサイコーだった。

 会場に向かう途中、何を話しかけても「うん」しか返事をもらえなくても、ファーストフード店での食事中、何を言っても「うん」しか言わなくても、映画の予告が始まると「黙って」と話しかけることすら止められたとしても、試写会はサイコーだった。

 映画が面白いのはもちろん、隣に座る夏木先輩は、学校での様子と全く違っでサイコーに可愛かった。手で口を隠して小さく笑ったり、小さく手を叩いたり、足を小刻みに動かしたり。その控えめなリアクションが可愛すぎて、萌え死ぬかと思うほどだった。


 そしてその日、サイコーのトラブルによって、サイコーの締めくくりとなった。





「お急ぎのところ、お客様には大変ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません」

 何度目かのアナウンスに、周りのイラついたざわめきが重なる。

 ダイヤが乱れていたせいか、車内はかなり混んでいた。その上、もうすぐ着くと言うところで、電車が止まった。

「先輩、大丈夫っすか?」

「…………」

 電車に乗った時から、夏木先輩は調子が悪そうだった。混み合う車内に酔ったようで、一言返事どころか、頷くことすらしなくなった。

「先輩……」

 下を向いているせいで顔は見えないが、手で口を押さえ、細い肩が小刻みに震えている。

「あの……」

 せめて、震える肩を支えてあげたい。そんな下心なんか一欠片もない純粋な気持ちで、そっと肩に手を置こうとした瞬間。

「え、んど……」

「はい! 何でしょうか?」

 か細い声が俺を呼んだ。

 俺は先輩の声を聴き逃すまいと、耳を先輩に近付ける。

「えんど……ごめん……」

「ふぇ、せんっ……!」

 咄嗟に声を抑えることの出来た俺、グッジョブ! と心の中で親指を立てる。先輩の耳元で叫んだりしたら、さらに大変なことになってしまうところだ。

 先輩は「ごめん」と言った後、突然、俺の肩に頭を乗せた。

「先輩、立ってるのも辛いんすか?」

 小声で話しかけながら、代わってもらえそうな席を探す。

「違う……」

 か細いが、はっきりとした声。

「人ごみ、苦手」

「はい?」

 すぐ近くから聞こえる声に高鳴る心臓を無理やり抑え、声が上ずらないよう意識しながら返事をする。

「満員電車……乗れない……」

「はあ……」

 先輩が自転車通学なのは知ってる。雨の日もレインコートで、絶対に電車で来ないことも知ってる。

「におい……苦手……」

「におい?」

「くさい……気持ち、悪い……」

「すっ……すす、すみません! 今日体育あって! 汗拭きシートで拭いたけど、また汗かいたかもで……」

「違う」

「?」

「遠藤は、違う」

 その瞬間、ブワッと体が熱くなった。同時に、また汗が出たような気がして焦った。

「あ……あの、先輩……あのー……」

 先輩は俺の呼びかけに答えず、肩に顔を押し付けている。その上、ふんふんと鼻を鳴らす音まで聞こえてきた。俺の体温はますます上がり、さらなる発汗を呼んだ。

「先輩……あの、すみません。俺、臭くないっすか?」

「臭く、ない。遠藤は……ちょっと、いい……」

 また、ブワッと体が熱くなった。体の奥底から、熱が湧き上がる。

「こうしてて、いい?」

 今更過ぎる質問だ。そう言いながら、先輩はまた、鼻をふんふんと鳴らしている。

「好きなだけ……そうして、くだしゃい」

 ちょっと噛んでしまった。情けない。

 先輩は、俺が噛んだことなんか気付かなかったように「うん」と言って、顔を肩に擦り付ける。




 スクリーンの中の夏木先輩に一目惚れした。会ってみると、映画の印象と全然違った。

 無口、無表情、無感情と言われる先輩を見ていて、だんだん分かってきたこと。無口なのは、話すのが苦手だから。無表情の時は、戸惑っているか、どんな顔をすればいいか分からなくて、困っている時。無感情では決してない。嬉しい時は、目がキラキラして微かに口角が上がるし、悲しい時は、少しだけ眉尻が下がる。部活見学でチャラい奴に「去年の映画観ましたよ! 先輩、めっちゃ美人ですね!」とハイテンションで話しかけられて返事をしなかったのは、何て返事をしたら良いか分からなくて困ってたんだと、今なら分かる。その時は部長が間に入ってあげていたけど、次は絶対に俺が助けてあげようと思った。

