第2話

 暗い部屋、見える机の脚、痛む頭、埃っぽい口の中。どうやら教室で倒れているらしい、と気付いて慌てて飛び起きた。

 おかしい、校舎の中に入ろうとした所からの記憶がない。そして何より――ここは、私が通っている学校じゃない。



 暗闇に慣れて見えて来た教室は、かなり荒れている。机はあっちこっちに転がっているし、椅子は壊れている。黒板には乱暴な字でよくわからない言葉が描かれている。少なくとも、今学校として使われている場所ではなさそうだ。

 ここはどこなのか、私はどうしてこんな所にいるのか、何もかもがわからない。わからないけれど、ただじっとしていてもダメだろう。私はスカートやブラウスについた埃を払って立ち上がった。擦り傷がいくつか出来ているけれど……あれは、もしかして。



 良かった、私の鞄だ!! 私は鞄を開けて応急処置用のキットを取り出した。消毒用のガーゼに液を染みこませて、擦り傷を拭いておく。ばんそうこうは……まぁ良いか、後から使うかもしれないし。

 そうだ、鞄があるならケータイもある、電波が届くなら位置もわかる。何より、誰かに電話して助けを求めることが出来る!! そう思って鞄の中を探していると――廊下側の窓に、光が見えた。



 何の光かはわからないけれど、ちらちらと揺れている。どうやら、遠くから何かが近付いて来ているらしい。 私はその光が何なのかを確かめようと一歩踏み出して……立ち止まる。



 もしあれが、私をここに連れて来た人で、その人が俗に言う悪い人だったら?



 いや、逆に警備員の人とか、様子がおかしいって見に来た人かも。でもそんな都合のいいことがあるなんて、でも、もしかすると。そもそもあれが人だという保証もない、幽霊とか……それこそないとは思うけど。考えがまとまらない、でも光は近付いてくる、私は――少し迷ったけれど、その光に向かって声をかけてみることにした。

