第3話

 はっ、と我に返る。私は――私は、そう、鏡野 有子。隣にいるのは、幼なじみの豊島 恵一。

 二人でいつの間にか全く見覚えのない学校に連れて来られていて、ここはどこなのか、どうやったら出られるのか、それを調べるために校舎の中を歩いている……その、はずだ。


「えぇ、と。恵一、今、どこに行こうとしてたんだっけ?」

「え? あぁ、それを決めようって話だよ。俺としては四階かなって思ったけど」


 ダメだ、四階には絶対に行ってはいけない。


「でも、外に出るなら一階じゃない?」

「一階の正面玄関は閉まってたって」

「だって、私たちの学校だって、裏口とか非常口とかあったじゃない」

「あ、そっか……確かに、そっちは見てなかった、かも」


 私は、私の直感に従って言葉を続ける。


「それに、上の階から外に出るなんて、非常口か窓ぐらいしかないわ」

「窓は……いや、まぁ、うん」

「非常口は普段閉まってるし、その鍵を開けようと思ったらどうしたって鍵を探さなきゃだし」

「う、うん?」


 恵一が、戸惑っているかのように眉をひそめた。

 私自身も、何でこんなに必死なのかわからない――わからないけど、ここだけは譲ってはいけない気がする。

 何が何でも、上に行ってはいけないと。


「鍵がある所って言ったらきっと職員室で、職員室って一階よね?」

「あ、あー、確かに一階に職員室ってあったけど、そこも鍵が閉まってて」

「じゃあ宿直室とか、校長室は?」

「その二つは見てないな……」


 訝しげに私を見つめる恵一の腕を握って、階段があると思われる方向へと引っ張る。早く下に行かないと、上に行っちゃいけない、上に行ったら……


「じゃあ、下の階から探しましょ」

「あ、あぁ、うん」


 上に行ったら、死んでしまう。 何の根拠もないのに、私ははっきりとそう感じていた。





 一階には、職員室も宿直室も校長室もあったけれど、恵一が言っていたように鍵がかかっている。ならばと非常口に向かってみたけれど、結果は同じだった。

 いや、こちらは鍵がかかっていると言うよりは、扉の形をした壁のように思える。ドアノブは回るし、鍵穴もついているけれど――ぴたりと壁に密着して、隙間も見えない。


「どうしよう……鍵さえあれば、外に出られるかもしれないのに」

「他に鍵がありそうな場所、なぁ……」

「恵一、部室の鍵とかってどこから取ってたの?」

「基本職員室だなー……たまに、顧問の先生から直接もらってたけど」


 非常口の前で、座り込んで話し合う。


「顧問の先生から?」

「うん、職員室に行ってなかったら、もらいに行くんだ」


 顧問の先生から……なら、もしかして。


「ねぇ」

「ん?」

「もしかして、空き教室の机の中とかにないかしら?」

「机の中?」


 顧問の先生はもちろん、ここには私たち以外の人はいない。いや、いるかもしれないけれど、少なくともここに来るまで人の気配はなかった。けれど、これまでも誰もいなかったということはないだろう。

 学校は学校として使われることを前提に建てられるものだし、この校舎は一目見ただけでも相当古いものだろうと思える。


「机の中に置き去りにしてるかもってこと」

「確かに、今まで教室の中は見ても、机の中までは見てなかったなぁ」

「じゃあ、今空いてる教室の机の中を探してみましょう」

「そうだな……それくらいしか、やれそうなこともないし」


 こうして、私たちは来た道を戻っていった。





 三階に上がった途端、雰囲気が違うと感じた。それは恵一も同じだったようで、体を震わせつつ私の前に立つ。


「有子は俺の後ろからついて来て」

「え?」

「何か、さっきと違う。有子は女の子だし、俺は何かあっても何とか出来るから」


 そう言って、私を庇いながら進み始める恵一。私は――素直に、その言葉に従うことにした。





 私がいた教室の机をくまなく調べてみたものの、特に収穫はなくて。隣の教室も同じように二人で見回ったけれど、やっぱり何もなかった。そして、階段を挟んでその向こう側にある教室を見て――。


