誰彼時ニ死ニ沈ム -Tasogaredoki ni Cynicism-

とりい とうか

本編

第1話

 夕方の学校で独りになってはいけない。

 学校に潜む何かに魅入られてしまうから。

 それはどんな学校にもあるような噂話。



 ――そう、思っていたのに。






 私の名前は鏡野 有子(かがみの ありこ)、白樫高等学校の二年生。今は午後六時前で最終下校時間ギリギリだけど、私は学校に向かっている。

 と言うのも、よりによって明日提出の宿題を忘れて帰ってしまったから。仕方ないとは言え、どこもかしこも疲れた顔の人でごった返している。



 ……。



 走って、時々歩いて、ようやく校庭に辿り着く。テスト前だからか部活動の生徒もいなくて、普段以上に静まり返ってる。

 嫌だなぁ、と思ったけれど背に腹は代えられない。私は不気味な橙色に染まった校舎に向かって歩き出した。



 不気味な、というのは他でもない。同級生から聞いた噂話がまだ頭に残っているから。



「夕方の学校で独りになってはいけない」

「学校に潜む何かに魅入られてしまうから」


 よくある怪談話、真実なんて欠片もない馬鹿話。そう思ってはいるのだけど、こうも噂話に沿った状況だと怖くもなる。もしかすると、この話を作った人も今の私のような気持ちだったのかもしれない。普段は沢山の人がいて明るい学校も、静かで人の気配もなければ不気味以外の言葉が浮かばない。

 なんて、そんなことを思っても忘れ物が手元に飛んで来る訳じゃない。諦めて校舎に入ろうとした――その時。



「有子、有子ー!!」



 名前を呼ばれ、振り向いた先。犬っぽい、と言われるのも頷ける程大慌てで走って来ているのは。


「恵一、どうしたの?」

「有子こそどうしたんだよ、もう家に着いてる時間だろ?」


 彼の名前は豊島 恵一(としま けいいち)、私の家の斜向かいに住む幼馴染。確か野球部に入っていたけれど……テスト前だから、部活はないはず。私が小首を傾げていると、恵一はあぁ、と声を上げた。


「俺は部室の片付け、練習が始まっちゃうと暇がないからさ」

「あぁ、それで……私は忘れ物を取りに来たの」

「へぇ、有子が忘れ物なんて珍しいな!」

「たまには私だって忘れ物くらいするわよ」


 やや不機嫌そうに答えると、途端に慌て出す恵一。あぁ、いけない、ここで話し込んでいたら玄関の鍵が締められてしまう。


「じゃあ、私教室に行くから」

「あ、うん、じゃあさ、俺ここで待ってるよ!」

「え?」

「だって、帰り道一人じゃ危ないだろ?」


 どうやらさっきの発言の埋め合わせをしたいらしい。私は小さく笑って頷き、恵一と別れた。



 さて、早く教室に行かなきゃ……あれ? こんな所で何をしているんだろう。


「岸君、何してるの?」

「鏡野か、お前こそ何をしているんだ?」


 怒っているような声でそう聞いてきたのは、岸 祐樹(きし ゆうき)君。いつも無愛想だから勘違いされやすいけど、今も別に怒っている訳じゃない。話してみれば意外に物知りで、優しい人だ。


「私は忘れ物をしちゃったから」

「そうか、オレは……オレも忘れ物だ」

「珍しいね、岸君が忘れ物なんて」

「オレだって人間だ、たまには忘れ物だってする」


 その会話がさっきの恵一との会話と同じで、つい笑ってしまう。すると、岸君が不思議そうに首を傾げた。何で笑った、と視線で問い掛けられた気がするので、答えておく。


「さっき、恵一とも同じ会話してて」

「恵一……あぁ、豊島か」

「そうそう、豊島 恵一ね」


 ……あれ? 今度は普通に機嫌が悪くなったような雰囲気だ。けれど、その理由を問いかける間もなく岸君は歩き出した。


「そっちは教室じゃないんじゃ……」

「教室に忘れたんじゃない、別の場所だ」

「そっか、なら別方向だね」

「あぁ、遅くならない内に帰れよ……最近物騒だからな」


 気のせいだったのか、普通に心配された。私はよく分からないながらも手を振り返し、教室へと急いだ……いや、急ごうとしたのだけど。



 突然の衝撃にばたばたと何かが散らばる音、ちょっと手を擦りむいて痛い。どうやら私は何かにぶつかって倒れてしまったらしい――差しのべられた手を握る。


「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」

「こっちこそごめんなさい、大丈夫だった?」


 握った手は冷たく、細い。顔を上げると、見覚えのない顔があった。ちょっと幼い感じだけれど、襟の学年章を見ると同じ学年らしい。私は彼に引き上げられて立ち上がった。


「あ、ぶつかったときに散らばったのね、ごめんなさい」

「いえ、僕も不注意でしたから……すみません」


 辺りに散らばっていた本を集めて手渡すと、きょとんとした後に頭を下げられた。ごめんなさい、ともう一度言われたので首を振る。


「別にそんなに謝ることじゃないわ」

「ですが、手を怪我してます」

「こんなの掠り傷よ、それよりもあなたは大丈夫?」

「はい、本を落としただけで、怪我はありません」


 その言葉通り、見える所に傷はない。私は最後の一冊を彼に渡して、もう一度頭を下げた。


「本当にごめんなさい、急いでたんでしょう?」

「いえ、あなたが拾ってくれたので……あの、ありがとうございました」


 少し早口でお礼を言われ、その子は――とは言え同学年だが、去って行った。私はその後ろ姿を見送り、はたと自分の目的を思い出した。

 そうだ、早く宿題を取りに行かないと、恵一も待ってる。そう思って、校舎内に足を踏み入れた瞬間だった。




 いきなり、意識を失った。

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