 この訳のわからない状況で、唯一の手掛かりかもしれない光。それを見過ごしてしまうよりは、何かしらやってみようと思ったから。しばらくして、光は大きくなって来て、


「恵一!?」

「有子!?」


 廊下の窓越しに見えた、幼馴染の驚いた顔。私は大慌てで鞄をつかんで、廊下に飛び出した。廊下にいるのは、ケータイのライトを掲げた恵一。私は、思わず恵一に抱きついた。


「ちょ、有子!! 痛い、結構痛い!!」

「良かった、恵一、誰もいないかと思った、知らない所かと思った!!」

「ちょっと待って、待って!! せめて力緩めて、痛い痛い痛い!!」



 ようやく落ち着いて、自分が恵一に抱きついていることに気付いて。私は思わずとはいえ思い切り抱きついてしまったことに落ち込んでいる。


「いや……その、有子が気にしないんだったら、俺も気にしないし」

「嫌な訳じゃないけど、その、もう子どもでもないんだし、正直恥ずかしい……」


 今の自分の顔を鏡で見たら、多分真赤になっていると思う。そうこうしている内に、二人とも何とか落ち着くことができた。



「……そっか、恵一もここがどこかとかはわからないんだ」

「うん、俺も有子と同じで……有子が遅いから、迎えに行こうとしたら」

「そこで気絶して、えーと……」

「玄関にいて、外に出ようとしたけど扉が開かないから、開く所を探してたんだ」


 落ち着いてお互いの知っていることを話したけれど、進展はなかった。恵一も私と同じようにここに連れて来られて、それっきりらしい。

 ただ、恵一は玄関に放置されていたという所が違う所。ちなみに、私がいたのは恵一曰く三階の一番隅の部屋、らしい。


「一階も二階も、ほとんどの扉が開かなかったんだ」

「そう……三階は? 私がいた部屋以外はどうだった?」

「一か所だけ開いたけど、有子がいた部屋と同じ。ただの教室だった」

「そっか……じゃあ、後見てないのは?」

「まだ上への階段があったから、多分四階があると思う」

「じゃあ、四階に行ってみる?」

「……うん、俺が前に立つから、有子は後ろから来て」

「え?」


 突然そう言われて、思わずまばたきをしてしまう。恵一は、言いにくそうな、困ったような顔をしている。


「ここ、結構脆いみたいなんだよ。一回床踏み抜きかけたから、危ないし」

「でも、恵一が怪我しちゃう……」

「俺は丈夫だし、力も強いからさ。何かあっても何とかできる」

「でも……」

「それに、怪我しても有子が治してくれるだろ?」

「え?」

「有子の鞄の中には、何だっけ、救急箱の小さいのが入ってた」

「あぁ、応急処置用のキットね」


 なるほど、そういうことか。納得して頷くと、恵一も小さく笑って頷いた。


「そうそう、いつも入れてるやつ」

「よくこけたり、打ったりしちゃうから……」

「ドジっ娘、ってやつだな」

「……?」


 どじっこ、という言葉がわからなくて首を傾げると、恵一は目に見えて慌て始めた。悪い意味じゃなくて、むしろ可愛いなぁとか、いやそうじゃなく、可愛いのは本当だけど、なんて。どうやら微妙な意味の言葉らしくて、フォローしようとして盛大に滑っている。そんな恵一の様子がおかしくて、声をあげて笑ってしまった。


「こんな場所だけど、恵一と一緒で良かったわ」

「へ!?」

「多分、一人だけだったら途中で歩けなくなっちゃう」

「……そっか、有子のためになれたんだったら、嬉しい」


 そう、恵一がいてくれたから、笑うことができた。多分、いや、絶対に――一人だけだったら、あの教室から出るだけでも大変だった。よくわからない場所で、全然状況は良くなっていないけれど。恵一と二人なら、何とかなるような気がした。



 取り敢えず、まだ見ていない階を見て回ろうということで、四階にやって来た。来たのは良いけれど――。


「……ベニヤ板、かしら?」

「多分……」


 踊り場を抜けて、四階に入ろうとしたけれど。その入り口には、たくさんの板が打ちつけられていた。釘でめちゃくちゃに打ちつけてあって、外すのは時間がかかりそうだ。でも、ここからしか入れないし……。


「……恵一、何してるの?」

「いや……うーん、これくらいなら……」

「?」

「試しに一回……まぁ、捻らない、かな……」


 こんこん、と板を叩きながらぶつぶつ呟く恵一。何をしているんだろう、と思っていると、不意に恵一が振り向いた。


「ちょっと、下がっててくれる?」

「え、うん……」


 真剣な表情で頼まれて、頷いてから少し下がる。恵一は足を上げたり、板に当てたりしていて――次の瞬間、思い切り蹴りつけた!!


「きゃあっ!?」

「あ、だ、大丈夫だった!?」

「う、うん、ちょっと驚いただけ……」

「そっか……うん、後二回くらいで行けると思う。もうちょっと下がってて」


 どうやら、板を蹴り破るつもりらしい。それにしても、かなりの厚さだったのに、それを三回くらいで割れるとか……やっぱり、そういう所は男の子なんだなぁと思いつつさらに下がる。そうして、何回か板を蹴りつけたらばきりと割れた。


「すごい……」

「思ったより硬かったなぁ、有子、大丈夫だった?」

「うん、恵一は?」

「俺は大丈夫。さっきは驚かせてごめんな?」


 そう言って、申し訳なさそうに謝る恵一に向かって首を振る。そうして、割れた所から四階に入ろうとして、先に入った恵一が声を上げた。



「来るなっ!!」



「えっ!? 何、どうしたのっ!?」

「有子はそこにいて、絶対にこっちを見るなっ!!」

「ねぇ、どうしたの、何があったの!?」


 普段聞いたことがないくらい、険しい声。でも、来るなって言われても、何があるのか、恵一は無事なのか、気になる。

 どうしよう、ここで言われたとおりに待つ方がいいのか、見に行った方がいいのか。私は――恐る恐る、一歩を踏み出した。あんな声を出すなんて、絶対に普通の状況じゃない。だからこそ、私は恵一の言葉に逆らった、の、だけれど。


「きゃああああ!?」

「来るなって言ったろ!?」


 ばらばらの、人間の、死体。頭が、身体が、手が、足が、あちこちに散らばっていて。赤い、何か、いや、何かなんてわかってる、血が、天井にまで。私は、その場にへたり込んで、もう一度悲鳴を上げた。


「やだ、やだ、いやぁ、やだぁああ!! 何、何これ、何なのよっ!?」

「落ち着け、声を出すなっ、まだこれをやったヤツが近くにいるかもしれないんだぞ!?」


 四階の入り口は、正に地獄だった。まだ新しい、血生臭さが残る、死体が、何体も。何で、どうして、何が、怖い、怖い、怖い、私は、私は。頭の中がぐちゃぐちゃで、恵一の声も聞こえない。


「あ、あ、やだ、やだ、おかあさん、おかあさん、どうして、なんで」

「っ……有子、ごめん、苦しいかもしれないけど本当にごめん!」


 瞬間、塞がれる口、息苦しさ。恵一に口を塞がれて、私の頭はもっとぐちゃぐちゃになる。どうして、何で、恵一、苦しい、離して、離して、離せ、離せぇっ!!