「ここは開かな……あれ?」


 恵一が何かを言いかけて、ぽかんと口を開ける。全開になっている扉を前に、首を傾げている。


「さっきは、開かなかったんだけど……」

「鍵がかかってたの?」

「だと、思うんだけど……少なくとも、開いてなかったと思う」


 おかしいな、と言いつつ入り口から教室の中を覗く恵一。私はその後ろから、同じように教室を覗き込んだ。教室の中は薄暗くて、はっきりとは見えない。恵一がライトをかざしていても、ここから全体を見通すことは難しいようだった。


「……どうする、入る?」

「俺が先に入るから、有子はここにいて」


 とっさに反論しようとしたら、恵一の顔が間近にあった。びっくりして黙り込むと、恵一は優しく微笑んだ。


「俺なら大丈夫だから、な?」

「でも……」

「大丈夫、有子を危ない目に遭わせる訳にはいかないんだから」


 そう言われて、私は――小さく、頷いた。


「わかった……でも、気をつけて、怪我しないでね」

「あぁ、大丈夫。ありがとう」


 ぽんぽんと頭を撫でられて、そんな場合じゃないってわかってるのに顔が赤くなる。恵一はそんな私を見て、面白そうに笑ってから、教室の中へと踏み込んでいった。ライトが教室の中を照らして、机と、窓と、黒板と……見た所、他の教室と同じような感じらしい。


「恵一、どう?」

「暗い以外は特に何もない、かな? 他の教室と一緒みたいだ」

「じゃあ、私もそっちに行って、一緒に机の中とか、探した方がいい?」


 そう聞くと、恵一は少し悩んだようだった。そして――頷いたらしい。


「あぁ、頼んでもいい?」

「わかったわ、じゃあ今からそっちに」





 視界がぶれる。





 何が起きたか、わからない。










 最期に聞こえたのは、見えたのは。















 地響きと、ガレキで。






「事故」 了






「不注意が招く危険のお話」






「どうぞ、こちらリクエストなさっていたハニーレモンパイとカプチーノで御座います」

「はぁ、どうも」


 ……何が起きたんだろう? と言うより、現在進行形で、何が起きてるんだろう?


「甘酸っぱくて美味しいです」

「このモリの手作りの品で御座います、お口に合いましたなら重畳」

「えっ、手作り!?」


 目の前で微笑んでいる紳士が、こんなに可愛らしくて美味しいパイを作っただなんて……何だろう、女子力で、とてもとても負けてしまったような気がする。いや、違う……そもそも私はこんな場所に来た覚えはないし、この紳士とも初対面、のはずだ。


「はい、しかしパイ作りは一瞬の油断が命取り。それはこの度の有子様……いえ、白兎の行動にも言えることですが」

「白兎?」

「えぇ。あの場所では、少しの違和感でさえ見逃してはならないのですよ。今回の白兎は、その違和感をなかったことにして、結果的にこうなりました」


 こう、と言いながら紳士は――森さんは、顔の左半分を押さえた。その動作が何故か気になって、私も同じように自分の顔を押さえようとして、指先に触れた何かに、ゾッとした。

 ぐちゅ、いや、ぐにゅ? ずるり? とにかく、初めて触れたにもかかわらず、その感触は明確に伝えてきた。


「……も、り、さん? わた、し、わたしのかお、あたま、え、え?」

「あぁ、ご心配なさらず。痛くはないでしょう? どうぞ、折角のパイに、カプチーノです。そうだ、次にここに来られた時は何をお召し上がりになりますか?」


 そう、明確に――私の頭が、死んでいなきゃおかしいくらい、潰れていることを。


「あ、あ、わたし、おかしい、なんで? いきてる?」

「それは、今この瞬間に有子様が生きているかどうか……と言う質問で御座いましょうか」

「え、あ、だって、のうみそ、ゆび、ついてる、ち、あ、きたない、ふく、よごれちゃう」

「今この瞬間、で御座いましたら生きてはおられない、とお答えするしかありません。ですが、大丈夫です、すぐにまた」






 ――いきかえりますよ、と、さいごにきこえたきがした。

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