生徒会長!副会長は女性です。
エノコモモ
生徒会長!副会長は女性です。
「見て。会長と副会長よ」
厳かな校舎の廊下で、女生徒達はさわさわと噂する。そんな羨望の眼差しを一身に受けるのは、肩で風を切り歩く生徒会長。ではなくその一歩後ろ。
「
生徒会副会長の元に、女生徒が駆け寄った。手には可愛らしく飾られた小さな箱。顔を真っ赤にさせて、彼女は口を開いた。
「き、今日はバレンタインデーですので…その…えっと…」
緊張のせいか、用意していた言葉を紡ぐことなく押し黙ってしまった。けれど意中の相手は目の前で待っている。その状況から余計に焦り、差し出した彼女の手は更に震える。
そんな彼女の手から、ふとプレゼントは拾い上げられた。
「ありがとう。大切に頂くよ」
贈り物を手に、副会長は優しく微笑む。美しい線を描く完璧な笑顔を前に、その場からは黄色い歓声が上がった。
「……」
そしてそんな微笑ましい一部始終を、冷たい目で見つめる者が1人。先程から蚊帳の外の、生徒会長である。彼の瞳に宿るのは、自身より人気のある副会長への、単なる嫉妬心ではない。
(…たとえどんなに外見を取り繕うとも、貴様の浅ましい本性はお見通しだ。皇)
心に疑惑と怒りを抱え、生徒会長は自身の部屋に入った。
★
私立・
そしてそんな将来有望な若者達の頂点に立つ男子生徒が1人。
「会長。すぐにお茶をお入れします」
「ああ」
(貴様の目的は分かっているぞ…)
そしてそんな生徒会長は現在、会長室にて親の仇の如く1人の人間を睨み付けていた。彼の鋭い眼光には確信が浮かぶ。
(皇副会長!)
そう、生徒会長である清史郎の最たる敵。それは、会長の腹心である筈の副会長であった。
『竜胆生徒会長』
1か月前。その男は突然現れた。瞳と同じく深い緑色のネクタイは1年生の証。長い脚で制服のスラックスを履きこなし、数多の憧憬の眼差しを受けながら真っ直ぐに清史郎の元へ来た。彼はきらきらと光る金の頭を下げる。
『私を貴方のパートナーにしてください』
皇と名乗る彼は、清史郎の足元で膝をついた。真剣な表情で口を開く。
『貴方のお側に居られるのであれば、どのような待遇でも構いません』
これが、清史郎と彼の出会いであった。その後、生徒会の他の役員からの強い推薦もあり、彼は偶然空きのあった副会長の座へと就くことが決まった。
(清廉潔白、品行方正、それでいながら容貌はまるで地上に舞い降りた天使…奴を称賛する声は枚挙にいとまがない)
着任した副会長は優秀だった。些細なことでは動じず物腰は柔らか、仕事もそつなくこなす。一般の生徒のみならず、教師や生徒会内からも人望は厚い。
(だがしかし、僕は騙されない!)
そんな副会長の信用を、他ならぬ会長自身が疑っていた。そもそも、彼は生徒会へ入ることではなく清史郎へ仕えることを目的としていた。即ち、副会長の狙いが清史郎であることは火を見るより明らかだ。
(奴の狙いは僕!つまり――僕の背後にある、竜胆家だ!)
竜胆清史郎。日本国内でも有数の大企業、RINDOHグループの総帥が一族に生まれ落ちた。RINDOHグループと言えば多くの子会社を抱える、謂わずと知れた一大コンツェルン。それら全ての母体となる企業の重役は、彼が継ぐことが決まっている。
(次期当主である僕を陥れ、竜胆家を破滅に導くつもりなのだ奴は!)
その家柄に恥じず、清史郎は優秀且つ努力家だった。入学式にて新入生代表として挨拶文を読み上げてから、成績は常に1位。少々堅物な人柄ながらもその人望は厚く、彼が2年生の時点で生徒会長になることは内定していた。
(皇…この男がどんな手段を使おうとも!誇り高き竜胆家嫡男であり跡取り!僕は決して、負けはしない!)