「暴れるなって、声出したら見つかるから! 痛っ、噛むなっ、有子、有子!!」


 殴る、蹴る、噛む、出来ることを全部やる。何が何だかわからない、わからない、わかりたくもない。目の前にいるのは、私を殺そうとしてるのは、誰、わからない、誰?


「落ち着け、頼むから、落ち着いてくれ有子!!」





 ――その背後にいる、チェーンソーを振り上げた男も、誰?





 今まで聞いたことがない音がして、見たこともないくらい血が噴き出て。驚いた顔をした恵一は、そのまま真っ二つになった。

 骨、中身、本の中でしか見たことがないものが、目の前でぶちまけられる。骨って本当に白いんだ、なんて、頭を過ぎった。


「……まい、もうだいじょうぶ。まいをおそってたやつは、もうころした」


 右と左に分かれた恵一の向こう側に、優しそうな笑顔の男の人がいる。その笑顔だけ見れば、本当に優しそうな人なのに。振り下ろしたチェーンソーは床に突き刺さって、恵一の欠片を巻き込んで唸っている。


 あまりのショックに、声すら出ない。あぁ、そうか、恵一が今死んだんだ、と変に冷静に思う。多分これは、頭が今の状況を理解出来てないんだろうな、とか。色々思っていると、男の人が手を伸ばしてきた。


 チェーンソーは床に突き立てたまま、男の人は私を担いだ。そのまま、どこかに向かって行く。

 私は、抵抗することすら忘れて、されるがままに運ばれて行く。けれど、ぼんやりと、これだけ思った。





 ――行き先は、出口じゃない。多分、私はここで死ぬ。





『もうころした』 了











『見えない因果のお話』






 私は、どこにいるんだろう。

 確か、あの男に連れ去られて、何日間か、部屋に閉じ込められていて。結局、水も食べ物もなくて、口の中がからからになって、舌が引き攣って……あぁ、そうだ、私は死んだ、多分、餓死だったんだろう。



 なのにどうして、私はこんな所に――こんな瀟洒な、洋館のソファーに座っているのか。



「どうぞ、こちらリクエストされましたチョコブラウニーとココアで御座います」

「え?」


 目の前には、美味しそうなチョコブラウニーと、甘い香りを漂わせるココア。けれど、リクエストなんてしていないし、何より。目の前にいる執事にしか見えない片眼鏡の男の人は一体誰なのだろう。


「あぁ、有子様は猫舌で御座いましたね。私としたことが、申し訳ありません」

「え、あの、え?」


 大げさに嘆いて、片手を目元に当てて詫びる男の人。彼は私の名前を知っていて、何故か、猫舌であることまで知られている。

 死んだ私と、そんな私のことを知っているらしい男の人。一体、どういうことなのか――全く解らないのに、男の人は話し続ける。


「さて、見えない因果とでも申しましょうか、理不尽な死で御座いましたね。初めて死んだ有子様には、恐らく彼が誰だったのか、全く解らなかったでしょう」


「貴女様が何回目の有子様かは存じ上げませんが、十数回目なら或いは……まぁ、戯言はこの程度で終わりにしましょう」


「死の運命を覆すための鍵は、もうお解りでしょう。貴女様を導く白兎、かの方の言葉に従うことです。かの方は、貴女様を危険から守るために行動されております。まぁ……あの時は、ですが」


「さぁ、そのお菓子を食べ終わりましたらいってらっしゃいませ。私は、貴女様がこの運命の輪より逃れることを何よりも願っております故」


 そう言って、にこにこと笑っている男の人。私は、言われたとおりにお菓子を食べつつ、問いかけてみた。


「……貴方は一体、誰なんですか?」


 その言葉を聞いた彼は、酷く歪な笑みを浮かべる。


「おや、これはこれは。私としたことが名乗っておりませんでしたね。貴女様とははじめまして、貴方方には御機嫌よう。私は――モリ、と申します」


 その言葉と同時に、私の視界が暗くなる。暗くて、重くて、落ちて、落ちて――。

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