同じ塾の水川さん(後半)

 夕陽は辺りを濃く染めていて、そろそろ夜がはじまりそうな空色だった。秋の風は冷たくて、つい凍えそうな寒さを見栄をはってがまんする。


 そんな僕に対して、水川さんは制服の上にウインドブレーカーとか着てないのに、平気そうだ。そして、彼女はとても嬉しそうにリズミカルに歩いている。


 通知表が配られた日、水川さんが部活を終えるのを待ってから、ふたり並んで塾へと向かった。


 勝負の結果は、まだ彼女の通知表を見ていないけど、僕の順位のらんに2が記されていたから、決まっているも当然だ。


 彼女はこちらに振り向くと、明るくかわいい笑顔で、自信満々に言った。


「今回は、私の勝ちだね!」

 

 彼女が胸をはりながら差し出してきた通知表には、間違いなく『1』の文字が記されいる。僕は彼女の通知表を手に取ると、自分のと見比べた。


 たった3点差だった。


 勝敗を分けたのは、計算ミスで落とした数学の4点。数学のテストの時、彼女が言った『絶対付き合う』は耳に残り、水川さんと渡辺君が手をつないでいるイメージばかりが頭に浮かび、集中できなかった。結局は、弱気に負けて自分を信じきれなかったのだ。


 そして負けたと思うと、僕には嬉しそうに喜ぶ彼女がどこか遠くの人に見えた。


 そしてこれまでテンポの良いリズムを刻んでいた足音が、突然ゆっくりになると「話があるんだけど」と落ち着いた声音が聞こえた。

 

 彼女の方を見ると、先ほどまでの嬉しそうな表情はなく、真剣な眼差しで僕の目を見ている。だけど、それより先に僕が口を開く。


「その前に僕にも話がある!」


 彼女は話を遮られたことに少しムッとしながらも「なに?」とこちらに話をゆずってくれた。だから、僕は拳をきつく握りしめると、喉に力を込めた。


「ぼ、僕は水川さんのことが好きだ!」


「え?」


 彼女は鳩が豆鉄砲を食ったように驚いた表情をする。そして、表情は固くなり黙り込んでしまう。


 僕そんな彼女に「ごめん、約束を破って……」と謝った。なにしろ僕がおこなったことは、ただのズルだ。でも……


「この気持ちだけは水川さんに伝えておきたかったから」


 僕が先細る声で口にすると、彼女は「そっか……」とだけ、何かを納得したようつぶやき、ゆっくりとこちらに視線を戻す。


「ごめんなさい」


 真剣な声音で呟いてから、彼女はていねいに頭を下げる。そのきれいな髪が、美しく下になびくのを見た時、僕は初恋の終わりを知った。


「そうか、それはお幸せにね」


 僕は笑いながら、言えていただろうか。


 必死に泣きそうな気持ちを抑えて、できるだけ明るく発することに努めたけど、どうして声にかすかな震えがまじった。僕はただ、彼女に悲しみが気づかれてませんようにと願うばかりだった。


 そして僕はもう一度だけ笑顔を作ると、彼女に背をむけた。そして、ガラにもなく「じゃあな」と乱暴に口にすると、塾とは反対方向に歩き出す。

  

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 後ろから懐かしい彼女の声が聞こえる。だけど、もう終わったことだ。僕はその声を無視をして、塾とは反対方向の彼女のいない場所を目指し歩き続けていると、足音と共に後ろから腕を掴まれた。駆けってきた彼女の髪はふわりとなびき、さややかな香りが鼻をくすぐる。


「私の話まだ終わってないんだけど……」


 彼女は手を掴みながらもどこかよそ見がちで、そわそわしていた。


 でも、僕は彼女の話が聞きたくなかった。

 今の僕には彼女と渡辺くんの幸福を願うような余裕なんてないからだ。だから、口を割って入って想いを伝えたし、彼女から逃げたんだ。


 だけど、彼女はそんな僕の想いをよそに口を開く。

 

「とりあえず確認なんだけどさ、私は告白をキッパリ断ったよね?」


 その問いに僕は首を縦にふった。無表情を心がけていたが、胸のあたりが苦しいほど痛くて、顔は歪んでいたと思う。


「だから、岡田君の告白は完全におわりね」


 そう、全ては終わったこと。僕は彼女から目をそらすと下を向いた。


 彼女は「じゃあ……」と言ってから……






「私は岡田君のことが大好きです! 付き合ってください!」






 僕は驚きのあまり「えっ?」と口を突いてから、何も言葉が出なくなった。耳を疑ったけど、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめながら僕の方を見ている。


 そして、赤く染まった彼女の笑顔を目にすると、だんだんの心臓の鼓動が早くなって、息が苦しくなって来る。そして、彼女から目が離せなくなる。


 僕が何にも口にすることができずに唖然としていると、彼女は不満そうににらんだ。


「ねぇ、ダメなの? さっき私に告白してたのにダメってことはないよね?」


「ダ、ダメじゃないよ……僕も水川さんが大好きたがら!」


 僕が大きな声で好きというと、目を大きく見開き、満面の笑みになる。そして、「よかったぁ〜」とうれしそうに呟いた。

 

「で、でも、な、なんで?」


 焦りのあまり、声は裏返り、噛みまくってはっきりとした言葉にはならなかった。


「私はね、すごく負けず嫌いなんだ! だからね……」

 

 彼女は僕の目をまっすぐ見つめてくる、その瞳はどこまでも透き通っていて……


「好きな人に告白するにも先じゃないと悔しいの!」


 水川さんが見せたその笑顔はとてもまぶしくて、見るだけでも頭がクラクラとする。だけれど、そんな彼女から一ミリも目を離すことができなくなっていた。完全に一目惚れだった。僕は再び、前よりもっと強く、水川さんに惚れ直した。




「それに、一位にもなってないズル告白で付き合いたくもなかったからね!」


 彼女は、爽やかな笑顔から一転して白い目で僕を見る。


「で、でも、毎朝教室に来てプレッシャーをかけるのも十分ずるくない?」


「そ、それは作戦の一種だからね、真剣勝負なら全力を尽くさなきゃね!」


 僕はその言葉にムッとした。だから言ってやった。


「水川さんは真剣勝負だったら色仕掛けでもするんだね?」

 

「い、色仕掛け!? そ、そんなことしてないよ」

 

 僕が言ったとたんに、彼女はキョロキョロと目を泳がせて、あたふたとバツが悪そうにする。そんな彼女を真っ直ぐ見つめ続けると、やり場のない目が怯えながらこっちへと向いて「だって……」とぼそっと口にする。


「テスト前は避けられていたし、もしかしたら岡田君は別の人に告白するのかと思ったら、負けるのが怖くなって…………」


 彼女ははこれまでの自信がウソのように、小さな声でボソボソという。そんな彼女に僕は……


「でも、大丈夫。効かなかったから! むしろ物理の点数は良かったよ」


 悪い笑顔を見せながら言ってやった。

 すると、彼女はみるみると顔を真っ赤にして


「ばかぁ! もう知らない!」


 彼女は足早と、みなみ塾へと歩き出してしまった。だから、僕も置いていかれないように必死に追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

同じ塾の水川さん さーしゅー @sasyu34

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説