絵に描いたような順調な学園生活。そこに突如として現れた刺客を、清史郎は強く睨み付けた。
☆
(会長…。今日も私を睨んでいる…)
そして同時刻、副会長もまた悩んでいた。
(何故あのように、警戒されてしまうのか…)
金の髪を掻き上げ、悩ましげに息を吐く。親の仇のように睨み付けてくる視線を背後に感じながら、海里は茶を入れながらひとりごちる。
(副会長に就任してしばらく経つのに、会長はなかなか心を開いてくださらない…)
そう、確かに海里の目的は竜胆清史郎その人であった。だがしかしその理由は彼の想像と少し違う。
(あんなに勇気を出して、告白したのにな…)
『私を貴方のパートナーにしてください』
運命のあの日。海里が清史郎に直に会いに行った理由はズバリ――恋だった。
(告白の後何故か副会長に就任することになったけど…少しでも会長の傍に居られるならと引き受けた。どうにかして、このまま心の距離も近付けたい…)
クールな表情の裏で頬を染めながら、海里は背後の好きな人を想う。茶葉とお湯を淹れた急須を、ぐっと握りしめた。
(父さん。あなたの娘は頑張ります!)
生徒会副会長。皇・オレリア・海里。彼女は身も心も、れっきとした乙女であった。乙女。女。そう、何度も言うが、女性である。
そんな立派な女子高生である海里は、想い人にちらりと視線を走らせる。
(会長…。貴方の好みは分かっています…)
清史郎に、そっと緑茶を淹れた湯飲みを差し出す。相変わらず警戒心を全面に押し出した睨みが返ってくるが、海里には勝算がある。
(会長は良家のご長男…。聞いたところによれば、可愛らしい家庭的な女性が理想だとか!)
『私を貴方のパートナーにしてください』――告白にしては分かりづらすぎる言い回しと状況だったが、それも致し方ない。彼女にとっては初恋だった。そんな甘酸っぱい初恋を迎えた海里は、憧れを現実にする為決意した。
(なってみせる!可愛らしい家庭的な女性に!)
「会長」
そして海里は、あたためていた作戦を実行に移す。
「今日が…バレンタインデーであることは、ご存知ですか?」
「!」
★
さて。バレンタインデー。副会長の今の言葉を受けて、清史郎はすぐに察した。そして結論を下す。
(噂に聞くこれが、マウンティングか…!)
少々世俗に疎い面があるとは言え、清史郎は学院の生徒を束ねる会長だ。皆が浮き足立つこの時期、バレンタインデーなる行事の詳細は、当然知っている。
(この日に得た甘味の数で、如何に異性から好意を寄せられているかを競う。勝者は優越に浸ることができる催事のこと…)
先程もあったように、人気の高い海里は当然、多くのチョコレートを獲得する筈だ。堅物で唐変木な清史郎よりも多くの戦利品を。
そして清史郎にとって、海里は自身の地位を脅かす男である。バレンタインデーを知っているかとのあの問いだけで、その思惑を理解した。
(自分の人気ぶりを見せつけ、竜胆家次期当主たる僕の心を折り膝をつかせる。敗北を宣言させるつもりか…!)
彼はそう結論付けた。全ては清史郎に挫折を味わわせんとする海里の策略であると。実際はただの被害妄想なのだが、彼が気づく筈がない。そして策は清史郎にもある。
「残念だったな…」
清史郎は小さく声を漏らす。
多感な年頃だ。バレンタインデーに貰うチョコレートの数。普通の男子高校生であれば、大いに気にしていただろう。心が折れることもあったかもしれない。けれど清史郎は鼻を鳴らして笑う。
「どんな行事でも大いに楽しむことが本校の方針だから従うが、風紀が乱れるだけ。全くくだらない俗習だな」
(僕は竜胆家の跡取り。甘味の数ごときで心揺れることなど有り得ない!貴様の思い通りにはならん!)