 残念美人と揶揄される先輩の、その残念なところが可愛いと、俺は思っている。




「あの、先輩」

「何?」 

 普通に返事をしてくれた。少しは良くなったようだ。そして、この機会を狙ってきいてみる。

「また、一緒に映画観ましょう」

 今なら良い返事がもらえるはずと期待して、いつもの誘い文句を言ってみた。

「いや」

 期待はあっさりと裏切られる。いやと言いながらも、先輩は俺から離れる様子はない。犬のように臭いを嗅ぐのは、やめてくれたけど。

「だって……」

『いや』の続きは初めてだ。俺は黙って続く言葉を待つ。

「映画は、1人。集中して、観る」

 確かに、今日も食い入るように観ていた。俺は、そんな先輩が可愛い過ぎて、全然映画に集中出来なかったけど。

「それに……」

「それに?」

 今日はたくさん話してくれるなと思いながら、次の言葉が発せられるのを待つ。

「遠藤……見てくるから、いや」

「すみません!」

 反射的に叫んでしまった。

 先輩は「うるさい」と耳を押さえながら、頭を離した。人生最大の失態に、死にたいくらい落ち込む俺に、先輩の優しい声が届く。

「でも……今日、楽しかった。ありがと」

 俺の肩から頭を離した先輩の顔は、俯いているせいで見えないけど、艶のある黒髪の隙間から、赤く染まった耳が見えた。

「先輩。また、一緒に映画観ましょう。もう邪魔しませんから」

 もう1度誘ってみる。今度は「いや」の返事はない。だけど「いいよ」の返事もない。悩んでいるのか、頭が少し左右に揺れている。俺は思考をフル回転させて、次なる誘い文句を口にした。

「じゃあ、試写会ならどうっすか? 俺、いっぱい応募してるんで、また当たったら、一緒に行ってくれませんか?」

 動いていた先輩の頭がぴたりと止まる。どきどきしながら待っていると、ゆっくりと頭が持ち上がり、綺麗な顔が見えた。

 口角を少し上げた眩しいほど綺麗な笑顔が俺に向けられ、ピンクの唇が微かに動いて「いいよ」と言った。

 この瞬間、俺は本気で死んだと思った。




「せんぱーい! 一緒に映画、行ましょーよー」

 翌日、部室に夏木先輩しか居ないのを確認し、いつもの台詞を叫ぶ。

 今までは「いや」の一言しか返してもらえなかったけど、今日からは、きっと違う返事をもらえるはず。

 俺の叫びを聞いた先輩は、言葉を発することなくゆっくりと顔を上げると

「試写会、当たった?」

 と聞いた。

「そんなに続けて当たりません!」

 俺の返事を聞くと、先輩は「そう」とだけ言って、視線を落とした。

 昨日は距離が近付いたと思ったのにと、少しがっかりしながら先輩の向かいに座ろうとして、先輩がスマホで何かを検索していることに気が付いた。

「珍しいっすね。先輩、何調べてるんすか?」

 ぴたりとフリックする指が止まる。そのまましばらく待っていると「別に」と言ってスマホをポケットに入れ、手近な雑誌を開いた。どこかその動作が、白々しい。

「先輩、何調べてたんすか?」

 もう一度、同じことを聞いてみる。返事はないけど、白く滑らかな頬が、みるみる赤く染まっていった。

「先輩、何かいやらしいこと調べてたんすか?」

 先輩が睨むように俺を見た。だけどその顔は、りんごみたいに真っ赤だった。

「冗談ですよ」

 先輩が可愛い過ぎて死にそうだ。俺は気を落ち着かせるため、スマホを取り出し検索を始める。探すのはもちろん、試写会情報。昨日は、たまたま申し込んだのが運良く当たっただけ。手当たりしだいに申し込んでやろうと探していると、先輩がぽつりと呟いた。

「試写会……」

「?」

「行きたい?」

「もちろんです! 当たったら、一緒に行きましょう!」

 俺が勢いよく答えると、先輩は小さく頷いて、ポケットからスマホを取り出した。少しの操作の後、画面を俺に向ける。

「試写会、行く?」

 それは韓国映画の試写会申し込みページ。しかもホラー。

「行きます! 先輩と一緒なら、どこへでもご一緒します!」

 ホラーはあまり得意じゃないけど、それよりも先輩だ。

 勢いよく返事をする俺に対し、先輩は「うん」といつもの素っ気ない返事。だけどその顔が少し嬉しそうに見えたのは、きっと気のせいじゃない。

「それ、俺も申し込みます! そしたら、当選確率2倍ですよ! 絶対に当てましょうね!」

 俺が勢い込んで言うと、見たことのないほど綺麗な笑顔で「うん。絶対、当てよう」と言ってくれた。

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