こう言えば、海里はチョコレートの数を自慢をしても意味がないと悟るだろう。ほくそ笑む清史郎が、勝利を確信したその瞬間だった。
「私も、甘いものはそこまで好きではないのですが…」
海里は差し出す。包装紙に包まれた箱を。ただ思慕故に、今日この日のために準備と試作を重ねてきたチョコレートである。
「今日は…想いを寄せる方にお贈りする日だと聞きましたので」
羞恥心を抑え、そっと付け足す。彼女の胸にあるのは純粋な恋心。花も恥じらう乙女の、精一杯の主張だった。
「っ…!」
そしてその告白とも取れる言葉を受けた清史郎には、大いなる衝撃が襲っていた。
(この、男…!)
好意を寄せる言葉、差し出された贈り物。それを見て、彼は分かってしまった。副会長・海里の目的。
(僕の精子を狙っているのか…!)
そう、マウンティングどころではない。清史郎を陥れるのにもっと確実で、直接的な手段があることを。
竜胆家次期当主である清史郎には役目がある。先祖代々繋いできた立派な会社と家を維持し繁栄させる目標が。そして彼が嫡男として生まれてしまったが故に発生する責務がある。この時代においても尚、こればかりは避けては通れない問題。そう、跡継ぎである。
(この男の目的は僕ではない、竜胆家そのものだと言うのか…!?)
竜胆家にも分家はあるが、当然直系ではない。直系で唯一の男子である清史郎が子孫を残せないこと。それは即ち、竜胆家の衰退を意味する。
(僕の性癖を歪め、異性との結婚を阻む。そして竜胆家を、延いてはRINDOHグループを破滅に導く計画とは…!なんと恐ろしい男だ…!)
ごくりと唾を飲み込む。しかし清史郎の戦意が喪失したわけではない。むしろその逆である。
(残念だったな!貴様の思い通りにはならんぞ!)
自信を持って、清史郎は副会長を睨み付ける。その心に宿るのは決してそうはならないと言う圧倒的な確信だ。なぜなら。
(僕は男色家ではないからだ!)
堂々と笑う。
(僕の心も精子も、貴様にくれてやることはない!)
さて。副会長が正真正銘の女性であることなど、全校生徒が知っている。海里の容貌はとにかく目立つ。男性にしか見えない美女が来たと、入学当初から彼女は有名人だった。
しかし堅物な清史郎は噂話などに興味がない。積極的に噂の内容を知ろうとはしなかったし、それ故に誰もその話をしようとはしなかった。なので清史郎が得た情報とは、皇なる1年生が入学したとの事実、その限りだったのである。
さらに言えば海里の見た目はとても、中性的だった。女性にしてはすらりと高い背に、洗練された仕草、少しばかり慎ましやかな胸。
そして何よりも、服装である。多様性を校訓に掲げる本校らしく、制服にはユニセックスタイプのものも存在する。背の高さから女性用の制服の寸法が合わなかったこと、何より似合ってしまったことから、彼女はスカートではなくスラックスを愛用している。
この一見すれば男性に見えてしまう容貌。そして清史郎は、一度思い込んだらそれを信じやすい性格の持ち主でもあった。
こうした要因が重なり、何の因果か、生徒会長である清史郎だけが副会長の本当の性別を知らない事態に陥っていた。
☆
(会長…)
差し出された箱を前に、鬼のような形相で睨み付けてくる清史郎。それを見て、海里の心には切なさが降り落ちる。
(やっぱり私なんかが付け焼き刃で乙女ぶっても、意味無いのかな…)
バレンタインデーにチョコレートを渡す行為、添えられた告白。これを異性からの好意と言わずして何だと言うのか。それなのに、ここまでしたにも関わらず、清史郎からは全く手応えを感じない。それどころか射殺さんばかりの眼差しを向けられている。それを受けて、海里はしょんぼりと肩を落とす。
(わかってる…。私は料理よりも護身術の方が得意だし、見た目も可愛らしい女性とは正反対。でも、それでも…)
顔を上げ、清史郎を見た瞬間だった。彼の背後、生徒会室の開け放たれた窓の外に、こちらに向かって飛んでくる野球ボールを見たのだ。その軌道は真っ直ぐに清史郎へ。
「会長!」
咄嗟に手を伸ばし、清史郎を抱き抱えるようにして絨毯の上に倒れる。背後で調度品が割れる音がした。
「お怪我はありませんか!会長!」
音が止んだ後で、すぐさま清史郎の安否を確認する。素早く視線を動かし確認するが、血の出ている箇所はない。ほっと息を吐き、海里は微笑んだ。
「貴方に怪我がなくて良かった…」
そう安堵した彼女の瞳に、清史郎の呆然とした顔が映る。
「っ!」
そこで、海里は我に返った。
(や、やってしまった…!)
清史郎の前では女性らしくしようとあれほど気を付けていたのに、うっかり、それはもううっかり素が出てしまった。
(会長に女性らしさをアピールして、好きになって頂こうとしたのに…また格好良くしてしまった…!)
そう、彼女は実父によく似ているし、実際にとても尊敬している。そして父は、非常に紳士な男であった。海里の母との出会いも、暴漢から颯爽と助けたことが恋の始まり。そんな父の血と教えを受け継ぐ海里にとって、格好良い立ち居振舞いをしないことは不可能に近い。
それ故に彼女は同性から好意を寄せられ、そして異性からは恋愛対象として見られることなど皆無だったのだ。
(会長のお好みとも正反対!これでは…!)
「…ああ。平気だ」
絶望の淵に立つ海里に、声が降ってきた。清史郎が服の埃を払い、立ち上がる。
「皇こそ怪我はないな?」
自身を庇った海里の無事を確認し、室内に転がった野球ボールを拾い上げた。彼は続ける。
「僕は校庭に行く。おそらく故意ではなく単なる事故だろうが…。生徒に被害があってからでは遅い。2度と同じことが起きないよう、原因を突き止め、対策を講じなければ」
表情は良く見えなかったが、その口調は淡々としたものだ。最後に物が散乱した床を指差し、清史郎は静かに言った。
「皇は生徒会室の掃除を頼む」
「はい…」
落ち込む海里も、静かに頷く。早足で扉の向こうに消える清史郎を見送って、再び肩を落とした。
「会長にお怪我がないのは本当に良かったけれど…女の子らしくって、難しいな…」
ため息と共に、落胆を漏らす。
(でも。それでも…会長は、私がはじめて好きになった人…)
あれは4月の入学式。在校生代表として登壇した清史郎を目にした時、海里の心は一瞬にして奪われた。
(あの時のことは忘れない。小動物のような愛らしい容姿に反して、堂々とした演説。すごく、素敵だった…)
性格に関して、海里は父の影響を大きく受けている。そしてそんな父は、とても一途で、決して諦めない男だった。
「なんとしても、会長を振り向かせてみせる!」
受け取って貰えなかったチョコレートを口の中に放り込み、海里は力強く宣言する。決して諦めない彼女は、決意新たに前を向いたのであった。
★
同じ頃。廊下を歩く清史郎は、自身の決意を思い出していた。
(皇…。奴の術中に嵌まる訳にはいかない)
そう、清史郎からすれば、全て罠だ。海里は、清史郎を陥れることで竜胆家、延いてはRINDOHグループを頂点から引きずり下ろそうとしている敵である。それがとんだ勘違いだろうと、真実を知る術は今の清史郎にはない。
そして彼は決断したばかり。海里の策略には決して引っ掛かりはしない。引っ掛かってはいけない。生徒会長であり、竜胆家次期当主たる清史郎が。
(それなのに…)
『私を貴方のパートナーにしてください』
言うなれば、初めて話したあの時からずっと抱いていた感情だ。分かっていたとしても、抑えられない強い想い。海里の男らしい姿を見る度に、一体どうして、彼は思ってしまうのだ。
(僕の…)
こちらを心配そうに覗き込む瞳。まるで清史郎自身が女になったかと錯覚するようなお姫様扱い。金の髪は窓から射し込む夕陽に鮮やかに彩られて、あまりにも。
(僕の、初めてを…捧げたい…!!)
抑えられないときめきで震える。そう、罠と理解していても尚、男だと認識していても尚、恋をせずにはいられない程度には。海里はあまりにも――王子様だった。
現在校舎を覆う夕陽よりも真っ赤に染まる生徒会長が開花するのが先か、副会長が女性であることを彼が知るのが先か、それが分かるのはもう少し先の話である。
生徒会長!副会長は女性です。 エノコモモ @enoko0303
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